鎮守の森にて―不時着―
『――ターッ! 起きてください、マスター!!』
ドリスの声が頭に染み渡る。休止していた頭に影響が漣のように走った。
投げ出された右手の指先がピクリと動く。
闇に塗り潰された視界の中、(ああ、これはドリスの声だな……)などと悠長に考えていたシド。だが次の瞬間――
『起きてください!!』
スピーカーで増幅されたとてつもない大音量で文字通り跳び起きた。
起きた瞬間視界を埋め尽くす警告窓の数々。
「なんだ、これは……」
そのあまりの窓の数にシドは茫然自失となる。黄色はともかく赤はかなり危険な状態にならなければ出ないはず。
「――敵かっ!?」
シドはすぐさま立ち直るとドリスに確認しつつ、リンクを開いて警告の中身を読み取った。幸いなことにシド自身のシステムから出された警告窓は黄色のみ。全てが急激な状況の変化によるものである。問題は船のシステムだ。こちらはむしろ黄色よりも赤が多い。システムエラーが出ているということは、物理的に損傷している可能性が高い。ぱっと見ただけでも船体の外側の大半が剥離しているのがわかる。これでは探知系統はほぼ全滅だろう。
一切の感情を排し、機械的にチェックを入れていく。処置するのは後回しだ。邪魔にならない位置に圧縮して移動させる。
だが、シドはそこにありえない数値をみつけてしまった。
加速度ゼロ。加重一、一G。
(船が停止しているのか? じゃあなんで加重が……?)
自身のセンサーと船のセンサーの数値を見比べるが、違いは見られない。それに今更ながらに自分が前傾姿勢を取っていることにシドは気づいた。つまりこれは――
「重力だと!? 星に墜ちたのか、ドリス!?」
珍しく声を荒げるシド。そんなシドをドリスはじっと見つめていた。
「……わかってる範囲でいい。何があったか話せ」
『探知外からの攻撃です。気づいた時には敵のシステムに捕捉されていました。』
まるで出会った初期の頃のような事務的な音声でいうドリス。
『跳躍による回避を試みましたが、敵兵器が作り出した空間歪曲とこちらの作り出したそれが干渉して、跳ぶ瞬間システムがダウンしたようです』
「おいおい……。じゃあなにか、メモリまっさら出力ゼロでワームホールに突っ込んだのか?」
『そのようです』
「それはいわゆるランダム跳躍だぞ……」
ランダム跳躍とは、本来なら緻密な計算によってはじき出される出現座標を設定せずに行われる跳躍のことだが、全ての知能ある存在にとっては自殺と同義に使われる行いである。宇宙は広大だがそれはある一次元における許容空間であって、人の手による干渉がなければ跳躍開始地点と同じ世界に出現座標ができる確率自体が天文学的小ささとなる。
「――それで、俺自身のシステムもダウンしていたのか?」
『はい。跳躍の際のシステムダウンの際、船とリンクしていたマスターも強制的に引きずられたようです』
「なるほど。しかし、宇宙の藻屑となっていないだけマシというものだな。ただ消滅するだけならともかく、裏返りでもしたら目も当てられん」
『………』
「船の外殻が破損しているのは大気圏突入のせいか?」
『はい。復旧直後のデータから、出現時点で既に惑星の重力の影響を受けていたようです。離脱のための推進力を確保できないと判断し、緊急時着陸を行いました』
「現在地はわかるか?」
『いえ。識別ビーコンを受信できません』
シドは体躯を固定するベルトを外すと、斜めに傾いでいるシートから降りる。
「航行用のシステムは全て圧縮しておけ。それと外の大気組成を調べろ。通信回線はオープンに」
捲し立てると長靴にエネルギーを回す。発生した磁力で船室の床に靴底が張り付いた。傾斜角のある船内をものともせずに移動していく。
向かった先は兵器庫である。庫といっても大した広さがあるわけではない。シド個人の兵装であるし、そもそも宇宙戦闘で白兵戦など滅多に起きないのだ。
携帯用火器の中から短針銃を手に取る。圧搾空気で発射されるこの銃は効果と隠密性の比重がいい。ジャックを引っ張り出し腰に接続する。銃把を握り締めると視界にターゲットサイトと残弾ゲージが浮かんだ。状態は良好である。
短針銃を肩に掛け、ナイフを選ぶ。刃渡り三十センチのヒートナイフ。エネルギーパック一つにつき持続時間は百八十秒である。パック四つを外套の内側にしまう。
『出ました、マスター。大気成分は窒素酸素二酸化炭素アルゴン――ほか微量なものも含めオールグリーンです。気温は摂氏三十、湿度七十%。ただ……窒素の割合が低くその分未知の分子が――』
「腐食性がなければ構わん」
『それは大丈夫です。それとウイルスなどですが――』
「そっちは無視してもよかろう。最悪外皮が使えなくなる程度の被害だ」
ドアロックにたどり着いたシドは壁に身を寄せる。
「俺の視界にアクセスして情報を分析しろ。――いつでもいいぞ」
『了解。――開けます』
空気の抜ける音とともに光が差し込む。そっと顔を出して外を覗きみた。
『……わぁ』
ドリスの場違いな声。
外は緑だった。シドやドリスのような存在からすれば楽園ともとれる光景。物語の中でしか観ることができず、死ぬまでどころか死んでからも縁がないであろう場所。
自然である。
紫外線、赤外線探知、音響探知に振動探知。次々に切り替えた後、動きがないのを確認し一気に外に躍り出る。
柔らかい土に長靴の底がめり込んだ。油断なく短針銃を構え、ぐるりを見渡す。
高くそびえ立つ木々の隙間から柔らかい日差しが射し込んでいた。
『すごい、きれい』
惚けたドリスの言葉は無視する。そのまましばし待つこと数十秒。シドはおかしなことに気がついた。
「妙だな」
『……何がですか、マスター?』
「生き物の気配がない。これだけの緑があるんだ。植物がいるのに動物がいないのはおかしいとは思わんか?」
『そういった進化を遂げた惑星なのではないでしょうか?』
「可能性はないでもないが……」
そういって後ろを向いたシドは、盛大に顔が引き攣るのを感じた。
そこには巨大な金属の塊が木々をなぎ倒し、土を抉りとって鎮座していたのだ。大気圏突入時にだいぶ小さくなっているとはいえ、その存在感は周囲を圧倒し、目立つことこの上ない。
「……マズいなこれは」
舌打ちし、ドリスに指示を飛ばす。
「生成炉と機関をチェックしろ。問題ないようなら非常時採掘プラントを手動で起動。船を埋める形で穴を掘らせろ」
『プラントの稼働率が四十%切ってますよぅ』
「だからなんだ。使える分でやればよかろう」
(動物がいないわけだ。こんなことにも気付かないとは)
数分前の自分を殴りたくなってくる。恐らく音と衝撃も凄まじかっただろう。そのせいで本能に忠実な動物は距離をとったに違いない。
――では、本能よりも理性を優先させる生き物ならどうだ?
空中を落ちる間、かなりの範囲で目撃されたはずである。これだけの植生が存在するのだ。中型大型の動物がいないと断じるのは愚か者のやることである。
「ドリス、船が墜ちるまでの間に人工物の痕跡は拾えたか!?」
『少しお待ちを。……光学センサーが潰れたので精度は低いですが、規則性を持った建築物と類推される物が存在していますね。ここから一番近い所で南西に百六十キロです』
「近いな……。相手が飛行可能なら目と鼻の先だ」
船に目をやると船体から金属の蠕動する蛇のようなものがでて地面といわず木といわず削り取っていた。
「どれくらいかかる?」
『船体を破壊して射出口を開けていいなら稼働率が八十まで上がります。それで八時間といったところでしょうか』
微妙なところだ。外皮を脱いで光学迷彩を使い先手を取るべきだろうか――。
だが、この惑星の生物の可視光線の波長が地球人と同じとは限らない。発見された時は間違いなく不要な警戒感を与えることになる。少なくともファーストコンタクトは失敗だ。そして、もし相手が惑星全体でコミュニティを形成していた場合、最悪原住民全てvsシドという構図が出来上がる。……そうなったら勝てるだろうか?
(――勝てるわけがない)
手に持った銃を地面に叩きつけたい衝動を抑える。短気は損気だ。やるべきことをやってから悩むべきだろう。まずやるべきこととは――
「――充電だな」
『そんなワケないでしょう!!』
「冗談だ。まずは融和政策でいこうと思う。強硬手段にはいつでもでれるからな」
『時と場合を考えてください! それにマスターのエネルギーは一度の補填で数十年単位で持つはずです』
「わかっている。炉と機関が無事だからな。船が戦闘機動を取れない今、ほぼ半永久的に活動可能だ」
『……それを考えると、もし他の知的生命体がいなかったとしたらゾっとしますね』
「同感だ。せいぜい生物が進化していることを祈ろうか」
念の為、顔の上半分を覆う仮面を取りに船内に戻る。相手に与える印象は悪くなるだろうが、裸眼よりはマシであろう。目は口ほどに物を言う、という言葉もあるくらいだ。言葉が通じない現状、眼を見せるのはまずいだろう。
硬質な金属光沢を放つ仮面をポケットに突っ込み、船外に出る。
『その格好でいくのですか?』
「ああ。この惑星の生物相は有機体ベースだ。人類の想像の範疇を超えるような特異な生物はいるまい。それと、穴はできるだけ深くな。上に土をかぶせて偽装を。出入り口は一箇所でいい」
『はい。お気を付けて』
頭に響くドリスの声を聞きながら森に分け入る。船を隠すまでここにいるのはまずいからだ。側にいるところを見られたら云い訳できない。出会うなら別の場所で、同じように調べに来た存在を演じるしかない。言葉の問題はひとまず棚上げだ。
南西に向かってしばらく歩くと、虫や小動物の声らしきものが聞こえてくるようになった。
凄まじく長閑な光景である。自分が一瞬どこに居て何をしようとしているのかわからなくなる。シドの感覚にしてみれば、ついさっきまで宇宙にいたのだ。場違い感がひどかった。
『すごい場所ですね、マスター』
「そうだな」
『地球にだってこんな光景は残っていないかもしれませんよ』
「かもしれないな」
『地球以外にこんな星があるなんて……。宇宙って広いですね』
「まったくだ」
『………』
「………」
『このままここでずっと暮らすっていうのはどうでしょうか?』
「それもいいかもな」
『――えっ!? ほ、ほんとですか、マス――』
「――シッ! 静かにしろ、ドリス」
『ええっ? ――あ、ハイ』
ドリスが黙ると辺りに静寂が満ちた。先程まで聞こえていた小さな鳴き声すらも途絶えている。
「後ろから何かつけてきているな」
シドがぼそっと呟いた。
『な、な、ナニカってなんですか……!?』
「……わからん。だが、足音のパターンからすると二足歩行だ」
『もしかして私達以外の人間がいるのかも……』
「なんにせよ振り切ろうとするのは得策ではない」
シドの体重は見かけよりも遥かに重い。高比重の合金が多用されているせいだ。そのせいで驚く程地面に足が沈み込む。子供でも跡をつけることができるだろう。
『どうしますか、マスター?』
「始末する」
『始末って……。融和政策はどうなったんですか』
「後ろをこそこそつけてくる奴が友好的な訳がないだろうが。相手の技術レベルが不明な状況で先制される愚を犯すわけにはいかん」
シドは自分を臆病だと思っている。誰に言われたわけでもないのに、『戦場では臆病な者程長生きできる』という言葉を信じているのだ。
「――いくぞ」
『あっ、待って。心の準備が――』
後ろから見ていたら、何もない所でいきなり躓いたように見えただろう。
シドは前に倒れようとする体躯を右足を出すことで支える。腰を落としながら肩に掛けていた短針銃を右脇に持っていき、右足を軸に左足を後ろへ。百八十度反転した。
「ブモオォォォォォォォッ!!」
ドリスはシドの視界を通して視た。豚の頭を持った太った人間が、雄叫びを上げながら錆び付いた何かを振りかぶって茂みから跳びだしてくる。
視界に入った敵を戦術プログラムが分析。人型の急所と予測される頭部をマークする。銃のターゲットサイトをそこに誘導するためのアイコンが点滅した。それを無視して感覚で銃口を小刻みに調整、引き金を引く。
プシュッという空気の抜ける音と共に、銃口から発射された無数の極小サイズの針が豚の頭部をズタズタに引き裂き、脳漿を派手にぶちまけた。
即死である。
『ちょ――』
シドは続き手を警戒しつつも死体に近寄って観察した。まだピクピクと痙攣していた。
黒ずんだ革鎧。錆び付いた鉈。黄ばんだインナー。足は裸足である。嗅覚センサーが凄まじい反応を示している。
「なんだ、こいつは」
『………』
「格好からして多少の知能はありそうだが、いきなり襲いかかってくるとは」
足で死体を裏返す。外から見る分には他に何も持っていそうにない。さすがに懐を漁る気はしなかった。
「まぁいい。移動しよう。先程の鳴き声で仲間が寄ってきたら堪らんからな」
『……ねぇ、マスター』
「うん? どうした?」
『私、この生き物知ってるかも……』
「なんだと? ならここは開拓済み惑星なのか?」
『ううん。たぶん違うと思う。知ってるっていってもデータベースで見たわけじゃなくて――いえ、ある意味ではデータベースから拾ったんだけど――』
「よくわかるように説明しろ。いってることが矛盾している」
『――っ! だからっ、データベースに入ってた本に載ってるの! 架空の物語の本に!』
「――はい?」
こんな間抜けた声を発するのは初めての経験ではないだろうか――。シドはそう思った。
「物語だと!? 正気かドリス!?」
『別にここが本の中の世界だなんていってません! ただそれに出てくる生き物そっくりなの!』
「…………」
『………』
「………」
『……ホントなんだもん』
「……なんかここにきていきなり人間臭くなったな、お前」
『……ホントなんだモン』
「……あー、わかったわかった。それで……その、本? にはなんて書かれていたんだ?」
『――! 偶蹄目イノシシ科の頭部を持ち人間の身体を持つ凶暴な生き物――その名は、豚人間、です!』
いきなりアップになったドリスの顔にのけぞるシド。
「視界を塞ぐな! 反応が遅れるだろうが!」
『――あ、すみません、マスター。つい興奮してしまって』
(興奮っておまえ……AIだろ……)
本の中身についてマシンガンのように話すドリスの声を聞き流しながら、面倒事が増える予感に頭を悩ますシドだった。