第1話 封印された英雄
誰か,助けて。
そんな声に呼ばれ,意識が覚醒する。
身体中を覆っていた得体の知れない力が砕け散り,彼は瞼を開けた。
その先には見覚えのない洞窟,円形状に開けた薄暗い空間が広がる。
目覚めには良くない場所だ。
陽の光はなく,漂う空気も悪い。
とはいえ手足は思い通りに動くため,行動に問題はない。
封印から解き放たれた黒髪赤眼の青年・イドリースは,久方ぶりに身体の感覚を取り戻し,思わず欠伸をした。
「これは,あの封印が解けたってことなのか……?」
「な,何だ,コイツは!?」
狼狽える声を聞いて,その主の方向を見る。
相対する形で数人の男達が身構えていた。
やたら驚いた表情で,警戒する姿勢を崩さない。
妙に物騒だが,恐らく彼らが自分を目覚めさせたのだろう。
そう判断したイドリースは,場の緊張を解そうと飄々とした態度で答える。
「第一声がそれかぁ。折角,起きたんだ。おはようの一言くらい,掛けてもいいんじゃないか?」
「何を訳の分からないことを! 貴様,角は見えないが……この娘に呼び出されたということは,旧人なんだろう!?」
「旧人? 何を言って……」
しかし,聞き覚えのない単語に首を傾げる。
話が通じない以前に,互いの常識が根本から食い違っている。
そんな違和感を覚えた瞬間,イドリースは彼らとは異なる気配に気づく。
灯台下暗しのごとく,すぐ傍で力なく尻もちをつき,イドリースを見上げる少女の姿があった。
ほの暗い中でも映える長い銀髪,その頭には見慣れない小さな二本角がある。
目立った怪我はないが,彼女は乱れた息を整えており,表情にも疲労の跡が現れていた。
「だ,大丈夫か?」
「あいつ,躊躇いもなく近づくなんて。やはり下級種族で間違いない! あの女共々,ここで仕留めろ!」
ただ少女に近づいただけで,男達はイドリースを敵と判断したようだ。
忌むべき者への制裁として,拳を握りしめる。
話を聞かない融通のなさも加えて,説得する猶予もない。
「に,逃げて……ください……」
「逃げて,って言われてもな……」
声を震わせる銀髪少女を庇いながら,イドリースは成り行きで男達に向かい合う。
敵意剥き出しの男集団と,それから逃れてきたかのような少女が一人。
全く状況が掴めず,一体何が起きているのかも分からない。
ただ彼は,封印される直前のことを思い起こすのだった。
●
時は遡る。
世界有数の国力を持つフェルグランデ王国。
その王都に彼,イドリースは足を運んでいた。
国全体の繁栄を象徴する数々の建造物が立ち並び,晴れた青空の光がそれらをより一層際立たせる。
戦乱だった頃の重々しさはなく,往来する人々も活気に溢れている。
その光景は王国が平和になったことを,何よりも一番に証明していた。
彼はそれらを目に焼き付け,遠回りをしながらゆっくりと街道を歩いていく。
すると暫くして,四方に散っていた国民の視線が,次第に釘付けとなる。
「あの方はもしや?」
「えぇ。王国最大の英雄,イドリース様よ……」
「塵灰の炎……戦乱の覇者……!」
皆がイドリースの姿を見て,驚きの声を上げる。
互いに囁き合い,弱冠18歳である青年に対して畏怖の念を抱き始める。
王都に来た時点で,こうなることは予想できていた。
王国の中でも特に秀でた力を持ち,数々の戦いで勝利を収めてきた人物。
それがイドリース・ソウオールの経歴だからだ。
彼が出向いた戦いに敗北の二文字はない。
あらゆる障害を薙ぎ倒し,その全てから勝利をもぎ取る。
元は身寄りのいない貧民街出身,ただの雑兵に過ぎなかった彼は,自らの力一つで英雄という座にまで上り詰めた。
それ程までに圧倒的な力が,そこにはあったのだ。
故に複雑な感情のこもった人々の目は,あまり気分の良いものではない。
「寄り道もこれで終わり。行くしかないか」
騒ぎを起こすつもりもなく,イドリースは名残惜しくも,視線を避けるように目的の場所へ向かう。
そこは王都中心部から少し外れた場所,都市でありながら自然の力だけで作り上げられた広大な庭園。
彼は仲間達から,この中央広場に集まるよう要請されたのだ。
用件までは聞かされていないが,周囲の目を見れば,ある程度の想像はつく。
庭園の入り口に辿り着くと,そこには見知った人物が手を振っていた。
「先輩っ」
「キューレ? 何でこんな所に?」
「呼ばれてないけど,来てみた」
「おま……飛び入り参加は駄目だろ……」
一体何処から,この庭園に集まる情報を手に入れてきたのか。
キューレと呼ばれた人物は注意されるも,藤色の髪を揺らしながら笑う。
その姿は少女のように可憐だが,実際は男である。
まだ少年といった年齢の彼は,両手を広げてイドリースを迎える。
「だって,戦いは終わったんだよ? 全部先輩のお蔭。きっと凄い名誉が与えられるに決まってるんだから,見逃せるはずがないって」
「自分のことじゃないのに,やけに嬉しそうだなぁ」
「だって先輩とは家族同然だしね! 嬉しくない筈がないし!」
キューレはイドリースと同じく貧民街出身で,いつも後を付いて来るような弟分だった。
何処まで行っても,それは変わらない。
巻き込むつもりなどなかったのに,彼はイドリースと共に戦場を駆けた。
極力後方に回るよう助力はしたが,その手を血で汚したことは間違いない。
だがその戦いも終わった。
各国との闘争は,イドリースの活躍によって全て終結した。
今や戦争と呼ばれるものは,この時代に存在しない。
言わばイドリースは終戦の発端となった人物であり,キューレは彼が英雄としての称号を改めて授与されると思っているようだった。
その筋違いぶりに,少しだけ頭を悩ませる。
「全くお前ってヤツは……。いいか? これから何があっても,大人しくしてるんだぞ?」
「りょーかいです」
本当に分かっているのだろうか。
適当にあしらっても付いて来るだけだろうと思い,仕方なく同行を許可する。
すると目的地に着く間も,キューレは引っ切り無しに話題を投げ掛けてくる。
彼と会話をすること自体が楽しみと言わんばかりだ。
幾つかの戦場に立ちながら,今の様は年相応の表情と変わらない。
紆余曲折あったが,そんなキューレを失わずに済んだ。
それはイドリースにとっても安堵すべき事だった。
庭園の中央広場に辿り着くと,そこには既に先客が待っていた。
やたら重々しい武装をした戦士達が,やって来た二人を静かに見据える。
それは肩を並べて戦った,かつての戦友と呼べる者達だった。
「来たか,イド……と,キューレまでいるのか」
「まぁ,勝手に付いてきただけだから,気にしないでくれ。それよりも,やっぱりお前たち,全員揃ってるみたいだな」
不敵に笑いながら,イドリースは皆の顔を見渡す。
そのどれもが歴戦の戦士で,戦場を征すると共に武功を立てた者ばかりだ。
彼らが一つの場所に集まっているこの場,改めて見ると壮観ですらある。
ただ,他には誰もいない。
王都最大の庭園でありながら,今この場は規制が敷かれたように閑散としている。
不思議に思うキューレを置いて,彼は仲間達に世間話を持ち掛けた。
「こうやって皆と会うのは,ラヴァタの戦場以来だな。元気にしてたか?」
「お蔭様,だ。あの戦い,イドがいなければ,こうして家族に会えることもなかったと思う」
「止めてくれ。あの局面を切り抜けられたのは,皆の力だ。俺はただ,その手助けをしただけさ」
「……お前はいつもそうだな。それだけの力があるのに,地位も名誉も望まない」
「望まない訳じゃないんだけどな。元々貧民街出身だし,そういった分は弁えているつもりだ。それに,幸せ太りはしたくないんだ」
調子よく受け答えるも,会話は直ぐに途切れる。
彼らには茶化し合いをする余裕もないらしい。
躊躇いと後悔が込められた不穏な空気が,徐々に漂い始める。
この雰囲気,放っている彼らも隠し通せるとは思っていないようだ。
少しの間があって,一人の仲間が口を開いた。
「お前をここに呼び出した理由,気付いているのか?」
「……まぁな」
「そうか。じゃあ,これ以上の時間稼ぎなんて,意味がないか……」
おもむろにその懐から,得体の知れない掌大の水晶が取り出される。
水晶の中は大きな渦を巻いており,複雑な力の流れを感じさせた。
不意にそれは,日の光を浴びて鋭い力を放つ。
「すまない,イドリース」
瞬間,イドリースの周りに強力な結界が張り巡らされる。
これは水晶から発動した封印術。
捕えた者の時間を止め,永久に封じる時空拘束術。
これほど高度なものは,彼ら単独では生み出せない。
恐らく多くの者達の力を結集し,時間を掛けて作り上げた代物なのだろう。
それを証明するように,結界に覆われた彼の身体は指先一つ動かなかった。
「先輩ッ! 何をするんだ,放せよッ!」
「大人しくするんだ! キューレ!」
キューレは思わず飛び出したが,直ぐに他の者達に組み伏せられる。
やはりと言うべきか,彼は何も知らずにここまで来たらしい。
今まで演技をしていた訳ではないことを知り,イドリースは胸を撫で下ろした。
「イド,お前の力はあまりに強すぎる。戦乱の時代ならまだしも,平定されたこの世界に,それは必要ないんだ」
「自覚はあったが面と向かって言われると,中々キツイな。で,これは誰の指示だ?」
「個人の問題じゃない。これは各国の総意なんだ」
「……随分とまた,嫌われたみたいだな」
個の力が群を凌ぐなど,本来はあり得ない。
そんな常識を覆すのがイドリースの力だった。
彼が加担した国には,必ず勝利がもたらされる。
戦いの中での彼の評価は,まさしく英雄に等しい。
だが,終戦となった世界に彼の居場所はなかった。
いつ爆発するかも分からない,下手をすれば国を滅ぼしかねない危険すぎる力。
不要な存在として標的とされるのは当然だった。
それでもイドリースを殺してしまえば抑止力を失い,再び戦乱を招く事態になりかねない。
この国に必要なのは,『塵灰の炎』という他国にのみ与える脅威だけ。
まともに制御できない,イドリース・ソウオールは必要ない。
結果として封印という処断に収まったのだが,それを実行する仲間たちの表情は,あまりに辛く,苦しいものだった。
「どれだけ恨んでも構わない……。お前からすれば,俺達はただの裏切り者だ……」
「いいんだよ。戦いのない世界に英雄は必要ない。元々そのつもりだった」
「まさか,全部分かっていて,ここまで来たのか?」
「馬鹿正直に来ると思ったのか? あんな柄にもない手紙,あからさま過ぎるよ。まぁそれでも,平和になったこの国の続きを見られないことは,心残りかな」
「イドリース……」
「だから,俺の代わりに見守ってくれ。皆の未来ってヤツを」
自嘲気味に笑うイドリースは,一切の抵抗をしない。
本気を出せば焼き切ることも出来るかもしれないというのに,仲間から裏切られながらも,それを良しとして受け入れた。
彼は呼び出されて庭園に来たのではない。
封印されることを理解した上で,自らの身を差し出したのだ。
その思いにようやく気付いたキューレが,必死に手を伸ばす。
「先輩……! どうして……!」
「悪かったなキューレ。お前には黙っておくつもりだったんだが,まさかここまで追いかけてくるなんて思わなかった。でも,そろそろ俺から自立する頃合いだろ?」
「答えになってない! こんなの酷すぎるよ! 今まで誰よりも頑張ってきたのに! 皆を守ってきたのに! なんで,こんな……封印なんてされなくちゃいけないんだ……!」
「これは俺が望んだことなんだ。始めの戦いで,敵国の兵士を消し飛ばした時からな。だから,コイツらを恨まないでくれ」
イドリースはただ,慰めるだけだった。
今にも泣き出しそうなキューレを見て,相も変わらず泣き虫な奴だと思いつつ,ゆっくりと息を吐く。
「後は頼んだ。男ならもう泣くなよ,キューレ」
結界の力が強まり,意識が徐々に遠くなっていく。
仲間たちの姿も,キューレの姿も全てが暗闇に覆われる。
それが過去のイドリースが見た,フェルグランデ王国の最後の光景だった。