第7話 アッシュ・アンド・スターダスト
「あまり先走らないでくれ。そうやって死んでいった人を,俺は何人も知ってる」
「何を……」
イドリースはエクトラを背で庇ったまま,目の前の敵と相対する。
突然の横槍に再び動きを止める人間達。
旧人にあるはずの角が,彼の頭部にないことに気付く。
「何だコイツ……角がないぞ……?」
「まさか,人間が旧人を庇っているって言うのか? そんな馬鹿な……」
不老不死の人間が旧人を守ることが,余程信じられないようだ。
囚われた旧人達を一瞬だけ見て,イドリースは再び人間らへと視線を戻す。
「こんなところまで来たってことは,何処かにお前達の住処があるのか?」
「何を言っている? それよりも,お前は何処の所属だ!? 旧人を庇い立てすることが何を意味するか,分かっているだろう!?」
取り巻きは彼のことを人間と思い込み,所在を尋ねる。
たがピアス男だけが異変に気付き,指を差す。
そこにはエクトラとの争いで負った掠り傷があった。
「待て。ヤツの手を見ろ」
「あ,あれは! 血だ……!」
「ど,どういうことです,隊長? 触覚のない特殊個体という事ですか?」
「角のない旧人。その服装も何処か俺達と似通っているが……そうか,分かったぞ。お前がカーゴカルトを殺した旧人だな?」
合点がいったように,ピアス男が視線を鋭くする。
イドリースも突然カーゴカルトのことを指摘され,即答できない。
それが反って暗黙の了解となってしまう。
今まで何も知らなかったエクトラが,驚きながら彼を見上げた。
「あの十傑を殺したなんて,そんな……。誰も敵わない,人間界の頂点にいる奴らなのに……」
「……皆には黙っておけと言われていたのに,変装でもしておけば良かったな」
非常事態とはいえ,あっさり正体がバレるのは少し間抜けである。
角がない自分がいかに特殊であるか,もう一度改めなければならない。
イドリースが参ったように頭を掻くと,人間らに衝撃が走る。
「隊長,ということはコイツが……」
「あぁ,その通りだ」
そこにいるのは十傑殺しの大罪人。
彼らもイドリースの正体を理解したようだ。
「そうか。そうだったんだな。お前が奴を殺ったんだな。ははは……」
取り巻きが堪え切れずに笑みを浮かべ,肩を震わせる。
それは敬愛する者を殺した憎しみかに思えた。
「感謝するよ! あの男を殺してくれたことを!」
「何……?」
しかし,放たれたのは感謝の言葉。
イドリースだけでなく,エクトラや他の旧人達も言葉を失う。
「奴は十傑の中でも異端だった。あれだけの力を持っていながら,あの方の命令に逆らい続けていた。不要な旧人を殺さずに拉致・保管するなんて,十傑の称号がなければ断罪は免れなかった筈だ」
十傑も一枚岩ではない。
彼らの言葉はそれを如実に表していた。
「本当に馬鹿な男だった。何を考えているのかも分からなかったと聞くし,不老不死の第一人者というだけで重鎮扱いだ。お前も奴の素顔を見たんだろう? あの痩せ衰えた顔を! きっと老いた身体を見たくなくて,あんな仮面を付けていたに違いない!」
「……」
「あの死にたがりの老い耄れめ。とっくの昔に耄碌して,思考も定まっていなかったんだ。だからお前のような奴でも殺すことが出来た。どうせ角なしを利用して,人間の振りをしたまま,奴を背後から殺したんだろう?」
「……」
「角なしだろうが,所詮は旧人だ。俺達が恐れる必要なんてなかったんだ!」
十傑を殺したのはただの運。
他の旧人と同じように,取るに足らない存在だと取り巻きが決めつける。
そこまでを聞いて,エクトラは再度イドリースの反応を伺うが,思わず一歩後ろに引く。
見た目は全く変わりなかったが,何処か異様な雰囲気が流れ出ていたからだ。
「ねぇ……ちょっと……」
「下がって」
その一言だけ口にして,イドリースは彼らに向かって歩き出す。
「一応警告する。俺はここの人達を助けるために来た。退かないというなら,お前達を殺すことになる」
「おいおい。まさか,ボケたカーゴカルトと同じように殺せると思っているのか? 勘弁してくれよ。ですよねぇ,隊長?」
「……勝手にすればいい。どの道,俺達が退くことはないからな」
同意を求められたピアス男は,後を任せると言わんばかりに,冷めた顔をするだけだった。
「分かった。なら,仕方ないよな」
「何を余裕ぶっている! その調子に乗った面,溶かし切ってやる!」
調子に乗った取り巻きの五人が,スカラの腕輪をイドリースに向ける。
容赦などない。
金属すら溶かし切る光線が一斉に放たれる。
迎撃すべく,エクトラも反射的に全身から電流を生み出した。
「あぁ。そういえば一つ言い忘れていたことがあったから,言っておく」
直後,そんなことを言いながらイドリースの周囲に微かな灰が舞った。
誰の目にも見えない程の微細な燃え滓。
それは急激な速度を持って,放たれた光線を全て焼き払い,一瞬の内に五人いた取り巻きの四人を消し飛ばした。
「アイツを,キューレを馬鹿にするな」
「な……!?」
焼き殺された四人のいた場所には,蒸気のような煙が上がるだけ。
彼らの肉体は欠片も存在しない。
ピアスの男と,残された最後の取り巻きは,唖然としたまま硬直する。
「消えた……? いや,全員燃え尽きたって言うのか……!?」
「嘘……全然見えなかった……」
エクトラにも何が起きたのか理解できていない。
彼女自身,彼が得体の知れない力を持っていることだけは察していた。
しかし同じ不死殺しどころか,それを上回る力があるのは想定外だった。
ようやく焦り出したピアス男も,苦し紛れに抵抗する。
「近寄るな! こっちには捕えた旧人共がいる! お前が動けば,コイツらの命は……! な……何……!? 何処にもいない……!?」
だが男が向けた視線の先に,怯えて縮こまっていた旧人達は何処にもいなかった。
始めから誰もいなかったように,もぬけの殻と化している。
一体何が起きたのか。
誰かが問うよりも先に,イドリースの傍らに銀色の亀裂が走る。
その亀裂は大きな狭間へ変わり,そこからひょっこりとアルカが顔を覗かせた。
「イドさん! 皆さんの避難終わりました!」
「ん。ナイスだ,アルカ」
イドリースが良くやったと言わんばかりに親指を立てる。
彼女もただ身を潜めていた訳ではない。
今までに避難させた旧人と同じように,この場にいる全員を,向こう側の世界へと引き入れていたのだ。
ほぼ無理矢理押し込んだようなものだったが,イドリースが注意を引いていたことが功を奏し,直前まで気付かれることはなかった。
狭間から身を乗り出し,こちら側に着地したアルカは,エクトラの容体を気に掛ける。
「エクトラさん! 怪我はない!?」
「別にないけど……そんな力が使えたの?」
「……ごめんなさい。隠すつもりはなかったんだけど」
能力を明かさなかった事を謝りつつ,誰一人怪我がないことにアルカは安堵した。
ただイドリースの放つ妙な雰囲気を感じ取り,少しだけ気掛かりになる。
「あの,何かあったんですか……?」
「いや,何も」
アルカの問いに,彼は何事もなかったように呟くだけだった。
代わりに人質を失ったピアス男が,破れかぶれになって両手を天に伸ばす。
「こうなったら……! 俺の渦で全てを呑み込んでやる……!」
直後,男の両手から今まで以上に巨大な渦が発生する。
闇を呑み込むような深淵の螺旋。
周囲の空気が揺れ動き,中心へと引き寄せられていく。
強い引力を巻き起こすそれにエクトラが警告する。
「待って! あの渦をまともに受けたら,どうなるか分からない! 一旦,引いて!」
「そうか。ここにいる中では,別格の力があるみたいだな」
イドリースは片手を広げる。
手中から発生したのは,微かな明かりを持つ蛍火。
警告を受けたにもかかわらず,彼はそのまま引力の中心へ解き放った。
マッチで付けた程度の火が,引力を放つ力に適う筈がない。
だが渦に呑み込まれた瞬間,その火は内部から一気に膨張。
僅かな火から一転して業火と化し,漆黒の渦を引力ごと打ち消した。
塵灰の炎と呼ばれた英雄の力が,この場にいる全員を照らす。
皆言葉を失い,ただその炎を見上げるだけだった。
「でも悪いな。この程度じゃ俺は倒せない」
「馬鹿な……こんな力が……!? 本当に,あの十傑を正面から打ち破ったって言うのか……!?」
ピアス男も自分が誰と相対しているのか,やっと気付いたようだった。
全力を以って生み出した力を呆気なく消され,無力感が沸き上がる。
そして膨張した炎は一気に降下。
間近に迫る恐怖に,男が断末魔の如く声を上げた。
「お前は一体,何なんだァァァッ!?」
答えを聞くことなく,炎は全てを焼き尽くした。
苦痛などない。
イドリースが開いていた掌を握ると同時に,消えゆく叫びと共にそれらは消失する。
これが戦場を駆けた英雄の在り方だった。
「イドさん……」
「アルカ,これが人を殺すってことだ。俺はこうやって誰かを守るために,他の命を奪ってきたんだ」
「いえ,私が一緒に行くって決めたんです。怖がったりなんて,しません」
その姿を前に,アルカが彼を恐れることはなかった。
彼女にとってイドリースは英雄ではなく,涙を流す血の通った人であると理解していたためだ。
ただ強大な力を目の当たりにしたエクトラは,動揺しながら二人を交互に見つめる。
「ねぇ,どういうこと……? 二人共,何者なの……?」
「それは……」
今まで見たこともない力を前に,疑問が浮かぶのは当然でもある。
イドリースが問いに応じようとするが,異変を察知し天を見上げる。
アルカ達もその反応を見て,同じ行動を取った。
そこにあるのは夜空。
星々が燦然と輝き,所々に薄い雲が張り付いている。
だが暫くして変化が起きる。
夜空に浮かんでいた星の一つが動き,徐々に大きさと光を増す。
「流れ星?」
「て,テウルギア様……!」
「何か知っているのか?」
「星落としが……星落としが来る……!」
最後に残った人間の男は,譫言のように呟く。
助勢を待ち侘びたかのような声を出しながら,脱兎の如くイドリース達から逃走する。
星は輝きを増していたのではない。
一直線に,この場所へと向かって来ているのだ。
怒りと恐れが入り混じったエクトラは,あの流星が何なのか知っているようだった。
「星が,落ちてくる……!」
「何か知っているんですか!?」
「テウルギアが,アイツが此処を見つけたんだ! このままじゃ辺り一帯,あの隕石に押し潰される!」
次第に星の落下音らしき衝撃が,辺りに響き始める。
大きさは推定しか出来ないが,辺りを吹き飛ばす威力は確実にある。
少しだけ考えたイドリースはアルカに指示を出す。
「アルカ,あの流星はそっちの世界にも見えてる?」
「確認してみます!」
彼女は銀色の世界に飛び込んだかと思えば,直ぐに顔を出した。
「見当たりません。やっぱり,能力は反映されないのかも」
「分かった。じゃあ,エクトラを連れて向こう側に避難してくれ。3分,いや5分経ったらまたこっちに来てくれないか?」
「イドさんは!?」
「俺は少し,やることが残ってる。大丈夫。死んだりしない」
「……分かりました」
イドリースには何か考えがあるようだった。
アルカは事情を聞くことなく深く頷き,エクトラの手を引く。
「エクトラさん,こっちに!」
「でも,テウルギアがまだ……」
「今は,避難が先です!」
ここにいては隕石の落下に巻き込まれる。
アルカの言葉に負け,エクトラも彼女の生み出した世界へと足を踏み出す。
銀色に染まった光景の先には,既に避難していた旧人達が困惑しながら待っていた。
「き,君! 人間達はどうなったんだ!?」
「倒しました」
「倒す!? 一体何が……!?」
訳が分からない彼らを置いて,アルカは一度イドリースの方を振り返る。
「イドさん,無茶はしないで下さいね!」
「うん。ありがとう」
心配する言葉を聞いて,イドリースは僅かに笑う。
そんな様子を見て,アルカは複雑な表情をしながらも空間の亀裂を閉じた。
これで彼女達に影響が及ぶことはない。
残された彼は,上空から迫る流星と相対する。
「さて……」
隕石の落下によって,風というには生温い疾風が,辺りを砂塵の嵐に変える。
ここまで広範囲に影響を与える能力は,千年前でもそうは見ない。
十傑と呼ばれていたカーゴカルトと同等の力と考えて良いだろう。
相手の力量を見抜いた彼は,先程と同じ残火を飛ばす。
瞬時に飛び立った炎が,堕ちる流星を真っ向から受け止める。
しかし,その拮抗は一瞬。
流星は彼の炎を打ち消し,落下の速度を増した。
「成程な。ただの隕石でも,物質でもないみたいだ」
周囲の崖が崩れていき,大地には巨大な穴が穿たれていく。
圧倒的な物量を以て,その中心に佇むイドリースを押し潰さんとする。
彼は無言のまま両手を掲げ,息を吸い込むと共に大量の炎を展開した。
●
5分が経ち,言葉通りアルカは狭間を生み出して,元の平原へと引き返した。
見えるのは砂の大地。
今まであった平原の殆どが,砂漠のように様変わりしていた。
これがあの落石による影響なのだろう。
大量の生命体を収納している疲労もあって,アルカは思わず咳き込む。
「けほっ,けほっ……凄い土煙……」
するとその先に人影らしきものが見えた。
見慣れた服と黒髪が靡いている。
近づくと,崩れ落ちた岩盤に腰かけているイドリースの姿があった。
「イドさん!」
「おぉ,きっかり5分だな」
見た限りでは全くの無傷だったが,舞い散った土煙だけは避けられなかったようだ。
衣服に付着したそれらを払いながら,アルカに向けて手を振る。
更に晴れていく煙に紛れて,誰かが捕えられている。
それは先程逃走を試みていた人間の一人だった。
「その人は確か……」
「流星のどさくさで逃げようとしてたからな。色々聞くためにも,捕まえておこうと思って」
「もしかして,そのために残ったんですか?」
「まぁ,そんな所かな」
人間の男は観念してうな垂れるだけだった。
続いて,アルカの後を追って来たエクトラが,周囲を見渡しながら問う。
「アイツは,テウルギアは!?」
「この近くにはいない。あの隕石は,かなり遠距離から放たれた物みたいだ」
「……」
「ただこの場に留まるのも良くない。とにかく,ここから離れよう」
周囲一帯が砂で荒れている今の内に逃げなければ,続く第二第三の流星が降り注ぐかもしれない。
アルカの能力を通して,大樹の里に戻ることを提案する。
誰もそれを拒否する者はいなかった。
皆の了承を得たイドリースは,もう一度天を仰ぎ,そこにいるかもしれない相手を見据える。
「流星を操るテウルギア。中々,厄介な相手だよ」
未だ姿の見えない射手。
この力を持つ男との対峙を,彼は予期するのだった。