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時々、思い出すことがある。
それは、彼女の断末魔の叫びと悲愴な顔だ。
彼女の瞳は、俺を咎めるように紅く染まり、しかし一方でその恐怖から、元々色白の肌は血が抜けたように更に真っ白になっていた。
あぁ、俺が殺したんだ。
彼女がゆっくりと、スローモーションで落ちていく。
ここは、底無し崖。
落ちたらもう二度と這い上がることはできないと、親から散々言われ、近付くことは決して許されなかった。
なのに、何故、今日、ここへ、近付いてしまったのか。
彼女が誘ってきたから?
いいや、違う。怖いもの見たさだ。彼女の誘惑は、ただのきっかけにしか過ぎない。
今更後悔したって遅いのに
俺が伸ばした手は空を切るだけで、何も掴めなかったーーーーー
ーーー戦慄のステイシアーーー
「……ガハッ‼︎‼︎‼︎」
どうやら息をしていなかったようで、俺はその苦しさから勢いよく飛び起きた。
大量の冷や汗が流れ、緊張からなのか身体が異常に冷えきっている。
(こ、このままでは死んでしまう、風呂だ、風呂!)
身体をガタガタと震わせながら、俺は浴場へ駆け足で向かった。
***
「ふぃ〜あったまるぜ〜」
広々とした、大理石造りの湯舟に身を沈める。ライオンの口から大量に流れ出る湯は、淡い黄色味を帯びており、ほんのりとハーブの香りを漂わせている。
「あぁ〝〜♪俺の背中を〜流すのは〜きみぃ〜…
「この美しい浴場の中で汚い歌声を響かせないで下さい!」
「……ぁんだよ、クリスか。朝っぱらから煩いヤツに会っちまったぜ」
クリス・ラドクリフー通称クリスーは俺の言うことを気に留めることもなく、湯船に入りながら言葉を続ける。
「私は夜勤上がりだなんだから、浴場にいて当然でしょう。第一、レオ。今日の朝の聖声は君なんですよ。準備しなくて大丈夫なんですか?」
「ちょっ!早くそれ言えよ!」
俺がザバッと勢いよく出ると、湯船に浸かったばかりのクリスの顔面に波しぶきが直撃していた。
「ぶはっ‼︎こらレオ!だから、ここは君だけの…って、もう話を聞いてないですか…ハァ…」
それどころじゃない俺はクリスの注意を無視し、駆け足で浴場を出て行った。
***
「…それでは、本日の聖声を行う。一同、敬礼!」
「…はいっっ‼︎」
バンっと大きな音を立てて、勢いよく扉が開く。思わず返事をしてしまった。
ギリギリで間に合った俺は、先ほど浴場で汗を流したというのに、大汗を流しまくっている。皆の視線が集まる。くそっ!
「…少しは静かに入りなさい」
扉の近くにいた上役から、小さな声でお叱りが入る。
(あれが件の聖霊士なの?)
(随分とひどい髪型だけど、大丈夫かしら)
(でも、噂通りの普通顔の天然パーマ茶髪だぞ)
今朝の聖声の当番が俺だということがどこからか漏れたらしく、大聖堂にはいつもの倍以上の拝礼者が来ていたが、皆、俺の残念過ぎる登場にざわついていた。というか、悪口を言われている気がする。
しかし、俺の髪に一房の金糸を認めると、安堵したような表情を浮かべた。
ヘコヘコと適当に謝りながら、聖壇へと続く緋毛氈の端に立つと、聖霊士団長が大きな声を上げる。
「それでは、レオニール・ハインリッヒ。よろしくお願いします」
「はっ!」
威勢だけは良い返事をし、若干足をもつれさせながら聖壇に近づく。
俺が今いる場所は、大聖堂だ。ここは、この国−アレクサンドリア−の王都の中心に位置する場所に建てられている。
この大聖堂は、女神やら天使やらが描かれた壁画に、やたらと豪華なステンドグラスが有名で、そこから差し込む光で彩られた聖壇が今日の俺の舞台だ。
(今日も随分とギラついてんなぁ…)
聖壇にはちょうど腰の高さの真っ白な大理石で作られた机と、その真ん中に純金製の杯が置かれている。
杯の中に溜められた水は、ステンドグラスからの光を反射しただけとは思えない程、ギラギラとした光を放っている。
そしてその光は、俺が近づくにつれどんどん光量を増していく。
いよいよ杯に手をかけると、待ってましたと言わんばかりに光が溢れ出す。その光景に、聴衆からは感嘆の声が溢れる。
「我が国を護りし聖霊よ。そなた達にこの国の守護を請おう。代わりに我らはそなた達の安寧を約束しよう。共に幸あらんことを」
そう言って、杯の中の水を頭上へと撒き散らす。
その瞬間、閉ざされていたはずの正扉が開き、色鮮やかな大量の花びらが聖堂の中を駆け巡ったら。
花びらは、撒き散らされた水に触れた瞬間に弾け、虹色の粉へと変わり、キラキラと聖堂の中を彩る。
それと同時に、クスクス、キャッキャッと笑い声が聞こえ始めた。まるで幼子が遊んでいるような笑い声だ。
「おぉっ!聖霊様の福音が、わ、私の耳にも届いたぞ‼︎」
聴衆の一人が嬉々として叫んだ。それに続けと言わんばかりに周りの聴衆も同様の発言を繰り返す。
雰囲気が高揚するに連れ、我も我もとと皆立ち上がる。降りかかる虹色の粉を少しでも多く浴びようと、天に向かって手を高く高く、ただひたすらに伸ばすその光景は不気味だ。
拝礼者全員に虹色の粉がかかったことを確認して、俺は祭壇へと向きを正した。
「今日も幸多からんことを」
持っていた杯を祭壇へ置くと、途端に虹色の粉は霧散し、拝礼者から惜しむ声が漏れた。
「本日の聖声は終わりです。皆々様の御気持ちはどうぞこちらへ」
聖堂の出口には子供達が立っており、その手にはカゴが握られている。拝礼者達はそのカゴの中へ次々とお金を入れ、皆帰って行く。
中には、直接聖霊士に渡そうとする者もいるが、聖霊師が嫌がることをすると聖霊に嫌われるという噂があるので、まぁそこまで挑戦的なやつはいない。
「今日も結構なお恵みだことで」
杯を片付けて士団長の元へ向かおうとする俺に、すれ違い様の嫌味をかけられる。
「…おはよう、ゼイン。別に俺達は平等のお給料なんだから、多かろうと少なかろうと構わんだろうが。それに今日はたまたま人が多かったんだから、当然だろ」
「はっ!君のそういう上からな態度が気に食わないんだよ!今日は君だから、あんだけの人が来たんだろ!」
ゼイン・ギルトハート。こいつは聖霊士団の中で上位に入る奴で、赤眼に銀髪という目立つ容姿もあってか、俺が入団した当初からいるというのに有名だ。ただ、こいつの目は、あいつを思い出すから苦手だ。
年が近いせいもあってか、俺の方が年下・後輩であるのに、やたらとケチをつけてくる。
はぁとため息をついて俺が言い返そうとすると、紫色の髪を一括りに纏めた男に肩をポンと叩かれた。
「こらこら、二人とも。仲が良いのは結構だけど、もう朝の聖声は終わったんだよ。ほら、持ち場に戻った戻った!」
「「仲が良い訳ではありません!」」
俺たちは二人して、肩を叩いた聖霊士団長ーーウィル・アクレイアス士団長に向かって反論をあげた。
「あはは!やっぱり仲が良いじゃないですか。二人揃って僕に話し掛けるなんて!さ、仕事に行ってくださいね〜」
ヒラヒラと手を振り、ウィル士団長が去る。俺達も啀み合いながらその場を立ち去った。




