鎮守の森にて―会敵―
表記の違いについて
言葉を話せる魔物が放つ言葉で、特に意味のない雄叫びなどはローマ字表記で、日本語表記は意味が込められています。
武器の場合は、漢字表記だとイメージが湧きにくいものは最初だけルビ振り漢字で、あとは外来読みにしています。漢字表記でもイメージがパっと湧く物は漢字表記のままです。
『……座ってますね』
「そうだな……」
空き地に舞い戻ったシドが見たものは、半壊した岩の椅子に腰掛けるオーガだった。周りには武具で身を固めたオーガが七体程。腰掛けたオーガは一回り体が大きい。身の丈ほどもある戦斧を持ち、血走った目で辺りを睥睨している。
「エルフがいなくなっているな」
中央に放置したエルフは影も形もない。
『いるじゃないですか! あそこに!!』
金髪のエルフは大きなオーガの足元に倒れ伏していた。
「一人はな。もう片方はどこだ?」
『さあ。食べられたんじゃないですか?』
「……お前も大概ひどい」
緊張感のない会話をドリスと交わしながら、シドは巨岩の手前まで進む。周りのオーガは唸るだけで襲ってはこない。岩の近くで止まり、座るオーガを見上げた。相手もシドを見下ろしてくる。
シドが何もしないでいると、オーガが足元のエルフを片手で掴み上げた。見せつけるように前に掲げ、ニヤリと口を歪ませる。
『うっわー、マスター相手に人質とか。――私を笑い死にさせるつもりなのかしら、このオーガ』
「(その云い方だと、まるで俺が血も涙もないように聞こえるのだが――実際血も涙も流れていない身としては返答に困るな)」
『うまいこといったつもりですか!』
岩の根元に待機しているオーガの一体が武器を肩に載せ近づいてきた。シドを甚振るつもりなのであろう。口がニヤニヤと笑っている。
「不愉快な奴等だ」
シドが吐き捨てる。
オーガが持つのは片手剣である。腕、胸から脛にかけて防具をつけ肩と足は剥き出しだ。笑いながらシドの顔に剣を突き出す。頭の中では顔を切り裂かれのたうち回る想像でもしているに違いない。
シドは敢えて動かなかった。
ゴツリ、という感触にオーガが怪訝そうに眉を顰めた。
血は、出ない。
シドが動く。頭に思い描く動きをなぞる為、駆け巡る電子の流れ。胸部のモーターによってシリンダ内に送り込まれた液状筋がトルクを発生させ、関節部のサーボが狙いを微調整する。
普通の人間には視認できない速度で振り抜かれたモーニングスターがオーガの頭を消し飛ばした。
血と骨の欠片と脳漿が舞う中、周りのオーガが殺到する。
「GAAAAAA!]
放たれる殴打刺突斬撃を冷静に一つずつ避ける。
敵は六体。だが同時に攻撃を仕掛けることはできない。正面とその左右。初動の三撃を凌ぎ、後は躱す方向を調整することで相手の攻撃を誘導する。
彼我の距離、武器のリーチの違いからもっとも危険度の高いものを選別し、優先して対処する。肉体疲労というものがなく、緊張による硬直もないシドの動きはスムーズだ。
一撃は避け、残りを槍とモーニングスターで弾いた。これが人間ならばオーガの膂力に負け体勢を崩すだろうが今回ばかりは逆だ。
庭師が雑草を刈るようにオーガの命を刈り取る。
シドの一撃は鎧の上から肉を叩き潰し、急所を貫く。回避と回避の僅かな合間に放たれる予備動作なしの致命の一撃はオーガ達から命と戦意を奪っていった。
五匹目の腹部に槍で穴を開けたシドは一旦手を休める。
残りの二匹が襲いかかってこないからだ。
シドは首を傾げて待った。
二匹は迷うように顔を見合わせ、シドから距離を取ろうとする。
「∃※∂♀∝!!」
「▲∞β∥☆□! ♯〜♀○U!!」
群れの頭らしき大柄のオーガが何か叫んだ。それに叫び返す二匹の内の一匹。
「(おいおい。喋ったぞ、あいつ等)」
『何をいっているんですか、マスター。よく考えてみてください。エルフを連れ歩くのと、あのオーガを連れ歩くのとどちらがいいですか?』
「(………)」
『さっさとオーガを倒してエルフを回収しましょう』
「(……少し待て。何かするようだ)」
エルフを抱えて降りてくるオーガ。
そして、何故かシドではなく仲間であるはずの二匹を忌々しそうに睨みつけた。
金髪のエルフは真っ青な顔でシドに縋るような目を向けてくる。
「(妙な立場になった気がするのは俺だけか?)」
『助ければ好感度アップ間違いなしです!』
オーガはエルフを放り投げた。紐で拘束されたままのエルフは這って逃げようとするが、その前に二匹のオーガが立ち塞がる。
エルフを手放したオーガは両手で戦斧の柄を掴みシドに身構えた。
近くで見ると大きさが際立つ。三メートルは超えているだろう。手足の先に革の防具を付け腰には毛皮を、上半身は裸だ。
じっとシドの仮面を睨むオーガ。
「――どうした。こい」
「!? ――GRAAAAA!!]
挑発すると戦斧を持ったまま突進してくる。
シドはモーニングスターを捨て、槍を同じように両手で持った。穂先は横に向け、柄を前に待ち構える。
オーガが一歩踏み出す度地面が揺れる。
シドがいかに重いとはいえ、まともにぶつかったら体躯を持っていかれるだろう。激突の瞬間、膝を伸ばし関節を固定。力を大地に逃がす。
ゴイィィン――と、重い金属同士がぶつかる音がした。
横で静観していたオーガが目を剥いて驚く。
両者は柄を交差させる形で静止していた。シドの足が多少土にめり込んでいるがそれだけだ。ギリギリと音が聞こえそうな程口を噛み締め力を込めるオーガ。
シドは笑いながらそれを押し返した。
オーガの顔が真っ青に変わっていく。これは流れる血が青いせいだが、青かろうが赤かろうがシドにとっては同じことだ。流れる汗と形相がオーガの焦りを物語っていた。
無理だと悟ったのか、後ろに飛び退き戦斧を叩きつけてくる。シドは右手に持った槍で弾いた。
「GUOOOOOO!!!]
縦、横、斜め、そして正面。あらゆる方向から力任せの一撃が振るわれる。技術もなにもない腕力任せの戦い方はシドにとって好都合だった。非力な者が勝利するには力以外の物を利用するしかないのだから。力に頼っている限りシドに勝つことは永遠にないだろう。
「∃∪⊿※!」
バカな、とでも言ったのだろうか。
シドは渾身の力が篭もった振り下ろしを変わらぬ様子で受け止めた。
オーガは歯を剥き出しにして唸った。頭の中ではどうすれば目の前の敵を殺せるかという問いが渦巻いている。人間にしては大きいがそれほど力があるようには見えない。そして目の前の人間からは魔法の光が一切感じられない。
ならば――武器の力か。
オーガは自分の戦斧の柄を見た――最初のぶつかり合いで多少曲がってしまったそれを。敵の槍は曲がっているようには見えない。何か特殊な武器なのだろう。そこまで思い至り、ニヤリと笑う。
例え魔法で強化しても人間がオーガに力で打ち勝つことはない。何より自分は群れで最も強い力の持ち主である。あの武器を手放させれば自分の勝ちだ。
戦斧を地面に突き立てる。
両手を上に挙げ、素手であることを示した後、前に突き出し指と肘を軽く曲げた。そして――
「カカッテ コイ」
拙い言葉で告げた。
「∽∉α※∂」
目の前のオーガが、武器を手放し素手で構えを取ると何か話しかけてきた。
「(これって素手で戦えっていってるんだよな)」
可笑しそうにシドがいった。
『でしょうねえ。こーいうのを脳筋っていうらしいですよ』
「(乗ってやるか)」
シドは自分も射撃槍を地に突き立て素手になると、両手を前に突き出した。
ジリジリと距離を詰めてくるオーガ。ある程度まで近づくと一気に飛びかかってくる。両手をシドの手と組み合わせ、
「グフフフフ」
と笑った。
『うわ~。すっごい嬉しそうなんですけど……。なんか可哀想になってきました』
オーガが嵩にかかって潰そうとしてくる。丸太のような腕の筋肉が膨れ上がり、血管が浮き出た。シドは涼しい顔でそれに耐える。体重を利用して何度も力を掛けてくるがビクともしない。
予想と違う結果に、オーガの表情がだんだん変化していく。笑顔から不審、不審から驚愕。そして驚愕から絶望へ。
その変わりようにドリスが吹き出した。
シドは無言で力を込め始める。高さでは相手が上なのでまずは指と手首からだ。
徐々に手首が逆に曲がっていく。骨が折れるのを防ぐためには腕自体を下げるしかない。結果、オーガの身体そのものが下がっていった。頭の上にあった目線が同じになり、遂にはシドに跪いた格好になる。
もうこれ以上下がりようがなくなると、オーガの焦りがいよいよ激しくなってきた。
折れる一歩手前で止める。
「⊿※∑∬◇§×!」
泣きそうな顔で必死に何か叫ぶオーガ。腕からは押し返そうとする力ではなく、後ろに逃れようとする力を感じる。
シドは腕を離してやる。
オーガは後退して距離を取った。痛そうに腕を抑える。戦いの構えを解きシドを凝めるその顔からは敵意が消えている。そして、目を瞑り何やら考えた後――
「∂⊿●♀h」
他のオーガに言うと、傍観していた二体がエルフを連れてきた。
エルフをシドの前に投げ出す二体。大柄な個体の横に並ぶと横一列になる。そして黙ってシドを見た。
『降参でしょうかね?』
警戒しつつ、シドはエルフに手を伸ばす。ぐったりしたエルフを肩に担いでもオーガは反応しなかった。
『殺さないんですか?』
「邪魔をしないなら、な。コンテナとワイヤを回収してここを離れる」
そう言ってシドが歩き出そうとした時だった。三体のオーガがいきなり武器を構えて――一体は戦斧を拾って――戦闘態勢をとったのだ。
シドは舌打ちして攻撃に備える。やはり面倒臭がらずに殺しておくべきだったか――と頭の中で思いつつ。
しかし、いつまでたってもオーガ達は襲ってこない。それどころか、その視線はシドを通り越して後ろへ――
オーガを視界に捉えたまま半身を斜めに。視線の先を辿る。
「∋≠▽∀E!」
肩に担いだエルフが叫び、
「クソが」
シドは口中で罵る。
「∇×☆K※〜∃!!」
――そして続けて言葉を発したのは、新たに姿を見せたエルフの集団だった。
空き地を奇妙な沈黙が支配していた。
新たに登場したエルフ達が言葉を発してから誰も何も話さないからだ。
シドは己が相手の目にどう映るかを考えた。
日没前ならば完全な敵として見られただろう。だが今はオーガがいる。目の前の武装した三体のオーガ。周りにはシドが殺したオーガが倒れている。これはうまくいくと――
「(俺がオーガからエルフを助け出したようにみえるんじゃないか)」
『……エルフの口を話せないように塞いでいればそうだったかもしれませんね』
「(……だよな)」
ドリスに言われるまでもなくわかっていた。エルフの口を自由にしている以上誤魔化しは効かないだろう。まさか今からそれをやる訳にもいくまい。
あと数分早ければオーガと戦っている最中であり選択肢も多かったと思うのだが、オーガからシドに対する戦意が消えてしまった今、とる行動全てはエルフの意にそぐわない物になるだろう。
新たに来たエルフの六人をシドはこっそりと観察する。剣が一、弓が三、杖が二だ。剣と弓の四人は無視してもいい。はっきりいって人型の生物が物理攻撃でシドにダメージを加えるのは不可能に近い。警戒しなければいけないのは魔法であり、杖を持っている二人だ。
エルフを足元に落とし、モーニングスターを拾い上げる。こびりついたオーガの肉片が血の糸をひいて落ちた。
「÷〃L⊿⊥!」
剣を持ったエルフが鋭く声を発する。
『何かいってますよ?』
「(理解できない。無視で構わん)」
『たぶん武器を捨てろって言ってると思います』
「(無視だ、無視)」
『いいのかなぁ……。とりあえず、マスターが言葉が理解できないって教えておいたほうがいいんじゃないですか?』
「(どうやってだ)」
『適当に一言喋ればいいと思います』
「こういう風にか?」
シドが言葉を発すると、エルフ達が狼狽えて顔を見合わせた。仲間内で二言三言会話し、剣を持ったエルフが前に進み出る。
そのエルフは剣を右手に持ち、左手でそれを指差した後そっと地面に置いた。そしてシドに顎をしゃくって同じようにしろと態度で示す。その間、三人のエルフはオーガ三体に油断なく弓を向けていた。
「生憎だが、俺には武器を捨てる理由がない」
理解できないとわかっていて敢えて発声する。そのまま動かないでいると、エルフが首を振って剣を拾い上げた。
「♯⊿▼∑I∵!」
「∩○√A∬!!」
拘束されたエルフが何か言い、六人の中の杖を持った長髪のエルフが答える。シドがそれを黙って見ていると会話が進んでいくうちに六人のエルフの表情がだんだんと険しくなっていった。
「……≧☆F⊿♯」
短髪の杖持ちが短く言葉を発すると中空から光が滲み出てくる。光は六つに別れ、六人それぞれの身体に染み込んだ。
『マスターッ! 魔法です!!』
「わかっている!」
杖持ちは中央と後ろの位置だ。シドは両手に武器を構え突っ込んだ。モーニングスターを剣を持ったエルフに叩きつける。エルフは躱し、剣で胴を薙いできた。
射撃槍で受け止め、蹴りを入れようとした所に矢が飛んでくる。狙いは顔に一、胴に二だ。顔は避け、胴は槍を動かし弾く。ほぼ同時に剣が喉に突き進む。
モーニングスターで刺突を受け流す。首の外皮が薄く切られた。血が出ないことに眉を顰めるものの手を休めず剣で斬りかかるエルフ。
躱し、受け、弾くも少しづつ外皮に傷が増えていった。外皮の傷は再生するのに時間がかかる上、エネルギーを補給する手立ては今の所レーションしかない。そして出港の際の積載量は五十%である。シドはだんだんとイラついてきた。
魔法が飛んでこないのは助かるが、それが逆に不気味でもある。何が来ても壊れない自信はあるが外皮は別だ。表面が全てなくなると再生に一週間以上かかる。その間ずっと森にいなければならなくなるだろう。
「GURUAAAAA!!]
シドが槍を本来の使い方で使おうと思った時、後ろからオーガの雄叫びが聞こえてきた。
「⊿×☆¶――」
オーガの動きに長髪のエルフが叫ぶ。魔法を警戒していたシドは言い終わる前にモーニングスターを投擲した。
剣を持ったエルフはオーガとシドの動きに囚われ、放たれたそれを迎撃出来ない。
大気を引き裂き飛来するモーニングスターに長髪のエルフは目を見開いている。
「……÷⊿∂X」
命中の直前、もう片方の杖持ちエルフが短く唱えると、モーニングスターはエルフの前面で何かに当たって弾かれた。衝撃は多少突き抜けたらしく、命拾いしたエルフは体勢を崩す。
その間にも他のエルフは矢を放つ。オーガの前にシドを片付けておこうという腹積もりか。
投擲が不首尾に終わったシドは槍で放たれた矢を弾こうとし――
「GRAAAA!]
――その前に、巨大な戦斧が矢を叩き落とした。そしてそのままエルフの集団に突撃していくオーガ三体。
「――む?」
『え?』
――ここに異色のタッグが産声をあげた。