鎮守の森にて―流星―
鎮守の森、という場所がある。
人間の作った王国、国名ともなっている首都であるウェスタベリから馬で西へ十五日。そこの王家直轄領にあるボラス村からさらに西へ山道を三日。明確な境界線などないが、そこに踏み入った者は自然に対する畏怖で己が居場所を知るといわれる森である。
その森の中心よりやや東寄り。そこに一つの村落が存在する。
自然の形をなるべく残すよう木々で造られた家々は中央にある噴水を囲む形で配置されていた。西側にひときわ大きな建物があり、その周りの棟はそれよりも少し小さな建て屋だ。
平時であれば、乳を搾るための家畜がのんびりと草を食み、放し飼いにされた猟犬の子供がじゃれ合っている、そんな平和な光景が見られただろう。
だが、この日は違った。
村では今、鐘の音が鳴り響く中、大勢の者達が慌ただしく動き回っていた。男達は仕事の手を止め、家に戻ると武器を手に取りまた家を飛び出す。女達は村中に散らばった少数の子供達をかき集め家に帰し、それが終わると自分達も武器を取り、男達のあとに続いた。
「レティ、何があったんだ!?」
村の外から駆けてきた大柄な青年が、自身と同じ金の髪を持つ少女に声をかけた。
「兄さん!」
少女――レティシア――は兄であるレントゥスのもとに走りより、綺麗な顔に困惑した表情を浮かべた。
「私にもよくわからないの。櫓で見張りをしてたマーロンがいきなり騒ぎ出して村長の家に走ったと思ったら……」
「魔物の群れでもでたのか……?」
レントゥスはレティの手にある弓をチラリとみた。
「動けるものは武器を持って広場に集まれって村長が」
「そうか――。 なら僕達もすぐに向かおう」
レントゥスは狩人である。魔物の徘徊する危険な森で活動していた為、背中には複合長弓と矢筒を背負い、腰のベルトには短剣を挿していた。
「他のみんなは?」
「戻っている最中だろう。僕は村から近かったんだ」
二人が村の中心にある広場に着くと、そこには既に八十を超える住人が集まっていた。各々が得意とする武器を持ち、近くの者と話し合っている。
「来たか、お前達」
二人が近付くと、微かな皺が見え隠れする以外は、レントゥスとそっくりな男性が声をかける。
「父さん! 一体何が起きたんだい?」
「それが俺にもよくわからんのだ。マーロンがなにやらとんでもないものを目撃したらしいのだが……」
「とんでもないものって……、ドラゴンでも近くに飛んできたのかしら」
「さあ、な。すぐに族長から説明があるだろう」
「……ところで、母さんは?」とレティシア。
「アルティなら共用倉庫だ。薬の準備をするようにいわれたらしい」
腕組みし目を閉じる父――ミエロン。
首を傾げて考え込むレティシア。
緊張に肩を強ばらせるレントゥス。
そんな三人に緑の髪を持つ男性が話し掛けた。
「肩の力を抜け、レントゥス。そんなザマでは矢を真っ直ぐに飛ばす事もできんぞ」
「ナグダムか」
目だけで微笑むミエロン。
ナグダムという男は長剣を佩いている。村では珍しい部類だ。ミエロンと同じように微かなシワが浮かぶ顔。背は大柄なレントゥスよりもさらに高い。周りから一つ抜きん出ていた。草の汁で染めたマントと篭手を填めている。
普段と変わらない落ち着いた様相のナグダムに、レントゥスの体から力が抜ける。
「実体なき敵を相手にする場合、最も必要なのは警戒心ではない。柔軟な心だ。いつもいっているだろうレントゥス」
「……はい」
「これが終わったらしごいてやるから楽しみにしていろ」
「うえぇ……」
うなだれるレントゥス。レティシアはまたか、といった風にそれを見た。
ナグダムはレントゥスの師である。小さな頃から師事し、とっくに彼の元から巣立っているのだが、今だ至らぬ所を見つけられるとその名残で説教を受けるのだ。
「話は終わりだ。族長が来たようだぞ」
ミエロンの言葉に三人は視線を広場の中心に向けた。
そこには純白の髪を持つ皺深い老人が、一人の供を連れて静かに佇んでいた。背筋をピンと伸ばし、理知的な瞳で全体を見ている。
ざわめきが徐々に収まっていく。
口を開く者がいなくなってから、老人は話しだした。
『――皆の者、よく聞くのだ』
大声を出しているわけではないのに、老人の声は広場にいる全ての村人の耳に届いた。
風魔法である。自分を中心に作り出した風の流れに声を乗せているのだ。
『先程、マーロンから報告があがった』
老人は隣の人物に目をやった。
『マーロンがいうには、天より巨大な輝く何かが降ってきて、ここより北東に落ちたらしい』
『かつてのドラゴンの例がある。追い立てられた魔物共が大挙して押し寄せるという事もあり得る。二、三日は村人総出で警戒に当たって欲しい』
『――それと北東と人間の国との境界線に派遣する班を作りたい。半数を狩人で、残りを選出するので追跡、治療、魔法スキルの高いものはこの後私のもとへ』
『安全が確認されるまでは森への遠出を禁じる。どうしてもいかねばならぬ時は決して一人では行動せぬように』
『なお、子供達には仔細教えず、魔物が出たとだけ説明する。口を滑らせぬよう気をつけてくれ』
族長の話が終わると、広場は一気に騒然とした。
話題は勿論マーロンが目撃したという、天から降ってきた輝くモノのことである。俄かには信じがたいが、マーロンが嘘をつくとは思えない。第一内容が子供でも信じないようなものだ。では、もし事実だとしたらその正体は一体なんなのか――
村人たちは好き勝手に憶測をとばし始める。
――曰く、古の魔王が蘇った
――曰く、空から地上に放たれたドラゴンのブレスである
――曰く、人間達の開発した新魔法である
――曰く、地上に神が降り立った
実際ありえそうなものから荒唐無稽なものまで、三々五々に散りながら話し合う村人ら。
ナグダムは溜め息をつくと族長の元へ向かう。ミエロン親子もそのあとに続いた。
族長の周りには、レントゥス含め十人の狩人と、ナグダム、ミエロン、――そして何故かレティシア――の他、腕に覚えのある者数名が集まった。
「ではこれより選出する。日を跨ぐ故、大人数は割けぬ。一班につき六人を予定している」
族長は言葉を切り、皆を見回した。
反応はさまざまだ。目を合わせ力強く頷く者。不安そうに俯いている者。子供のように瞳を輝かせている者――
「狩人で最も年長の者から二人、年若い者から二人、その間から二人を。残りは――ナグダム、頼めるか?」
ナグダムは黙って頷いた。
「――済まんな、ミエロン」
「気にするな。当然の義務だ」
一歩前に出るミエロン。
「それに息子が行くのだ。むしろありがたい」
「――頼めるか、パイク」
「おう!」
勇ましく声を上げ、前に出る黒髪の男性。
「家族のためだ。なんだってやるぜ!」
「――ミラにサラ。二人共で心苦しいが頼む」
「「おっけ~」」
見掛け十代後半の女性二人が足並みを揃えて返事をする。ショートとロングで藍色の髪の長さこそ違うが、顔は瓜二つである。
「残りは――」
無言で一歩前へ出るレティシア。
ミエロンが顔を顰めた。
「レティシア! これは遊びではないんだぞ!」
レティシアは父の言葉に耳を貸さず、硬い表情でナグダムの目を見詰めた。
ナグダムはしばし考え込んだ後、
「人間との国境線に向かうのは――」
そう云って族長を見た。
「――派遣されるかもしれん調査隊、もしくはその形をとった軍を警戒してのことだろう」
族長が軽く頷くのを確認し続ける。
「予測のつく事態だ。北東に向かう者より危険度は低い」
「――ッ! ナグダム! レティシアはまだ子供だ!!」
「落ち着けミエロン。確かに年若いのは認めるが、我らの種族では八十年を生きれば成人と見倣すしきたりだ。――レティシア、お前が産まれて何年経つ?」
「八十六年です」
「うむ。それに実際腕も立つ。連れて行くのに支障は、ない」
一縷の望みをかけて族長に目をやるミエロン。族長は首を横に振った。
「残念だが、私情は反対する理由になり得ぬ。まして本人が志願しているのだ。だが、家族四人の内、三人が外に出ることを心配するお主の気持ちもよくわかる。……そこでこうしよう。人間の国との国境線にレティシア、ミエロン、パイクを。北東にナグダム、ミラ、サラを。狩人は長であるマティアスに振り分けを一任する。これに反対の者はおるかね?」
首を振る皆。ミエロンも、それならば、と矛先を引っ込めた。彼とても自分の言葉が私情だという自覚はあった。だがもしものことが起こった時、残される妻の身を考えると言わずにはいられなかったのだ。
もし何かあったら己の身を盾にしてでもレティシアを守ると心に決める。
その後、マティアスが狩人組を二つに分けた。
ナグダムが北東へ向かう班に入っている時点で、マティアスは人間側に決定となる。これはこの二人が最も戦闘経験が豊富だからだ。
「それぞれ、ナグダム、マティアスをリーダーとし、準備が整い次第出発してくれ」
その言葉が締めとなった。数日は野宿をして過ごさねばならない。現地で調達も不可能ではないが保存食は必須だろう。武器の手入れ道具や簡単な薬、水。それらを用意した後出発となる。
「父さん! レティ!」
出発までに空いた僅かな時間を使いレントゥスがやってきた。
レントゥスは北東組である。ミエロンもさすがに狩人の振り分けにまで口を出すほど厚顔ではない。
「気をつけてね、兄さん」
レティシアは不安そうだった。
「心配するな、レティ。ナグダムが一緒なんだ。彼が誰かに負ける場面なんか想像もできないよ」
レントゥスは妹に微笑んだ。
ナグダムは村で最も優れた戦士だ。戦士と狩人は似て非なる。狩人が相手にするのは魔物や動物だが、戦士が相手にするのは敵なのだ。明確な害意を持ってこちらに接してくる相手を打ち破り続けた男がナグダムである。
もしレントゥスが命を落とす事があったとしても、ナグダムが率いていたのだ。代わりに誰が率いても同じことだろう。
「それでも気をつけるのだぞ、レントゥス。ナグダムは確かに優れた戦士だが、お前は彼ではないのだ。油断だけはするな」
「油断なんかナグダムが許さないよ」
と笑うレントゥス。
「そろそろ行くよ。――父さん、レティも、気をつけて」
そう云い残し走り去る。小さくなっていく背を見詰めていたミエロンだったが、
「我等も行こう。皆を待たせるわけには行かん」
「うん」
そういうと息子の去った方向とは反対側にある門にレティシアと共に向かった。
ナグダムが率いる六人は北門から村を抜け森に分け行った。
魔法士であるミラとサラの双子の姉妹は薄いローブ、狩人は皮鎧と軽装であった。唯一ナグダムだけがミスリルに薄く革を張った篭手を装備していた。六人に共通するのは背中に背負った袋である。
何事もなければ出会うのはいつもの魔物くらいだ。もし事態が手に負えなかった場合、急ぎ村に帰還し対応を練ることが決まっていた。
とりあえず三日、北東へ進む。もし異変が何もなければ村へ戻り、異変があれば原因を探る。最長で十日の予定となる。
太陽は今だ中天に差し掛かっていない。日が暮れる前に距離を稼ぎたい。狩人組が先行し、中央に双子姉妹、殿にナグダムの順で森を進む。
朝から強烈な日差しである。湿度と相まって汗を流してない者はいない。
「あああ~、つぅ~い」
サラが情けない声を漏らした。首筋に張り付いた長い髪をうっとうしげにかきあげる。ミラも、何も言わないが表情は辛そうである。
「普段から外に出ないからだ」
後ろから声が飛んできた。
「しょうがないでしょ~が。狩人でもないのに慣れてるアンタが異常なのよ」
フンと顔を背けてサラ。口では泣き言を言いながらもペースは落とさない。もともと高い基礎能力を持つ種族だけあって、魔法士という職業ながら人間の斥候兵並の速度を維持できる。
「こんなことならローブに風魔法を込めとくんだったわ」
「……それは危険」
「ゴブリンやオーク共の矢が身体に突き立つより暑いほうがマシだろうよ」
「……わかってるわよそれくらい。……ああ……暑いわ」
それっきり無言になるサラ。話すと余計に暑く感じることに気づいたらしい。
ミラもナグダムも元々あまり話す方ではない。サラが口を閉じるとめっきり静かになった。
しばらくして、
「――む。前方が騒がしいな」
ナグダムの言葉に、さっと身構える姉妹。
三人が足を止め、様子を窺っていると樹木の間から狩人のリードが姿を見せた。
「ゴブリンと鉢合わせした! レントゥスとポーマックが誘導を!」
リードは足を止めずに最後方まで走り抜け、少し横にずれると弓を構えた。サラは姉の左後方に位置を変える。姉妹の手にはいつの間にか背負っていた短杖があった。
ナグダムは前方に躍り出ると、スラリと剣を引き抜いた。柄頭に黄玉の嵌め込まれた青白い刀身。下げた右手に力を抜いて持つ。
散発的な弦がしなる音と矢が柔らかい物に突き立つ音が近づいてきた。
レントゥスが、続いてポーマックが現れる。
二人は仲間の様子を一瞬で見て取ると、左右に分かれた。これでちょうどミラを中心とした星型の配置となった。
「【風の約束】」
ミラが唱えると、緑色の靄のようなものが中空の何もない所から染み出てくる。六つに別れ仲間と自身の身体に纏わりつく。
「【火の怒り】」
続けて唱える。今度は赤い色をしていた。ナグダム、レントゥス、リード、ポーマックの四人にかかった。
風の約束は素早さを、火の怒りは力を上げる魔法だ。一度発動されれば、纏った者の魔力を使用して効果を維持し続ける。
ナグダムは柄頭の黄玉に魔力を流し込む。刀身がうっすらと黄色く光り、硬度を増す。
これら一連の行動は流れるような動作で行われた。
レントゥスとリードが複合長弓を、ポーマックが複合短弓を構え終えた直後、緑色をした矮小な生き物が「グゲェェ」という蛙のような声と共に茂みから飛び出てきた。
人間の子供程の身長。痩せてはいるが筋肉質な体付きをしたゴブリンは、人数が増えていたので驚いたのか、小剣を振り上げたままとまどったように急停止した。
そしてそれはナグダムの目の前である。素早く近寄り逆袈裟に斬り上げた。悲鳴も上げずに倒れるゴブリン。
ナグダムが茂みから後退すると、わらわらとゴブリンが湧いて出る。
いきなり三匹が身体から矢を生やし後ろに仰け反った。ボロ布を纏っただけの肉体は当たりさえすればダメージとなる。速度を重視して身体の中心線を狙う狩人三人。
だが、いかに三人の矢を番える速度が早かろうとも、ゴブリンはそれ以上の数で押し寄せる。
「【氷の牙】!」
サラが叫ぶと地面から氷の柱が突き出た。回り込もうとする個体を下から貫く。
ナグダムは仕留めることよりも剣で威嚇し、最小限の動作で多数を封じ込めるよう動いた。
ナグダムが敵を押し止め、サラが状況を維持し、狩人達が数を減らす。ミラは中央で周囲を警戒しつつ、もしもに備えた。
一人一人がやるべきことを忠実にこなす。そこにスタンドプレーなどない。
――その結果、ゴブリン達は攻めあぐね、倒れる数が出てくる数を上回ってからは一気に数を減らした。
最後に残った二匹は、叫び声を上げて背中を見せるが、樹木の影に入る前に矢に貫かれた。
後に残ったのは、ゲェゲェと喚く傷を負ったゴブリンと死体だ。
「要らぬ手間を掛けさせてくれる」
ナグダムは瀕死のゴブリンの胸に容赦なく剣を突き立てた。まだ息のある個体にとどめを刺して回る。
「それにしたってひどい装備よねこいつら。防具も持ってないのかしら」
ゴブリンの死体を足でつつくサラ。
「……きっと貧乏家族だった」
「ロクな装備も持ってないくせにエルフの村の側に来るなんて、やっぱ何かあったのかしらね」
「……たぶん」
「たぶん?」
「……引越しの最中だった」
「………」
「……」
「ま、まぁ、そう言えないこともないわよね」
「漫才なら後でやれよ、お前ら……」
止めを刺し終えたナグダムが、ゴブリンが着ていたボロ布で剣の血糊を拭き取りつつ戻ってきた。
「どこが漫才よ! 姉妹愛を深めているだけじゃない!」
「……矢の回収が終わったら出発するぞ」
「おっけ~」
「……おっけ~」
「……ハァ」
ナグダムは溜め息をついた。死体の数を数える。そして、
「こりゃあ、もしかするともしかするかもな……」
そう、呟いた。