番外編その2−3
理恵さんの部屋から銃弾をばら撒き、外の感染者を全て始末してから、僕たちは改めて手を繋いで羽野倉家を後にしました。
「後ろへどうぞ」
「わかった」
エンジン付けっぱなしの原チャリに跨り、僕の後ろに理恵さんを乗せます。
「しっかり掴まってくださいね」
「はい」
ギュッと豊かな双丘が僕の背中に押し付けられます。
うーん、理恵さんって思ったより胸あるんですね。柔らかいです。
っとと……聞かなかったことにしてください。
原チャリは二人乗り禁止なので、普通二輪の座席に比べてあまり余裕がありません。必然的にお互いの身体が密着してしまうのは仕方のないことなのですよ。
まぁ、生き残ってる友人なんていないだろうって諦め半分で原チャリをチョイスしたのがそもそも問題なのですがね。
「さ、発進しますよ。掴まってください」
「……うん」
切なそうな表情で自宅を見つめる理恵さんの瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっていました。
「……さようなら。お父さん、お母さん」
……敢えて聞かないようにしていたのですが、今のでハッキリしてしまいました。理恵さんは一人ぼっちになってしまったようです。僕と同類ですね。
これ以上ない凄惨な死に別れという点では、僕は引け目を感じざるを得ませんが。
「……行きます」
そう言って、彼女の未練を断ち切らせるように、僕は原チャリを発進させました。
後ろでは理恵さんが嗚咽を漏らすまいと必死になって堪えているようです……無理しなくてもいいんですけどね。
「泣いていいですよ」
「……え?」
「泣きたいときは泣くのが一番です。こういう状況なら、尚更……」
「……ヒック」
これが恐怖に唆された涙なら遠慮なく一喝してるところですが、今、理恵さんが流しているのは……尊いモノですから。
「誰かのために流す涙だからこそ、今、泣いておくのが一番ですよ」
「……飛鳥君は強いんだね。それに、とても優しい人」
「僕は強くなんてありません。それに、貴方に優しくされた分の恩を返してるだけですから」
「そういう、変に気を使わないところなんかが……私にはとても優しくみえるよ?」
「参りましたね、これでも大分気を使ってるつもりなんですが」
理恵さんはクスッと笑ってから、頭を僕の背中に押しつけてきました。ミラーに映る、風に舞う彼女のセミロングの髪が……泣き叫んでいる彼女の心のように見えたのは、あながち間違いではないでしょう。
「ねぇ……お言葉に甘えて……ちょっとだけ泣いていいかな?」
「存分にどうぞ」
「背中……借りるね?」
「僕の背中の一つや二つ、いくらでもお貸ししますよ」
僕の腰に回された理恵さんの両腕に力が入ります。
「……ありがと」
その言葉を発した直後、彼女はまるで捨てられた赤子のような声で泣きました。
そして、理恵さんの泣き声に誘われたかのように、細道の両脇に聳える木々たちの葉がざわめきます。
まるで、彼女のために世界が泣いているようです。
――それからしばらくの間、理恵さんは声をあげて……ただただ、涙を流していました。
◆◆ PM 20:51 ◆◆
「えぇ、ハイ。日向橋まで迎えにきてください。よろしくお願いします」
僕は携帯を閉じると、それをブレザーの内ポケットに仕舞い、不安そうに上目遣いで見つめてくる理恵さんの頭を撫でてあげました。
「パンクなんてツイてないね……」
「仰る通りです……全くもって面倒なことになりました」
羽野倉家を出発してから約20分が経過し、ようやく田舎道のような細道を出て、河川沿いに原チャリを走らせていたときでした。
なんと、原チャリの後輪がパンクしやがったのです。
河川沿いに感染者の姿は見当たらなかったのでなんとか助かりましたが、ここが一般道だったらと考えると背筋が凍る思いです。
「これから……どうするの?」
「自衛隊が日向橋まで迎えにきてくれるそうです。道中で目ぼしい乗り物を探しつつ、そこまで向かいます」
「日向橋って、県境にある?」
「はい。そこまで辿り着ければ、あとは安全です」
「……途中で化け物とかに襲われたりしないかな?」
「確証は持てませんが、この現状を見る限り恐らく大丈夫でしょう」
感染者を避けるために、わざわざ市役所へのルートを破棄して河川沿いの道を選んだのですから、そうホイホイ出てこられたら堪ったものではありません。
「ま、仮に襲われたとしても、こっちには武器がありますからね。何とかなりますよ」
理恵さんの怯えを少しでも軽減させるために、敢えて微笑んでみました。上手く笑顔を作れたかは自信ありません。
「なんだろう……頼りない台詞なのに、飛鳥君が言うと安心できる」
「それは重畳です。僕も無理してほほえ――」
「でも、あまり無理して笑わないほうがいいかな。今の笑みはちょっと……」
「……以後、慎みます」
どうやら、僕には作り笑いする才能がないようですね。
まぁ、仕方ありません。
「さ、そろそろ行きましょうか」
「うん」
僕の左手を握ってくる理恵さんの手を握り返し、役立たずの原チャリを放置して歩き始めます。
「そういえば、さっき街のスピーカーで市役所に集まるように指示してた声って、飛鳥君でしょ?」
「……聞かれてましたか」
「飛鳥君の話だと、市役所は安全なんでしょ?なんで市役所とは反対方向に向かったの?」
「本当は市役所に向かう予定だったんですけどね。二人乗りの原チャリで感染者の数が多い国道を戻るよりは、感染者のいない河川沿いの道を利用して、県境の少し先で展開してる自衛隊と合流したほうが安全で確実だと思い直したんですよ」
「そっか……足手纏いの私がいるから、市役所へ行けなくなったんだね」
そんなこと一言も言ってないのに。
理恵さんの自虐的な発言に少しムッときてしまった僕は、敢えて返事をしないことにしました。
そんな僕を少し潤んだ瞳で見つめてくる理恵さん。
……まったく、僕の返答に何を期待しているんですかね?
「……貴方を少しでも危険から遠ざけたかったんですよ。別に足手纏いだとか思ってませんし、仮に足手纏いであっても関係ありません」
ここで僕は彼女の手を少し強く握って、振り向きました。
理恵さんの驚いたような顔が少し滑稽で、でも可愛くて、何だか笑えます。
「理恵さんは、僕が護るって約束したんですからね」
護ってあげたいと思えた貴方だからこそ、僕は……。
「……その笑顔はズルいよぅ」
ふと呟きのようなモノが聞こえたので、再び振り返ってみると、そこには耳まで真っ赤にしながら俯く理恵さんの姿が。
「何か言いました?」
「何でもないもん!」
「そうですか?なら――」
「……?どうし――ッ!?」
理恵さんが疑問を口にし終わる前に、僕は慌てて彼女の身体を抱き寄せて地面に押し倒します。
その瞬間、茂みの中から目にも留らぬ勢いで坂を駆け上がってきた一匹の動物が、頭上を掠めるように飛びかかってきました。
周りが暗いのと、突然の奇襲だったので姿はよく確認できませんでしたが、風圧からしてかなりの体躯を誇っているようです。少なくとも、人ではないでしょう。
危うく頭を呑みこまれるところだった理恵さんを抱きかかえながら、地面を転がるようにして体勢を立て直します。
「な……なに?コレ」
震えながら僕を抱きしめてくる理恵さんの頭を撫で撫でしながら、無粋な通り魔を観察するついでに睨み据えました。
『シャアァァァッ!!』
2メートル程の体躯で筋肉組織が剥き出しの身体、両手から伸びた鋭利な5本の爪、尻尾……のようなもの、四足歩行、二つの頭にそれぞれ一つだけ存在する巨大な目玉。
「これは――新井さんが言っていた二次形態の感染者……」
「二次形態……?」
「簡単にいえば、ゾンビの進化バージョンです」
「うっ……」
「僕が奴を引き付けますから、ゆっくりと7メートル程離れてください。決して大きな動きを見せてはいけませんよ?」
「う、うん……わかった。気を付けてね」
化け物のグロテスクで醜悪な姿態に吐き気を催しながらも、口元を押さえて懸命に堪える理恵さんをそっと引き剥がし、二歩ほど前へ進み出ます。
無防備な彼女を狙わせないように、敢えて大げさなモーションでショットガンを構えました。
そのまま、警戒しているのか硬直したまま動かない化け物に向けて散弾を撃ち込み――。
『シャアァッ!!』
「――ッ!」
突然の跳躍から爪の振り降ろしですか。空気を裂く鋭い音が素敵すぎますよ、コノヤロー。
反射神経の反応に逆らわず、後方転回で避けます。
おかげでトリガーを引き損ねてしまいました。まぁ、距離を稼ぐためにも仕方なかったのですが。
しかし、ここがプロの腕の見せ所。
即座に体勢を整え、化け物の動きが止まったところをフロントサイト内に収めて、今度こそトリガーに指を掛けます。
重い銃撃音が辺りに反響し、派手なマズルフラッシュが瞬きました。
散弾は化け物の右肩を抉り、汚い血飛沫を飛び散らせます……が、致命傷には至りません。
直前で、僕から見て右に飛ばれて射線から逃げられてしまったのが原因です。
――ガシャコッ!
即座にレシーバーをコッキングさせて次弾を装填し、ショットガンを水平に構え、フロントサイトとリアサイトに化け物を収めます。
一発目が発射されてから、ここまでの動作は約0.4秒。
ですが、僕がトリガーを引く前に相手に先手を打たれてしまいました。
目にも留らぬ動きで縦横無尽に駆け回り、僕の視線を翻弄しつつ、僕の首目掛けて、その鎌のような爪を振りかざしてきます。
まともに喰らえば一撃で首が胴体から離れてしまうことは必至。
その死神を思わせる攻撃を紙一重で回避しつつ、僕は化け物の身体能力に舌を巻いてしまいました。
残像すら残すその速さ、恐らく地球上最速でしょうか。
しかし――
動きは真似……できなくもないですがそれは敢えて置いといて、見切ることは簡単です。
化け物の爪が僕の首を掠め、すれ違う瞬間。
僕は後ろを見ないままショットガンの銃口を背後の化け物に向け、トリガーを引きました。ほぼ接射です。
『ィギャァァッ!!』
耳を劈くような甲高い悲鳴。元が人間とはいえ、最早、その奇声は正常な人間が出せる音域ではありません。なんとも醜い絶叫ですね。
レシーバーをコッキングさせながら後ろを振り向いてみると、右脇腹あたりが大きく抉れている化け物が地面をのた打ち回っていました。
ふむ……人としての理性や意識はなくとも、痛覚はあるんですね。ということは、初期形態の方々にも痛覚はあるのでしょうか?彼らはあまり痛がってるように見えませんけど……興味深いです。
『……』
脇腹の痛みから立ち直ったらしい化け物は、その大きな一つ目で僕をじっと見据えながら警戒しています。
ショットガンを恐れているのでしょうか、威嚇してくるだけで大した動きを見せなくなりました。
これはチャンスです。遠慮なくサイト内に化け物を収め、照準を定めます。
「――む?」
目の前の化け物の他にもう一つ殺気が増えた?
『ギシャァァァッッ!!!』
「――!!」
「飛鳥君ッ!?」
今までずっとこちらの隙を窺っていたようです。
ここぞとばかりに、暗がりから出てきた二匹目が有無を言わせぬ勢いで襲いかかってきました。
背中から倒れ込むようにして新たな襲撃者の不意打ちを避け、こちらの隙を突くように飛びかかってきた一匹目の化け物の爪をショットガンのフレームでなんとか受け止めます。
完全に押し込まれて身動きが取れなくなる前に、涎を垂らしながら大きな一つ目で熱い眼差しを送ってくる不埒な輩を蹴り飛ばしました。
そのまま身体を反転させて地面に両手を着き、下半身を宙に浮かせつつ、腕力、腹筋、背筋を上手く連動させて脚を回転させます。
遠心力を利用して、一匹目と連携するように僕の背後から飛んできた二匹目の化け物の顔面を蹴り上げました。
蹴り上げた勢いのまま身体を捻り、両腕で身体を押し上げて体勢を立て直します。
それと同時に二匹の化け物も身体を起こしました。
「うーむ……会心の蹴撃だったんですけどねぇ……」
人間相手なら顔面の骨を粉砕してるくらいの。
まぁ、相手が相手だからどうしようもないんですが、なんか自信失くします。
「ま、こちらとしてもそう簡単に貴方達の食料になるワケにはいかないんで」
と、余裕ぶりつつも、内心では冷や汗を掻いたりする僕です。理恵さんに注意が向いてなくて良かったと心底安堵してます。
いくら戦闘中だったとはいえ、ここまで接近を許してしまうとは……事が済んだら、一度徹底的に鍛え直さないといけないようですね。
『シャアア……』
『ギシャァァァッ!』
お互いの隙を埋めるように、絶え間なく爪を振りかざしてくる化け物二匹をいなしながら、僕は比較的動きが鈍い負傷中の化け物に向けて、ショットガンを構えました。
僕に向かって飛びかかってくる前にこちらから距離を詰めて、動きを牽制します。
二匹目の奇襲を身を屈めて回避し、そのまま頭上を掠めていく化け物に構うことなく、僕は一匹目に肉薄、そのまま二つあるうちの(僕から見て)右の頭を零距離から撃ち抜きました。
『ギィヤァァァ!!!』
「やっぱり、頭一つ潰したくらいじゃ死にませんか」
左の頭部を粉砕されて激しく仰け反りながら絶叫する化け物を眺めつつ、そいつの残った頭を踏みつけて大きく飛び越えて距離を取ります。
それにしても、息の合った連携といい、気配の殺し方といい……狩猟民族である人類の本能が回帰でもしているんですかね?
本当にそうであるのか、真相は定かではありませんが。
とりあえず今言えることは、この化け物はとんでもなく脅威だということ。
遠距離からの銃撃ならばまだ勝ち目はありますが……一対一で肉薄されれば、よく訓練された兵士でも生き残ることは難しいでしょう。
ま、なんにせよ、そろそろ終わらせましょうか。
少し長居し過ぎましたし、なにより……飽きました。
未知の敵に対して己の力量を試したくなるという僕のツマラナイ自己満足も満たされたことですし。
『『シャァァッ!!』』
僕の雰囲気が変わったことを本能で悟ったのか、全くの同タイミングで飛びかかってくる二匹の化け物。
それに対し、僕は身を低くしながら化け物の下を駆け抜け、側転して振り返ります。
エンドルフィンが大量に分泌され、徐々にスローモーションになっていく僕の世界――。
上下が逆になった視界の中で、遠ざかっていく二匹の化け物のうち、ちゃんと頭が二つある化け物に向けてショットガンのトリガーを引きました。
間延びする銃声と共に発射される弾丸。今の僕はその軌跡まで見極めることができます。
そして、ショットガンの最後の一発であるスラッグ弾は、狙い通りに化け物の左の頭部を爆散させました。
化け物が体勢を崩して派手に転倒し、引っくり返って悶えるのと同時に、僕はショットガンを放り捨てながら体勢を立て直します。
間髪入れずにブレザーの中で温めていたコンバットナイフを左手で抜きながら一歩を踏み出し、宙に放って逆手に持ち替え、こちらに振り返って再び跳躍しようとする(最初に対峙した方の)化け物の頭をすれ違い様、一息に切断。
とうとう頭を二つ失って崩れ落ちる一匹目には見向きもせずに、その脇を駆け抜けながら右手でグロック18を抜き放ち、跳躍します。
未だ悶えている二匹目の胴体を踏み砕くように着地しながら、そっとしゃがみ込んでグロックの銃口を残された頭部に向けて構えました。
ゆっくりと、されども連続して放たれる9mmのパラベラムは、化け物の頭を容赦なく蹂躙していきます。
そして――マガジン内の弾丸が撃ち尽くされるのと同時に、僕は化け物の胴体から軽く前に跳躍して離れました。
「……ふぅ」
すーっと夢から覚めるように世界が元の加速度を取り戻し、それと合わせるように僕の身体に虚脱感が訪れます。
「お待たせしました。さ、行きましょう」
時折、身体を痙攣させる化け物を道の脇に蹴り飛ばしながら、僕は後方で震えていた理恵さんにおいでおいでと手招きしました。
しかし、理恵さんは僕の顔を見つめてくるだけでその場から動こうとしません。
……どうしたのでしょうか?
「もしかして、怖がらせてしまいましたか?」
「そ、そうじゃないの……」
そう呟き、地べたに座ったまま無言で僕に両手を差し伸べてくる理恵さん。
その顔は幾分か紅くなり、恥ずかしがっているようにも見えます。
あ、なるほど。腰を抜かしてしまったんですね?
「歩けそうですか?」
「………………」
理恵さんは顔を俯かせ、力なく首を横に振ります。
まぁ、年頃の女の子がこんなショッキングな惨殺シーンに耐えられるほうがおかしいのかもしれません。
「仕方ありませんね」
そう言って僕は理恵さんの前に屈み、両膝を揃えさせて、その下に左腕を入れました。
「キャッ!?」
耳に届いたか弱い悲鳴を無視し、右腕で彼女の肩を支えます。
「よいっしょ……っと」
「え?えっ!?飛鳥君!?ヤダッ降ろして!」
突然のお姫様抱っこに困惑する理恵さん。恥ずかしそうに顔を赤らめながら、僕に抗議してきます。
どうやら、お姫様抱っこはお気に召さなかったようです。
「余計な御世話でしたか?……すみません」
「あっ……」
僕が腕の力を抜いて理恵さんを降ろ――す前に、理恵さんが僕の首に腕を回してガッチリホールドしてきました。
「あの……そんなことされたら降ろせないんですが……」
「…………」
理恵さんは僕の抗議を完全にスルーし、さらに腕の力を強めて僕の胸に顔を押し付けてきます。
「あの……降りたかったのでは?」
「………………」
スルーです。完膚なきまでにスルーされました。
「参りましょうか。お姫様」
「……苦しゅうない」
無理矢理にでも降ろそうかと思いましたが、とりあえず僕に向けられた笑顔が可愛かったので許します。




