第10話 君が戦う理由
最上層は開けた巨大な空間となっており,所々に支柱があるだけで目ぼしいものはなかった。
壁らしきものも,何処を見渡しても存在しない。
ただドーム状の天井が輝きを放ち,真っ白な床を更に眩いものへと変える。
外の光景は一切見えない。
まるで何も見せないよう,全てを覆いつくしているようだった。
今までとは違う異様な雰囲気を感じ,イドリースは再度アルカに警告した。
「アルカ,俺はあいつを問い詰める。今までみたいに,簡単にいくとは思ってない。だから」
「傍に,います」
「……悪いな」
「いえ。ですから,どうか……どうかイドさんも,無茶をしないで下さい」
「ありがとう。それに大丈夫だ。俺は死なない」
囚われた彼女達を看取ったアルカにとって,今一番に恐れているのはイドリースがいなくなることだった。
彼がいなくなれば,自分を知る者はカーゴカルト以外にいない。
その思いに気付いていたイドリースは,微かに笑い後押しをするのだった。
二人は最上層を進み始める。
道らしい道はなく,何処へ向かうべきか見当もつかない。
だがイドリースは,待ち受けている彼の気配を感じ取っていた。
彼らはその意思に導かれるように,果ての見えない空間を歩き出す。
すると暫くして,騒々しい足音が聞こえてくる。
カーゴカルトではない複数の者がやって来る気配。
やがて姿を現したのは,チェインと同じ制服を着た討伐隊の面々だった。
「奴をカーゴカルト様の元へ行かせるなッ!」
行く手を阻むということは,この先で間違いはないようだ。
アルカを引かせながら,イドリースは灰の炎を周囲に纏わせる。
既に彼らから聞く話などない。
邪魔立てをするなら押し通るだけ。
瞬間,視界の先全てに業火が解き放たれる。
辺りを震撼させる火の手が,向かってくる人間達全員を焼き飛ばした。
「どけッ!」
「ぐわああぁぁッ!?」
「死にたくない奴は下がれ! お前達に用はないッ!」
所詮ただの不老不死だけでは,かつての英雄には適わない。
数秒の内に全てを一掃したイドリースは,歩調を変えることなく進み続ける。
アルカも辺りをキョロキョロと見回しながら付いて来る。
吹き飛ばされた人間達に動きはない。
皆,自身の身体が焼かれた事実に身動きが取れないようだった。
痛みはなくとも恐怖は残る。
彼らを追うものは一人もいなかった。
次第に周囲の光景が変わる。
散見された柱は数を失くし,天井と床だけが見える二平面の空間だけが広がっていく。
今まで天井から降り注いでいた光も輝きを失い,薄暗さだけが包み込む。
その先に,一本に収束する光の道があった。
二人は言葉も交わさずとも,あれが外の世界から差し込んでいる光だと理解した。
あの道を辿れば,ペンタゴンから脱出出来る。
そしてそこに立ち塞がるが如く,仮面を装着したカーゴカルトが佇んでいた。
「困りましたね。必要ないと釘を刺したのに,わざわざ私を守ろうとするなんて」
「キューレ……」
「まだ,その名で呼びますか。それは900年前に捨てた,脆弱だった頃の旧名ですよ。今の私とは違う」
「……」
「この先はペンタゴンと外界の境界。外の世界へと繋がる唯一の道。進みたいのなら,私を倒す以外に方法はありません」
カーゴカルトは身を引こうとはしない。
あくまで彼らと相対し,製造物であるアルカを奪い返すつもりだ。
イドリース達が無言のままそれに答えると,感情を失くした老爺の声が小さく響いた。
「もう一度,あの洞窟に戻る気はありませんか?」
「あんな薄暗い所は,もうごめんだ。それにこの場所は,俺には居心地が悪すぎる。アルカと一緒に外の世界に出て,何が起きたのかをこの目で確かめる」
「そうですか。残念です」
しわがれた彼の言葉に抑揚はない。
だがイドリースには,何処かもの悲しそうに聞こえた気がした。
直後,カーゴカルトの周囲に白銀の霧が立ち込める。
先輩と後輩というかつての関係など最早不要。
かつての戦友を敵だと断じる容赦のなさが,そこにはあった。
その様を見たイドリースは,耐えかねたように声を荒げる。
「何故だキューレ,どうしてこんな事をするんだ!? お前は,何のために今まで俺を見逃していたんだ!?」
「見逃す? イドさん,どういう……?」
「アイツは千年前,俺が封印された現場にいた。俺が望んで封印されたことも,あの地下洞窟で眠っていたことも知っていたんだ」
カーゴカルトの動きが止まる。
アルカも何かに気付き,思わず顔を上げた。
「俺の力は,不老不死だろうと焼き尽くす。そのことは,お前が一番よく分かっている筈だ。なのに千年間,一切手出しをしなかった。それだけじゃない。ペンタゴンの人間にも,あの洞窟を立ち入り禁止にさせていた」
「それって……!」
「俺のことを本当に敵だと思っているなら,そんなことをする筈がない」
封印されていることを知りながら,今まで一切危害を加えようとしなかった。
ただ忘れていただけでは片づけられない。
仮面を被り真相を隠す男に,イドリースはその事実を突き付ける。
「教えてくれ! 今,お前が考えていることを!」
「……簡単なことですよ」
薄暗く広大な空間に,老いた声が届く。
「貴方をこの地に留める。決して,外の世界を見せてはならない。それが私の目的なのです。例えその先に,貴方と敵対することがあったとしても」
「一体,この先に何があるって言うんだ……?」
「何も,ありません。あるのは未来を失った世界だけ。全て,終わったんです。貴方の出る幕など,この先にはない」
「……お前は,王国は滅んだと言ったな。あれだけの大国が,簡単に滅ぶわけがない。まさか他の国はもう」
「大よそ,貴方の想像通りですよ」
「っ……!」
イドリースは苦い表情をする。
彼も大体の予想はついていた。
世界を平定したフェルグランデ王国が消滅したということが,何を意味しているのか。
千年経った今,恐らくこの先に秩序はない。
そもそも国という成り立ちが存在しているのかも疑わしい。
カーゴカルトの言葉はそれを如実に伝えていた。
「もう,良いでしょう。貴方がこの先を知る必要はない。その娘を返してもらいます。本来あるべき持ち主の元へ」
「どうして,ですか……」
「アルカ……?」
否定するように,彼女が小さな声で問う。
製作者である彼に向けて精一杯の意志を見せる。
「あなたは,私をアルカと呼びました。どうしてそんな,人の名前で呼んだんですか……?」
イドリースが少しだけ驚いたように目を開く。
目の前に立ち塞がる男の白衣が,少しだけ揺れた。
「私はてっきり,記憶を失う前の名前を呼んでいるんだと思ってました。でも違った。私は皆の命を使って造られた人。本当に私のことを道具だと思っているなら,どうして名付け親のようなことをしたんですかっ!?」
「……」
「私には,あなたのことが分からない! 分からないんです……!」
「……ならば,教えてあげましょう。その男を倒した後で」
だがアルカの問いも受け流される。
次の瞬間,カーゴカルトが指を動かすと同時に,イドリース達の周囲に強力な結界が張り巡らされた。
身体の感覚が徐々に失われていく。
その重圧を一身に受けた彼には覚えがあった。
捕えた者の時間を止め,永久に封じる時空拘束術。
千年前,イドリースを封印した術式と全く同じものだった。
「これは,あの時の封印術か!?」
「もう一度眠りなさい。今度は永遠に」
「ふざ……けるなッ……!」
過去,あらゆる力を集結し完成させた筈の封印。
それを単独で使役するカーゴカルトには驚くばかりだったが,彼も二度封印される理由はなかった。
封印される直前のキューレの姿を思い出し,感情の赴くままに塵灰の炎を解き放つ。
半ば力押しのように,内側から結界を押し出していく。
硝子を砕く音と共に術式を焼き切ったイドリースは,無傷のアルカを庇いながら相対する。
「思い出せ! 俺の知っているお前は,誰かの命を平気で奪うような真似はしなかった筈だ!」
「思い出すのはそちらの方です。何かを成し遂げるためには,何かを犠牲にしなければならない。かつて戦いを制するため,数多の命を奪った貴方なら分かるはずです」
「お前はあの時のことも忘れたのか? 俺は勝つために戦ったんじゃない……!」
彼の言葉を遮るが如く,カーゴカルトは片手を天井へと掲げた。
直後,浮かび上がった白銀の霧が,電流の流れる音と共に暗雲へと変貌する。
あの霧は天候すら生み出すというのだろうか。
数秒も経たないうちに,稲妻だけでない暴風を伴った局所的な嵐が形成される。
既にキューレだった頃の力とは一線を画していた。
周囲の空間を揺り動かす巨大な雷雨が襲い掛かる。
通常受ければ即死は免れない程の強大な力の前に,イドリースは炎を前面に展開し相殺する。
多少の風には靡かれるも,二人に危害が及ぶことはない。
「俺の力は災厄だった。力を振るうだけで誰かを傷つける。制御する気もないまま,あのまま貧民街で野垂れ死ぬことも考えた。でも出来なかった。キューレ,初めてお前が俺に付いて来てくれたからだ……!」
「……」
「それだけじゃない。戦乱に巻き込まれて,俺の力が敵の軍隊を退けた時。助けた兵士が,家族と再会して涙を流した時。俺は思ったんだ。こんな力でも,何かを守れるはずだって」
焼き焦がされていく嵐から複数の稲妻が放たれる。
それらは四方八方に回り込むように拡散。
イドリースやアルカの元まで迫り,新たに生み出された塵灰の塊によって吹き飛ばされる。
「だから俺は戦うことを選んだ! 英雄になりたかったんじゃない! 守れるはずのものを守りたかっただけなんだ! だからお前も,俺と一緒に戦うことを選んだんじゃなかったのか!?」
「……」
「そして今は,俺の傍にアルカがいる! もしお前が彼女の命を奪う気なら,俺はお前とも戦える!」
一転,イドリースの炎が攻勢に出る。
暴風雨を消し飛ばされ,がら空きとなったカーゴカルトへ火の手が伸びる。
火が辿った先には何も残らない。
アルカを守ると決めた彼の意志が,力となって表れていた。
しかし以前と同じように,何処からともなく発生した霧が人の形を成し,再びカーゴカルトを構築する。
火傷一つ負った様子はなく,彼は仮面に手を当てて少しだけ俯く。
そして暫くして,感情を抑えるように肩を揺らした。
震えたのではなく,カーゴカルトはただ笑っていたのだ。
「守る,ですか。はは,これは傑作ですね」
「!?」
「それを私に言うのですか? 他の誰でもない,貴方が……!」
それは怒りか,悲しみか。
肉体を捨てたカーゴカルトが始めて感情らしいものを露わにする。
瞬間,彼が纏っていた霧が暗黒色に染まっていく。
嵐の後の静けさを取り戻した一帯が,全て闇に落ちていく。
それは闇ではない,虚無の具現化。
カーゴカルトは己の力で無を構築した。
光や重力,空気までも始めから存在しなかったものとして塗り替えられていく。
「物体だけじゃない! 光……空気も消えていく……!」
「い,息が……」
「息を止めていろアルカ! 突破する方法は一つだけ!」
闇が二人を取り囲み始める。
このままでは,イドリース達の存在も無の中へと消え去ってしまう。
既にカーゴカルトを含めた全ての光景が消え,猶予がないことを悟った彼は,未だ輝きを失わない炎を頼りに力を振り絞った。
「無を焼き尽くすッ!」
イドリースにとっても加減できない力で,侵食する闇を包み込む。
無を焼くことなど本来は不可能。
しかし,それを可能にするのが塵灰の炎だった。
一瞬でも調整を狂わせれば,自らの身体を消し飛ばしてしまう程の威力を制御し続けた。
すると次第に,塗り替えられていた無が元の空間へと焼き戻される。
消えた筈の光景が元素と共に再生し,光や空気が満ちる。
そうして全ての無を消し飛ばした瞬間,灰の炎は役目を終えたように一瞬の内に消え去る。
イドリースは息を乱すだけで,依然として健在だ。
同じく無傷のアルカも,息を整えながら,目の前で起きた反則的な力に言葉を失うばかりだった。
カーゴカルトの割れた仮面が零れ落ちる。
無を滅ぼす炎を完全に打ち消すことは出来なかったようで,修復した空間で一人,身体から蒸気を発していた。
ようやく与えた一撃,不老不死となった彼の身体に痛みはない。
しかしその表情は苦悶に満ちていた。
「くっ! 無を焼き,有に還すなど! これ程の力を以ってしても,まだ届かないのですか……!」
「キューレ,もう止めろ……。これ以上は……」
「まだ,です。私は肉体を捨てた。自分を捨てたんだ。痛みなど,そんなものはもう感じはしない……!」
イドリースの言葉に耳を傾けようとはしない。
体勢を崩しかけた両足に力を込め,真っ直ぐに彼を見つめる。
「もう二度と失わない……! 貴方をここから解き放つわけにはいかないんだ……!」
絶対的な信念と決意を抱き,カーゴカルトは声を荒げる。
自分に言い聞かせるように,再び白銀の霧を生み出した。
「イドリースッ! 貴方がそこまで知りたいというのなら,今ここで思い知るが良い! 私が犠牲にしてきたもの,その全てを!」
カーゴカルトの前に,霧の塊が収束していく。
今度は何を生み出す気なのかと,イドリースはアルカを背にして炎を手中に収める。
しかし形を帯びたのは,稲妻でも虚無でもない。
構築されたのは,武装を施した数人の男達。
幻ではない,完全な肉体がそこにあった。
ただそれらは意識などないことを証明するように,人形のように佇むだけだった。
目視したアルカには心当たりは一切ない。
今までの超常現象と異なり,目の前の男達にそれ程の脅威はないように見えた。
が,対面するイドリースだけは違った。
愕然とし,操作しようとしていた炎すらも動きを止める。
「そんな……まさか……!」
「い,イドさん……? あの人達は一体……!?」
イドリースは呆然としながら,彼らの姿に見入る。
それも当然だった。
何故なら,カーゴカルトが生み出した男達の正体は。
「千年前,俺を封印した仲間達だ……」
かつて戦場で共に戦い,各国の総意故にイドリースを封印した戦友達。
その姿はあの時と何一つ変わらない。
だが彼ら全員は,唖然とする彼に向けて虚ろな視線を放ち,ゆっくりと武器を掲げた。




