道中にて―敵と味方―
森の中を、奇妙な一団が歩いている。
奇妙な――といっても、居そうもしない種族が歩いているわけではないし、群れを作らない種族が集団で歩いているわけでもない。一人一人はこの世界において珍しくもない――見かけたくもない、もしくは見かけたら幸運という違いはあるが――種族だ。珍しいのはその組み合わせであった。
先頭を歩いているのはとても大きな身体を持つ種だ。身の丈は大人の二倍ほどもあり、赤銅色の腕や脚は丸太の如く太い。発達した犬歯が上唇から飛び出し、泣く子も黙る容貌である。そして彼と同じ種族の者が後方左右に一人ずつ。革鎧で思い思いの場所を覆っており、手には重厚な武器を持っている。
その三者に囲まれるようにして歩くのは紐で繋がれた四人の若者である。金の髪を持つ者が二人。藍色の髪を持つ者が同じく二人だ。皺のない滑らかな肌を持ち、肢体はほっそりとしている。男が一人に女が三人。薄い唇を噛み締め、俯きながら歩いている。チュニックやローブを着ているだけで武器は持っていない。
オーガとエルフ。この二者だけならば驚くようなことではない。エルフはオーガを殺すが、オーガがエルフを殺すとは限らないからだ。オーガはよくエルフを生け捕りにし、嬲り、慰み物にすることがある。
だが、最後尾を歩く者がそれを否定する。
――人間だ。青年というには年を喰い、中年と呼ぶのはまだ早い。そんな年齢の男が、武器を持ち堂々と歩いている。ボロボロに擦り切れた暗緑色の外套を羽織り、左肩には大きな鈍色の箱を担ぎ、右手には歪な形状の槍を持っている。
オーガが武器を持った人間に背中を見せ、あまつさえ先導している。
オーガと人間が手を組んだ事実は、過去何度かある。だがそれは常に人がオーガを利用する形で行われた。謂わば、人間がオーガに依頼をするのだ。当然、選ぶ権利はオーガにある。
オーガは力の信奉者である。希に人間を認めることもあるが、それは小さく非力な人間という器に基準を合わせて物事を量った場合に過ぎない。オーガに真に認めさせるには、彼等の土俵で闘う必要があるのだ。そしてそれに打ち勝つことは人間には不可能である。
――故に、これは驚くべきことなのだ。オーガ達はまるで飼い犬のように男の顔色を窺っている。エルフ達を逃さぬよう目を光らせながら、そんな自分達を見ているかと男に無言で問いかけている。
最後尾の男――シドが現在歩いているのは、ウェスタベリ王国とミルバニア国を繋ぐ街道だ。エルフとの戦闘から七日。西には森が続くことを知ってからは北東へ進路を変え、つい先日森を出ることができた。
ミルバニアは森の北に位置している。――といっても森は広いうえ、大きく東側を迂回するように道は走っている。目的地はミルバニアの衛星都市だが、しばらくは歩きで旅が続くだろう。
旅が続くのはそう悪いことではない。シドはそう思う。ここ数日、シドの会話能力は目覚しい進歩を遂げた。言語というのは穴埋めパズルに似ている。ヒントの少ない最初がもっともきつく、後になればなるほど埋まった言葉で答えが導きやすくなるのだ。
四人というエルフの数が物を云った。唯一の男エルフは睨みつけるばかりでほとんど喋らないが、女のエルフ三人は違う。初日こそ会話がなかったものの、身の安全を脅かすつもりがないことを悟ると、シドの問いに答えるとき以外でも仲間内で会話をしだした。さらに――シドが言葉を覚える為、会話することを推奨しているとわかってからは遠慮というものがなくなった気がする。
そんなエルフ達も今は言葉少なに歩いている。これは――
『――さすがに水を飲まずに歩かせるのはどうかと思うのですが』
「(……やはりか。俺も薄々思ってはいたんだが)」
『マスターのそれはほんとに思うだけだから質が悪いんですよ……』
「(しかし、食べ物はともかく、水はそうそう手に入らんぞ)」
食料はいつも、監視付きのエルフに木の実や山菜を拾わせるか、オーガに生き物を狩らせにやることで解決していた。しかし水場はなかったので、手持ちの水を使い果たしてからは朝露や果物で凌いでいるのが現状だった。オーガ達は狩ってきた獲物の生き血を貪り飲んでいるのでエルフほどきつくはないのだろう。それに元々の体力が違い過ぎた。
『人間は確かに飲まず食わずでもすぐには死にませんけど、それは死なないだけで普通に動けるって訳じゃないんですよ。エルフもほとんど同じだと思います』
ドリスの言に真面目に考える。エルフ達は――若干一名を除いて――シドの役に立っている。これは間違いない。そしてエルフの面倒を見るのにオーガ共も役に立っている。これも間違いない。エルフとオーガに自由に動く環境を与えず、強制的に貢献させている以上、水の問題はシドが解決しなければならない。世の中はギブ&テイクだ。
シドは決意を固めた。
「――止まれ」
シドが云うと、オーガとエルフがすぐに立ち止まる。オーガ達は指示があるのかと目を輝かせ、エルフ達はどんな命令をされるのかと不安を胸中に抱きながら――。
男のエルフだけが強い憎しみの篭もった眼差しでシドを睨み付ける。それを無視して云った。
「次にこの道で出会った奴から水を奪う」
シドの言葉にオーガ達はグルグルと喉を鳴らし、エルフ達は固まる。
「戦闘になったら離れた場所で待て。――逃げたら殺す」
手短に云う。シドが己に課した義務を果たすのはエルフの為である。最中に逃げるのは許さない。
『本気ですか、マスター!? 誰が来るかもわからないのに!!』
「(水を持っていれば誰だろうと構わん)」
『もし女や子供だったらどうするんですか!!』
「(……その場合、少しは残してやろう)」
『マスター……』
呆れて言葉もないドリス。シドはオーガに先に進むよう促した。
浮かれた足取りのオーガと違い、エルフ達の足は重かった。
死刑執行台に向かう囚人のような気持ちでミラは歩く。
森に居た時はまだ良かった。ミラは後ろを歩く男――シド――をチラリと見やる。この、仮面をつけた得体の知れない人間の機嫌さえ損なわなければ問題なかったからだ。
――でもいまは違う。ここは既に人間の生活圏である。エルフを狙う輩は多い。しかも比較的若いエルフが四人。例え誰かの支配下にあろうと、その者を出し抜き、手に入れようとする人間は絶対にいる筈だ。シドと名乗る男の行動如何によっては、そのツケはミラ達エルフに回ってくるだろう。
ミラはレントゥスに視線を移し、溜め息をつく。
奇妙な話だが、シドは言葉がわからない。信じられない速さで習得してはいるものの、繊細な交渉事には向かないだろう。オーガにそれを望めるべくもなく、必然的にシドのフォローはエルフの役目となる。――それなのに、レントゥスは憎しみを隠そうともしない。
師であったナグダムを殺され敵を打ちたいのはわかるが、状況を考えるべきだ。そもそも――拘束されていたエルフによれば――先に手を出したのはエルフである。そのことを踏まえて考えるとナグダムの対応にも問題はなかったとはいえないのだ。
ここ数日会話してみてわかったことだが、シドという男は必要なら殺すが必要でなければ殺さないという、ある意味とても交渉のしやすい相手である。言葉の問題はあっただろうが、誠意を尽くせばどうにかなった可能性が高い。――つまりは、一連の出来事はエルフ達が人間を危険視し過ぎ、それが跳ね返ってきたに過ぎない。そして、そうであるにも関わらずレントゥスの態度を黙認していることから、ミラが思う以上にシドは度量の大きい人間なのかもしれなかった。
――ともかく、レントゥスの態度は看過するわけにはいかない。
レントゥスがふざけた態度を取れば取るほど、ミラ達残りの三人がシドの視線から逃れやすくなるというメリットはあるものの、それがシド自身――ひいてはその支配下にあるミラやサラに悪影響を及ぼすとなれば話は変わってくる。
ミラには奴隷になるつもりはなかったし、妹を奴隷にさせるつもりもない。
それが筋違いの怒りによるものなら尚更だ。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
横を歩くサラが話し掛ける。
「……なんでもない。ちょっと考え事」
「ふ~ん。……これからどうなるのかなぁ」
サラが呟く。
「……人間の都市に入ったら、シドが騙されないように注意してれば大丈夫」
「ええ~。なんで私があんなヤツを助けなきゃいけないのよぅ」
ミラは思わずくすりと笑ってしまった。最初の頃の怯えようは見る影もない。例えどんなに遜ろうとも殺される時は殺されるし、逆にどんなに無礼な態度を取っても必要がなければ殺されない。――シドがそういう男だからだ。サラは少女特有の傲慢さでそれを感じ取ったのだろう。
「……もし、シドが騙されて財産を失ったら、騙した人間は私達も財産扱いする筈。……人間の奴隷になりたい?」
ミラは後ろに声が届くギリギリの声量で持って話す。
「絶っ対、イヤ! なんで私が奴隷なんかに――」
「……なら、協力しないと」
「ちぇっ、仕方ないわね……。というか奴隷って、今と何が違うのよ……。今もほとんど奴隷みたいなモンじゃない。だいたい女性を水も飲ませないで――」
「サラ。……ストップ」
さすがに少し不安になって後ろをチラ視するミラ。
――よかった。大丈夫だ。ほっと扁たい胸を撫でおろす。
「――ところでさぁお姉ちゃん」
突然ミラの耳元に口を寄せるサラ。
「……なに?」
「私思ったんだけど。――あいつさっき次に出会った者から水を奪うっていったじゃない」
後ろを気にしながら続ける。そして――
「――もし、貴族とか兵隊とかが通ったらどうするのかしら」
サラはそういうと面白そうに笑ったのだった。
キルスティン=ウィトランドは面付き兜に空いたスリットから血走った碧眼をギョロつかせた。
北と南。二つの方角から続く街道を、目を皿のようにして凝める。いつでも動き出せるように、半ば癖となった動作、膝の曲げ伸ばしを行いながら頭の中で与えられた任務を反芻する。
――襲うのはミルバニアの馬車。馬車には護衛が付いている。
キルスティンが潜む森とは道を挟んで反対側を見る。森の中に、キルスティンと同じように潜む者達を。
――開始は弓による奇襲挟撃。
後ろを見る。今回キルスティンが率いてきた部下達。緑と茶色。森の中に溶け込めるよう迷彩を施した革鎧を全身に着込んでいる。作戦立案時には、盗賊に偽装する事も考えられたが、装備による不利を嫌い機動力を維持出来る最良の物を使用することになった。皆、腰に剣を佩き、手には弩を持っている。
――斉射の後、剣で斬り込み、対象を確保。護衛は殲滅。
南を見る。予定通りならばもう少しであちらから現われる筈である。護衛はミルバニアの騎士。馬鎧を載せた軍馬に板金鎧を着ているだろう。平野では相手にならないがここは森の隘路。懐に入り込めば武装した軍馬など動きの妨げにしかなるまい。
――目撃者は出さない。
こればかりは運の良さを祈るしかない。幸い二国間のきな臭い雰囲気に街道は殆ど通る者がいない。朝から配置についているが、文字通り数える程の者しか見掛けなかった。
「そろそろ、見えてもいい頃合だ」
背後から嗄れた声が掛かる。キルスティンの背に冷たい物が走った。
後ろにいるのはフード付きのローブを着た老人だ。
「準備は万事整っている」
「それは上々。失敗してお互い嫌な目に合うのは避けたい所ですな」
老人は何とも思っていない顔で云う。
失敗して処分されるのは自分だけだろう――キルスティンはわかっていた。貴重な魔法士を一度のミスで捨てるはずがない。しかも、この任務は実質キルスティンに与えられたものなのだ。
どれだけの権限が与えられていようとも、監視役は所詮監視役に過ぎない。責任はキルスティン一人が背負わされることになるだろう。
奇襲で混乱させ突破する。これが出来なければキルスティンの命は風前の灯火だ。陣形を組まれれば歩兵の剣では完全武装の騎士を仕留めることは不可能に近い。
――だが逆に、完全武装の騎士は魔法のいい餌食でもある。
本来なら、相手と打ち解け協力して貰うべきだ。騎士が円陣を組んだ所に火魔法でも打ち込めば、奴等は鎧の中でローストされるだろう。理解してはいるのだが、キルスティンにはどうしてもこの老人と仲良くする気になれなかった。命令が正式な物だから行動を共にしているが、そうでなかったら同じ空気を吸うのも避けたいぐらいだ。
魔法士自体がそもそも恐れるべき存在であるのだが、目の前のこの老人は輪をかけて不気味だった。
監視だけが目的ではないとしたら――その魔法が向けられる相手は騎士達なのか。あるいはもしかして――
「キルスティン隊長。見えました」
部下の囁く声に我に返る。横を見ると、長年任務を共にした部下が、南の方を指差していた。
遠く、南の方に列をなして進んでくる集団が見える。
「健闘を祈っておりますぞ」
「……手伝わないのですか?」
キルスティンは一応声を掛けてみる。
「――はて。そのような命令は受けておりませぬが」
老人の馬鹿にしたような物言いにむっとくる。
「なら、せいぜい流れ矢に当たらぬ場所に隠れているんですな」
「ひゃっひゃっひゃっ。私の方に矢が飛んでくるような腕ではそなたらの命運も決まったようなものだ」
老人は嗤うと、木々の間に姿を消す。
部下が唾を吐き捨てた。
「まったく。魔法士というのはどいつもこいつもロクでもない奴ばかりですね」
「気にするな。今は任務に集中しろ。――あんな奴のせいで失敗したらそれこそ馬鹿らしい」
キルスティンは部下に指示を出し、自分も配置についた。反対側の森に潜む部下にも合図で指示を送る。
これまでとは違うジリジリとした時間を過ごす。顔を隠すためにつけているヘルムから汗が滴った。
馬車を中央に配した武装した軍馬の一団が近づいてくる。キルスティンが無言で弩を構えると部下もそれに倣う。
先頭をやり過ごし、待機場所に馬車が来るのをじっと待つ。
――一秒。――二秒。――三秒。
馬車が獣の顎に入る。
キルスティンは己の運命を決める一矢を放った。