番外編その2−2
◆◆ PM 20:13 ◆◆
軽快に原チャリを飛ばしながら、有象無象の感染者を避けつつ街を巡回します。
人間の感染者は基本的に動きが鈍いので避けるのは簡単でしたが、少々厄介だったのが四足歩行の動物でした。
特に大型犬や猫等は体格が巨大化し、動きも従来より俊敏になっているので手を焼かされます。まぁ、そのためのショットガンだったので、大して手間はかかりませんでしたが。
そんなこんなで巡回している途中で、三人いた友達のうち、二人と出会うことができました。
一人目は転校してきたばかりの僕に対して、一番最初に話しかけてきてくれた男友達のA君です。
よく、一人暮らしの僕の家に上がり込んでは冷蔵庫のお酒を飲んで酔っ払っていました。その度に幼馴染が迎えにきてくれていた幸せ者です。
発見した時には既に手遅れで、自宅周辺を他の感染者と一緒に徘徊していました。遠慮なく額を撃って始末しました。
二人目は同じクラスであり、A君の幼馴染でもあった女の子友達のBさんです。
二人の掛け合いは夫婦漫才みたいで、見ていて飽きませんでした。いつも明るく笑顔を絶やさない活発な女の子で、時々、僕は女の子達の間で人気があるとかないとかよく分からないことを言ったりしていたのが印象的です。
A君とはお隣さん同士で、部活の朝練がない日などは一緒に登校していたようです。A君が僕の家で伸びてしまったとき、部活帰りなどによく彼を迎えにきていた殊勝な女の子でもあります。
僕が彼女を居間で見つけたときは既に息絶えていました。全身を食いちぎられて。死体になってから結構経つようですが、感染者として徘徊していないことから体内に抗体を持っていたものと思われます。放置しました。
そして僕は今、三人目の友達の家を目指しているところです。
ここまでの戦果はなし。覚悟はしていましたが、結構辛いです。今までこんな感情を抱いたことはなかったのですが。
それだけ、ここで過ごした4か月という月日が、僕の中で重要な部分を占めていたということなのでしょうか。
……見えてきました。三人目、Cさんの自宅です。
周囲に感染者の姿は見えません。餌を求めて、集団でどこかへ移動してしまったのでしょうか?そういえば、この近くには焼き肉店がありましたね。もしかしたら、肉の匂いに感づいたのかもしれません。
玄関前の適当な所に原チャリを止めて、インターホンを鳴らします。まぁ、鳴らす必要があるとは思えませんが念のためです。
敢えて不法侵入して、何故かCさんの着替えシーンを覗いてしまうというビックリドッキリイベントフラグを期待してみてもよかったのですが、現実との落差に心を折られてしまいそうだったのでやめておきました。
「……おや?」
家の中に気配が……感染者でも残っていたんでしょうかね。
とりあえずM3は嵩張るので原チャリの元に置いておき、グロック18Cを構えました。
そして、気配を確かめながらゆっくりと扉を開けます。
「お邪魔しまーす」
そういえば、Cさんのお宅にお邪魔するのは……約一日ぶりですか。
両親がいない僕を不憫に思ってくださったCさんの両親様に、よく夕食をご馳走になっていたんですよね……。美味しかったなぁ……。こんなことになるなら……もっと……味わって食べておけばよかったです……。
む、いけません。エージェントたる者、涙で視界を遮るとは愚の骨頂です。
……こんな僕にもまだ涙が残っていたなんて予想外でした。まぁ、幻ということにしておきましょう。
『あああぁぁぁ……』
「――おっと」
ダイニングへお邪魔したところで、物陰からお母さんのご登場です。
40過ぎだというのに、まるで二十歳後半のように若々しかったお母さんは見る影もなく。
美しかったお顔は醜く歪み、白眼を露呈するその様相は見るに堪えません。
「僕からの、せめてものお詫びと……お礼です」
右手を真っすぐに伸ばし、グロックを水平に構え、右手首を左手で押さえるようにしてトリガーを引きました。
――ダァンッ!
一撃で額を撃ち抜かれたお母さんは、腐った脳漿と血を撒き散らしながら地面に沈んでいきます。
……良くしてもらった恩人をこの手で撃つのは、やはり慣れるものではありません。
――ガタッ
「む?」
先ほどから気配は感じていましたが、今の物音は……Cさんの部屋から?
感染者として活動を開始したのでしょうか?
どちらにせよ、確認しないことには始まりません。
僕はダイニングを去り、廊下に出て階段を昇り始めました。
木製の階段を踏みしめる度に、特有の軋みが響きます。
そして、軽く辺りを警戒しながらもCさんの部屋の前に辿り着きました。
「……」
ドア越しですが、確かな気配と息遣いが聞こえます。肉体が活動しているのは確かなようです。
まぁ、この部屋の中にいるのがCさん本人とは限らないし、まだ人間でいるのか、それとも感染者になってしまったのかも定かではありませんが。
固まっていても仕方ありません。僕は思い切って扉を蹴破り、部屋の中に踏み込みました。
「きゃぁぁぁッ!!」
「――ッ!?」
人間らしい悲鳴が聞こえました。
とても聞きなれた人物の声です。
「来ないでぇッ!!来ないでよーー!!」
この反応はとてもじゃありませんが、感染者とは思えません。
半狂乱になりながら物を投げつけてくるこの人物こそ……。
「無事だったんですね……理恵さん」
「――ふぇ?」
思わず脱力してしまいそうなこの返事。
まさしくCさんこと羽野倉理恵さんに違いありません。
「あ……あす、か……君?飛鳥君なの?ヒック……ヒック……」
「まさしく、金城飛鳥です」
「ふ……うぅ……うわぁぁぁぁん!」
涙の軌跡を残しながら、僕の胸に飛び込んでくる理恵さん。
何でですかね……何で僕は……今……泣きそうになっているんでしょうか。
「こわ……恐かった……恐かったよぅ!!ひぐ……えぐ……うぅ、うぅぅぅ!」
「……」
泣きじゃくりながらしがみ付いてくる彼女に、僕は掛ける言葉が見当たりません。
そうですね、掛ける言葉が見当たらないのなら、素直に思ったことを口にしてみましょうか……どれ。
「理恵さん……貴方が無事で……本当に良かった」
「……飛鳥君も泣いてるの?」
「は……?」
そう言われて、思わず頬に手を当ててみると……何やら液体が。
舐めてみると、それはしょっぱいものでした。なるほど、これが俗に言う目から汗が出るというやつですね。風説だと思っていました。
「泣いているのではありません。目から汗が出ているだけです」
「それを……世間一般では"涙"って言うんだよ?」
「……なんと」
涙を零しながらも、笑顔を見せてくれるという高等技術を披露してくる理恵さんに敬意を表し、素直に僕の頬に流れる液体は涙だと認めることにしました。
涙……か。どうやら幻ではなさそうですね。
極々自然に、僕は理恵さんを抱きしめていました。理恵さんの女の子らしい香りが鼻腔を刺激します。
「本当に良く無事でしたね。いい子いい子です」
「……」
思わず頭を撫でてしまう僕の手を払うことはせず、気持ち良さそうに頬を緩めてくれる理恵さんに、胸が高鳴ってしまいました。
ところが――
「――ッ!!わ、私に近づいちゃダメ!!」
突然、彼女に突き飛ばされてしまい、唖然としてしまいます。
そんな僕の視線から逃れるように、彼女は左腕を右手で隠して顔を背けました。
……もしや。
「理恵さん、隠してる左腕を見せてください」
と言いつつ、抵抗させる暇は与えません。
離れた彼女を再び抱き寄せて、右手を左腕から引っぺがします。
理恵さんも、隠しても意味はないと悟ったのか大人しく従ってくれました。
「……この噛み傷は……お母さんですか」
「……」
唇を噛みながら俯く理恵さんの反応からして、ビンゴでしょう。
噛まれてからどれくらい経つのかはわかりませんが、傷口の腫れ具合からしてあまり余裕はなさそうです。
僕はすぐさまブレザーのポケットから、ウィルス特効薬が入った注射器のケースを取り出しました。
「それ……なに?」
「貴方の身体に入ったウィルスを除去し、抗体を作ってくれる特効薬です」
「……本当に?」
疑心暗鬼……ですか。実の母親に喰い殺されそうになったのですし、無理もありませんけど……。
「この薬を受け入れるかどうかの判断は貴方に任せます」
「……恐い」
そう呟き、震える手で僕のブレザーの端をギュッと掴んでくる理恵さん。
僕はそんな彼女の頭を抱き寄せます。
「僕から貴方にいえることはただ一つです。僕を……信じてください」
何とも恥ずかしい台詞をのたまってしまったような気がしますが、ここは敢えてスルー推奨です。
「……うん」
僕を信用してくれたのでしょうか。それとも、このままではいずれにしても助からないと腹を括っただけでしょうか。どちらにせよ、理恵さんは静かに頷いてくれました。
「痛いですけど、我慢してください」
小さなポケットケースから消毒液を染み込ませたガーゼ取り出し、彼女の腕に塗り付けます。
そして、注射器のカバーを外してから容器の中の空気を抜き、その細い腕に突き刺しました。
「――ッ!!」
僕は理恵さんが唇を強く噛み過ぎないように、左手の指を彼女の口の中に突っ込みます。
そのおかげもあってか、理恵さんは僕の指を噛まないように何とか我慢してくれたようです。
「終わりましたよ」
僕は注射器を引き抜き、そこらへんにポイ捨てしました。
僕に医術の心得などありません。注射にしても、丸っきり素人です。とても痛かったのでしょう。理恵さんは先ほどとは別の涙を浮かべていました。
「これでよし」
そんな彼女の腕に特殊な絆創膏を貼り付けた後、噛み傷がある個所に消毒を施し、包帯を巻いて治療を終えました。
まだ涙を浮かべている理恵さんの頭を撫で撫でしてあげます。
「痛かった……」
「すみません。でも、もう大丈夫ですから。これで感染者に噛まれても、貴方が感染することはありませんよ。安心してください」
「……」
「さ、逃げましょう」
そう言って、理恵さんを連れてこの場から脱出しようとしたのですが――。
「待って。その前に教えて?」
「何ですか?」
「飛鳥君は……何者なの?」
「……」
ま……その疑問は当然ですよね。
僕が銃を持っていること。薬を持っていること。この現状を把握しているような態度。理恵さんからすれば、全てが不可解でしょう。
「……どうしても、知りたいですか?」
「うん」
理恵さんは意志の強い眼差しで僕の瞳を射抜いてきます。
どうやら、本気のようです。
「ならば、道中で話すことにしましょう。それよりも、今はこの場から脱出することが先決です」
「……わかった」
同意してくれたところで、僕は先に歩き始めようとしました。そこで――
「……」
無言で理恵さんが僕の左手を握ってきたことに何ともいえない感慨を覚えながらも、少し動きにくいという不満を押し隠したところで、外に複数の気配を感じました。
「どうやら、食事を終えた感染者が自分のテリトリーに戻ってきたようです」
「――ッ!?」
外から聞こえてくる多数の呻き声に脅えの色を隠せないでいる理恵さんを抱き寄せて、優しく背中を叩いてあげました。
「恐怖に囚われるな、なんて無理は言いません。ただ、僕の姿を見失わないでください」
「……うん」
僕の胸に頭を押しつけながら、深呼吸を繰り返す理恵さん。そして、彼女が落ち着いたところで、
「――大丈夫です。貴方は僕が護ります」
窓の外に身を乗り出し、外に群がる感染者達の頭に向けてグロックのトリガーを引きました。




