ミニチュア・ガーデン
はじめての気持ちを覚えてる。
血が沸騰してしまうんじゃないかってくらい体が熱くなって、心臓が弾け飛ぶんじゃないかってくらいどきどきしたんだ。
あれはまだ僕が小学生になったばかりの頃だった。
人懐っこい野良猫が帰り道にある公園に住み着いててこっそり友達と餌をあげたりしてたんだけど、ある日突然車に轢かれて死んじゃった。
たまたま現場に居合わせた僕は野良猫に駆け寄って泣いたよ。それはもう大泣きだった。野次馬の目なんか気にせずわんわん泣いた。
今でも思い出すと胸のあたりが重くなっちゃうかな。
だって、僕の腕に抱かれた野良猫のとても愛らしかった顔は轢かれて潰れて真っ赤な肉の塊になっていたんだ。ぐちゃぐちゃだった。ショックだった。悲しかった。苦しかった。
はじめて直面した『死』があまりにも強烈で、死体から目が離せなかった。
どきどき。
したんだ。
◇
はじめは蛙だった。
理科室で飼ってたうちの一匹が弱ってて、先生ももう元気にはならないだろうって呟いてた子。
掬い上げると僕の両手から逃げようともがいてはいたけど、その両足に力は籠っていなかった。
親指と人差し指で平たい喉元をつまんで力を込める。
暴れだしたりするんじゃないかと思ってちょっと身構えていたけどそんな心配はいらなかった。蛙は痙攣したみたいにぴくぴくと動くだけで、おとなしく僕に喉元を潰されていく。
親指に蛙の小さな脈がとくんとくんと当たってくすぐったかった。
時間をかけてゆっくりゆっくり締め上げると、短いしゃっくりみたいな呼吸の間隔が長く開いていって、遂に動かなくなった。
片足を摘まんで蛙を逆さまに吊るすように持ち上げてみても何の反応もしない。
見開いた瞳を指でつついてみても瞬きひとつしない。
死んでいるのだから当然だと分かっていて、さっきまで生きて動いていたのだから、その変化は僕の幼心を刺激するには十分だった。
どきどきする。
野良猫の死体を見た時に感じた高揚感と同じものだと明確に実感する。
そう、僕はもう一度これを味わいたかったのだ。
強烈で、鮮烈で、激烈。
こんな興奮一度知ってしまえば求めずにはいられない。
嗚呼。でもこんな事いけない。
いきものをこんな自分勝手に殺めちゃいけない。
そう自分を律していても、我慢すれば我慢する程身体が疼いて仕方がなかった。
もう一度味わいたい。
もう一度感じたい。
もう一度欲しい。
もう一度。
そんな事ばかりが寝ても覚めても頭から離れない。思春期男子の方がもっとまともな事考えてるだろう。
それでもいきものを殺すなんて犯罪だ。僕は高校生。まだ人生先は長い。
動物虐待からの有罪判決そして人生終了なんてリスクを背負ってまで一時の悦楽を貪る訳にはいかない。
そう自分に言い聞かせながら僕は清らかに育った。
青い春を謳歌していたそんなある日、学校からの帰り道、羽を怪我して飛べず道路の上で転げまわっている雀を見つけた。
気が付けば僕は雀を拾い上げて自宅に連れ込んでいた。
倉庫から虫籠を引っ張り出して雀を入れる。
羽ばたこうともがく度透明なケースの壁に身体をぶつけて力なく鳴く。
弱々しくなっていく。
衰えていく。
そうして、雀は眠るように静かに息を引き取った。
僕はその様子を片時も目を離さずにじっくり味わうようにずっと眺めていた。
数年ぶりに対面したいきものの死は他のどんな娯楽から得られる悦楽よりも甘美で刺激的だった。
ああ、もう。
さようなら。清らかだった僕。
教室で飼っていた金魚を殺した。
学校で飼育していた兎を殺した。
間隔を開けてもう一羽、もう一羽と手をかけていたらさすがに学校側が怪しみはじめたので学校の中から選ぶのはやめた。
幸い都心に住んでいても餌を求めて山から降りて来る動物は多い。
野生の狸とか。
野良猫とか
飼ってた犬とか。
でも、まだ。
まだ足りない。
もっと。
もっと。
もっと。
そうして。
とある日の夜、僕は道端で横たわる君を見つけた。
◇
「ッざっけんなクソガキ!!」
リビングに怒声が響く。
身体の内側で煮えたぎる怒りという感情を腹の底から吐き出したような怒号を向けられた僕はたまらず震えあがって部屋の隅へと逃げて縮こまる。
声の主は僕がさっき道端で横たわっていたところを見つけて家に運んだおにーさん。
上着ポケットに入っていた学生証によるとこの付近に在る大学に通う学生さんらしい。
何か揉め事に巻き込まれたのか、僕が道端で横たわるおにーさんを見つけた時にはなんと腹部に深々と刃物で刺されたような傷があった。物騒な世の中になったものだ。
出血は止まる気配がなくっておにーさんは意識朦朧、僕の呼びかけには応じず苦しそうな呻き声が時々漏れるだけ。放っておけばいい感じに死んでくれそうだと思った。
思ったんだけど。
突然意識を取り戻したおにーさんはいい感じに死んでくれるどころか僕に気付くやいなや僕の腹を思い切り蹴り飛ばした。
さっきまでぐったりとしていたおにーさんはどこに。
リビングに寝かせていたおにーさんが勢いよく立ち上がり僕の方へと近づこうとしたがふらりと力が抜けたように膝からその場に落ちた。もしかして出血のし過ぎ?ラッキー!
「…おい」
「はひ…!」
胸を撫で下ろせたのは一瞬だった。
おにーさんはまるで地の底から響いてくるような恐ろしい声を絞り出し僕を睨め上げる。
鬼のような形相をしているおにーさんは怖い。とんでもなく怖い。
「この手錠は、なんのつもりだ」
おにーさんは死にかけているように見えたけれど万が一に備えて後ろに組ませた手に手錠をかけてある。
目を覚まして即僕のお腹に一発ぶちこむような凶暴なおにーさんだったんだから英断だった。油断しなかった僕偉い。
本当はもうちょっと拘束しとこうと思ったけれどその前に目を覚まされてしまったのだった。
「外せ」
「無理」
答えるやいなや僕めがけてテレビのリモコンが勢いよく飛んで来た。
おにーさんが傍らに落ちていたリモコンを僕めがけて蹴り飛ばしたのだ。咄嗟に避けたから僕に当たりはしなかったもののリモコンは壁に当たって砕けた。
「あわわ」
「お前ふざけるのも大概にしろよ…」
おにーさんが歯を食いしばりながらふらふらと立ち上がる。
「無理しちゃ駄目だよ!おとなしく死んでよ!」
「は?」
「間違えましたおとなしく横になっててよ!」
眉間に皺を寄せながら覚束ない足取りでおにーさんが僕との距離を詰めようとするので僕は後ずさる。
「おにーさん怪我してるでしょ!動いたら傷に響くよ、無理したら駄目だよ!」
「怪我人に手錠かけるような奴が何言ってやがる…、今なら前歯で許してやるからさっさと外せ」
「前歯って何?!」
折る気だ!
この凶暴なおにーさんがはったりを口にするとは思えない。寧ろ優しめに言ってるのでは?前歯とは言わず歯を全部砕く気なのでは?ありえる!
「おいコラ逃げるな!!」
身の危険を察知した僕は素早くリビングから廊下へと逃げる。
すぐに家の外に出て行かれるかもと焦ったが、おにーさんは頭に血が昇っているようで僕を追って来た。よかった!僕へ向けられる罵声が心に痛いけど!
素早く階段下の収納スペースに身を顰める。
「何処に隠れやがったクソガキ!!」
扉を蹴り飛ばす音が聞こえる。
幸い僕が何処に身を隠したのかまではバレていないようで、どうやらおにーさんは扉を蹴り飛ばして端の部屋から中に僕がいないか探しているようだ。
しかしこのまま身を潜めているばかりではいけない。
運良く滑って転んで頭打ってくれたりしないかな。しないか。
でもなんとか隙を見つけて落ち着いてもらわないと。
折角死にかけている人間を家に連れ込めたのだ。
きっとこんなチャンス二度とない。
絶対逃がしたくない。
でも。
僕、人間は殺せないと思うんだ。だって人間だよ。怖いよ怖過ぎる。
刃物で刺す?鈍器で殴る?紐状の物で首を絞める?無理無理そんな事できっこない。
人間を殺す。
そんな恐ろしい事とても出来ない。
だから僕が手をつけなくても出血多量で今にも死にそうだったおにーさんは理想的だったんだけど…
僕が隠れている収納庫には気付かず素通りして、一番奥の部屋を蹴り飛ばして開ける。
ん、一番奥の部屋?
ああ。
その部屋は。
僕は静かに収納庫から抜け出す。おにーさんは部屋の中を見つめたまま固まっていた。
僕の足音でおにーさんが振り返る。
さっきまでの鬼のように起こった表情とはまた違う、眉間に皺を寄せ苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「素敵でしょ」
「変態かよ」
おにーさんの口元が引きつる。
その部屋はこれまで殺した動物たちの死体を大事に綺麗に保管してある僕の部屋。
大きい死体は分けて。瓶に詰めて。本棚に並ぶホルマリン漬けは自慢のコレクションだ。
死体って。
とてもどきどきするんだ。
度胆を抜かれたおにーさんに駆け寄って、収納庫に仕舞っておいたスタンガンを傷口にあてがう。
おにーさんが僕を振り払うよりも僕がスタンガンのスイッチをいれる方が先だった。
人間の死体なんて見た事がない。
だからとても楽しみなんだ。
きっとこれまで味わった事のないどきどきを感じる事が出来るよ。
なんてたのしみなんだろう!