宛先:××× 件名:物語のお終い
◆◆ エピローグ ◆◆
ここは都心の一等地に建てられたとある高級マンションの一角。
そこには、先のバイオハザードで家屋や財産を失った人々が住んでいる。
国から無償で提供されている仮の住まいだ。
――あの悲劇から一週間が過ぎた。
GWは終わり、人々は時間に追われるように普段の営みを再開していた。
ニュースではGW中に起きた悲劇を【ゴールデンウィークがみせた悪夢】という題名のもと、連日連夜報道され続けている。
事件に関わった者は、自衛官だろうが警察官だろうが――すべてを失った被害者の一般市民であろうが、分け隔てなくマスコミの餌食にされていた。
――マンションのとある一室。
「……」
黒皮のソファーに座り、付けっぱなしのテレビを無気力に眺める一人の女性がいた。
艶やかで癖のない美しい黒髪、非の打ち所のない黄金率で整えられた顔立ち、バツグンのプロポーションを誇っているものの――その瞳は曇り、何かを映しているようで、実は何も映していない。
死んだ魚のような目つきのせいで、せっかくの容姿が台無しになっていた。
生気のない絶世の美女の正体は、あのバイオハザードを無事に生き残った綾乃だ。
――ブーッ……ブーッ……
ガラステーブルに置かれていた携帯電話が、バイブレーションのおかげで耳障りな音を奏でる。
ここ数日間は友人達からの電話やメール、さらにはどこから番号を入手したのか、テレビ関係者からの電話が引っ切り無しにかかってきていた。
綾乃は携帯の表示に目を向けた。
相手は、大学のサークルで半ば無理矢理に電話番号を交換させられた男性の先輩からだった。
綾乃がこのマンションに居ついてからというもの、ニュースで騒ぎを知ったらしく一時間に一回は電話をかけてくる。
――鬱陶しい……。
あまりのしつこさにいい加減疲れてきた綾乃は、仕方なく電話にでた。
「もしも――」
『綾乃かい!?どうして今まで電話に出てくれなかったんだ!心配してたんだよ――』
こっちの話も聞かずにゴチャゴチャとマシンガントークを繰り広げる電話の相手。
――馴れ馴れしい奴……。
呼び捨てにされたことで、不機嫌さが募った。
大して親しくもないのにいつの間にか呼び捨てにされていたことについて、綾乃はこれまで何とも思ったことがなかったのだが――。
――いい加減、ウザい。
『大丈夫、僕が傍にいるよ。君が失ってしまったものは、僕が取り戻してあげるから――』
失ってしまったもの――そう聞いた瞬間に、綾乃の無表情が怒りとも悲しみとも取れない感情に塗りつぶされていく。
「なら……取り返してきてください……」
『え?』
それを意識した瞬間には、もう、止められなくなっていた。
「私の……生き別れた兄を……取り返してください……」
『そ……それは……』
途端に、電話先の相手の声が小さくなっていく。
――ほらね。テキトーなことばかり言って、私の気を引こうとして……。
クダラナイ。
「出来もしないことは言わないほうがいいですよ。あと、呼び捨てはやめてもらえますか?不快です。では、もう電話してこないでくださいね。ウザいので。それでは」
『待っ――』
プツっと、綾乃は携帯の電源を切る。
「もう……どうでもいい……」
綾乃はポツリと零した涙を隠すように、膝を抱えて蹲った。
――世界史上最低最悪の災害がもたらした人的被害と経済的被害は計り知れないものがあった。
今、政府は国内外の波紋を沈静化するために躍起なって働いている。
まぁ、あんな悪夢のような出来事が現実で起こってしまえばそれも当然だろう。
被害者に手当てが施されるのは、当分先の話になるかもしれない。
とはいっても、それを納得させるために、被害者には無償で色々と利便性の高い一等地の高級マンションに住まわせているのだ。
それに、ある程度の保証金は出ているし、文句を言う人間は誰もいない。
たとえ、一生癒えない傷がその心に残されているとしても。
――ピンポーン!ピンポーン!
唐突にインターホンが二回鳴った。
「――ッ!?」
突然の来訪者に、思わず綾乃は脅える。
このマンションには、不審人物やマスコミ記者の侵入を防ぐため、オートロックの自動ドアが一階ロビー前に設けられている。
マンション内に入るには、まず自動ドア前に設置されたインターホンに用がある部屋の番号を入力し、住民に用件を伝えた後でオートロックを解除してもらわなくてはならない。
その際にインターホンは、一回だけしかならないのだが――。
――二回鳴った!?
インターホンが二回鳴った場合、それは既に玄関前までその人物が来ていることを表す。
宅配業者やその他の者であれば、まずはオートロックを解除してもらう必要があるため、その線は消える。
相手が家族であれば、わざわざインターホンを鳴らす必要はない。
つまり、この来訪者は――そのことを知る術を持たない者かもしれないということだ。
よくよく考えれば一階ロビーのオートロックを潜り抜ける術などいくらでもあるのだが、綾乃はそんなことなど考えもしなかった。
飛びつくようにインターホンの受話器を取る。
「はい!どちら様ですか!?」
「……」
本来なら、モニターに相手の姿が映るはずなのだが……故障してしまったのか、画面は黒く染まったままだった。
「あの……モニターが故障してしまったみたいで、姿が映らないんです。どなたでしょうか?」
「蓮杖 晋様の死亡通知をお届けにきました」
「――え……?」
何を言われたのか、理解することができなかった。
「お気の毒ですが……貴方様のご家族であらせられるお方のお亡くなりを知らせるお手紙を預かっております」
「……嘘……そんなの……嘘です!」
「……お悔やみ申し上げます」
――ガタンッ!
受話器を落とした綾乃は、呆然とその場に立ち尽くした。
目の前の風景が真っ黒に染まっていく。
それと取って代わるように、綾乃の脳裏に一週間前の光景がフラッシュバックした。
命を賭けた逃亡劇。
広く逞しい背中。
静かな鼓動に、温かい胸。
強気な笑みに、安らかな寝顔……。
そして――
輸送ヘリのハッチに遮られる間際にみせた、柔らかい微笑。
『私が助かったのは――あの日、彼が私に輸送ヘリのスペースを譲ってくれたおかげです』
『その青年は、今現在安否の確認がとれていないということですが、無事なのでしょうか?』
『それはわかりません……でも、私は彼が生きていると信じています』
ふと、テレビが気になることを言っていた。
どうやら、あのバイオハザードの生き残りである男性が、自分の身に起こった出来事を語っているらしい。
――どこかで見たことあるような……。
しかし、空虚な心が思考を阻害する。
綾乃はしばらく呆然と立ち尽くした。
◆◆◆
どのくらい待たせてしまっただろう。
外の人、困ってるだろうな。
早く玄関に行って、手紙貰ってあげなくちゃ。
そしたら、お兄ちゃんを迎えにいこう。
きっと、あの場所で待っているに違いない。
あの日……私とお兄ちゃんを切り離したあの場所で待っているに違いない。
私のことをずっと待っているに違いない。
ズットマッテイルニチガイナイ。
綾乃の心は壊れかけていた。
だが、当の本人はそんなことなど露知らず、とてとてとスリッパを鳴らして玄関に向かう。
そして、扉を開けた。
「お待たせしてしまってごめんなさい」
果たして扉の先に待っていたのは――黒いスーツ姿の、いかにも役人風情な男だった。
「こちらが通知になります」
「はい。わざわざありがとうございました」
明らかに綾乃が正常ではないことを悟った男は、気まずげに視線を逸らした。
「あの……どうかお気を確かに……」
「はい?何か仰いましたか?」
「いえ……失礼しました。それでは――」
男が踵を返す。
綾乃が扉を閉めようとする。
――綾乃の心が、修復不可能なまでに破壊される運命のカウントダウンが始まった。
3
エレベーターが到着する。
2
エレベーターの扉が開く。
1
見覚えのある黒いジャケットを着た青年が飛び出してくる。
0
――バタン
終焉を告げる扉が、完全に閉じられる。
この瞬間、現実を受け入れることが出来なくなっていた綾乃は、自らの心を完全に破壊した。
残酷な現実から永遠に逃げ続けるために。
――巻き戻し。
1
見覚えのある黒いジャケットを着た青年が飛び出してくる。
「くそっ!間に合わなかったか!!」――0
扉が完全に閉まる寸前で、綾乃の手が止まった。
聞き覚えのある声がしたからだ。
通知を届けた男性は一瞬だけ怪訝な表情を見せたが、事情を把握したのかそのままエレベーターに乗って姿を消した。
だが、そんな光景など綾乃の目には一切映っていない。
「――お兄……ちゃん?」
……ずっと待ち焦がれていた青年の声。
……心が壊れてしまいそうになるくらい、想いを寄せた相手の声。
それが今、目の前にいる。
「ゴメンな、綾乃。死亡通知なんて受け取らせちゃって……ビックリしただろ?」
「………………」
「ちょっとした手違いがあってさ。いつの間にか死んだことにされてたんだよ。いやぁ、ビックリだね」
「………………」
「とはいっても、本当に危なかったんだけどな。危うく――って、どうした?」
何時までもポカンとしたままの妹の姿に、晋は怪訝な顔をみせる。
顔の前で手を振ってみたり、頬をみょーんと引っ張ってみても反応がない。
「おーい……綾乃?」
「………………」
――ガバッ!
綾乃は無言で晋に抱きついた。
その表情は影になっていて、よくみえない。
「お……おい、どうしたんだよ?」
てっきり泣いて出迎えてくれるものだとばかり思っていた晋は、予想とは大分違う妹の反応に戸惑いを隠せなかった。
しかし、そんなことなどお構いなしに無言で抱きついていた綾乃は蚊の鳴くような声で何かを呟く。
「…………と思った」
「え?」
「死んじゃったのかと思った……だから……迎えにいかなきゃって……」
「迎えにって……お前……何言って……」
ここで初めて、綾乃がどれほど危険な状態にあったのか晋は理解した。
もし、あとコンマ数秒でも遅かったりしたら、一生取り返しのつかない事態に発展していただろう。
――まさか、あの扉が閉まっていたら……アウトだったかもしれないのか……?
命よりも大切な妹が壊れかけていたと知って、晋は背筋が凍りつかせる。
「この……バカたれが……ッ」
晋はありったけの想いを込めて綾乃を抱きしめた。
「俺は……ここにいるよ……」
綾乃の瞳が見開かれる。
「お兄ちゃん……」
「前に、お前が俺に言った台詞だ。まさか、忘れたワケじゃないよな?」
「あ……う……うぅ……」
晋は妹の額に自分の額をくっつけて、そっと呟いた。
綾乃はようやく現実を受け入れることができたのか、どんどんその瞳に涙を溜めていく。
「お……おか……おかえりなさい……ッ」
「ん、ただいま」
言うべきことはそれだけ。
しかし、ずっと言いたかった一言。
その一言を力の限りを振り絞って声に出した綾乃は、今度こそ愛しい兄の胸で、心ゆくまで泣いた。
地獄を生き残った二人の兄妹に、ようやく平穏の二文字が送り届けられた瞬間だった。
◆◆◆
――晋と綾乃がいるマンションから少し離れた超高層ビルの屋上で。
どこかで見たことがある少年が、双眼鏡を左手に何やら携帯電話で誰かと連絡を取っている。
『目標は妹と接触しました』
『奴は使えそうなのか?』
『僕の見立てでは、恐らくダイヤの原石かと』
『ふむ……よかろう。引き続き監視を続行しろ。結果が決まり次第、追って連絡する』
『了解』
パタンと携帯電話を閉じた少年は、そっと不気味な笑みを浮かべた。
――END
これを持ちまして、THE RED MOONの連載を終了させていただきます。
こんな駄文を最後まで読んでくださった読者の皆様に、最上の感謝を申し上げます。




