第2話 塵灰の炎
「成程。さっぱり分からない」
なので,こういった結論になるのも仕方のないことだ。
確かにイドリースは,王都庭園で仲間達に封印された。
このような薄暗い洞窟に隔離された記憶はなく,この場に面識のある者はいない。
更に誰も状況を説明してくれない不親切さとくる。
ここは一体何処で,あれからどれだけの時間が経っているのだろう。
そんなことを考えていると,眼前に男達が迫る。
「女は消耗している! 先ずはあの男を始末するんだ!」
何故か知らないが,酷く敵視されてしまったらしい。
耳を貸すつもりもなさそうなので,イドリースは片手で軽くあしらう。
拳の速度,空気の流れからその威力を簡単に演算し,真っ向から受けきる。
「おおっと」
「何ッ!?」
軽い掌底打ちで,向かってきた力を次々に弾き飛ばす。
ただの体術でありながら,彼らを一蹴するだけの力はあった。
しかしその瞬間,吹き飛ばした男達の身体から妙な違和感を感じ取る。
その感覚を冷静に分析しながら,彼はもう一度話し合いを試みる。
「あの。流石の俺も状況が見えないんだけど,誰か説明してくれないか?」
「何を馬鹿げたことを! 旧人如きが,我々人間に意見するというのか!?」
「何だそれ? まるで,俺が人間じゃないみたいな言い方だな」
「当然だろう! その娘を庇っている時点で,貴様も同族であることは間違いない!」
「同族って……。ちょっと待ってくれ,本当に意味が分からない……」
イドリースはひたすら首を捻るばかりだった。
自分の知る価値観が全く通用していない。
旧人とは,一体何を指している言葉なのか。
前々から化け物と呼ばれ慣れた彼だったが,男達の言うそれは,また違った意味が込められているようだった。
仕方なく話が通じそうな,未だ呆然とする二本角の少女に問い掛ける。
「なぁ,あれから何年経ったんだ?」
「ふぇっ!? な,何年って……どういう……?」
「いや,聞き方が悪かったかな。俺の封印を解いたってことは,そうせざるを得ない何かが起きたんだろう? ここは,フェルグランデ王国のどの辺りなんだ?」
「フェ……フェルグランデ……? 何ですか,それ?」
「えっ」
「えっ?」
意味が通じず,互いに見返す二人。
間髪入れずに,弾き飛ばした男達が再び襲い掛かる。
無視されたことに相当腹を立てているようだ。
思ったより復帰が早いなと思いつつ,彼はもう一度迎え撃つことにする。
「駄目っ,逃げてください! この人たちは……!」
疲労を振り切った少女が,必死に訴えかける。
だがイドリースに焦りはない。
こちらの気も知らず勝手に暴れようとする彼らを,今度は少し強めに,骨に響く程度の足蹴りを放つ。
目では捉え辛い,素早い蹴り。
その直撃を受けた男達は,再び土煙を纏いながら吹き飛ばされる。
警告した少女の顔も,他愛もなく蹴散らす姿を目の当たりにして,次第に驚きの色に変わっていく。
同時にイドリースも,少しだけ目の色を変える。
その理由は男達の身体にあった。
骨に蹴りが入った感覚も,骨という感触すらも,一切伝わって来ない。
感覚がなかったわけではない。
骨格そのものが存在しないのだ。
飛ばされた彼らも,普通ならば悶絶する筈の蹴りに対して,痛みを感じている様子もない。
すぐさま立ち上がり,無駄だと言わんばかりに気味の悪い笑みを浮かべている。
そこでようやく,イドリースは違和感の正体に気付く。
「骨格のない身体……人形の類か? いや,人としての人格はある……ってことはまさか……」
「ようやく気付いたか,下級種族。我々不老不死の崇高さというものに」
「コイツは凄い……。一体,どんな仕組みで成り立っているんだ……?」
見た目は全く同じだが,身体の構造はまるで別物。
一体何を源に動いているのかも分からない。
ただ生物の枠から限りなく離れた者達が,イドリースと少女を取り囲む。
不死の体現者のごとく,じりじりとにじり寄る姿は,確かに彼を驚かせるには十分だった。
「ええと,それでどうしたいんだっけ?」
「お前達にはここで死んでもらう。これ以上,我々の領域を汚す訳にはいかないからな」
「いやいや……冗談にしても笑えない。俺でなくても,その言い方は傷つくぞ」
「何を言う。傷ついただけで体液を撒き散らす,汚らわしい蛮族め。貴様が旧人である証など,薄皮一枚剥がせば直ぐにでも分かることだ」
「皮一枚?」
「何なら,肉ごと削ぎ落してやっても構わない。どの道,お前のような下等な種族はここから逃げられない。有限の命を持つお前達が,永遠の命を持つ俺達を倒せるはずがないんだからな」
「そうか。だったら,早く本気を出した方が良い」
「何だと!? 貴様,肉塊の分際で……!」
「成程。お前達にとって,あれが全力だったと」
だが,結局は驚かせるまでだった。
小さくため息をついた彼は,少し目を閉じる。
そして再び目を開けると,何処か浮ついていた眼差しが,真剣なものへと切り替わった。
「まさか,この程度で俺の血を流せるって,本気で思っているのか?」
「な……!?」
「心外だな。俺はその位で倒せる認知度だったのか。まぁ,いいさ。誰を相手にしているのか分からないなら,もう一度アレを見せてやる」
瞬間,何処からともなく舞い上がった灰が,イドリースの周囲を包み込んでいく。
同じようにそれら灰に守られた少女も,何が起きたのか分からずにあたふたと見回す。
これこそ,彼がアレと口にした力の正体だった。
しかし傍から見れば黒い土煙。
煙幕代わりの目くらましにしか見えず,不老不死である男達が臆するようには見えない。
「こけおどしだ! 人間である俺達を殺せるはずがない! やれッ!」
痛みを感じない己の肉体を盾に,三度駆け出す人間達。
イドリースは微動だにしなかったが,代わりに舞っていた灰の所々に赤い光が灯り始める。
それは残火。
弾けるような音を立てる,今にも消え入りそうな灰と炎の結晶。
「灰の炎……?」
少女がそう告げると共に,取り囲んでいた赤黒い塊が蠢き始める。
燃え尽きた灰と,残り少ない命を燃やすかのような灯の数々。
とても何かを焼き焦がすようには見えない。
しかしその塵灰こそ,あらゆるものを焼き尽くす業火そのものだった。
男達が掲げた片腕が一瞬の内に消えた。
彼らも何が起きたのか分からず,思わず自身の腕を見下ろす。
そこには残火を灯した腕の断面があった。
男達の腕は消えたのではない。
瞬く間に放たれたイドリースの塵灰によって,灰さえ残さず燃え尽きたのだ。
「腕が,焼け落ちた……!? そんな……俺達の身体が傷つく筈が……!」
「お前達の事情は知らないが,不老不死だけで勝てるなんて,思い上がり過ぎだ。そこにモノがある以上,燃やせない筈がない」
イドリースは己の炎を手に取り,そう呟く。
相手の腕を蒸発させる程の灼熱を操りながら,他の箇所には一切の影響が見られない。
洞窟内部の温度が上昇することも,充満していた空気が消失することもない。
それらは彼の采配次第で,望み通りに抑えられることを意味していた。
「俺の炎は少し特殊でね。密閉空間だろうが,水中だろうが関係ない。焼き応えなさそうだが,そんなに火炙りが好きなら望み通り,灰も残さない程度に消し飛ばす」
ハッタリではない明確な警告。
当初は理由のない自信に溢れていた男達だが,片腕が消失した事実を知り,次第に狼狽え始める。
不死である筈のその身に死を与えるかもしれない。
そんな者が存在することなど,全くの想定外だったのだろう。
「な,何なんだアイツは!? ただの旧人じゃないのか!?」
「た,退却だ! 一旦引けッ!」
身体を震わせるような訳の分からない感情。
それが恐怖であることにも気付かず,男達は背を向けて逃走する。
そんな彼らに,イドリースは追い打ちをかけようとはしなかった。
相手に恨みがある訳でもなければ,戦争をしている訳でもない。
痛みを感じない不屈の生命体相手でも,命があるのは確かなので,追い払う程度に留める。
攻勢に出ていた炎をかき消し,薄暗い洞窟を照らす程度に留めると,少女が小さく声を上げる。
彼女は長い銀髪を揺らしながら,目を輝かせていた。
「神様……」
「神……? 鬼だの悪魔だのと言われたことはあったけど,神様ってのは始めてだなぁ。でも生憎,俺はそんな風に呼ばれる程,偉くはないよ」
困惑しながらも,イドリースはその言葉を否定する。
彼女からしてみれば,殺されかけた所を救われた恩人でしかないのだろう。
しかし,彼は各国に対する圧力の象徴だ。
神には程遠い,兵器の具現化。
今の光景を見れば嫌でも思い出すだろうと,改めて自分の正体を明かす。
「今ので分かっただろう? 塵灰の炎,イドリースってのは俺のことだ」
「イドリース,さま……?」
少女はゆっくりとその名を反芻する。
何を言うべきか迷っているようで,しどろもどろになっていく。
「あの……ええと……」
「……まぁ,怖がるのも無理はないか。何て言ったって,俺は王国最強の英雄で」
「どちら様ですか?」
「えっ」
「えっ?」
二人が上げた素っ頓狂な声が,洞窟の中に響く。
互いのことを理解するには,まだ少し,時間が掛かりそうだった。