第12話 元英雄,反逆を決意する
倒れ伏したカーゴカルトを見て,イドリースは炎を消し去りすぐさま駆け寄る。
空中から降り立ってきたアルカも彼の後ろに続く。
今のカーゴカルトに戦う力は残されていない。
イドリースは,焼け焦げた白衣に包まれた彼を抱き起こす。
老衰死間近の身体は驚くほどに細く,子供のように軽かった。
「私は……負けたのですか……?」
「しっかりしろ! 傷は浅い!」
「殺さなかったのですか……詰めが甘いですね……」
「馬鹿言え! お前を殺すわけがないだろ!」
元より倒すことはあっても,命を奪うつもりなどない。
身を案じるイドリースに,カーゴカルトは微かに笑う。
過去,自分自身が救われた瞬間を想起したのかもしれない。
そして,同じく心配そうな目を向けるアルカに視線を移す。
「まさか,製作者である私に逆らうとは……。これも,自意識のなせる業ですか……」
「ごめんなさい……。でも私は……」
「謝る必要などありません。これは,私が望んだことでもあります」
「え……」
カーゴカルトに敵意はなかった。
全てのしがらみから解き放たれ,今までの執念は失われていた。
まるでそうなることを願っていたかのようだ。
そこにある真の目的を,イドリースは問う。
「教えてくれ。どうして,こんなことをしたんだ」
「……分かりました。ここまで来た貴方達には,それを知る権利がある」
口を噤む理由はないらしい。
少しの間があって,彼はゆっくりと語り始める。
「900年以上前,私達人類は滅亡の危機に瀕した。避けようのない悲劇と殺戮が,世界全体を覆ったのです」
「……!」
「私はそれを回避するため,とある実験の被検体になりました。その実験は,人類の種そのものを別の存在に置換するというもの。それが……」
心当たりのあったアルカが,自然とその単語を口にする。
「不老不死……」
「私は己の全てを捨てる覚悟で,その実験に挑みました。皆を,そして国を守るために。しかし,その負担は人一人が耐えうる許容量を遥かに超えていた。実験の途中で,私の人格は崩壊しました」
「な……!」
「しかし,このままでは全てが失敗に終わる。故にキューレ・レイフォードの代わりとして入れられた擬似人格。それが私,カーゴカルトなのです」
イドリース達の驚きの表情に,彼は視線を逸らす。
頑なに己をカーゴカルトと呼んでいた理由は,これだった。
キューレの記憶を持った,人為的に造られた別人格。
幼い頃を知るイドリースが,別人のようだと感じていたのも無理はなかった。
「度重なる過程を経て,実験は成功した。私の全てを引き換えにして。しかし,その時にはもう,あの王国も仲間達も命を落としていた。私は,間に合わなかったのです」
やがて彼は,痩せ衰えた右腕をイドリースに向けて伸ばし,その頬に触れる。
「滅びた王国の光景,かつての仲間達の遺体は,今でも目に浮かびます。しかし,まだ絶望する訳にはいかなかった。私には,たった一人,守るべき人が残されていたから」
「まさか……」
「……それがイドリース,貴方だった。貴方だけは,絶対に失いたくなかった」
その瞬間,イドリースは理解する。
カーゴカルトは,塵灰の炎の危険性故に再び封印を試みていた訳ではない。
全ては最後に残された友を守るため。
例え偽りの人格であったとしても,キューレの意志は確かに受け継がれていた。
イドリースは,触れていた彼の右手を取る。
「千年も,俺を守ってくれていたのか……?」
「これが崩壊したキューレの残留思念なのか,私の意志なのかは,もう分かりません。ただ,私はあらゆる手を尽くした。希望のないこの世界へ,決して送り出してはいけない。そうしなければ,きっと皆と同じように,私の手から零れ落ちていくと思っていたから」
カーゴカルトは握られた手を握り返す。
それは今ここに,生きている彼がいることを確かめるためか。
未だ光の宿った,衰えのない瞳でイドリースを見つめる。
「ですが,貴方の炎を見て思い出しました。私は信じることを止めていた。失うことを恐れるあまり,貴方を,皆を信じようとしなかった……」
「馬鹿野郎っ……!」
「はは……そうですね。私は全てを間違えて生きてしまったのかもしれない。しかし,今なら出来る。貴方なら,この閉ざされた世界を切り開けると……信じられる……」
次第に声に力が無くなっていく。
彼は自ら立ち上がることを止めていた。
不老不死であるその身が,生きることを止めたように思え,イドリースは思わずその身体を抱えた。
腕を回し,自身の肩を貸す。
「何を,する気ですか?」
「決まってる。お前も俺達と一緒に来るんだよ。このまま置いていくなんて真似,するわけないだろ? アルカ,いいか?」
「はいっ。いっそのこと,連れて行きましょう」
尋ねられたアルカも強気に即答する。
彼女にとっては製作者であり,同種の旧人を実験体にした非情な人物。
それでも,今吐露した言葉が信用に値すると,分かり合うことが出来ると理解したらしい。
「無駄です……。私にはもう……」
「お前が沢山の人を越えてきたのは分かった。なら,その代わりに出来ることだって,沢山ある筈だ。この先の世界がそれだけ危険だって言うなら,俺達の道標になってくれ。どんなものでも,俺が立ち塞がるものを全て打ち払う」
首を横に振るカーゴカルトに構わず,イドリースは歩き出そうとする。
例え拒否されたとしても,ここで別れる気などない。
この千年,彼が何のために動き続けていたのか十分に理解していた。
ならば,今度は自分がそれを背負う番だと,力を奮い立たせる。
しかしその後,優しい吐息が聞こえ,諦観に満ちた声が場を制する。
「言いましたよね……。今の私は,そうするように,できていないと……」
直後,頭上に新たな物質が発生する。
それはカーゴカルトが操る白銀の霧。
何をするのかと思う間もなく,それは三人のいる場へと急降下する。
触れたもの全てを分解する槍状の靄。
貫いたのはイドリースでもアルカでもない。
カーゴカルト自身の身体だった。
「ああっ!?」
アルカが思わず悲鳴を上げる。
反射的に炎を展開していたイドリースも,まさか自らの身体に風穴を開けるとは思っていなかった。
炎を躱した霧に貫かれ,カーゴカルトはその衝撃で再び仰向けに倒れる。
塵灰の炎と同じ不死殺しの性質を持っていたのか,不老不死である彼の身体に修復の兆しはない。
徐々に全身が蜃気楼のように揺らいでいく。
「ど,どうしてッ!?」
「これが,不老不死の代価として私が受けた制約。あの方への絶対的な忠誠」
不老不死による制約。
かすれた声が確かにそう告げる。
「不老不死となった人類を,害する者は排除する。それがあの方の意志。反する者は,自身の意志を超えて,その場で処罰されるのです」
「そんなことが……!」
「私は不老不死を殺し得る貴方を封印するという体で,今までその意志を守っていました。それが果たされなくなった今,私に生きる資格は無い」
「何を言ってるんだ! そんなふざけたものは,俺が許さない! お前は見るんだろ!? 俺が世界を切り開いていくのを!」
「私も,本当はそうしたい……あの時と同じように……」
イドリースは止血するように,必死に両手で彼を押さえ付ける。
無論,今の人間に出血などない。
そして燃やすことしかできない彼の力は,最強ではあるが万能ではない。
現界する力を失った身体を押し留めることは出来なかった。
カーゴカルトは小粒の光となって消滅する,自身を見上げる。
「貴方にとっては,ほんの数時間前の出来事かもしれない。しかし,私にとっては長かった。この千年,あまりに長すぎたのです。もう,疲れてしまった……」
イドリースに敗北した時点で,彼は全ての目的を失っていた。
千年守り続けたその願いは,次の目的を見出せない程に大き過ぎた。
最後の望みとして,同じく寄り添うアルカに目を向ける。
「その娘を,アルカを頼みます。彼女は私が多くの者を犠牲にして生み出した,もう一つの希望。何れこの世界に変革をもたらす。ですが,どう転ぶかはまだ分からない。貴方が支えてあげて下さい」
「こんなの,嫌です……! 私はまだ,あなたのことを何も……!」
「アルカ。私が貴女に名を与えたのは,自己を持たせるため。意志のない者は,私のような道具でしかない。私が求めたのは,自己意識の確立。人類への反逆の意志」
「はん,ぎゃく?」
「私達は後戻りのできない罪を犯してしまった。すぐに分かります。私の言葉の意味が……」
そう言って,カーゴカルトは全身の力を抜く。
残された僅かな時間,伝えられることは可能な限り伝えたようだった。
手足の先が徐々に消えていき,その流れに身を委ね,ゆっくりと目を閉じる。
するとイドリースは彼の身体を揺さぶった。
「なに勝手に諦めてるんだよ! 頼む,行かないでくれ……!」
「イドリース……」
「俺はお前がこの千年,どれだけ苦しんでいたのか,分かってやろうとしなかった……! あれだけ長い間,一緒にいたのに気付けなかった……! でも,今なら分かる……! だからキューレ,目を開けるんだ……!」
「……こんな私を,まだその名で呼んでくれるのですか?」
閉じた瞼をもう一度だけ開く。
目の前には,悲哀に満ちたイドリースとアルカの姿があった。
それは900年以上前,仲間が全滅しても尚,希望を手放さなかったキューレの表情に酷似していた。
「あぁ,思い出しました……。涙を流すとは,今,この時のことを言うのですね……」
「っ……!」
「精一杯,生きてください……。貴方の魂は,貴方だけのものです……。あの方の思惑を……打ち破って……この……世界を……」
最後まで言葉が続くことはない。
彼の全身は光の泡となって砕け,その全てが天に昇り輝きを失う。
イドリースはその泡を掴むも,感覚のないまま消えていった。
二度と再生することはない。
残された二人が初めて見た,不老不死となった人間の死だった。
静まり返った空間の中で,イドリースは膝をついたまま動かない。
代わりに目を伏せていたアルカが,別の方向から差し込む光に気付く。
それはペンタゴンの出口,外の世界への入り口だった。
「光が……」
彼女の声を聞いて,イドリースは待ち構える外の世界を見つめる。
一筋の光に目を細め,その場から立ち上がる。
いつの間にか,表情から陰りは消えていた。
「先に進もう。これが,アイツの望んだことなら」
命を落とした親友の思いを継ぐ。
彼の意志は固く結ばれていた。
しかしそれと同時にアルカが,預かっていた彼の手巾を取り出す。
「涙を,拭いて下さい」
「!」
「今,一番辛いのはイドさんのはずです。我慢しなくて,いいんです」
アルカはイドリースが涙を流していることに気付いていた。
歴戦の覇者であっても,彼はまだ18歳。
親しい人を失って悲観に暮れない筈がない。
研究所で実験体となっていた旧人達を弔った彼女には,その心情がよく分かっていた。
彼は少しだけ肩の力を抜き,差し出された自身の手巾で涙を拭い,そのまま吐露する。
「キューレは,俺が初めて守ろうと思った,家族同然の人だった。それだけじゃない。他の皆も,俺の大切な戦友だった」
「はい……」
「アイツがやって来たことは,許されないことかもしれない。でも,こんな……こんな風に踏み躙られていいはずがないんだ……」
「あの人は,最後に笑っていました。後悔だけじゃ,なかったと思います」
「そうか……。そうだと,いいな……」
涙を拭い終えたイドリースは,消えていった親友を見上げた。
薄暗い天井が見えるだけだったが,外の光を浴びて徐々に明るさを取り戻す。
それは牢獄のような呪いから,解き放たれたことを意味しているようだった。
イドリースはアルカの手を取り,手巾を再び預ける。
「キューレはアルカを頼むと言った。今度は,俺がその約束を守りたい」
「それは,私からもお願いします。私は,まだ自分のことが分かりません。多分,怖いんだと思います。でもイドさんと一緒なら,そんな気持ちも振り切れるはず」
「ごめんな。本当は,君が自由に生きられる場所を探したかった。でも,まだ戦うことになりそうだ」
「ううん。謝らなくて良いです。だってイドさんは,私を守ってくれたから」
「……ありがとう。その言葉だけで,俺は前に進めるよ」
0歳とは思えない答え方だなと思いながらも,イドリースはアルカと共に,照り付ける光と向かい合う。
果たすべき目的は決まっていた。
一つは自由のある場所を探し求めること。
そしてもう一つは,キューレが口にした意味深な言葉だった。
「あの方の意志,アイツはそう言った。不老不死も,偽の人格も,きっとそれが元凶だ」
「あの方……」
「今の俺が倒すべき相手は,そいつなのかもしれない」
あの方が何者なのかは分からない。
だが彼を千年もの間,狂わせた黒幕であるのは確かだ。
人間を確立させた不老不死に携わっている可能性は高く,旧人との間に起きた差別もそこから始まったと考えて良いだろう。
この世界を変えるためには,件の人物を打倒しなければならない。
イドリースはかつての親友たちと別れを告げ,英雄として反逆の意志を抱く。
「行こう,アルカ」
「はいっ」
賽は投げられた。
塞き止めていたものが流れ行くように,まだ見ぬ世界へと,二人は歩き出した。
●
「そうか。カーゴカルトが死んだか……」
とある玉座の間で,一人の男が死の気配を感じ取る。
直感なのか,能力なのかは分からない。
ただ,人らしい感情の起伏はない。
起きたことを,そのまま是として受け入れる。
「だがこれで良い。あの男は十分に役目を果たしてくれた」
それでも彼を失うことは,男にとっても手痛い代償だったようだ。
部屋全体を照らす天の光を見上げる。
眠りから目覚めるように,降り注ぐ時の流れを感じる。
「時は動き出した。今こそ我々の悲願を果たそう,イドリース……」
千年もの時を超え,復活した英雄。
この瞬間を待ち望んでいたように,男はそう言った。