5. プロローグ②
_____ここは人間界。人間界である。
3年前に魔王が勇者によって倒され、平和が訪れた世界。明るく晴れた空を青い鳥が羽ばたき、豊かな土地と共に人々が暮らす、笑顔の絶えない世界。それが人間界。
なーんて、思っているのではないだろうか。
……まぁ、だいたいその通りである。今日も人間は、いつもと変わらぬ平和な日々を過ごしていた。
人間界一栄えた国『プロスパレス』。10000坪は超えるだろう大きな城を中心に携えた、毎日が祭りのように賑わう大国。今日も国を挙げての武闘大会が開催され、その賑わいはとどまる事を知らない。
その国を北に通り越し、2日程歩くと自然豊かな森『セトルの森』がある。木々の隙間から帯状に差し込む光と小鳥のさえずり、葉と葉が掠れ合う心地よい音が重なって、ひとつのBGMとなるかのように聴く者の心を落ち着かせる。この森に住む者は、生涯最後のその日まで、穏やかな心を忘れる事はないだろう。
その森に建てられた一軒家がある。そこを横目に通り森を抜けると、一転して今度は荒れた土地が顔を出す。人の出入りなど滅多にない、一面の荒野。そこにはポツンと、手作り感満載の、木製のオンボロ家が建っていた。その家の持ち主こそが、『彼』であった。
「ひぃぃ……!! 何でこんな所に魔物が……!!」
荒野を、2つの騒がしい足音が通りがかる。どうやら旅の行商人が、イノシシの魔物に襲われているようだ。逃げ回る足と追いかける足の距離が次第に近づいて行く。
「嫌だ…! こんな所で死にたくない…!」
背中に背負っている大きな荷物を捨てて行けば、恐らくその行商人は助かるだろう。しかし彼はそれをしなかった。荷物の中にある金品や食べ物を、決して手放したくはなかったのだ。
やがてイノシシの魔物が行商人の真後ろにつき、勢いよく飛び上がった。
「う、うわあああああ!!」
行商人が叫んだ瞬間……。イノシシは突然、横からきた何かに吹き飛ばされ、一撃で気絶した。
「え!?」
行商人は驚いて足を止めた。振り向くと、そこには1人の男が立っていた。
「…………」
無言で立ち尽くす命の恩人に近づき、行商人はお礼を言う。
「あ、あんた。誰かは知らんがありがとう。おかげで助かったよ」
行商人からは逆光でよく見えないが、その男は背丈が高く、眉毛まで隠れるほどのややパーマ気味のボサボサした髪型をしていた。武器も何も持っていない所を見ると、先程のイノシシは拳で殴って吹き飛ばしたのだろう。それが出来るという事からして、かなりの手練れのようだ。
「そうだ、お礼に何が欲しい? 金でも食べ物でも、何でもあるぞ」
行商人がお礼に何か差し出そうとした所に、太陽が雲で隠れた。逆光が隠していた男の顔を見た途端、行商人は顔色を蒼白に変え、息を荒げ始めた。
「あ…、あんた……、ゆ、勇……」
イノシシの魔物よりもはるかに強い恐怖の感情に行商人は包まれ、おぼつかない足を必死に動かした。
「ひゃああああああああ!!!」
大切な荷物も放り出し、行商人は一目散に逃げて行った。
「………ふん」
行商人が置いていった荷物を暫く見つめた後、視線を空に向ける。
「………勇者、か…」
男はイノシシと荷物を担ぐと、すぐそばに見えるオンボロ家へと帰って行った。
______3年前に魔王は死んだ。
人間界の人々は、かつてその男の成し遂げた功績を称え、こう呼んだ____。
そう、『勇者』と………。