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THE RED MOON  作者: 紅い布
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宛先:読者様 件名:もう引き返せそうにありません

◆◆ PM 17:53分 ◆◆


「無事だったか……よかった」


綾乃の兄である青年――(しん)は綾乃の姿を確認するなり安堵の息を漏らしたが、すぐに表情を引き締めると、


「綾乃すぐに着替えて荷物を取ってこい。あとみなんさんも!すぐにここから逃げる準備をしてください!」


諭すように、しかし、有無を言わせぬ迫力で叫んだ。


「えっ!?お兄ちゃん、どういうこと?」

「事情はすぐにわかる。いいから早く着替えてこい!その格好じゃ、いざってときに上手く走れないぞ」


――上手く走れないって、どういうこと……?


わけもわからず混乱する綾乃だったが、これまでに見たことのない義理の兄の真剣な表情に何かを感じ、大急ぎで準備に取りかかった。

たとえ一億人が嘘だと言っても、晋が真実だと言えば、綾乃は晋を信じる。

それだけ絶大な信頼関係がこの兄妹にはあった。

だが、その他大半の者は事情を把握しきれていないのか、ただ困惑するだけで何もしようとはしない。

まぁ、突然「逃げろ!」といわれても理解が追いつかないのは無理からぬことなのだろうが……。


『何なんだよあいつ……頭おかしいんじゃねぇ?』

『てか、俺らの綾乃ちゃんに対して馴れ馴れし過ぎだろ。兄だからって調子乗ってんじゃねぇぞ……』


場違いな嫉妬の炎を燃やす男性従業員達に対して、内心で激しく同意する店長が一歩前に進み出る。


「あの、君は綾乃ちゃんのお兄さんでしたっけ?(頭は)大丈夫ですか?とりあえず落ち着いて――」


店長は恐る恐る晋を宥めようとするが、その前に――


――グチャ……グチャ……。


めでたく、本日二人目のお客様が来店した。


「――え?」


“ソレ”は、紛うことなき死者だった。

床に落ちるどす黒い血肉。鼻を突き刺すような異臭。

今更、詳しい描写など必要ないだろう。

正真正銘の【ゾンビ】、化け物である。

服装からして元は女性なのだろうが、こうなってしまってはもはや性別など無意味だ。


「くっ――もう来たのか!?」

『ア゛ア゛アァァ……』


ゾンビは己の空腹を満たすべく、偶然近くにいた店長に襲いかかろうとする!


「う、うわああぁぁぁ!!!!?」


店長は足を縺れさせ、尻餅をついた。

その顔は紛う事なき恐怖で引きつっている。


「くっ……くるなあぁぁぁッッ!!!!!」


影で多数の女性店員に対して給金アップを餌に交際していた焼肉店の店長は、何とか"死"から後退しようと必死に床を靴底で削る。

だが、行動虚しく、ゾンビの腕は絶叫する店長の首に着々と伸びていく。

誰もが、自分の理解を超えた現実と目の前の恐怖に心を奪われ、指一本動かせないでいた。


――喰われる。


店長は恐怖のあまり、ぽっかりと穴が開いてしまった心のどこかで、そう思った。


だが――


「このっ!!」


死者の顎が店長の首筋に届く前に、晋の肘鉄を乗せた体当たりがそれを阻んだ。

ゾンビは大きく仰け反って壁に凭れ掛かる。


「はああぁぁぁあああッッ!!!」


その隙を逃さず、晋はありったけの力を込めて、無防備な首に後ろ回し蹴りをぶちかました。


――ボジュッ!


全身の毛が逆立ってしまうような鈍い音をたてて、ゾンビの頭が吹き飛ばされる。

頭を無くした首から赤黒い血が飛び散り、店の壁を盛大に汚した。

数歩歩いた後、生ける屍は力なく地面に崩れ落ち、身体を痙攣させながら動かなくなった。


「――げっ!?」


全身の腐食は見た目以上に酷いらしく、予想より遥かにゾンビの身体は脆かった。

首の骨を折るつもりではいたが、まさか頭ごと吹き飛ぶとは思ってなかったため、晋は思わず情けない声を漏らしてしまう。


『うっ――!!』


首の無い死体が痙攣する様をみて、その場にいる全員が吐き気を催した。


「はっ……ひっ……」


晋はなんとか吐き気を堪えて、失禁してしまいかねないほど怯える店長を一瞥する。

いや……たった今、彼のズボンの股間に滲みが……。


「………………。まぁ、怪我はないようですね」

「うっ……は、あ……?」


とりあえず店長が無傷であることを確認し、皆がホッと息をつく「おい!!ま、窓の外が!!?」――間もなかった。


――バンッ!バンッ!


乱暴に外から窓ガラスを叩く者の正体は言うまでもない。


焼肉店の外にはどこから現れたのか、ゾンビの群れが集結しつつあった。


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