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THE RED MOON  作者: 紅い布
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宛先:読者様 件名:今はまだ平和です

◆◆ PM 13:13 ◆◆


ここはとある大手焼肉チェーン店。

広い店内には店長とバイトの従業員が黙々と自らの作業を進めている。

客はまだ一人もいない。

その寂しすぎる風景に、思わずどこかで閑古鳥が鳴いているんじゃないかという錯覚を抱いてしまいそうだ。

大きなガラス張りの店内には陽光がおしげもなく降り注ぎ、それがまた一際客足の無さを強調しているかのようで、表現しがたい哀愁を感じさせる。

ただ、この店は決して繁盛していないワケではない。

店舗が最寄駅からかなり離れているため、平日のお昼時はほとんど客が来ないのだ。

まぁ、平日の昼間から焼肉を食らうというのも常識的にどうかと思うし、客足が途絶えてしまうのも仕方ないだろう。

なので、この時間帯に働いている従業員の大抵は、自分にできる仕事をやりつくしてしまい、暇を持て余すのが通例となっている。

しかし、今日はゴールデンウィーク初日。

お昼時でもある程度の客が来ると予想していた店長は「なんで客が一人も来ないんだ?」と、ひたすら首を傾げていた。

別に、焼肉店だからといって焼肉しか出していないワケではない。ちゃんとある程度の常識的なお昼メニューは用意してあるのだ。


「ちょっと失礼しますね」


そんな店長の横を一人の若い女性従業員が、バケツと雑巾を持って通り過ぎる。

今年の春に大学への入学を果たしたばかりである蓮杖綾乃(れんじょうあやの)だ。

プロポーションが良く、絶世の美女と評して差し支えない整った顔立ちをしている。

そんな彼女の性格は、大人しいが社交的で、仕事に関しては細かなことまでしっかりとやり通す。人を気遣う優しさを持ち合わせた女性であり、入学した大学では早速多くの男子生徒から目を付けられている。

本人は知らないが、ファンクラブまで設立されているほどの人気を博しているというのは、大学内では周知の事実だ。

さて、この綾乃だが、彼女は2年程前からこの焼肉店で働いている。店内でもそこそこ古株に入る人材だ。

その頃から彼女を見るのが目的で店を訪れる客が激増した(客だけでなく、男性の従業員も増えた)。

駅前でないにも関らず、この店が他の駅前店舗の売り上げすら凌駕しているのは、紛れも無く彼女の功績だ。


「〜♪〜♪♪」


本人の知らぬところで多くの人を魅了する綾乃は、一人だけ上機嫌に働いている。

店長や他の従業員の目も憚らずに、鼻歌まで歌いながらテーブルを雑巾で拭いていた。

本人が自覚ナシに浮かべる微笑は、まさしく百万ドルの笑顔とでもいうべきか。


「随分と機嫌がいいじゃない?何かいいことでもあったの?」


男性従業員が熱っぽく綾乃を見つめるなか、彼女と仲がいいベテラン女性従業員である柏木(かしわぎ)が苦笑しながら近づいてきた。


「え?なんでわかったんですか?」

「そりゃあね……営業用じゃない素のスマイルを意味も無く垂れ流してるアンタを見れば、誰でもわかるって」

「――?私、笑ってましたか?」

「ちょっ!?鼻歌まで歌ってたじゃない!?」


首を傾げる綾乃に、呆れたように柏木は額を押さえた。


「自覚なしですか……。まぁ、それはいいとして。で、実際何があったの?男関連?」


よほど暇を持て余していたらしく、柏木は勤務時間中にも関わらず完全に休憩モードに突入している。

そんな柏木を快く思わない店長を含め、男女問わず周囲の従業員全員が聞き耳をたてるなか、綾乃は笑顔で頷いた。


その瞬間、


「ンノオオォォゥッッ!!!」


男達の悲鳴とも咆哮とも判別つかない魂の叫びが木霊した――その中には店長も含まれているのだから救われない。

吃驚して思わず喉の奥で悲鳴をあげてしまった綾乃は、周囲の男性従業員を心配そうにみつめた。


「皆どうしたのかな?」

「さぁ?持病の発作かなんかじゃない?それよりさ!」


しれっとした態度から一変して、目をキラキラと輝かせる柏木。


「男って彼氏?彼氏なんでしょ!?どんな男?カッコイイ!?」


再び静かになる店内。どうやら、皆が気になるようだ。


「え――あ、あはは。違うの」

「違うって?」

「彼氏とかじゃなくて。今日、兄が家に帰ってくるの」

「あ、そうなんだ」


絶望から一転、ホッと息つく男性従業員達。

なかには手を組んで神様に感謝の祈りを捧げている者もいる――店長もその一人だ。

上機嫌の理由が兄の帰郷だと知って心から安心したらしい。

もう二人の会話の内容に興味が無くなったのか、聞き耳をたてていた従業員達は速やかに自らの持ち場に散っていった。


そんな同僚達を冷たい目で睥睨しながら、柏木は話を続けた。


「で、どんなお兄さんなの?」

「血は繋がってないんだけどね、とても強くて優しくて、私にとって憧れの――」

「………………」


嬉しそうに兄のことを語る綾乃に対し、柏木は彼女が宿すその瞳の色がなんであるのかを察して無言になった。


「綾乃……今のあなたの表情……それ、私の友達が自分の恋人を自慢しているときの顔にそっくりよ」

「――っ!?」


柏木の思わぬ台詞に、綾乃は自分でもおかしいと思うくらいに硬直してしまう。

その様子をみて、からかい好きである柏木の嗜虐心が刺激されたのは言うまでもない。


「あなた、お兄さんのことが異性として好きなんでしょ?」

「えっ!?突然何言い出すの!?そ……そんなことあるワケ……」

「あ、違うの?なぁんだ。じゃあ、綾乃はお兄さんのことを"あくまで妹として慕っている"だけなのね?」

「そ……そうです!……そうに決まってるでしょ!……うぅっ」


綾乃は目に涙を溜めながら、上目遣いで柏木を睨む。

もし、綾乃のファンクラブ会員が見たら「萌えーーーッッ!!!!」とか叫びながら悶え死にかねない。


――嘘のつけない子ねぇ。

そう思った柏木はからかうのをやめると、


「自分の中にあるその想いがなんなのか、早く自覚したほうがいいよ。あなたのステキなお兄さんが誰かに獲られる前に、ね?」


真っ赤になって俯いている綾乃の頭にポンっと手を置いた。


――平和な日常風景の一コマ。


だが――そんな尊い平和が、今この瞬間にも砂上の楼閣のように徐々に崩れ去りつつあることを、二人は知る由もなかった。


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