4. ゾンビとメイドと狼と
「は? 勇者?」
訝しげな表情で、その男はリリを見た。
「そうなんですよ、ゾン吉さん!」
魔王城の食堂前の通路。ゾン吉と呼ばれたその男は、整形に失敗したようなドロドロの顔を更に歪ませている。
「勇者がどうかしたんですかい?」
開いた口から見える、今にも重力に負けて落下しそうな4本の歯と、体の周りを漂う薄暗い瘴気は、その不気味さを2倍増しにする。要するに彼はゾンビ。
そのゾン吉が朝食を食べに食堂に入ろうとした所を、リリが呼び止めたのである。
「どうかしたかじゃないですよ! 今年のベル様の誕生日プレゼント、『勇者』なんですよ!」
「へえ、そうなんですか。そりゃあ大変ですねぇ」
リリの助けを求める声を横に受け流し、ゾン吉は目の前の食堂へ向けて歩を進めた。
「ちょ…っと、待って下さいよ…っ!」
リリはそのすれ違いざまに、ゾン吉の後頭部から生えるたった一束の髪の毛を掴み、必死になって引き止めた。
「いたたたた、やめて髪はやめてやめて」
「勇者の居場所、教えて下さいよ…!」
「わかりましたわかりました、わかったから手を放して!」
ゾン吉の訴えに、リリは手を放す。互いに少し上がった息を整え、やがてゾン吉が口を開いた。
「んで、そういえばベル様はどこにいるんですかい?」
「今は朝食を食べ終えて、学校に行ってますよ」
「あー、今日は平日でしたか。すみませんね、冬眠明けなもんで」
「いえいえ。それよりも早く勇者の居場所を教えて下さい、『千里眼』で」
「へぇへぇ、分かりやしたよ」
めんどくさそうにゾン吉は、意識を目に集中させた。
『千里眼』……ゾン吉の白い目が持つ特殊能力で、探し物や人の居場所を特定する事ができる。ただその為には、探し物に関する『情報』がなくてはならない。
「んで、何か勇者に関する物はお持ちですかい?」
「え? ありませんよ、そんなの」
リリがキョトンとして首を傾げる。一瞬の沈黙の後、ゾン吉は呆れ顔でリリを見た。
「それじゃあ探せませんよ……。何の情報も無いんじゃ……」
「えっ……!? そんな、そこを何とかお願いしますよ!」
予想外の出来事に、リリは慌てる。どうやら千里眼とは、何でも見つけられる物だと誤解していたらしい。
「そんな事言われても……。あっ、そういえばベル様の持ってた剣って勇者の物じゃありやせんでしたかい?」
そう、ベゼルが持っていた剣。あれは3年前、リリがプレゼントした『勇者の剣』なのだ。それを使えば、勇者の居場所がわかるのだが……。
「あれはそこら辺に落ちてた剣をベル様に渡しただけですから、違いますよ」
衝撃の事実が発覚した。ベゼルにプレゼントした勇者の剣は、偽物だったようだ。
「あんた、ベル様の誕生日に偽物渡してたんですかい……」
「し、しょうがないじゃないですか! 勇者の剣なんて、手に入りませんよ!」
「じゃあ今回も諦めて、偽勇者でも探して下さいな」
ゾン吉は肩をすくめ、食堂へ進もうとした。
「ま、待って下さいよっ! そうだ、人間界! 人間界まで行けば、勇者の手がかりなんてゴロゴロある筈です! 人間界に行きましょう!」
リリは苦し紛れに提案した。が、事実その通りだ。勇者に会うにはどちらにせよ、人間界に行かなければならない。ならば人間界へ行ってから、勇者の手がかりを掴んでも遅くはない。
「えぇ!? 嫌ですよ、人間界なんて!」
しかしそれには、ゾン吉が拒否した。
「あっしみたいなゾンビが人間の前に出たら、絶対に問題になりやすよ!」
確かにそうだ。ゾンビが勇者の前に現れたら、まず間違いなく斬られるだろう。
「うーん、じゃあどうすれば……」
息詰まったその時、ゾン吉の頭上にふわっと、1枚の布きれが落ちてきた。
「うわっ、なんですかい、これ……」
ゾン吉が手をもがいて布きれを取る。よく見ると、それは黒いコートだった。
「それを着て行けばいいんじゃないか?」
それと同時にゾン吉の後ろからウル太郎が歩いてきた。ウル太郎も、ゾン吉と同じコートを着用している。
「ウル太郎さん! 久しぶりですねー」
「おはよう、ゾン吉」
軽く再会の挨拶をすませ、ウル太郎はリリに視線を合わせた。
「リリさん、これを着ればゾン吉もバレませんよ」
「そうですね、確かにこれなら……。ウル太郎さん、ありがとうございます」
リリは軽く一礼した。
「でも、どうしてウル太郎さんまでコートを着てるんですか?」
ウル太郎は窓の外を眺めながら、ポケットに手を突っ込んで答える。
「それは、自分も一緒に行くからですよ…。」
どこから出したのか、黒いコートに似合いそうなハードボイルドなソフト帽とサングラスを身につける。気のせいか口調まで渋くしているようだ。
「ウル太郎さんも一緒に来るんですか?」
リリが驚く。しかしウル太郎の狼の顔も、今の姿ならバレる事はないだろう。
「ええ。勇者を見つけたとしても、捕らえる役割の人がいるでしょう?」
サングラスの下から小さく笑みを浮かべた。勇者と闘うつもりなのだろうか。
「おぉ、これピッタリですよ。カッコいいですね」
ゾン吉は貰ったコートを着て、袖や襟元を確かめている。そしてサングラスとソフト帽を着用し、彼なりのカッコいいポーズを決めた。正直似合っていないような気もするが…。本人は気に入ったようだ。
「はい、リリさんもこれ」
「い、いえ。私は大丈夫です……」
リリは、渡されたサングラスやソフト帽を丁重に断り、勇者の話に戻した。
「では、この3人で行きましょうか。勇者を探しに!」
「へい、行きやしょう!」
「はい。でもその前に……」
ウル太郎が人差し指で帽子をくいっと上げる。
「朝ごはん、食べてからにしましょう」
「あっしも賛成です」
食堂に入って行く2人を見て、リリはずるっとずっこけた。