第4話 #1 試合前(1)
久瀬マリアこと久瀬昴流と碓氷愛理による機槍戦は本日午後七時から。
その一時間前。
昴流はキルスティン女学園の学生寮の自室にいた。
ジャージ姿で、端末に向かって騎体データの調整をしている。傍らには火煉が淹れてくれたコーヒー。しかし、データ調整と言っても『巴御前』のではなく、新しく組む予定の騎体、その名も『静御前』の調整だ。こうして騎体構築をするのは機槍戦を趣味とする昴流のリラックス方法でもある。
それでも気持ちはどうしても一時間後の試合に向いてしまう。
相手はキルスティンの三強の一角、最強の女神とも言われる《運命の三女神の過去》だ。
不安はない。
むしろ、逆。
心が躍る。
早く戦いたくて心が騒いでいる。
それを沈めるため、こうして端末に向かっているのだ。
「マリア」
と、不意に呼ばれた。もちろん、声の主はこの部屋のルームメイト、鳥海火煉だ。
昴流は座っていたキャスタ付きのイスを回転させ、彼女のほうへと向き直った。火煉もコーヒーカップを手にこちらを向いている。デニムのロングパンツに、ゆったりとした清潔感のあるブラウスという恰好だった。
火煉と言葉を交わして、ともすれば高揚しそうな気持ちを落ち着かせるのもひとつの手だったのだが、先ほどまで彼女は昴流同様自分のライティングデスクに向かい、何やら思索にふけっていて、それも叶わなかった。
「愛理との試合までもう少しね。食事はとらないの?」
振り返った昴流に、火煉が問う。もう考えごとはいいようだ。
一階の食堂にはそろそろお腹をすかせた少女たちから順に姿を見せはじめていることだろう。
「うん、まだ。試合前は食べないことにしてるから。
「そう」
火煉はそう答えて、笑みを見せた。
「そう言う火煉さんはもう食べたのかい?」
今度は昴流が問い返す。
「私もまだよ」
「食べとかないと。帰ってくるころにはきっと閉まってるよ」
碓氷愛理との機槍戦は、おそらく短時間で決着がつくことはあるまい。簡単に勝てないという意味でも、簡単には負けないという意味でも。
そして、この戦いに至る因縁のことを考えれば、やはりそんなに早く帰ってこられるとは思えなかった。果たして、この試合の後、彼女たち三女神の関係はどうなっているのだろうか。そのあたりもうまくまとめることができればいいのだけど、と昴は内心不安に思う。
「じゃあ、後で何か食べにいきましょうか」
しかし、火煉は昴流の心配を知ってか知らずか、明るい調子でそんなことを言うのだった。
昴流は彼女に気づかれないよう、小さくため息を吐く。
「ところで、マリアは普段から魔法が使えるの?」
火煉は、今度は無邪気さも加えて聞いてきた。
「ん? まぁね。……魔法じゃなくて魔術だけど」
魔術は、あくまでも才能の世界で、生じる結果が突拍子もないものに見えても、そこに至る工程は論理的だ。医術や技術といったものと同じ。故に、正式名称を『自然式強制干渉改竄構文』と言い、『魔術』の通称で呼ぶのだ。
さて、その魔術を、昴流は普段から使える。正確に言えば、普段使える魔術を『巴御前』や『ハイペリオン改』でも使える、である。
「何かやってみせてくれないかしら?」
「そういうのは禁止されてるんだけどね」
昴流は苦笑する。
歴史を紐解けば魔術が受け入れられた時代などない。胡散臭いものとして見られ、忌み嫌われ、迫害されてきた。では、二十世紀初頭に現れた現代の魔術はどうだろうか? 実は似たようなものかもしれない。所詮は一部の才能あるもののみのもので、自分には関係ないと折り合いをつけているだけかもしれないのである。
だから、対する魔術側も、己を厳しく律し、違反者を処罰し、その才をもって社会に貢献することで歩み寄っているのだ。隣人が自分を一瞬で殺害する力があり、それを平気でやってのける精神性の持ち主かもしれないとなれば、気が気ではないだろう。そこまでいかなくても、軽犯罪に使えるというだけで社会が成り立たなくなる可能性すらあるのだ。
「じゃあ、ひとつだけ」
あまり褒められたことではないのだが、昴流はいたずらっ子の笑みで、火煉の期待に応えることにした。
(セカイの把握――構文の構築――記述……)
火煉の手の中にあるもの――コーヒーカップを見つめ、素早く構文を構築する。
すぐに異変は現れた。
火煉も昴流の視線を追ってそれに気づく。
コーヒーカップからうっすらと湯気が立ち上りはじめたのだ。どうやら温度が上がっているようだ。程なくして、淹れ立てのようなホットコーヒーができあがった。
「すごい!」
火煉が感激したように声を上げる。
「奏音さんが言ってたわね。熱素、だったかしら?」
「それでもできるね。でも、いま僕がやったのは分子の振動で熱を発生させただけだよ」
この程度ならわざわざ熱物質説が支配する空間をつくる必要はない。通常の熱力学の現象を利用すれば十分だ。もっと言えば、魔術など使う必要もない。温かいコーヒーが飲みたいのなら、電子レンジで温めるか、コーヒーを新しく淹れ直せばいいのだから。
「手品みたい」
「そんなものさ。たいていはね」
手品呼ばわりされたことに昴流は苦笑するが、しかし、そんなものである。先の昴流の例でもわかる通り、魔術でできることは科学技術でもできる。科学技術でできることを魔術でやっているだけなのだ。科学ですら実現できない魔術を使えるものがごく一部だ。それこそそれは魔法と呼ばれるものだろう。
「たいていは?」
昴流の言葉の中に含まれていた単語が気になったのか、火煉はそれを鸚鵡返しにした。続けて問い返してくる。
「じゃあ、マリアは?」
「内緒」
しかし、昴流は冗談めかせてそう言っただけだった。
そんなことは知らなくていいのだ。火煉や普通の人間は、魔術の徒がどれだけのことをできるかなんて。
「さて、そろそろ行こうかな」
昴流は立ち上がった。
相手を待たせないためにしても少し早いだろうか。それでももう部屋を出るのは、しっかりした準備運動をしておきたかったからだ。拳法家でもある昴流は、そのあたり意識がほかの騎士乗りよりもしっかりしている。
「マリア」
その昴流を火煉が呼ぶ。
「勝てるわね?」
「もちろんさ」
昴流は自信ありげにうなずいた。
もちろん、絶対の自信があるわけではないし、負けることを考えて戦いに臨むものはいないという精神論の話でもない。単純に昴流の騎士乗りとしての部分が、男としての部分が、勝利を欲しているのだ。
そして、彼は続ける。
「それに、いずれは火煉さんにも、茉莉花様にも勝つよ」
「そう。それは楽しみね」
火煉はその宣戦布告にも似た昴流の台詞に、笑みをもって応えた。
不敵な笑みではない。
どちらかと言えば、無邪気とも呼べる笑顔だった。
本当に楽しみなのだ。きっとその戦いに勝っても負けても、自分はまた強くなるだろうという予感がある。だから、その期待に心弾ませるのだ。
「さぁ、」
そうして火煉も立ち上がった。
「私も用意するわ。待ってて」
「待つわけないだろ」
火煉の言葉に素早く反応し、昴流は慌てて部屋を飛び出した。
私服の彼女が出かける用意をするとなれば、まずは着替えだ。過去二度の書籍館学院の訪問の際も、私的なものであったにも拘らず制服を着ていた火煉のことだ、学校に行くのにそれを着ないはずがないだろう。
そして、彼女にとって昴流は、相関関係の上でずいぶんと近い位置にいるようで、例の如く昴流の前で着替えることに頓着しないのだった。
正直、困りものだ。
少女としてこの学園に潜り込んだが、中身は男なのだから。
さて――待たないと言っても、それは部屋の中では待たないというだけで、部屋の外では待つ。
そして、寮の廊下で火煉が出てくるのを待っていると、
「あ、久瀬さん」
そう声をかけてきたのは、クラスメイトであり昴流と同じくここの寮生でもある、佐々朝霞だった。
「今から食堂?」
そう聞いてくる朝霞はラフな部屋着姿。ネコミミを思わせる突起のついたパーカーのフードを頭にかぶっている。なかなか茶目っ気のある恰好だ。
「ううん。これから火煉さんと出かけるんだ」
「あ、そうなんだ」
そう聞いた途端、朝霞は意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「デートだったり?」
「ええっ!? ま、まさかっ」
慌てて否定する昴流。
「なーんだ。ま、それもそっか。デートだったらジャージなんかで行くはずないしね」
「あ、あのさ」
昴流はおそるおそる切り出した。
「ん?」
「デートって普通、男と女で行くものだよね?」
実は朝霞には自分が男だとバレていて、暗に秘密を握っていることを突きつけられているのではないだろうか。昴流はそう思ったのだ。
「キルスティンじゃわりと気軽にデートって言葉、使うかな? ふたりで出かけるのはぜんぶデートって言ってるかも?」
しかし、朝霞はあっさりした口調に、当たり前のことを改めて説明するときの戸惑いを少し混ぜ、そう言う。
どうやら杞憂だったようだ。
「もちろん、こういう環境だし、ソッチ系の子もいるけど」
「……」
いるのか。いよいよ魔境にいる気分になってきた。
「久瀬さんのところは共学? 女の子同士でデートって言わない?」
「うーん、ないんじゃないかなぁ?」
当然のことながら、聞いたことがないという意味で首を傾げているのではない。男なので女子生徒の世界のことはわからないのだ。今度機会があったら美那森桃華にでも聞いてみようと思う昴流だった。
と、そこで火煉が出てきた。
やはり制服姿だった。
「あ、火煉様」
挨拶をしようと思ったのか、朝霞が口を開く――が、次句を継ぐことができなかった。
火煉の顔がいつになく険しかったからだ。
制服を身にまとったことで気が引き締まったというだけではないのだろう。まるで機槍戦に赴く前のよう。実際に闘技場に立つのは昴流なのだが、それだけ彼に賭けているものがあるということなのかもしれない。
「マリア、行きましょうか」
「あ、はい」
昴流も少々面喰いつつ、慌てて返事をした。
ふたり並んで歩き出す。
「……」
朝霞は、自分のことなど一顧だにしなかった制服姿の鳥海火煉と、ジャージ姿の久瀬マリアの奇妙な組み合わせを、何も聞けぬまま黙って見送った。
同じころ、
八重垣茉莉花もまた、自宅である巨大人工島学園都市のマンションを出ようとしていた。
着ているのは制服。
向かうのはキルスティン女学園。
言うまでもなく、マリアと愛理の機槍戦に立ち会うためだ。
「わたくしも学生寮にすればよかったですわ」
携帯端末を利用した電子キィでドアを施錠し、エレベータに向かいながら茉莉花はつぶやく。
そう思うのは学校から帰ってきて、また学校へ戻る手間からではない。
学生寮には久瀬マリアがいるからだ。
聞けばマリアは火煉と同室なのだとか。少し羨ましく思う。
茉莉花は、茉莉花派と呼ばれる生徒たちが自分を慕い、周囲に集まってくることを嬉しく思うが、このマンションに帰ってきてほっとひと息つく気持ちも否定できない。それだけ皆の前で模範的であろうと気を張っているのだ。
自分がマリアと同じ部屋だったらどうだろうか――と、茉莉花は想像してみる。
部屋に彼女しかいないのであれば、学校にいるときのように気を張る必要もないのかもしれない。そうしながら妹のようなマリアの世話を焼いたりして……。きっと楽しい生活になることだろう。
(火煉先輩はどうなのかしら?)
ふと思い浮かんだ疑問。
しかし、想像がつかない。
学園都市内の公営の演習場で見つけたマリアを強引に引っ張ってきたくらいなのだ。それに彼女は自分と違って本当に年上でもある。やはり寮でも世話を焼いているのだろうか。それとも学校にいるときと同じ調子で、真面目に機槍戦について談義しているのだろうか。
エレベータ前に着いた。
マンションに一基だけ設置されているそれは、今は他階で停まっているようだ。パネルに触れ、呼ぶ。静音化されたエレベータが動き出したことがわかるのは、パネルの回数表示だけ。程なくして、エレベータがこの階に到着した。茉莉花は開いた扉から乗り込み、行き先として一階を指定する。扉が閉まり、エレベータが動き出した。軽い浮遊感。
これから茉莉花は、マリアと愛理の試合に立ち会う。
戦って勝利した火煉に次も勝てるとは限らないと言わしめ、同じ女神や一部の女王級の生徒以外には負け知らずの茉莉花自身も辛勝だったマリアの本当の実力とは如何なものなのか。楽しみなようで、何か怖ろしいものを目の当たりにしそうで怖くもある。
実際、茉莉花は緊張でまだ夕食をとっていなかった。
緊張を強いている理由はそれだけではない。
思い出すのは事ここに至る経緯だ。
きっかけは、自分こそが最強だと口に出して言ってしまった愛理の態度にある。火煉はその傲慢さが赦せず、マリアをけしかけたのだった。
自分のほうが上だと言いたいのなら火煉自ら挑めばいい。だが、そうではない。彼女は愛理に上には上がいることを、己が最強だと満足してしまうことの愚かさを教えたいようだ。確かにそれならばマリアは適任だろう。
そこまではわかる。わかるが、果たしてマリアは愛理に勝てるのだろうか。
だが、茉莉花の心配をよそに、火煉には勝算があるようだった。そのための非公開試合。かつて火煉は言った。本気を出したマリアはもっと多彩な攻撃をしてくる、と。いったい彼女には何があるというか。
それもまもなくわかることだ。
エレベータが地上階へと着いた。
茉莉花は開いた扉からエントランスに踏み出す。と、そこにはちょうど外から帰ってきたのだろう。キルスティン女学園の制服を着たひとりの女子生徒がいた。名前を早矢仕奈央という。
彼女は騎士乗りを目指す騎技科ではなく、械仕掛けの騎士の技術を学ぶための研究科に所属する生徒だ。
「あ、茉莉花様」
いわゆる茉莉花派である奈央は、ばったり会ったことに喜びの声を上げる。
だが、当の茉莉花は何も言わず、彼女の横をすり抜けていった。
無視したわけではない。
目に入っていなかったのだ。
彼女の顔は、すでに戦いに赴く騎士乗りのそれだった。




