56. 人間界へ!
「よし。食料も『シーカー』の中に入れたし、準備は万全だな」
レイドの部屋にて。
一仕事終えたかのように、レイドは満足気に『シーカー』を閉じる。
今日はついに人間界へ旅立つ日。窓から差し込む日の光と、雲ひとつない青空。絶好の旅行日和だ。
「ゆうしゃさーん。何してるんですか、皆もう待ってますよー」
「ああ、悪い。今行く!」
部屋の入り口からひょっこり現れたリリに急かされ、レイドは魔王城の正門へと歩を進める。
正門の扉を開けると、そこには全員が大集合。
待ちくたびれた様子の者も、ワクワクしてる者もいる。
レイドは今一度、魔界の穏やかな空気の中で深呼吸をし、活き活きと言い放った。
「よーし、そんじゃあ行くか! 人間界!」
「おー!」
全員は口々に、レイドの言葉に返事をするのだった。
「わぁい、しゅっぱつー!」
「ベル様、あんまりはしゃぐと転びますよ」
ワクワク顔で前を歩くベゼルに、リリはやんわりと注意を促す。
「へっへっへ、さーて、闘技場にはどんなヤツがいるかな……」
ウル太郎はサルタンに以前怒られたことも反省していない様子で、指をポキポキと鳴らしている。
「どうにかしてベル様とリリを引き剥がして、その隙に私が……ぶつぶつ」
エリスに至っては、何か邪な事を考えている始末だ。早速、幸先が不安である。
レイドはそんな悪魔たちが前を歩く姿をふっと笑い、正門まで見送りに来てくれたゾン吉へと振り返った。
「んじゃ、ゾン吉。暫く寂しくなると思うが、留守よろしくな」
「ええ。お土産頼みましたよ」
ゾン吉は歯の抜けた口を動かして、プラプラと手を振る。
「おう。任しとけ」
そう言って、レイドも前を行くリリたちと合流する。
それを見送った後で、ゾン吉が城に戻ろうとした時だった_____。
「ゾン吉」
目の前に佇むのは、大魔王サルタン。一緒に人間界へと向かったはず____だと思っていたが、どうやらまだ城内にいたようだ。
「あ、サル様。どうしたんですかい? 皆もう前に_____」
そして、ゾン吉はここで耳にする。
何かを見据えるように、重みのある声で放たれたサルタンの言葉を。
「……あとは主に任せたぞ」
「え……」
その言葉の意味もわからずきょとんとするゾン吉を横目に、サルタンは先へ進む。
「サル様……?」
やがてゾン吉はこの言葉の意味を理解するのだが、それはまだしばらく先の話_____。
「レイド。そういやお前、『異界の結晶』は持ってんのか?」
出発して5分程経った頃だろうか。
一番後ろをスタスタと歩くのアルフは、横を歩くレイドに尋ねた。
「ん、ああ。多分まだ何個か持ってる筈だけど」
「そうか。それじゃあ、人間界に着いたらでいいから一個くれないか?」
レイドは首を傾げる。
「別にいいけど、お前も今持ってるんじゃないのか?」
「行きと帰りの分しか持たされてないんだよ。それに、『異界の結晶』自体も今持ってるのは……」
そこでアルフは言葉を切り、前方に目配せをする。
「ああ、そういうことか……」
レイドも納得した様子で、遠い目をするのだった。
レイドたちが視線を向けた前方近くには、道端で拾った木の棒を振りながら歩くベゼルの姿があった。
「にーんげーんかーい! にーんげーんかーい! ふふふ、何があるのかなぁー?」
「ベル様。喉は乾いていませんか? 蚊に刺されたりとかは……」
「もー。大丈夫だよ、リリ! 僕は勇者になるんだから!」
やたらと心配性なリリに、ベゼルは頬を膨らませる。
「ですが……」
「勇者は強くてカッコいいんだもん! 喉が乾いてもへっちゃらだよ!」
そこでベゼルは、ふいと近くにいる人物に声をかけた。
「ね、おじさん!」
「む……ああ、そうだな」
その人物は言わずもがなハイガーである。レイドとアルフも、先ほどはハイガーを見ていたのだ。
だが、リリとハイガーが近い場所にいるとなっては、当然ながらよろしくない。
「…………なんで貴方まで一緒にいるんですか」
リリは敵意のある視線をハイガーに向け、冷ややかな口調でつっかかる。ハイガーも同じくして、視線は歩く先を見ながら答えた。
「決まっているだろう。私も人間界へ帰るからだ」
「ならせめて、私たちの横を歩かないでください。目障りです」
「私が一番前を歩いて何が悪い。第一、『異界の結晶』を持っている私が一番前を行くのが道理だろう」
「『異界の結晶』なら私たちも持っています。貴方はどうぞ、一番後ろについてください」
「断る。貴様たち悪魔を先に行かせて、人間界で悪事を働かれたら困るからな」
「そんなことするわけないじゃないですか。自分の方がよっぽど悪人顔のくせに」
「外見で判断されては心外だな。それとも、図星を突かれて反論できなくなっただけか」
「それはこっちのセリフです。悪魔を外見で判断しないでもらいたいですね」
相変わらずのリリとハイガー。
そんな2人のやり取りを、後ろにいるレイドとアルフは案じていた。
「めちゃくちゃ仲悪いな、あの2人……」
「そーなんだよ、もう大変だったよ。リリさん、ハイガーさんが怪我で動けない間、ろくに看病してなかったんだから。飯運ぶのだって俺がやってたんだぜ?」
アルフはやれやれと、ため息まじりに振り返る。
「そうなのか……。でも、リリがあんな態度取ってるとこなんて初めて見たな……」
「そんだけ大魔王の息子くんが殺されかけたのを根に持ってる、ってことだろ」
ベゼルがハイガーの近くにいる以上は、リリも離れるわけにはいかない。
2人は早く人間界に到着しないものかと、そう思っていた。
魔王城を出発し、およそ30分後。
一行はついに、人間界の入り口である『人間界の境界線』へとたどり着いた。
「着いたな……」
「『人間界の境界線……』」
目の前に構えられたそれを見上げながら、ハイガーとリリは順番に呟く。
横一面に広がる、高さ10メートルはあるであろう岩壁。その中で明らかに他とは異質な、岩壁の一部を覆い隠す薄気味悪い緑の渦。これが『人間界の境界線』だ。
「わぁ、すごい……。リリ、このぐるぐるした壁を通るの?」
まじまじと境界線を見つめるベゼル。
「ええ、そうですよ。ここを通れば、『人間界』です」
リリがそう答えた隣で、ウル太郎はエリスに質問をした。
「なぁ、これ前から思ってたんだけど『異界の結晶』なしで通ったらどうなるんだ?」
エリスは下唇に指を当て、しれっと答える。
「確か……全身がバラバラに引き裂かれるわ」
「げぇ! ほんとかよ!?」
「ふはは。試してみるか? ウル太郎」
おもしろがったのか、話に入ってきて提案するサルタン。ウル太郎は当然、首を横に振ってこれを拒否した。
「イヤですよ! つーか絶対嘘でしょ!」
「ちっ、つまんないわね……。まあ確かに嘘だけど、『結晶』無しで通ったら、またこの場所に出てくるだけよ」
舌打ちまじりに言うエリスだが、ウル太郎は気にしない。
「へぇー……。戻されるってことか。どういう仕組みなんだ?」
「そこまでは知らないわ。それよりも、行くならさっさと行きましょう?」
その言葉で、アルフはハイガーにお願いする。
「ハイガーさん、任せた」
ハイガーは相変わらずの厳格な表情のまま『異界の結晶』を取り出し、力を軽く込めて念じる。すると結晶は光を撒き散らしながら砕け、その場にいる全員の身体を淡い光で包み込んだ。
「わぁ! リリが光ってる!」
「ふふ、ベル様も光ってますよ」
ベゼルは光に包まれたことを知るや否や、その心地良さに大喜びだ。そのはしゃぎっぷりを見たレイドが、ベゼルに一言注意する。
「ベゼル。人間界に行ってあまりはしゃぎすぎんなよ」
「えへへー、うん!」
「……絶対わかってないな、こいつ」
どうやら、今のベゼルには何を言っても無駄なようだ。レイドは額に手を当て、軽く呆れる。
ベゼルは初めて体験する事と、まだ見ぬ世界への冒険に胸を躍らせて、くるっと後ろの魔界に振り返る。そして大きく手を振ると、元気いっぱいに叫んだ。
「行ってきまーす!」
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「……どうやら、彼奴等は無事に人間界に来られたようじゃな」
何処ともわからぬ、何処かの場所。
老人の姿をした者が一人、そう呟く。
『ああ、わかっている。結界も……解けたみたいだね」
老人の言葉に反応するのは、若い青年だろうか。詳しい性別までは判断できない、長い髪を背中まで垂らしている。何よりも特徴的なのはその声で、まるで2人の別々の声が二重に重なって聞こえるかのような、特殊な声色をしている。
「どうするんだ?」
続いて、全身を銀色の鎧で覆い尽くした剣士が問う。今この場所にいるのは、この3人のようだ。
『アインスは『あの場所』へ。ツヴァイは待機だ」
「貴方は?」
ツヴァイと呼ばれた鎧の剣士が、再び青年に問う。
青年は凍りつくような笑みを浮かべると、ゆっくりと真っ白な地面を歩き出した。
『……ふふふ、さてどうしようか。私自身、これ程感情が昂ぶるのは久し振りだ」
歩きながら、独り言のように言葉を呟く。
『ただ、唯一の弊害は魔王の存在だが……。まあいい、先手は既に打ってある」
コツリ、コツリと歩いて行き、やがて青年は足を止める。そこから先に道はなく、代わりに遥か下方に広がるのは_____山々をはじめとした『大地』。どうやら此処は、『雲』の上のようだ。
青年は大地を見下ろす。そして静かに、冷酷に口を開いた。
『さて……それでは始めようか。『完成品』を我が手に納める_____『戦争』を」




