第9話 復讐に生きる少女
襲われていた旧人達の窮地を救い,無事に大樹の里に帰還したイドリース達。
戸惑っていた里の者達は,帰ってきた彼らの姿を見て驚愕と歓喜に包まれた。
誰一人犠牲にならずに済んだこともあるが,不老不死の人間達を撃退したことが何よりも衝撃的だったようだ。
イドリースの素性を聞いていた一部の者達は,彼の力が本物なのだと認めざるを得なかった。
「まさか,全員無事に合流できるなんて」
「あぁ……。怪我人はいるが,どれも重度じゃない。人間に襲われたっていうのに,この被害は奇跡的だ……」
「いや,これは奇跡じゃないぞ。彼らが俺達に力を貸してくれたからだ」
事情を知らなかった者も,イドリースの持つ力を少しずつ理解し始める。
この男こそ,人間を圧倒することの出来る最大の武器なのだと。
渦中のイドリースは,合流した旧人達の姿を少し離れた場所で見守っていた。
死線を乗り越え,怯えていた人々の顔には笑みが戻っている。
これは千年前にも見た,戦いが生んだ一つの光景でもある。
懐かしさに身を委ねていると,母親らしき旧人が彼に向けて頭を下げた。
「本当にありがとうございました! 子供達も無事です! 何とお礼をしたら良いか……!」
「いえ,皆こそ奴ら相手によく持ち堪えてくれました。お蔭で助けが間に合った」
合流した同志達は,今まで生き延びてきた知恵や備蓄を携えていた。
彼らが力を合わせれば,この里は今以上に発展していくだろう。
止まっていた里の時が動き出す予兆を感じていると,旧人達の集まりから抜け出したアルカが,駆け足で近づいて来る。
収納していた人や物資を運び終え,ひと段落が付いたらしい。
「イドさん,終わりました!」
「あぁ,アルカがいてくれて助かったよ。でも体調は大丈夫なのか? あれだけの人数を入れたんだし,疲れだって……」
「全然ですって! 任せてください!」
「うーん,本当かぁ?」
探るような視線を向けるも,アルカは元気な態度を崩さない。
高揚感で誤魔化しているのかもしれないが,数十程の人数を収納したのだ。
疲労を感じていない筈もない。
しかしそう言ったとしても,彼女は首を振るだけだろう。
どうしたものかとイドリースが悩んでいると,続いて追ってくるように,服屋のエモが姿を現した。
「アルカちゃん!」
「あっ,エモさん!」
頭に被せた帽子を押さえながら,慌てた様子でやって来る。
それだけ皆のことを心配していたのだろう。
アルカが無事なことを知ったエモは,そのまま彼女に抱き付いた。
「良かったぁ! いきなり飛び出していった時はどうなるかと思って,気が気じゃなかったんだから!」
「むぎゅう……く,苦しいですぅ……」
「うん! 身体の怪我もないみたいね! 大事にならなくて良かったわ! ……あれ,エクトラちゃんは?」
嬉しそうに話すエモだったが,エクトラの姿がないことに気付き,辺りを見渡す。
誤解されても仕方ないので,イドリースが一歩前に出て,事情を説明する。
「彼女なら,また大樹の頂上で見張りをしてますよ」
「相変わらずねぇ。……ってそう言えば,まだあなたとは自己紹介してなかったよね?」
「あ,そうですね。自分はイドリースと言います。まぁ,何というか,色々あってアルカと一緒にペンタゴンから逃げてきました」
「服屋のエモよ。話はアルカちゃんから聞いてるわ。よろしくね,恩人さん」
「こちらこそよろしく,エモさん」
話の流れから軽い自己紹介を済ます二人。
エモも彼の活躍は知っているようで,警戒する様子はない。
ただ少しだけ引っ掛かる所があるらしく,歯痒そうに表情を変えた。
「んー,さん付けは別にいいかな? 見た感じ,同い年位だしね」
「そう……か。じゃあ,気安い感じで言っていくけど,それでいい?」
「それでよし! 代わりにいつか,その服を詳しく見せてね?」
何故か代わりとして服をねだってくる。
やはり奇妙な人だ,とイドリースは思いつつ一応頷いておく。
すると二人の会話に反応したアルカが,おずおずと手を挙げる。
「あのぉ。じゃあ,私もさん付けしなくても?」
「アルカちゃんは,そのままで」
「えー」
「だって,そっちの方が可愛らしいわ。どうせなら,お姉ちゃん呼びでも良いわよ?」
「それはちょっと……」
冗談を言い合い続ける二人。
良い関係を築けているようで何よりだ。
安堵したイドリースは二人に一言入れてから,とある場所に赴く。
大樹の根本付近に当たる,里外れの一角。
特に何かがある訳でもない,草が生い茂るだけの場所だ。
ただ今は複数の旧人達が集まって,とある人物を取り囲んでいた。
「こんな感じで良いのか?」
「いや,もう少しキツめに縛っておこう」
里の者達に縛られていたのは,イドリースが捕えた人間の一人。
今回の事件の加害者だ。
相手は不老不死なのだから縛り首など意味をなさないが,攻撃に用いていたスカラの腕輪は外され,今の彼には何も出来ない。
身動き取れない状態にしておけば,脅威にはならない。
悔しそうに表情を歪める人間を縛り付けにした人々は,イドリースがやって来たことで一斉に後ろを振り返った。
「君の言われたとおりにしたけど,コイツは人間なんだろう? 一体どうする気だ?」
「尋問をしようかと」
「じ,尋問だって?」
「今回襲ってきた奴らには,まだ後ろに控えている敵がいる。それを吐かせます」
「敵って,まさか……」
彼らは動揺しながらも,ある程度の予感を抱く。
それも当然で,先程あった流星は,この里にまでハッキリと見えていたからだ。
裏付けるように,拘束されていた人間が声を上げる。
「第二席,露払いのテウルギア様……」
「やっぱり知っているのか」
「今はせいぜい,ぬか喜びをしていればいい。どの道,お前達に未来はない。すぐにでも皆がやって来て,お前達全員を殺し尽くしてやる」
「居場所を教える気は,ないみたいだな」
「当然だ。薄汚れた侵略者共に教える義理はない……!」
人間の男はあくまで歯向かう意志を手放さない。
イドリース自身も尋問自体は経験があまりないが,相手が不老不死の時点で,痛みによる尋問が意味を持たない。
男からテウルギアの情報を吐かせるのは,中々骨が折れるだろう。
「どうする? まだこのことは,里の者全員には伝えていないが……」
「人間達が大勢くるとなれば……やはり里を捨てて逃げるしか……」
「クソッ! 危機が去ったと思ったらこれだ! 俺達は,結局逃げ惑う事しか出来ないのか……!」
里の者達は,迫りくる新たな脅威に頭を悩ませる。
既にテウルギアは,調査に出した人間が帰ってこないことに気付いている。
不老不死に抵抗する存在がいることを知って,今以上の勢力で押し入って来るだろう。
しかしイドリースは全く真逆のことを考えていた。
「これは逆にチャンスかもしれませんよ」
「何だって?」
「奴らは俺達に対して,攻める以外の経験がない筈。ならそれを逆手に取って,こっちから攻め込むというのはどうだろう」
「せ,攻める……!?」
驚愕する彼らに対して,イドリースは頷く。
「里の人達に来てもらおうとは思ってません。寧ろ大勢いれば見つかりやすくなるかも。ここは少数精鋭で行きたい」
「少数って……」
「正直に言うと,俺一人でも構いません」
「む,無茶苦茶だ……」
単身で乗り込むなど自殺行為に等しい。
恐れる様子もなく豪語するイドリースに,殆どの者が絶句する。
だがその内の一人が,真剣な表情のまま場の空気を動かす。
「でも彼にはカーゴカルトを倒した実績が,人間達を仕留めた結果があるんだ。どの道,俺達は逃げることしか出来ない。だったら今は,彼に託しても良いんじゃないか?」
男の言葉に反論する者も,一人もいなかった。
立ち向かおうと逃げ延びようと,待っているのは茨の道ばかり。
全員がその事実に薄々気付いていた。
「大勢の同志が,テウルギアの手に掛かって殺された。二百年近くも,俺達を脅かし続けて来たんだ。多分,十傑の中で最も俺達同族を殺した男の筈だ」
「……」
「恨みがない訳じゃない。出来ることなら,と何度も考えたことがある。でも敵わなかった。奴が繰り出す星落としを前に,生きて帰った者がいなかったからだ。だが,君は違った。それも傷一つ負わずに,皆を助けてくれた」
今まで怯えることしか出来なかった人々に,ようやく与えられた反撃の時。
一歩踏み出せば,何かが変わるかもしれない。
皆の意志は対話しないながらも,一致しかけていた。
「君なら本当に,あのテウルギアを倒せるかもしれない。だから,少しだけ考えさせてほしい」
「いいですよ。でも,あまり長引かせると向こうに先手を取られるかもしれない。あまり時間は掛けないで下さい」
「あぁ,分かっている。終わったら声を掛けよう」
「助かります。じゃあ,俺は周囲の見回りにでも……っと,エクトラがいるんだったな。どうせだし,顔を合わせに行こうかな」
里の人達の意見を尊重したイドリースは,大樹の頂上を見上げる。
里一帯は不可視の結界で覆ったままだが,過信は良くない。
念のため見張りに加わった方が良いだろう。
だがエクトラの助勢に行くと知った彼らは,意味深に顔を見合わせた。
「エクトラに会いに行くなら,気を付けた方が良い」
「どういう意味です?」
「いや,彼女はまだ自分の力を使いこなせていないからな……」
何か言いたげだが,最後までは語らない。
一応忠告として受け取りつつ,彼はその場から立ち去ることにする。
直後,後ろから微かな囁きが聞こえた。
「あの子のことだ。攻め込むなんて聞いたら,絶対についていくぞ」
大樹にある見張り用の居住に正しい道はない。
自然に伸びる大樹の枝を渡り頂上を目指さなければ,辿り着くことは出来ない。
その中をイドリースは身体能力だけで駆け上がる。
屈強な肉体を持つ彼にとっては,準備運動のようなもの。
夜空が一望できるそこに辿り着くと,人が数人収まる程度の木の板が敷かれていた。
雨をしのぐ屋根らしきものもあり,木の枝を上から被せるなどのカモフラージュしている。
そんな場所に彼女,エクトラは佇んでいた。
「やぁ」
「……」
「帰って来て早々見回りをするなんて……少しくらい休んでも良いんじゃないか?」
「別に,あたしは疲れてないから」
体調を心配する声にも,素っ気ない態度のまま答える。
イドリースの炎が人間達を焼き尽くして以降,エクトラは少しだけ覇気を失っていた。
見せつけられた圧倒的な力に対して,思う所があるようだ。
しかし彼も問い質す気もない上に,立ち去るつもりもなく,彼女が背を向けている方角の監視に努める。
そこには千年前と変わらない夜空が,ひたすら広がっていた。
すると少し時間が経って,不意に声が届く。
「皆から,千年前の英雄だって聞いた。あたしと同じ不死殺しの力で,あのカーゴカルトを倒したって」
「そう,か」
「ねぇ。これから,テウルギアも倒しに行くんでしょ?」
「聞いてたのか?」
「聞かなくても,そうするって分かってた」
そこまで言って,ようやくイドリースの方を向く。
瞳は固い決意に満ち溢れていた。
「お願い。私を連れて行って」
「……言っておくけど,人間の居城に攻め込むのと同じことなんだ。無傷で帰れる保証は」
「それでもいい。連れて行って」
言葉を遮ってまでそう言う。
明らかにテウルギアに固執しているような言動だ。
何故そこまで拘るのか,大よそは察せるが,その詳細を彼女は語り始める。
「あたしは元々,別の里で暮らしてた。でもアイツの星落としで家族を,里の皆を殺された。それからここの人達に助けられたけど,私を一人にさせたアイツだけは,絶対に許せない」
「……」
「やっぱり,軽蔑する?」
「いや,そんなことない」
イドリースはゆっくりと首を振った。
「恨みや仇を否定するなんて出来ない。俺も,一応は英雄だからな。そういった感情を向けたこともあれば,向けられたことも,幾らでもあった」
「恨まれたことが,あるの?」
「当然ある。俺だって人の命を奪って来たんだ。どれだけ取り繕っても,それだけは覆らない」
意外そうな顔をするエクトラを見つつ,彼はかつての戦いを思い返す。
千年前の戦争でも,向かってきた敵国の兵士を焼き尽くした。
恐れられるだけでなく,恨みの象徴として挙げられるのは当然のことだった。
面と向かって,お前だけは絶対に許さないと言われたこともある。
しかしイドリースは,そう罵られることも覚悟して戦場に挑んでいた。
全ては友を,家族を守るため。
その思いは今も変わっていない。
何も語らない彼の様子から,並々ならぬものを抱えていると知ったエクトラは,徐々に目を逸らした。
夜の冷たい風が,少しだけ吹き抜けた。
「ねぇ。さっきは,星落としからあの人達を守ったよね」
「あぁ」
「もし,あたしの里が襲われた時にいてくれたら……。皆を……お父さんやお母さんを守ってくれた……?」
「……」
その問いには,何も答えられない。
しかし彼女自身も,答えが欲しくて聞いたわけではないようだ。
右手で左腕を掴み,耐えるように握り込む。
「分かってる。こんな事言っても,意味がないって。でも……もっと早く,来てくれたら……あたしは……」
エクトラが,どういった経緯でこの里に辿り着いたのかは分からない。
ただ親しくしていた者と引き離され,深い悲しみを背負っていることは明らかだ。
里の者と距離を置いているのも,それが原因だろう。
抱えきれない後悔と無念が,彼女の両手から震え落ちる。
それは今のイドリースが抱くものと,よく似ていた。
察した彼は,夢で見たキューレ達の後姿を思い,おもむろに手を差し伸べる。
「一緒に行こう。それが望みなら」
エクトラに必要な言葉はそれだけだった。
俯いた彼女は顔をあげ,彼の手を取った。




