王都にて―地下道の戦い・中―
次の話が終わったら、しばらく戦闘は休憩にしたいよ、ママン
「――ふざ、けるなぁ!!」
獣のような速さで反応したヴェガスは、背中に飛びかかってきた犬のような不気味な生き物を殴り飛ばした。
顎が砕け、涎を撒き散らしながら吹っ飛ぶがまだ戦意を失っていない。踵で頭部を踏み潰す。人間なら圧力で中身が飛び出すが、これはそうはならない。余程体組織が頑丈なのだろう。
だが、殺せる。
「うわああああっ! ――く、来るな!! あっち行け!!」
「頭、コイツはやばいですぜ。一旦逃げましょう!!」
手下達が同じように襲われて悲鳴をあげた。
ざっと見てヴェガス達とほぼ同数の化け物が少し広くなったこの場所に侵入してきている。一匹一匹がタフで獰猛、五月蝿く吠え立てたりせず人間を襲うさまは訓練された軍用犬を思わせた。
ヴェガスは殺した化物の脚を掴むと、片手で振り回す。
「くたばりやがれ!!」
飛びかかってくる奴を弾き飛ばす。そうしながら倒れた奴の頭を踏み、化け物のど真ん中に突っ込んだ。
「かかってこいやぁっ! 犬畜生どもがっ!!」
空いた手でもう一匹掴みあげると、両手で風車のようにぶん回した。仁王立ちになったヴェガスの周囲を敵が取り囲む。
四方八方から飛びかかられ腕や脚に牙が突き立つが、深く食い込む前に振り払うことで深手を避けた。ヴェガスの丸太のような四肢は剛毛と筋肉に覆われており、鎧を貫通してきた牙をよく防ぐ。
化け物がヴェガスに集中したおかげで手下達に余裕が戻る。一匹に対して二人三人で対応することでなんとか仕留めていく。飛びかかられた不運な者は命を落とすが、その隙に周囲の者が短剣でメッタ刺しにする。
少なからぬ犠牲によって、敵は着実に数を減らしていった。
その様子を横目で確認したヴェガスは、なんとか凌げる――そう、思った。
「このおっ!」
男の一人がしゃがみ込み、短剣で止めを刺した。胸の部分に深く短剣が埋め込まれた化け物は死んだが、標的に選ばれた運の悪い仲間は、泡の混じった血を喉に開いた穴から垂れ流しながら仰臥している。男はそれに哀れみと安堵の混じった瞳を向ける。
――その顔に、誰かが持ったランタンが接触しそうになる。
男は慌てて手で灯りを遮ると、文句を云おうと顔を上げた。
「おいお前、一体何を考えて――がぁっ!?」
云いかけ、ビクンと痙攣する。
「――悪く思うなよ」
アキムはそう云って、男の首に突き立てた短剣を引き抜いた。ニヤリと笑うとキリイに向かって、
「今のうちに数を減らすぞ」
「……どっちが悪党だかわかりゃしないな」
キリイは死体から短剣を拾い上げた。そして狙うべきヴェガスの手下を物色する。確かに機会だと思う。どいつも自分の身を守ることに精一杯でアキムとキリイに注目している者がいない。
「それにしても――」
アキムは敵のど真ん中で獅子奮迅の活躍をしているヴェガスに目をやった。
「ありゃとんでもないバケモンだな。屍猟犬共といい勝負だぜ」
「先の事も考えているんだろうな?」
「……とりあえず、ヴェガス以外は殺っちまおう」
「……ハァ」
二人は息の合った動きで次々と男達を仕留めていく。だが、数が減ってくれば嫌でもその姿は目につくようになる。仲間の数が減ることに神経質になっていた手下達が真っ先に気づいた。
「頭ぁっ! 騎士共がっ!!」
その声にヴェガスがアキム達を見る。
「き、貴様等ァ! ――野郎共、まずはそいつらを始末しろ!!」
「……え」
云われた男達は戸惑ったように動きを止める。何しろ目の前では化け物のような犬が虎視眈々と自分達を狙っているのだ。そう簡単に無視出来る筈がない。
「――ぎぃあっ!?」
迷う男の一人に、屍猟犬が襲いかかる。
後ろには騎士。前には屍猟犬を抱えた男達は動きようがない。半分に分けて抗しようとも、前を受け持つことになる人間は間違いなく死ぬだろう。誰も自分が化け物の相手をしたくないと思い、その結果、男達は戦力を集中することも、二手に分かれることも出来ずどんどん数を減らしていった。
「――へ。どうやらオツムも猿並みのようだな」
アキムは屍猟犬の前に立たないように心がけ、ゆっくりと男達の相手をしていく。理想は両者が同じペースで数を減らしていくことだ。どちらか一方に戦局が傾けば、終いにはアキムとキリイが残った方になぶり殺しにされるだろう。
その様子を見て歯噛みするヴェガス。しかし動けない。騎士の相手をする為に動けば、今相手取っている化け物が手下達に襲いかかるとわかっているからだ。そうなると、騎士と化け物に挟まれるのはヴェガス自身である。
このまま手下が殺されていくのを黙って見ているしかない。怒りに脈打つヴェガスの手足から血が吹き出した。手下の命が失われることは損失的には大したことではないが、敵にいいように翻弄され、自分の物が失われるのはヴェガスには我慢できることではなかった。
何か手はないかと周囲を見渡すも、見えるのは暗がりへと続く四本の道と、化け物と手下と生意気な騎士のみ。
だが、先程アキムとキリイに救いの手を差し伸べた運命が、順番とばかりに今度はヴェガスに微笑んだ。
――灯りだ。暗がりの向こうに消える道の先から複数の灯りが近づいてくる。
夜行性の獣のようなヴェガスの目が、灯りを持つ人影を捉えた。
「クックック」
凶悪な笑みを浮かべる。この進退窮まる現状に楔を打ち込むべく、ヴェガスは己の最も信頼すべき武器――肉体――に力を込めた。
道から続々と湧き出る兵士達と騎士。そして彼等は目の前で繰り広げられる惨状を目にし、唖然となった。
不気味な犬のような生き物と、ヴェガスと思われる大男。その手下達と、何故かいる騎士二人――
三者がてんでバラバラに戦っている。
「おいおい、どうなってるんだこれは……?」
「あれは……アキムとキリイか? なんでこんなところに……」
「おい! 後ろがつかえてるんだ。早く進めよ!!」
皆、戸惑った声をあげる。
最前列の者は足を止めたがったが、状況がわからない後ろの兵士達がどんどんと前に押し出す。
アキムとキリイはそれを引き攣った顔で眺めた。途切れるということがないのか、出るわ出るわで兵士達はあっという間に屍猟犬とヴェガス一味を足した数よりも多くなる。数にして四十以上は確実か。これほどの多数で行動しているのなら、アトキンスも共にいる可能性が高い。
「おい、どうすんだ?」
「……様子を見よう」
アキムにしては消極的な意見だった。
「混乱に乗じて殺らないのか?」
「……シッ。迂闊なことを云うな。聞かれたらどうする。……とにかくアトキンスがいるかどうか確認するのが先だ」
アキムとキリイはヴェガスの手下達からジリジリと距離を取り始める。屍猟犬共の中から、兵士達に気づく個体が出始めた。前面の圧力が弱まれば、手下達はアキムとキリイに戦力をぶつけるだろう――そう思ってのことだ。
そして、後退するアキムの耳に聞き覚えのある声が聞こえた。
「――何をやっとるか、貴様等ぁ! さっさと進めぃ!!」
グイグイと人だかりを押しのけてアトキンスが前に出てくる。急いでいた為、簡単に付けられる部位しか装着しなかったアキム達と違い兜以外は完全装備だ。
前列に出たアトキンスが状況を見て硬直する。そこに、
「死ねやぁ、クソ共ぉ!!」
――ヴェガスが屍猟犬を蹴散らして襲いかかった。
背後から追いかけてくる屍猟犬を無視して、指揮官だと見定めたアトキンスに駆け寄ると拳を叩きつける。アトキンスは咄嗟に盾を構えたが、盾ごと吹き飛ばされ、後ろの兵士達の中に消えた。
屍猟犬を引き連れたヴェガスは、勢いに任せ兵士の群れの中を突き進んだ。
「こりゃひでえ……」
アキムが呆然と呟く。
兵士達の只中に突っ込んだヴェガスは水を得た魚のように暴れ回っている。後ろをついて来ていた筈の複数の屍猟犬は、その頃にはもう手近な兵士に狙いを変えていた。
初めて目にする不気味な姿に、恐怖を堪えて対処するも密集しているせいで重い一撃を振るえず、徒に相手を興奮させる兵士達。
混乱した者達がランタンや松明を落とし、増した闇がさらに恐怖を煽った。
「――チャンスだ! 行くぞ、キリイ!!」
「……いよいよか」
あまり乗り気でなさそうなキリイに声をかけ、修羅場に乗り込もうとするアキム。
そこに、ヴェガスの手下が襲いかかる。
「さっきはよくもやってくれたなぁ!!」
素早い動きで繰り出される刺突を、慌てて回避する。
「――くっそっ! こんな時に!!」
敵と同じように短剣を構え、睨み合う。お互いに相手の隙を窺い小刻みに移動する。
「アキムッ! ――チッ、こっちもか、よっ!!」
助けに入ろうとしたキリイは、襲いかかってきた男に相対する。
手下達を襲っていた屍猟犬の一部が兵士達の方へ向かった為、アキムとキリイに手を回す余裕ができたのだ。
「オイオイ、予定と違うじゃねえかよ……」
アキムが汗を流しながら云う。
五対二だ。勿論、アキム達が二である。再びの絶望的な状況に頭を悩ます。相手は皮鎧だが、アキム達は一部を抜いて簡略化した板金鎧である。一対一なら負けることはない。男達もそれがわかっているのか、無理に攻めようとはせず包囲を形成しようと詰め寄ってくる。
アキムとキリイは横に並び、ジリジリと後退した。ただの時間稼ぎだというのはわかっているが、他に手がない。
前方では、復活したアトキンスが怒声を飛ばしている。兵士達と少数の騎士はやっとまともに機能し始めているようで、外側に大きな包囲を作り、中にいるヴェガスと屍猟犬にまとまった数を順次送り込んだ。ヴェガスは相変わらず暴れ回っているが時間の問題だろう。屍猟犬も着実に数を減らしている。
アトキンスは短気だが無能ではない。個人の武が大きく影響する小規模の戦闘に於いては無類の強さを発揮する。
「――キリイ」
「……わかっている」
アキムとキリイは目配せし合った。このままでは壁際に追い詰められる。そうなったら逃げ出せないだろう。そうなる前に右手に見える暗がり――道――に何とかして逃げ込むのだ。
「へっ、逃げられると思ってんのかぁ」
男がニヤニヤと嗤いながら位置を変える。アキム達は右を向いた。後退している今、それは逃げ出す場所が遠のくことを意味している。
視線の先に見える暗がりをもどかしげに凝めるアキム。あそこへ行くには目の前の奴等を突破しなければならない。
こうなったら一か八かだ。覚悟を決めたアキム達が強行突破に踏み切ろうと頷き合った時――
「――お、俺の頭はとうとうおかしくなったらしい。……シドの幻影が見えるぜ」
「アホウ! 俺の目にも映ってる! 幻影じゃなくて間違いなくシドだ、あれは!!」
逃げ込もうとしていた道から、シドと彼に連れられたエルフ達がツカツカと出てきた。相変わらず人とは思えない巨躯だが、それが今は妙に頼もしく見える。
「どうやらあの世に行くのは俺達じゃなくお前達のようだぞ?」
アキムはにんまりといやらしい笑みを浮かべると、
「おい! こっちだ、こっち!!」
わざとらしい大声でシドに向かって叫んだ。
気づいたシドがアキム達のほうへ近づいてくる。
その気になればひと呼吸で駆けつけることができる距離になってやっと、ブラフだと思っていた男達は後ろにいるシドとエルフ達に気づいた。
「――エルフだ!」
一人が叫んだ。
「こいつらを引っ捕まえればここともおさらばできるぞ!!」
先走った男が、邪魔になるシドに襲いかかった。
電光のような速さで穂先が持ち上がる。短剣という短いリーチの武器しか持たない男は、気づく間もなく串刺しにされ大きく上に持ち上げられた。
突き刺した男を持ったまま、シドが口を開く。
「――水を寄越せば命は助けてやろう」
「いや……もう殺してるから」
キリイがすかさず突っ込んだ。
「う……わ。何なのよこれ……」
その開けた場所に出た途端、サラが思わず呟く。
すぐ側の壁際付近で、見覚えのある男二人が黒尽くめの男達に相対しており、離れた所では大勢の兵士や騎士が円陣を作り、中にいる大男や犬モドキと戦っている。さらにその二つの中間辺りでは、これまた黒尽くめの男達が犬モドキと戦っているようだ。
一体何がどうなってこうなったのか、見ただけで理解できる者はいないだろう。
そのような状況の中、シドは自分を呼ぶ声を耳にし、アキムとキリイの方へ足を向ける。見たところ追い詰められていたようであり、もう少し来るのが遅ければ二人の命はなかっただろう。
「――エルフだ」
男達がの一人が何やら呟き、いきなり襲いかかってきた。
槍が目に入らないのか、それとも馬鹿なのか。短剣で槍に正面から向かってくるなど殺してくださいと云っているようなものだ。
シドは実際そう思ったし、願いを叶えてやることにした。
槍で串刺しにし、そのまま持ち上げる。絶命した身体から大量の血が滴ってきた。
「―――水を寄越せば命は助けてやろう」
云いながらどっかで聞いた台詞だと感じ、またアキムとキリイがいることを思い出し、妙なおかしさがこみ上げた。
「やっちまえ!!」
男達は狙いを変えたようだ。アキム達を無視してシドに――いや、エルフ達に向かってくる。
誰も彼も――アキムとキリイでさえ、短剣しか持っていない。
「ここでは短剣で戦うという決まりごとでもあるのか?」
男達に対しながらアキムに訊ねる。
「そんなワケあるかよ! 屍猟犬どもに追われた時投げつけちまってな……」
しょんぼりと肩を落とすアキム。そうしながらもシドに向かっていったヴェガスの手下を後ろから襲撃する。
「俺、生きて地上に出られたら、盗賊に転職するんだ……」
「愚痴なら地上に戻った後じっくり聞いてやるよ! お前の奢りで飯でも食いながらなっ!!」
一人殺し、残った四人の男達を、シドが二人、アキムとキリイがそれぞれ一人ずつ素早く片付けた。
「――それで、あっちで戦っている奴等は一体何だ?」
シドの心底不思議そうな問いに、
「あの大男はヴェガスっていって、エルフを狙っている黒尽くめの奴等のボスで、兵士や騎士達はアンタを殺そうとしてるアトキンスの手駒だな。……まぁ、手駒といっても命令されてきてるだけなんだが」
アキムがそう答えた。
「つまり、敵という訳か……」
シドは一つ頷くと、
「お前達はここでエルフを守れ。俺は奴等を仕留めてくる」
アキムとキリイにそう命じる。
「……待って」
「なんだ」
「……私た――んぐっ!?」
何かを云おうとしたミラの口をサラが今までのお返しとばかりに塞いだ。
言葉にはならなかったものの、性格から云わんとしたことは想像がつく。故に、
「足手纏いだ。ここで守られていろ」
――冷たく切り捨て、背中を見せた。
口を塞ぐ手を振り払ったミラは、キっとサラを睨みつけた。
「そんなに怒んないでよ。アイツの云う通りアタシ達がついて行ったって役に立たないどころか負担になるだけじゃん」
「………」
悔しいがその通りだ。ミラにもわかっている。唇を噛み締め俯く。
そのミラの姿を見たアキムはにへらとした笑みを浮かべ、
「そう心配するなよ、嬢ちゃん。シドの奴がそう簡単にやられるわけないって」
「そ、そうそう。邪魔にならないようにしてるのが今できることってやつだぜ」
キリイも追従する。
下手にあそこへ向かわれたら、シドにエルフを守るように云われたアキムとキリイも付き合う羽目になる。それだけは勘弁蒙りたかった。
「アトキンスとヴェガスがシドに気づいたぞ」
目敏く変化に気づいたアキムが教える。まるで散歩でもしてるかのように闊歩するシドに、大声で二者が叫んでいるが、ここからではよく聞き取れなかった。
「――ああ、くそっ。周りの奴等が五月蝿すぎるんだよな」
観戦気分のアキムにミラが眉を寄せて不快感を示す。
そのようなことは意に介さないアキムは、
「おおおおおっ!?」
と、目を丸くして身を乗り出さんばかりだ。
アキムの予想に反して、最初に脱落しそうなのは屍猟犬共だった。退くということを知らない奴等は、最も多くを殺したが、最も多く殺されたのだ。動ける状態で生き残っているのは中間地点でヴェガスの手下と争っていた集団のみである。それも数える程しかいない。
「……を殺…。……んでもだ!!」
アトキンスがヴェガスを無視してシドに兵士を突撃させようとしている。
そして、もはや孤立無援状態だったヴェガスといえば、誰が見ても満面の笑みだと思える表情でシドに向かって走っている。
アキムはそこで気づいた。あれはシドに向かっているんじゃあなく――
「げげぇっ!? こっち見てるぞおい!!」
ヴェガスの目はエルフに釘付けだ。シドは進路上の小石くらいにしか思っていないのだろう。立ち止まる気配がない。
シドは確かに大きいが、それはあくまで人間にしては、である。大猿の亜人であるヴェガスと並べば普通の人にしか見えない。
ヴェガスに狙われているのが自分達だと気づいたエルフ達が身を固くする。
行きがけの駄賃とばかりにシドを弾き飛ばそうと肩を突き出すヴェガス。
シドも鏡合わせのように肩を出す。そして、
――肉と何かがぶつかる異様な音がした。




