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THE RED MOON  作者: 紅い布
21/26

番外編その1

◆◆ PM 19:18 ◆◆


"彼ら"が店内を去ってから、早1時間と少しが経過していた。


私こと柏木(かしわぎ)魅琴(みこと)は、いざとなれば自分も店内から脱出できるように私服に着替えているところだ。サービスシーンはないので悪しからず。


「どうしてこんなことになったのかしら……」


本日何度目ともしれない溜息を零しつつ、私は上着を羽織り、お店用のハイヒールからスニーカーに履き換える。


事の発端は、恐らく4日前から立て続けに起こっていた猟奇殺人事件に違いない。


――とある民家の母親が、4歳と6歳になる子供を殺害。たまたま庭で草毟りをしていた隣人が、尋常ならざる子供の悲鳴を聞きつけて110番通報した。

駆け付けた警察官数人が問題の家屋に踏み込んでみると……そこには上半身を鮮血に染め、自らの子供の腸を貪り喰らっている母親の姿が。

その異常と口にするのも憚られるような残虐極まりない行為と、母親の理性を感じられない瞳に恐怖した警察官達は、迷うことなく拳銃を抜き放ち、三回の警告の後に発砲。

計4発の銃弾を母親に撃ち込み、射殺した――というもの。


警察官が銃を発砲しただけで大騒ぎするこの日本で、警官が民間人を射殺するという事態に日本中が震撼した。

そもそも母親が子供を食い殺すという事件の異常性も相俟って、ニュースでは連日連夜この話題が取り上げられていたほどだ。

その後も立て続けに似たような事件が頻繁に起こり、わざわざ地域内をパトカーが巡回して注意を呼び掛けるまでに至っている。

ただごとじゃないというのは薄々感じていたけど……まさかこんなことになるなんて。


「お願い……悪い夢なら早く覚めて……」


こんな悪夢なんて早く終わってほしい。

顔を覆いながらそんなことを呟いてみるけど、店内のそこかしこから聞こえてくる女の子達の嗚咽が、無情に現実を突きつけてくる。


現実逃避してたって無駄なのは分かってる……でも、無力な一女性である私には他にできることがない。


携帯電話は何故か通じず、店の外には大勢の動く屍達が蠢いているこの現状。

下手に逃げれば食い殺されるのがオチだろうし……。

今夜のバイトが終わったらそのまま実家に帰るつもりだったから、今回は偶然にも車で店に来てたけど……店の外に出て、人を情け容赦なく喰らう化け物の群れを突っ切って車まで走り抜こうと思えるだけの勇気もなく。

何より、一人が恐かった。


あーあ……あのとき、私の車で一緒に逃げようって、何で言えなかったんだろう……。

綾乃は無事に逃げきれたのかな……。


私は役に立たない携帯電話をハンドバックに放り込むと、車のキーだけはいつでも取り出せるように、上着のポケットへ捩じ込んだ。


ロッカールームを後にして店内のホールに戻る。


窓の遮光ウィンドウは全て閉じられ、入口付近には椅子やら中身が入ったダンボールを積み重ねて厳重にバリケードが築かれている。


その惨状は、昨日まで客で賑わっていた焼き肉店とはとても思えない。


そんな店内の光景を見て、私は再び押し寄せてきた恐怖を胸の内に押し留めるように、近くの椅子を引き寄せて体育座りで座り込んだ。


店長は先ほど襲われた恐怖からか、放心して何やらブツブツと独り言を繰り返し、男性従業員達はモップやら箒を片手に、震えながら閉ざされた入口と窓の外を睨みつけ、女性従業員達は一箇所に固まって、ただ脅えて泣くばかり。


キリストだろうがヒンドゥーだろうが何でもいい。何でもいいから、こんな時こそ神様の出番じゃないのか。まぁ、今更縋る気なんてさらさらないけど。

もし生きて逃げ延びることができたら、神様を信望する連中の言い訳の一言でも聞いてみたい気がする。

……我ながら、実にくだらないことを考えていたときだった――


「も……もう我慢の限界だっ!!」


突然の叫び声に、店長を除いた店内の全員が身を強張らせる。

声の主は渡部(わたべ)だった。

我慢が限界なのはわかったけど、これからいったい何をやらかす気なのか。


「どうせここにいたってみんな喰われてお終いだ!!だったら、そうなる前に俺は逃げるッ!」


そう喚き散らして、入り口のバリケードを崩そうとする渡部を周りにいた男連中が慌てて取り押さえた。


「離せ!!離せよ!?俺はこんなところで死にたくないッ!!」

「テメェがバリケードを破ったせいで、"あいつら"が押し寄せてきたらどうするんだよ!?」

「知るかっ!!自分らで何とかしろよ!!……くそっ!寄って集って邪魔しやがって、屑共が!!」


暴れる渡部を囲むように、5人の従業員が必死になってバリケードを守る。


そりゃ必死にもなるわよね。あいつがバリケード崩したせいで屍達が店内に押し寄せてきたら、裏口から逃げるしかなくなるんだから。

そうなれば車を持っている私はともかく、自転車や徒歩で店まできた連中が無事に生き延びられる保障なんてどこにもない。


「くそっ!くそっ!!」


バリケード突破は不可能と判断した渡部は、店中を見回して脱出口を探しているようだった。

人間はパニクると目の前の光景しか見えなくなるというけれど、どうやら本当らしい。

つーか、ここから逃げろって言われたときに、まっ先に立て篭もろうって提案したのアンタじゃん。


「そんなに逃げたいたら、裏口から逃げれば?」

「う、裏口?……そうかっ!」


私がそう助言すると、渡部はハッとしたように呟いた。

それから、知的な瞳からは程遠い目付きで私の身体を嘗めるように見つめてくる。その口元は下卑た笑みを薄らと浮かべていた。

……嫌な予感がする。


「なぁ、柏木。俺と一緒に逃げないか?」


ほらね……。

誰かと一緒に逃げるのは賛成だけど、アンタor店長と一緒になるのだけはご免よ。


「悪いけど、他を当たって。私はここに残るから」

「そうツレないこと言うなって。今ならまだここから抜け出せる。俺が守ってやるからさ!」

「生憎だけど、私はまだ店内から逃げるつもりはないの。それに、綾乃のお兄さんならともかく、ヘタレなアンタが私を守り抜けるとは思えないし」

「くっ……!」

「私みたいな足手纏いは放って、さっさと自分だけで逃げなさいな」


渡部は顔を茹で蛸のように真っ赤にして黙った。

どうやら、奴のチンケなプライドを傷つけてしまったようだ。


「…………どうせみんな死ぬんだ。それなら――」


途端に赤くなった顔色を元に戻し、何やら冷静になったと思いきや、渡部は踵を返して何故かキッチンに向かっていった。


脱出の際の保険として、包丁の一つや二つでも確保するつもりなのかしら。


すると、渡部がキッチンから戻ってきた。予想通り、右手に包丁を携えて。


しかし――


「ここに残るお前らはみんな死ぬんだ。それなら"あいつら"がアンタを楽しむ前に、まず俺が楽しんでやるよ。脱出はその後だ」


涎を垂らしながら私に詰め寄ってくる渡部の姿に、周囲が息を呑んだ。

右手に持った包丁を見せ付けるようにして私に向けてくる……あのね、包丁は人に向ける物じゃないのよ?ゲス。


「ホントは綾乃で楽しみたかったんだが、この際だしな。我慢してや――」


クソ野郎が言い終わる前に、私は椅子の影に隠していた消火器の栓を抜いた。

そして、遠慮なくホースの先を身の程知らずのバカに向ける。


――ブシューーーーッ!!


勢いよく噴き出される白い煙に、渡部が怯んだ。


「ううっ!?ゲホゲホッ!!こ、この……」


苦しそうに咽る渡部を冷やかな眼差しで見つめつつ、私はホースの先を握って、フルスイングで消化器を振り回した。


――ゴインッ!!


鈍い音と感触が手に伝わり、渡部が崩れ落ちるようにして倒れた。

それから、一部分が凹んだ消火器を放り捨てて、白目を剥いた渡部の股間を思い切り蹴り付ける。


『うっ!?』


男性従業員達から短い悲鳴のようなモノが聞こえたが、気にしないことにしよう。


「アンタみたいなイ〇ポ野郎に犯されるくらいなら、化け物の前で自慰ってる方が10倍マシだっつーの!」


口から泡を吹いて昏倒している渡部に向けて、右手の中指を上に突き立て――ようとしたときだった。


――ガシャーンッ!!


屍達の圧力に屈した窓ガラスが盛大に割れた。そして、遮光ウィンドウを引き裂くように……。


『ヴあぁぁ……』


大量の……動く屍達……が……。


「わああああッ!!?」


誰かの悲鳴で我に返った私は、一目散に裏口を目指して駆けた。


「ギャアアアアッ!!」

「イヤァァァァッッ!!?」


後ろから聞こえる絶叫が、私から冷静さを奪っていく。

震える手で裏口の扉を開けて、蹴破るようにして駐車場に出た。


「――ヒッ!?」


目の前に――全身血だらけの――男の人が――


『アァァァ……ッ』

「――ッ!?」


肩に噛み付かれたところで、私は全身の力を使って男の人を押し飛ばした。

そのままよろよろと体勢を崩している隙に、一気に自分の車目掛けて走る。

辺りをウロウロと彷徨っている亡者達の脇を駆け抜けながら、ポケットからキーを取り出して、車に向けてボタンを押した。

ガシャッと運転席のドアの鍵が開いたことを知らせてくれる。この時ほどリモコン式のキーで良かったと思ったことはない。


「ハァッハァッ……」


車内に飛び込んだ私は、乱れた息を整えることもせずにキーを刺してエンジンを掛けようとするが、手がこれ以上ないくらい震えるせいで上手く刺さってくれない。


「なんでよッ!?」


いつもならもう車を出していてもおかしくないのに、未だにキーすら刺せていないことに苛立ち、焦りを覚える。

噛まれた肩が異常に熱い。どうやら熱を持ち始めたようだ。早いうちに消毒しないと……。


『ヴああぁぁ……』

「うわあぁぁぁッ!!?」


唐突に悲鳴が聞こえ、その先に視線を向けてみると、裏口から飛び出してきた渡部が屍達に集られていた。

そして、身体を次々と噛み千切られていく中で、車の中にいる私と目が合う。

私に向けて伸ばされる手。

轟く絶叫。

さらに集まってくる屍達。


そして――


悲鳴が聞こえなくなり、屍達の間から辛うじて伸ばされていた手が……地面に落ちた。


「うううぅぅぁあああぁぁ〇×□@△〒☆§±――ッッ!!!」


最早、自分が何を叫んでいるかも自覚できない。

キー差し込み口の金属部分を出鱈目に傷付けながらも、必死になってキーを差し込もうと粘る。


「やった!!」


やっとのことでキーが刺さり、私はエンジンキーを右に捻った。

快調な駆動音を鳴らし、ホラー映画のようなエンストを起こすこともなく車のエンジンが始動する。


「は、早く逃げないと……!」


エンジン音に気付いた屍達が、弱々しい足取りでこちらに近づいてくる。

慌ててアクセルを踏み、車を発進させた。

進路上を塞ぐようにして立っている"奴ら"を躊躇いなく轢き殺しながら、私は何とか焼き肉店の敷地から逃げ出すことができた。


「ふぅー……ふぅー……」


熱を持つ肩の影響を受けたかのように、私の口からも熱い吐息が漏れる。

この描写がエロい状況に繋がるのなら私も大歓迎だけど……って、現実逃避してる場合じゃない。

みんなはどうなってしまったのだろう……考えるまでもないかな。

結構長い時間駐車場にいたけど、結局裏口から出てきたのは渡部だけだったし。

それにしても、何だか凄く傷口が痒い。文字通り"腐った"連中に噛み付かれたからなぁ……きっと細菌が入り込んだのね。

手当てできそうな場所を探さないと……。


『こちらは○○市役所です!現在、自衛隊と警察が市役所周辺にバリケードを築いています!生存者の皆さんは、何とか市役所まで逃げてきてください!お願いします!何とか、何とか、ここまで生きて辿り着いてください!!』

「――放送!?生存者がいるのっ!?」


胸の内に抑えきれない歓喜が沸き起こった。


市役所への道は勿論把握している。私自身も車に乗ってるし、これならほぼ確実に生きて辿り着ける。

もしかしたら、綾乃とお兄さんにも会えるかもしれない。

そしたら、思いっきり抱きしめてから、二人をからかって遊んでやるんだ。


先ほどまで心を支配していた絶望と恐怖はどこかへ吹き飛んでいた――吹き飛んでいたのに。


「――ッ!?」


まるで発作を起こしたかのように、突然全身が痒くなった。

車を運転するどころの話ではない。

着用していた服を破り捨てるようにしながら、両手で全身を掻き毟る。


「痒い痒い痒い痒いかゆいかゆいかゆいかゆいカユイカユイカユイカユイ……」


思わずリキんでシまう あしがアクせルペダる をつよくふみ つけル。

とめら  れナイ。トマ ラなイ。

カユみ もと  めラ   れなイ。と  ま りソ   もナい。

あれ?これ……オ   にく?ヤダゆ    びまっ    か。チと    まラな      い。

ダレ、タスけテ。こ       わ、       こワイ。


――オ      と、ば     くは     ツ、          し       た。

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