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微笑せよ、さすれば鼻毛がいずるやもしれぬ

作者: kuga

 アンニュイな天気だった。

 

 かと言って、暗雲立ちこめるというわけではなかった。

 

 素直に表現するならば、恐らくアレは快晴である。

 

 しかし、彼女にとってすれば曇天。

 

 どれだけ青かろうと赤かろうと、あるいは金色だろうと、彼女の目にはどんよりとした空模様だった。

 

 彼女は、頭上から目を離せずにいる。

 

 そんなに見つめて何を考えているのか。

 

 答えはとても簡単だった。

 

 つまるところ、生きるってなんだろうという事だ。

 

 彼女はとても誠実な人間であるため、常に正直に生きてきた。

 

 しかし、あろうことか、そんな彼女の歩み方を否定する者が現れた。それすなわち恋人だ。

 

 心寄せてから数か月ほどの関係であるが、それでも彼女は彼のことを愛している。

 

 迸るような愛情を覚えてからは、やはり彼女は彼にも正直になろうと思った。

 

 彼女が、こんなに落ちこむきっかけとなったのは些細なこと。

 

 下手したら、鼻で笑われてしまう程度の内容だ。

 

 彼女は、彼に言った。

 

 鼻毛が出てると。

 

 それに対して彼は、出ていないと言い張った。

 

 しかし、誠実にして正直な彼女は、どうしても出ていると主張した。

 

 しばらく出た出ないの押し問答をした末に、彼は言った。

 

 お前だって鼻毛が出ている、と。

 

 彼女はそれを聞いて、かぁっと頬を赤らめた。

 

 鼻水ならまだしも、まさか自分の鼻から毛がはみ出ているとは予想だにしなかったのだ。

 

 慌てて、顔面を覆った。

 

 もう、居ても立っても居られず彼女は逃げだした。

 

 飛ぶようにして家へと向かい、帰宅し、鏡を見る。

 

 念入りに、念入りに、確認してみる。

 

 だが、ソレと思しきものは見当たらなかった。

 

 さては……騙したな。

 

 自分の恥を、私にも押しつけたんだ。

 

 そう理解した彼女は、彼に電話をかけた。

 

 どうして嘘ついたのと聞くと、彼はこう言った。

 

 嘘じゃない。本当さ。

 

 白を切るつもりなのかと聞けば、彼はこう言った。

 

 嘘だと思うなら、コレを確認しろ。

 

 プツンと電話が切れて、すぐにメールが届く。

 

 件名なし、本文なし。

 

 ただ、写真が添付されてあった。

 

 それを開いてみれば、何てことはない。

 

 仲良さげな男女が、肩を寄せ合っている姿が写真におさめられている。

 

 しかし、待てよと彼女は思った。

 

 この写真は、自分の鼻毛うんぬんの証拠なのではないかと。

 

 拡大に拡大を重ねて、彼女は自分の顔を確かめる。

 

 すると――あった。残念なことにあった。

 

 だらしなく垂れ下がった、黒い一筋が。

 

 彼女は、むせび泣いた。

 

 これでは彼を、騙したことになるではないか。

 

 彼女のモットーは、誠実、正直、素直の三拍子。

 

 けれど今この瞬間、それらは音もなく崩れ落ちてしまったのだ。

 

 もう、どうしていいか分からない。

 

 もう、どうしていいか分からない。

 

 そして今に至る。

 

 つまるところ、青空をボーっと見上げているのだ。

 

 彼女は思う。なんて、自分は不器用な人間なのだろうかと。

 

 たった一言、ごめんと言えば済む話。

 

 それなのに彼女は、ごめんのごの字も言えずにいる。

 

 確固たる信念がねじ曲がったとき、人は絶望をする。

 

 そんなことに気がついたのは、彼女が二十歳になった時のことだった。

 

 しかし、いつまでも、こうしているワケにはいかない。

 

 彼女はすぅーっと息を吸いこむと、目を閉じた。

 

 謝る。彼に謝ろう。そして鼻毛処理機を買おう。

 

 そう決意するや否や、彼女は勢いよく立ち上がった。

 

 まばらに生えた雑草を踏みつけ、歩く。

 

 ここは土手。悩める者が、最後の最後にたどりつく場所。

 

 彼女は、土手を抜ける。

 

 自宅を目指して歩いている。

 

 その途中、ズボンのポケットから携帯を取りだして。

 

「もしもし……あの、さっきはごめんなさい」


『いや、僕のほうこそ悪かった』


「ううん。あなたは、謝る必要なんてない」


『いや、違うんだ』


「えっ?」


『僕はね、良かれと思って、君の鼻毛について黙っていた。だってそうだろう? 彼女に、鼻毛うんたらを伝えるのは、男としてどうなのって話じゃないか』


「う、うん」


『でも、今日のことでよく分かった。君に、教えるべきだったんだ。たとえその真実が、君を傷つけてしまうとしても。言わなければいけない事が、あるんだってね』


「そっか」


『それからもう一つ。君に鼻毛を指摘されて、ついカッとなった。どうして黙っておいてくれないんだってさ』


「ご、ごめんなさい……」


『いやいや、別にいいんだ。大いに反省すべきなのは僕の方なんだから。素直に、受け止めるべきだったんだ。素直に、感謝するべきだったんだ。それなのに僕ときたら……』


「いいえ、それは違うわ」


『えっ?』


「人間、誰しも、素直になれないことだってある。私だって、あなたに謝ろうと思うまでに時間がかかった。つまり、さっきまで素直になれなかったのよ」


『なるほど……』


「でも、私たちはこうして素直になれた。ちゃんと謝れた。だからもう、後悔するのはやめましょう」


『ああ、まったくだ』


彼女がわずかに微笑すると、にゅっと鼻毛がでる。それはまるで、二人の仲直りを祝福しているようだった。


「それじゃあ、今からデートのやり直しをしましょう」


『そうだね。駅前広場に、十分後に集合』


「ええ、それじゃあ」


 ここで会話は終了する。


 彼女は携帯を、さも大事そうに抱きかかえて歩みを速める。

 

 その途中、不意に空を見上げてこう思うのだった。


 十分で、処理できるかしら。


 この大空が、彼女の目にどう映ったのかは、彼女のみが知ることだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いいセンスですね。いい気分で寝られそうです。
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