第3話 十傑と呼ばれる者達
彼らは捕えた二人から目を離さない。
角の生えたアルカはともかく,角なしのイドリースを特に警戒している。
彼らにとって角の有無は,敵対か否かを判断する基準になっているらしい。
イドリース達は抵抗することなく,彼らと同じ歩調に合わせる。
旧人達に連れられたのは,より一層木々が生い茂る森の奥深く。
緑の色が深まり,人の身長の何十倍もある大樹が,戸惑う二人を見下ろし始める。
聞き覚えのない生き物の声が微かに響き,獣道のような草木の分かれ目を往く。
いかに英雄と言えども,無策で足を運ぼうとはしない場所だ。
そんな所を彼らは足踏みしない。
十数分が経って,一際巨大な大樹が視界に現れた頃,イドリースは周囲に漂う僅かな気配に気付く。
同行する旧人達ではない,新たな人の動き。
アルカも彼の様子を追い,ハッとしたように驚く。
複数の大樹から伸びる大枝に木製の通路や家々が,寄り添うように点在している。
ペンタゴンのような鋼鉄の人工物ではない,自然を利用して造り出した住処。
そこに住まう彼らは,迎撃に向かった仲間達の帰還に気付き,その場から見守っている。
やはりと言うべきか,皆が新たな来訪者に注意を向けていた。
「大樹の隠れ里。小規模だけど,これだけの人数が固まっていたなんて」
「ここまで連れてきた意味,分かっているな。この地を知ったということは」
「ただでは帰さない,ということだろう? でも生憎,俺達に帰る場所はないんだ」
「……食えない男だ」
軽い冗談のつもりだったが,望んだようには受け取ってもらえない。
どうしたものかとイドリースが首を捻ると,里という名の大樹に入る直前で皆が立ち止まり,彼と向かい合う。
「角なし。お前には今まで何をしてきたのか,その全てを明かしてもらう。本当に我々と手を組める同志なら,それに越したことはない」
「それは俺も同じだ。信じてもらえるように努力する」
「だがその前に,娘の真贋を確かめたい」
旧人の男が視線のみの合図を送る。
すると先程エクトラと呼ばれた少女が仮面を取り外し,淡い茶髪を揺らしながらアルカの元に近づいた。
容姿は幼さの残る少女のそれだった。
少しだけ目つきの鋭い,棘のある表情が特徴的だ。
身長はアルカより少し低く,見た目の年齢も年下のように見える。
「な,何です……?」
「動かないで」
実年齢0歳のアルカからすれば,同性の少女に迫られるのは経験のないこと。
どうすればいいか分からず,反射的に敬語で話してしまう。
するとエクトラは右手を出したかと思うと,突然その掌をアルカの胸付近に押し付けた。
それなりの大きさがある胸が柔らかく形を変え,思わず彼女が素っ頓狂な声を上げる。
「えぇっ!?」
「おいおい。女同士だからって,セクハラして良いなんて一言も言ってないぞ」
「そうじゃないから,静かにして」
イドリースが嗜めるもエクトラは全く動じず,ただ両目を瞑る。
どうやら胸ではなく,心臓のある箇所に手を当てていたらしい。
血の通った生き物であることを確かめるため,その鼓動を肌で感じ取る。
「血の流れを感じる。あたし達と同じ」
「そうか。それだけ分かれば十分だ」
少女の右手が離れる。
あたふたするアルカに旧人達が行く先を示す。
「角を持ち血の流れを持つ者は,誰であれ我々の同志。拒みはしない」
「あ,あの……つまり,どういう……?」
「この里を案内する付き人を向かわせる。少しだけ待て」
「でも,イドさんは」
「この男には,まだ確かめなければならないことがある。それが終わるまで,彼は我々が預かる。安心しろ,約束は守る。お前を含め,危害を加えたりはしない」
彼らの言葉に偽りはなかった。
同族を重んじる者達のようで,同じ角を持つアルカに敵意を向けることはない。
しかし,人間とも旧人とも異なるイドリースだけは話が別だ。
彼の処遇を決めるためにも,ここで一旦別れることになる。
いきなり見ず知らずの者達の中に放り込まれるアルカに,彼は励ましの声を掛ける。
「ま,四の五の言っても仕方ない。ここは皆に従おう」
「いいんですか? 私だけ,なんて」
「この里を見せてくれたってことは,俺達のことを一応は信用してくれている証拠だ。アルカは周りを見学してればいいよ。後でまた合流する」
里に引き入れた以上,彼らも取って食うつもりはない。
掌を返される心配は皆無だと理解したアルカは,皆の様子を見て何度か頷く。
「わ,分かりました。じゃあその,イドさんのことお願いしますっ」
そうして勢い良く頭を下げた。
彼女にとっては何の気もない,彼の身を案じる言葉。
ただその直後,周囲は不意を突かれたように沈黙する。
「え……もしかして,変なことを言いました?」
「いや,今のは良いパンチが入ったんじゃないかな」
「??」
「ま,こっちはこっちで何とかするから,はしゃぎ過ぎて怪我するなよ?」
「はしゃぐって……そんなにそそっかしく見えます?」
「……」
「何か言ってくださいよぉ」
「うーん。アルカなりの冗談かと思って,どう反応したもんか迷ってたんだ」
「酷いですぅ」
止まった時をイドリースが進める。
アルカは頬を小さく膨らませながらも,彼の指示に従った。
駆け回らないようにゆっくりと,自らの足で動く。
分担として別れた一部の旧人達と共に大樹へと向かい,後姿は小さくなっていく。
「従順な娘だな」
「そうでもない。彼女は彼女なりに考えて動いてる」
「まるで知っているような言い方,一体どういう関係だ」
「深いものはないよ。俺にとって,守るべき人ってだけだ。で,俺達のことを詳しく聞きたいなら,場所を移した方が良いんじゃないか?」
仕切りもなく,話すだけでその内容が外に漏れてしまいそうな場所で,わざわざ聴取する理由はない。
遅れてイドリース達も大樹から伸びる木製の架け橋を上る。
所々に苔の生えた橋板を踏み越え,里の者達からの視線を浴びる。
案内されたのは,集会場のような大きめの家屋。
円形状の室内に通され,その中心に座るよう促される。
イドリースが腰を下ろして暫く待っていると,案内した旧人達とは別の者達が,入れ替わりで目の前に座っていく。
どこぞの面接に近い雰囲気だ。
面接官ならぬ旧人達は男女混合で,里の中でも地位の高い身分に見えた。
ちなみに,先程までいたエクトラは何処にもいない。
アルカの体に触れて以降,どさくさに紛れて姿を消していた。
「さっきのエクトラって子は?」
「見回りに戻った。それが彼女の役目だ」
「アルカに里を案内させるなら,ああいう年の近い子が良いんじゃ?」
「親しい話は不得手でね。あの様子を見れば分かるだろう」
そう言われ,確かにと頷く。
割と遠慮のない所も含め,あの他者を寄せ付けない空気では,アルカの案内は無理かもしれない。
適材適所,ここは彼らの意向に任せるしかない。
気を取り直して,イドリースは待ち構える旧人達と向き合う。
あまり気安い話し方をしてはいけないと思い,敬語を踏まえた喋り方を変える。
「先ず始めに聞きたい。君は我々と同じ血の流れを持つ者で,不老不死を語る奴らとは違う種族なのだな?」
「そうなります。自分も奴らに殺されそうになって,逃げてきたので」
「成程。しかし,角なしの同族など聞いたことがない。その衣服の精巧性も,人間達が身に付けている物に近い。一体何処で生まれ,何をしてきたのか真実を語ってほしい」
「構いませんよ。でもこれから話すことは,あなた方には信じられないことかもしれない。一応,覚悟しておいて下さい」
どうやってこの場所まで自力で来たのか,ここにいる全員が真相を望んでいる。
言い淀むことなく,イドリースはこれまでのことを話した。
隠し立てをする必要もない。
千年間の眠りについていた事実や,ペンタゴンで起きた騒動の一部始終を,分かり易く噛み砕いていく。
たが,警戒されるだろう情報は意図的に明かさなかった。
カーゴカルトとの関係,アルカが彼から生み出されたことが当てはまる。
ただ,アルカが人造旧人であることについては,話しても理解されなかったと言った方が正しい。
彼らの常識では,人は造るものではなく生むもの。
細胞を構築し肉体を生み出す技術は,想像の範疇を超えていたようだ。
「まさか千年もの時を経て,地底から目覚めたなど……」
「人間が進化する以前の,旧世代の者ということか。ならば,角なしであることにも理解は追いつくが……」
それでもイドリースが千年封印されていたことは,辛うじて呑み込む。
互いに小さく話し合い,過去に英雄と呼ばれた男へ時折視線を移す。
旧人である彼らは,人間が元々有限の命と肉体を持っていたことを知っている。
人間達の世界から隠れ住んでいたとしても,得られる情報はあるらしい。
「連中が不老不死になった経緯を知っているんですか?」
「いや,我々は元々奴隷同然の扱いだった。経緯はおろか,謂れなき身分の格差で虐げられるだけだった」
「俺もそうでした。アルカを助けただけで下級種族と呼ばれて,問答無用で襲われましたね」
「……この角を除いて,見た目の違いは殆どない。だというのに,奴らは我々を差別した。理由を明かそうともしない。肉体を持つだけで,ただ汚らわしい存在として,卑下され続けた」
一人の男が自身の身体に手を触れながら,悲しそうに呟く。
「200年前,それに耐えかねた我らの祖先は,奴らの手を逃れた。一旦は皆が散り散りになったが,こうして密かに里を作り,一つの場所に集まり始めている」
「つまり,ここ以外にも同族はいるってことですか」
「あぁ,ただ我々もどれだけの同志が残っているのか,把握し切れていない」
旧人は何百年もの間,人間達の監視の下で不自由な生活を強制されていた。
どうやって逃げ延びたのかは分からないが,一つの集団として固まることなく分散したということは,かなり切迫した状況だったことが窺える。
旧人を忌み嫌う人間達にどれだけの仕打ちを受けてきたのかは,考えるまでもない。
目の前の彼らは,その悲劇を親の代から言い聞かされてきたのだ。
するとその内の一人が,念のためと言わんばかりに問い掛ける。
「それで,本当にあのカーゴカルトを倒したというのか? 俄かには信じられない話だ。そんな芸当が出来るなど……」
「……俺が倒しました。これは間違いない事実です」
キューレの死に際を思い出したイドリースは,集会所に射した陽光に目を細める。
同時に彼らがざわざわと話し始める。
カーゴカルトの正体を知っているのだろうか。
受け答えを間違えたかと危惧すると,彼らの口から小さく言葉が漏れる。
「人間を打倒することの出来る力。エクトラと同じとは」
「あの子が?」
「いや,こちらの話だ。気にしないでくれ」
誤魔化すように咳払いをした後,一度座り直す。
「それよりも,君はカーゴカルトを倒したことが何を意味するか,理解しているのか?」
「どういう意味です?」
「あの男は十傑と呼ばれる,人間の中でも頂点に位置する者達の一人なのだよ」
イドリースが思わず顔を上げると,彼らの思いを馳せる表情が映った。
「第五席,峻厳のカーゴカルト。あの男の名は我々ですら祖先から言い伝えられている。あらゆる実験に精通する,不老不死の第一人者。想像もつかない悪魔の知恵を持っていたと聞く」
「そうだったのか……」
「奴は人間の中でも長寿。知識だけでなく高い戦闘能力を持ち,あの地位に上り詰めたらしい。恐らく奴に相対できる者は,限りなく少ないはず」
カーゴカルトは多くを語ることなく,死を受け入れた。
ペンタゴンを指揮していた以上,それなりの権力がであったのは明白だった。
しかし,人間界のトップに並び立つ程だったとは,イドリースも思わなかった。
必要なのは力ではなく権威。
千年もの間,彼はイドリースを守るために自らの地位を築き上げたのかもしれない。
そんな重鎮ともいえる者を倒したとなれば,その訃報は人間達の中で瞬く間に広まっているに違いない。
「そんな男を倒し,あまつさえ追手からも逃げ延びた。同志の中で,これ程の業をやり遂げた者はいない。我々の想定を遥かに凌駕する」
「……俺を縛り上げますか?」
「いや,そうではない」
過去の記憶を思い返すも,彼らは片手で制する。
そこに悪感情のようなものは感じられない。
「これは言わば転機,なのかもしれない」
「というと?」
「我々にも限界がある。今はこうして難を逃れて生きているが,奴らは逃亡した我々を世代を超えて追っている。いつその平穏が破られるか分からない」
「やっぱり逃げ延びてからも,捕まった人達はいるんですね」
「あぁ。今も彼らは,逃亡した我々を絶滅させんと探し回っている。捕まれば,訪れるのは紛れもない死だ」
イドリースは,拉致された旧人達が試験管に保管された惨状を目の当たりにしている。
あれは特異なケースだが,普通はその場で処分される程の有様。
ここにいる者達も,先祖からの言い伝えではなく,人間に殺された仲間達を実際に目にしているのだ。
「口には出さないが,皆が何れ訪れる終末を予期している。そんな閉ざされた状況で,君という十傑を打ち倒す者が現れた。これが最後の分かれ目なのだろう」
「……俺には二つ,叶えたいものがあります。一つは自由を取り戻すこと。もう一つは,人間達を統べる奴を倒すこと」
「あの方,と言われる者のことか」
「はい。千年経った今を狂わせているのは,ソイツで間違いありません。俺はソイツから本当のことを聞きたい。どうして,こんな差別がまかり通る世界を造ったのか」
目的を言い終えたイドリースは,自らの拳を握りしめる。
カーゴカルトとの戦いで覚悟を決めた彼に迷いはない。
その意志が真であると察した旧人達が,お互いに視線を合わせる。
今までのように話し合うことなく,意見は一致していた。
「血を通わせ,同族の少女を救った君を同志として迎えたい。そして願わくば,我々と共に戦ってほしい」
「元から不老不死に反抗するつもりだったんですね」
「滅びの定めを受け入れる程,我々は寛容ではない。だが戦うとなると,それなりの覚悟を決めなければならない。強大な力を持つ君との折り合いもな。少しの猶予をくれ。それまでは,君の力は皆に明かさず,我々の目の届くところにいてほしい。余計な混乱は避けたい」
「あなた達が受け入れてくれるのなら,それで十分ですよ」
一応,山場は越えたようだ。
穏やかな雰囲気が場を満たす。
アルカ共々,下手な待遇を受ける心配がないと分かり,彼は小さく息を吐く。
とは言え,今は保釈のような身だ。
塵芥の炎は極力抑え,慎重に行動しなければならない。
そよ風に吹かれて大樹の小枝が揺れ,差し込んでいた日の光が影に塗り替わる。
目下のところ脅威となるのは十傑という称号の人間達。
カーゴカルトと同等以上の力を持つ者が,残り九人もいることになる。
出来ることなら,その者達の素性を知っておきたい。
「あともう一つ,聞きたい事があるんですが」
「何かな?」
「十傑について他に分かることはありますか?」
「我々も十傑全員の正体を知る訳ではない。全ては祖先から伝えられたものだからな。だが,君の言うあの方という人物。その者は,十傑の一人で間違いない」
「……名前は?」
彼が身を乗り出しその名を問うと,彼らは畏怖の欠片を見せる。
人間達を統制する王を,ここにいる全員が知っていた。
「第十席,最後の剣・エリヤ。人間達を束ねる,奴らの王と呼ぶべき存在だ」