第6話 真夜中の救出劇
イドリースはアルカを背負いながら木々の群れを駆け抜ける。
日中の頃とは違い,二人が通り過ぎる葉擦れの音だけが耳元を通り過ぎていく。
先に飛び出したエクトラの姿は未だに見えない。
彼女も相当な速度で向かっているのだろう。
舞い上がる土煙は徐々に迫ると共に,薄く揺らぎ始めていた。
「襲撃……こんなに近くまで来ていたなんて……」
「あぁ。一体何処から嗅ぎ付けてきたんだか」
「もしかして,私達を追って来たペンタゴンの人なんじゃ」
「可能性はあるけど,多分違うと思う」
「そうなんですか? 私はてっきり……」
「あの土煙には,少しだけ覚えがあるんだ。大樹の里に入る前に見た,川沿いの不自然な穴。あれがもし,奴らのやったことなら……」
そこまで口にすると,以前通りがかった渓谷まで辿り着く。
横薙ぎの風が流れ込み,川が月の光を乱反射させている。
襲撃地点はこの谷を越えた先だ。
直後,異変を見つけたアルカが,進行方向から少し離れた場所を指差した。
「イドさん! あの人!」
見ると,男性が岩影に隠れるように身を潜めていた。
片腕が泥に濡れ,頭部に大きな角も生えている。
明らかに何かから逃げてきたような姿だ。
敵ではないと判断し,イドリースが瞬時にそこに着地すると,男は恐れ戦き息を荒げた。
「ヒッ……に,人間……!?」
「落ち着いてください! この人は,私達と同じ! 皆を助けに来たんです!」
「た,助けに……? あんた達は……?」
「大樹の里から来ました! 一体,何があったんですか!?」
今更だがイドリース一人で現場に辿り着けば,人間と勘違いされ逃げられてしまう。
角の生えたアルカを連れて来たのは正解だった。
味方が来たことに心底安堵した男は,ハッとして身を乗り出す。
「奴らが,俺達を見つけて襲って来たんだ! 何とか里に助けを求めようって,俺だけでも飛び出した! でも途中で足を……!」
「これは……捻った後も無理をして走ったみたいだ。結構腫れている」
「だ,大丈夫なんですか?」
「安静にすればどうにかなる。でも,これ以上この人は動けないな」
「頼む! こんなこと無茶だって分かっている! でもどうか,皆を助けてくれ!」
足を引き摺りながら懇願する。
彼は自分の怪我など二の次で,仲間達の命を案じていた。
イドリースはその様子を見て,アルカをゆっくりと降ろす。
「アルカ,頼める?」
「任せてください」
頷いたアルカはゆっくりと指を滑らせ,空間を切り裂く。
現れるのは,あらゆるものを収納出来る銀色の世界。
今まで見たこともない光景に,男は目を見開いた。
「な,何だこれは!?」
「一旦,中に避難してください。ここなら絶対に安全です」
「避難? これは,君の力なのか……?」
旧人でありながら異能を持つ者は非常に珍しい。
中でも彼女の力は,未だ説明がつかない程に異質だ。
内部は一度閉じれば,再び開くまで決して感知されない。
何かを隠蔽するのに,これ以上に適したものはない。
イドリースもこの中には何度も入っているので,危険性がないことは分かっている。
言われるがまま,男はアルカが開いた空間に押し込まれる。
訳が分からず動揺する彼に,イドリースが指示を出す。
「皆を助けてもう一度会いに来ます。それまでは,そこでジッとしていて下さい」
「お,おい……!」
男が二の句を紡ぐ前に,空間の亀裂が閉ざされる。
怪我をした旧人の気配は完全に消え,イドリース達だけが残された。
ただ相手は一つの生命体だ。
生きている者を収納するということは,彼女に大きな負担を与えることに繋がる。
「アルカ,体調の方は……」
「私のことは気にしないで。先を急ぎましょう!」
アルカは首を振るだけだった。
本当にその程度のものなのか,隠しているだけなのか。
探る意味もないので,イドリースはすぐさま彼女を抱きかかえて先を急いだ。
再び視界を遮る森の中へと突き進むも,そう時間は掛からなかった。
生い茂っていた木々が開き,奇妙な平原に辿り着く。
身の丈の倍はある崖が連なり,自然の迷路を生み出している。
入り組んでいないので迷う心配はないが,これでは平原全体を見渡せない。
そんな手前には,巨大な穴が空いていた。
人為的な力が働いているのは明らかで,地に広がる芝生がその場所だけ消え去っている。
土煙を上げたのは,ここに何かが落下したのが原因のようだ。
「誰も,いませんね」
「この近くにいるのは間違いないはずだけど」
既に収まった煙の跡を進む二人。
すると崖の麓付近で,女性の旧人がうつ伏せに倒れていた。
血は流していないが,目を瞑ったまま動かない。
アルカは思わずイドリースの手から離れ,そこに近づいた。
「し,しっかりして下さい!」
「大丈夫,気を失っているだけだ。傷は浅い」
この傷は,先程あった大穴の衝撃を受けたせいかもしれない。
経験則からそう判断したイドリースは,女性の避難を優先する。
例の空間に移動させれば一先ずは安全だ。
再び彼女に助力を仰ごうとした時,それほど遠くない場所で雷の落ちる音が聞こえた。
雲一つない夜空で起きた放電。
二人はそれが何なのか,直ぐに理解した。
「あの稲妻,エクトラか……!?」
傍にいたアルカも緊張した面持ちで唇を結ぶ。
既に人間との戦いは始まっていたのだ。
●
背後から電撃を受けた男は,黒焦げになりながら消滅した。
本来は傷を受けても,その場で再生する治癒力を持っているのが人間だ。
その不老不死を殺し切った少女の力に,周りの男達はどよめく。
「何だ,この女は!?」
雷を纏う少女,エクトラは眼前の敵を睨みつける。
健在な人間は残り五人。
彼らの手によって,この場にいる旧人達は一ヶ所に集められていた。
皆が死の恐怖に怯え,寄り添い合っている。
他の旧人達の隠れ家を聞き出すため,一人ずつ嬲り殺していくつもりだったのだろう。
意図が透けて見えるやり口に,エクトラは怒気を含んだ声で制した。
「皆を,放せ!」
「コイツ……!?」
少女の並々ならぬ気迫に押される人間達。
しかし,その中で耳に多くのピアスを付けた男が進み出る。
彼が隊長格の人間らしい。
「狼狽えるんじゃあない! たかが一人に手間取る理由はない!」
「し,しかし……!」
「隙を突かれただけだ! 正面から行けば,俺達に敗北はない! 不老不死が,死を恐れてどうする!?」
臆した隊員達を奮い立たせる。
そんな怒号に,囚われていた旧人の子供たちが泣き出す。
思わずと言った様子で,両親らしき女性が彼らに懇願する。
「お願いします……どうか,子供達だけは……」
「喚くな! 先ずは,その子供ってヤツから殺しても良いんだぜ!?」
「止めろッ!」
琴線に触れるものがあったのだろう。
手を挙げようとする人間に向かって,エクトラが雷撃を放つ。
人間を射殺す白雷が,彼らに向かって直進する。
「ほら見ろ。単純な女だ」
「っ!?」
だが次の瞬間,ピアスの男から生み出された漆黒の渦と相殺した。
本気で放出した彼女の力が,渦に絡めとられながら完全に霧散する。
やはりこの男だけは格が違うと,エクトラは身構える。
対する男は腰に手を当てつつ,首を振った。
「まさか,旧人風情がそんな力を持ってるなんてな。噂じゃあ,そういう奴も稀に現れるって話らしいが」
「くそッ……!」
「不意を突いて一人殺ったのは褒めてやる。でも,これ以上は無駄だ。俺達にとって,不老不死は一つのオプションでしかないんだ」
抵抗は無駄だと宣告される。
彼らは不老不死であるが故に,疲労の一切を感じない。
長期戦になれば肉体のある旧人が不利になる。
ここは短期決戦以外に勝利の道はない。
エクトラは再度雷撃を纏い,四方八方からの範囲攻撃に切り替える。
「だから,無駄だと言っただろう!?」
煩わしそうに男が片手を薙ぎ払うと,周囲に先程と同じ渦が複数発生する。
放たれていた稲妻を正面から受け止め,その全てを取り込んでいく。
周りの取り巻きは,全力で掛かればどうにかなる。
だが問題はピアスの男。
彼が生み出す漆黒の渦が,エクトラの稲妻と相殺してしまう。
両者の力量は恐らく互角。
相打ちのつもりで挑まなければ勝機はない。
直後,ピアスの男は不信そうな表情で静かに問う。
「一つ聞いておく。十傑のカーゴカルトを殺したのは,お前か?」
「何の,話」
「数日前,ペンタゴンの統括者が旧人に殺された。ソイツは追手からも逃げ延びて,消息を絶ったままだ。不死殺しが出来る旧人となれば,数は限られるはず」
「十傑を殺した……?」
「いや,お前みたいな子供な筈がないか。あれでも黎明戦の双英雄と呼ばれていた。この程度の力で殺し切れたとは思えない」
勝手に自己完結した彼は話を打ち切り,見下すような態度を崩さない。
隊員達もエクトラ相手に苦戦することはないと察してか,肩の荷を下ろす。
「隊長,どうします?」
「殺すだけだ。コイツから聞くことはなにもない。テウルギア様に報告だけはしておく」
「テウル……ギア……?」
彼らの後ろに控える上官の存在。
何の気なしに明かされたその名前に,エクトラの様子が一変した。
今まで考えていた戦略も吹き飛び,感情的な態度が隠せない程に滲み出る。
「あの男が,近くにいるの!? まさかここを襲ったのも,奴の差し金だって言う気!?」
「だったら,どうなんだ?」
「許さない……!」
彼女は両手を震わせる。
感情の荒波に応じて,全身から電流が漏れ出ている。
そこにあるのは怒りと,復讐に囚われた少女の姿だった。
「皆を奪っておいて,まだこんな……! アイツだけは,あたしが必ず……!」
「そうか。残念だったな」
思わず一歩前に出るエクトラだったが,それを阻むように正面から何かが飛来する。
反射的に回避するも,しそこねた髪の先が少しだけ焼ける。
今の攻撃はピアス男の仕業ではない。
取り巻きの連中が放った,熱を持った光線だった。
「うっ!?」
「俺を仕留めれば,どうにかなると思ったか? 考えが甘いんだよ」
あの光線にエクトラは嫌という程,見覚えがあった。
取り巻きが腕に巻いている,スラカの腕輪という代物。
旧人殲滅用の水準に満たすため,各々のバラツキある能力を光線に置換する装置だ。
その威力は折り紙付き。
事実,エクトラの後ろに聳えていた崖の一部が,その光を受けて液状に溶け出している。
肉体を持つ旧人がまともに受ければ,致命傷は免れない。
「薄汚れた下級種族め。仲間の仇だ。他の連中も,直ぐに後を追わせてやる」
取り巻き達の怒りに満ちた姿が,エクトラに迫る。
彼女は苦しそうな表情をしながらも,抵抗する姿勢を止めない。
ここで引けば捕まっている同志達の命はない。
皆の命を見捨てるということに他ならないと,己を追い込んでいたからだ。
だがその直後,両者の間を分かつように,新たな光が上空から落ちてきた。
よく見ると,それは光ではなく炎。
灰を纏った燃え尽きそうな残火だった。
「何ッ!?」
傍観していたピアス男が,空を見上げ目を見開く。
そして地に降り立ったそれは,目を瞑るほどの風圧と共に散会。
消えた炎から人の姿が現れる。
唐突に横槍を入れた人影に,人間や他の旧人達も戸惑いの声を上げる。
ただエクトラだけは,その正体を知っていた。
「皆,無事かッ!?」
つい最近,突如現れた得体の知れない角なしの男。
炎使いのイドリースが,エクトラ達を庇護する姿勢で現れた。