鎮守の森にて―追跡―
『――とうとうそれを装着する日がきたのですね、マスター』
そう話すドリスの声音には無駄に畏れらしきものが含まれていた。
「……バカにしているのか、お前は」
毒づいたシドは手に持った仮面を装着した。
一瞬視界が薄暗くなるが、すぐにセンサーが補填し元に戻る。
『とても似合ってますよ、マスター。――ププッ!』
「……黙れ」
戦闘が終わった後も、余韻に浸ることなく事後処理を行う。
(まずは槍の回収だな。だが、その前に……)
エルフ共が使用していた弓から弦を切り離し、紐を作る。
――シドは、紐を持っていなかった。
紐は森中行軍において最も使用される道具の一つである。
このことに気が付いた時、己の迂闊さを呪いたくなったが、よく考えてみれば船にそんな物はなかったことに思い至り、気を持ち直した。
シドは雑貨屋ではない。使いもしない道具を持っている訳がない。宇宙での艦船戦闘のどこに紐の活躍する場があるというのか。
金髪のエルフが持っていた弓は小さいが、後の二人が持っていた弓は弦が長かった。荷物を漁って予備も使用する。動物の腱だろうか。かなり丈夫な素材だ。
つなぎ合わせた紐で気絶したエルフの手足を縛った。這いずってこちらに来ようとしている手首足首の腱を切断したエルフは、さらに肘と膝裏の腱も切ってやった。もう一人の腱を切断しないのはドリスに止められたからだ。
――ドリス曰く、人は絶望すると生きる気力をなくし会話をしなくなる。
そうなっては元も子もないので、ドリスの助言に従い金髪のエルフには希望を持たせ、もう片方には遠慮などしないという方針にした。
腱を切り終わると髪を掴み気絶したエルフの傍まで引き摺っていった。喚くそいつを無視し、槍を回収に向かう。
歩く時間を利用して考えをまとめる。
言語情報収集の為に、口を自由にした上で共に過ごす必要がある。数は複数いた方が効率がいい。なら、あの二匹を船に監禁するか――
――無理だ。船は生身の生物が生活できるようには作られていない。食事と排泄の為、どうしても外に出す必要が出てくる。外に出ている時に襲撃を受け奪還されるのはもっとも避けるべき事態だ。船の存在を知られたまま生きて戻られるのは許容できない。
そうなると、これまでとは逆に南西集落の存在がネックになってくる。
あの三匹が南西から来たという証拠は何もない。むしろ距離的に墜落現場に偶然近く居合わせ、様子を見に来たと考えた方が納得できる。
つまり、最悪こうやっている今も南西集落から船に向かって原住民が近づいてきている可能性があった。
生きた見本が手に入った以上、接触にこだわる理由はない。集落がエルフのものだという線もあるのだ。捕まっている同族を見つけた相手がどう出るかは考えるまでもないだろう。
「――しかし、逃げきれるか」
槍を回収し、来た道を戻りながら独りごちた。
足元を見るとくっきりと行きの足跡が残っていた。射撃槍を手にしたシドの重量は軽く一tを超える。宇宙では気にもしなかった己の自重が文字通り重くのしかかる。
――もし、南西集落からエルフが派遣されていたなら
――もし、既に近くまできていたなら
――もし、二回の爆発音を関連付けられる頭の持ち主だったなら
仮定の連続になるが、この三つが重なった場合、追跡を振り切るのは不可能だ。
シド単体ならどうとでもなる。疲れ知らずのこの体躯で駆け通せばいいからだ。しかし今は捕虜がいる。
「普通、未開の星に不時着した人間は生き残るためにサバイバルとやらをやるんじゃなかったのか……」
それがどうしてこんなことに……、とシド。
『そもそもマスターは人間じゃないですし、サバイバルどころか隠れて寝てれば死ぬことはないじゃないですか。こーいうのを自業自得っていうらしいですね』
「お前、土に埋まった船の中で何千年も過ごしたいのか? 望むなら休眠モードに入ってもいいんだぞ? ――もちろんお前だけな」
『え……いや、それはちょっと……』
「それよりも、だ。あの金髪の個体が出した炎だが、何かわかるか?」
『……私の願望なんか興味ないっていったくせに』
「……興味がないとは言ってない。データベースに載せるなと言ったんだ。――いいから話せ」
『しょうがないなぁ』
うふふ、と笑うドリス。
『あれはおそらく本でいうところの魔法だと思います。描写がそっくりでした』
「……魔法だと?」
『はい。何か言葉を発した後、向けた手の先から出て来ました。本に書いてあった通りです』
「……対応策はあるのか?」
『んー、必要ないんじゃないでしょうか』
「危険ではないのか?」
『普通の人間にとっては危険だと思いますが、マスターにとってはそうではないかと……。はっきり言って、マスターの体殻と覆っているナノコーティングの組み合わせは凶悪かと』
「外皮は無理か」
『はい。さすがにそれは燃えたり凍ったり切れたりするはず……です。勿論、私の予想もつかない魔法が出てきたら保証の限りではありませんが』
あくまで本の知識です、と締め括ったドリス。
『……戦うのですか?』
「そうなる可能性があるというだけだ。まだ未確定だな」
『私はマスターと戦う相手に同情しますよ。マスターの体躯は造った軍部も匙を投げた頑丈さですから』
「……そのせいで逆に兵士の寿命は短くなったが」
シドは可笑しそうに云った。
シドのような兵士の原型が造られたのは、もう一世紀も昔のことである。まず中身を作り、その後素材を特定の手順で成型。物質は分子の集合体であるという概念を打ち破り、密度がある段階まで到達すると配列が崩壊し、分子が融着する特性を利用して単分子化された体殻は設計した科学者も驚きの高耐久を発揮したが、処理を司る頭部と出力に影響を与える胸部の拡張性の低さが問題となった。新技術を盛り込まれた補充兵が送られてくると古い体殻を持つ兵士はより過酷な戦場へと追いやられたのだ。中にはわざと死地に送り込み数を減らし、兵の補充を促すことで戦力の更新を図る指揮官すらいた。
それでも、汎用性の高さと維持費から大量に生産されたせいで今もなお戦場に居残っているのだが。
『マスターを破壊しようと思ったら、大出力のレーザー兵器で焼き切るか、恒星に放り込むか、隕石をぶつけるか――あああっ!』
「どうした」
『もしかすると隕石を落とす魔法があるかもしれません! 本によっては使われていました!』
「……そこまでくると備えようとするのがバカらしくなってくるんだが」
『まあ、あったとしても放つのに時間がかかると思います。さっきの炎も一瞬で出たわけではなかったですし……』
「なるほど……。つまり、なるべく時間をかけないで殲滅しろということか」
エルフの元に戻ってきたシドは口を閉ざした。
気絶しているエルフの腹を軽く蹴り上げる。
「――っ!!」
「□※×〜∽∂☆†!」
もう片方が何か言ってくる。
目が覚めた金髪のエルフが腹部を抑え呻き声を上げた。シドに気づくと睨みつけ、手足が拘束されているのがわかると視線がさらにきつくなる。
だが、人形のように横たわるもう一人のエルフを目にすると表情が青ざめた。
シドは手足の拘束を解き、素早く首に紐を結びつけた。反対側は輪を作り左手首に通す。
嫌がるエルフを引き摺って放り投げたコンテナを担ぎ直した。
一度射撃槍を背負い、右手で歩けなくなったエルフを持ち上げるとコンテナの上に無造作に置いた。
槍を右手に持ち直すと歩き出す。左手と繋がったエルフが喚きながら紐を両手で掴み抵抗したが、シドが意にも介さずにいると諦めたのか引っ張られる形でついてきた。
『マスター、こっちは北西ですが……』
「(少々予定を変更する)」
シドはエルフに気取られないよう話す。
『二人を連れて逃げるのですか?』
「(いや。足手まといになる。逃げ切るのは無理だ)」
エルフの血がコンテナを伝い、シドの腕に滴ってきた。
一歩踏み出すごとに、凄まじいことになった重さを地面に刻み付ける。
目的のものを探して黙々と歩いた。
開けた場所に出た。
「(ここがよさそうだな)」
シドはそう言うと荷物を降ろす。
『……なんでしょうか、ここ。明らかに怪しいんですけど』
「(……ふむ)」
シドは辺りを見回した。このような森の中にしては不思議なほど開けた場所である。歪な円状に木が失せており、切り株ひとつない。
端の方には巨大な岩があった。
『どう考えても誰かが意図的に作ったとしか……』
「(だがここが一番やりやすい)」
『マスタぁ、やめときましょうよぅ!』
「(例えそうだとしても日没まで借りるだけだ。問題はない)」
言い切ったシドは岩に近寄ろうとした。途端、連れているエルフが激しい拒絶を示した。
「※■△! ▼∃×∬!!」
怯えが酷い。シドにとっては幼児の駄々の如きものだが、愉快な気分にはならない。
首の紐を外し、再び手足の拘束に戻した。
エルフを地面に転がし、改めて岩に近づく。
よく観察してみると手前に段差が存在し、それを上っていくと岩を削り出したかのような台座があった。
『椅子……ですかね。これ』
「………」
肘置き、背もたれ。ドリスの言葉通りその岩はまさに椅子に見える。
シドは顎に手を当てて何やら考え込んだ。
ドリスは嫌な予感がした。こういう無駄に人間臭い仕草をした時のマスターは――
――シドが椅子に腰を下ろした。
『あ……』
「ふむ。中々いい座り心地だぞ、ドリス。お前もどうかね?」
ドリスをからかい、背もたれに体重を預ける。
――背もたれが、崩れた。
『あ――』
「………」
無言で立ち上がるシド。外套についた欠片を手で払う。下敷きになった背もたれ部分は重みで完全に砕け散っていた。
「どうやら――」
シドはつまらなそうに言った。
「ただの岩しかないようだな」
『――バカですか! いったいどうするんですか!? 人の持ち物かもしれないのに!! 冗談は選んでやってくださいといつもいっているのに!!!」
「喚くな、ドリス。どうせ日が沈んだらここを発つんだ。バレはしない」
『絶っっっ対知りませんからね! 持ち主にバレてどうなっても自業自得です!』
「わかったわかった。それより仕事にかかるぞ。遊びは終わりだ」
『遊んでいたのはマスターだけですっ!』
シドが戻ると、拘束されたエルフは目を大きく見開き、信じられないものでも見るかのようにこっちを見ていた。身体が大きく震えている。
「薬物でも常習していたのか、こいつ」
『――違いますよ! なんでそう的外れなんですか! 椅子の件に決まってます!!』
「……あんなものはただの石に過ぎん」
森に入りナイフで適当な木を切り倒す。削って杭を作った。開けた場所の中央にエルフを集め、拘束した手と足の紐を背中側でさらに結ぶ。これで転がることしかできなくなった。
次に、背中、手、足で作られた隙間に杭を当てると、拳を握り込んで上から打ちつける。これで、転がることもできなくなる。
コンテナを解錠し、中から手榴弾と単分子ワイヤーを取り出した。
「――では、始めるとしようか」
シドは口角を吊り上げそう言うと、森に姿を消した。
「――止まれ!」
リーダーの鋭い一声に、姉妹は立ち止まった。
ナグダムは黙って立ち尽くしている。長い耳がピクピクと動いていた。
「――今の、聞こえたか?」
「今の?」
「……?」
姉妹は顔を見合わせた。
それを見たナグダムは短く指笛を吹く。
しばらくして、前方からレントゥス、リード、ポーマックが戻ってきた。
「今、何か聞こえたものはいるか?」
リードとポーマックは肩を竦めたが、レントゥスが口を開く。
「僕は聞こえた。けどすごく小さい音だったから気のせいかと」
「気のせいではない。俺にも聞こえた。響き具合からすると発生源はそこまで離れていない」
「私達は全然聞こえなかったわよ? ねぇお姉ちゃん」
「……うん」
「一人だけならともかく、俺とレントゥスの二人が聞いているんだ。間違いないだろう」
「それで、音が実際あったとして、それがどうしたのよ?」
サラの言葉にナグダムは顔を顰めた。
「おまえはもうちょっと思慮深くなれといつも言っているだろうが」
「別にいいじゃない、そーいうのはお姉ちゃんの役目なんだから」
ねぇ、とミラに向かってサラ。
「……問題は明け方の爆発音」
「そうだ。あの時の音と関係があるかもしれん」
「だ~か~らぁ、それがどうしたのよ! 私達の目的は北東の調査でしょ!? 音なんか関係ないじゃない!」
ナグダムのこめかみに青筋が浮き出た。レントゥスが慌てて間に入る。
「もしかしたら調査対象が移動してるかもってことだよ、サラさん」
「だったら最初っからそう言いなさいよね! ――それで、それがどうしたのよ?」
レントゥスの頬が引き攣る。横目でミラに助けを求めた。
「……移動してるならこのまま北東に向かっても原因は掴めない。新しい音の方に向かうべき」
「なるほど。さっすがお姉ちゃん」
「……でも間違ってる可能性もある」
「……じゃあ結局どうするのよ?」
ミラはナグダムを見た。ナグダムは溜め息をつき、
「決を取る。ミラが言ったことを踏まえた上で答えてくれ」
そう言って五人を見回した。
「新たな音の方に向かうべきだと思う者は?」
ミラ、サラ、リードが手を挙げた。
「このまま北東へ向かうべきだと思う者は?」
ポーマックとレントゥスが手を挙げる。
「三対二か……」
「……あなたは?」
「俺は前者だ。新しい音の方へ向かう、だな」
「じゃあ決まりね!」
「……ちなみにレントゥス、何故そう思うか訊いてもいいか?」
かつての師の言葉にレントゥスは苦笑した。
「強いて言うなら安全の為、ですかね。最初の爆発音の詳細を調べればわかることがあるかもしれないと考えたからです」
慎重すぎる嫌いはあるが間違えでもない。ナグダムは薄く微笑んだ。
「もしかすると藪から蛇を出す結果にもなりかねん。ポーマック、それでもいいか?」
「多数決で決めたことだ。文句は言わないよ」
「レントゥス」
「僕も大丈夫。あなたを信頼しているから」
その言葉を聞き嬉しそうに頷くナグダム。それを見たレントゥスも顔を綻ばせる。そして――
「……あんたたち、出来てるんじゃないでしょうね?」
――サラが空気をぶち壊した。
「来てくれ! ナグダム!!」
前方からひどく焦ったリードの声。横方向にいたレントゥス、ポーマックと後方にいた三人は急いでリードの跡を追った。
リードの元へ辿りついた五人が見たものは、大量の虫に集られたエルフの死体だった。
「こいつはひどい……」
ポーマックの言葉通り、死体はかなり損壊が激しかった。上半身と下半身に分断されているが、虫が集っているだけで食い荒らされてはいない。
――これはつまり
「近いな」
ナグダムが囁くと、皆に緊張が走った。
「……耳」
ミラが呟いた。耳にイヤリングがついている。
「月形ってことは、北の方の部族かしら」
「……そう」
ナグダムはしゃがみこみ死体の断面を見た。
「こいつは剣で切ったものじゃない。……それに中間部が足りない。どこにいった?」
周囲を見る。辺りには血と肉片が飛び散っていた。
「爆発系の魔法でも使ったんじゃないの? さっきの音はそれだったのかも」
「いや……。――違うな。これを見ろ」
ナグダムは地面のある一点を指し示した。
「足跡がかなり沈み込んでいる。鎧を着た魔物の線が濃い。人型でかなり重量がある奴だ」
「そうなるとオーガやトロール、ミノタウロス――は違うか。蹄だから」とレントゥス。
「ミラ、この辺りにオーガやトロールの巣があると聞いたことは?」
ミラは首を振った。
「……この辺はあまりきたことないから。でも、北東のあれのせいで移動している可能性もあるから、いても不思議じゃない」
「結局そこに行き着くわけか……」
難しい顔をするナグダム。足跡は北西に向かって続いていた。
「ねえ、オーガやトロールって血の色は青だったわよね?」
「そうだ。肉体の一部が物質化した魔力で構成されてるからな」
「……じゃあこれは?」
サラが爪先で地面をつつく。赤い血が足跡に沿って点々と落ちていた。
「……捕虜になった」
「迷う必要がなくなったな」
「でも、もうすぐ日没です。大丈夫でしょうか……」
レントゥスの指摘に、皆、空を見上げる。
「生きて捕まったのならいくしかあるまい。速度を上げよう」
ナグダムが立ち上がっていい、五人は頷き合った。
誰の心にも、村を出るときに有った好奇心はもはやなく、戦いへの覚悟だけが残っている。
明確な意思と共に歩き出す六人を、もうすぐ沈もうとする太陽だけが見ていた。