ミルバニアにて―王とシド・伍―
眠い……
修正は明日の夜から始めます
荷物を取りに走ったヴェガスに続き、いても役に立たないオーガと脆すぎるターシャも場を後にした。シドという獲物が残っているからか敵はそれを追いかけたりはしない。ただじっと宙に浮いたまま瞳の行方がわからなくなった顔をシドに向けている。
火の粉の混じった陽炎を立ち上らせる敵の姿は冷徹な態度を崩さず冷えた体躯を持ったシドと対照的だった。
「………」
「………」
口蓋の消えた敵は無言で宙を滑り、あっという間にシドの目の前に到達する。密度の高そうだった腕がバラけて広がり、温度の低い炎になって横から襲いかかる。
シドはおざなりに左手でガードしたが、案の定、振り切られた腕はシドの防御をすり抜けた。上半身を炎が舐め、敵が得意げな雰囲気を発した気がした。
「………」
焦げることすらなかった体躯を駆使し、右腕で正拳突きを放つ。踏み出された左足に回された腰。シドの使う格闘技は単純だ。より重く、より硬く、より速く。質量兵器と同じで考えるのはそれだけでいい。中身をどうにかしようと試行錯誤に走るのは外から殻を破壊できないからである。
シドの拳は敵の輝く身体を突き抜けた。パッと火花が後ろに弾けるが、それだけだ。
敵が動く前に素早く腕を引き抜く。引き抜いた腕は肘の部分まで、溶けた皮がチーズのように垂れ下がっていた。
あっという間に冷えて固まったそれを払い落とし、両腕を上げて構えを取る。
自分を害そうとする相手はわかるのか、敵は標的を変えずにシドの相手を続けた。腕を鞭のように細くしならせ、シドの首に向けて繰り出す。
先程の焼き直しだ。首との間に差し出された腕に当たった敵の一撃は一旦千切れたかに見えた。しかしそう思えたのも束の間、腕を通過した直後に繋がりを取り戻す。
赤い鞭がシドの首元でとぐろを巻いた。
シドは大きな二歩で肉迫し、土を蹴立て、右足を高々とあげて上段回し蹴り。相手の首を刈り取るが、散り散りの炎になった首は次の瞬間には元に戻っている。
後退すると追従できなかったのか首に巻き付いていた敵の腕が解けた。
距離を取ったあと、地面に指先を埋め込むと土塊を掬い上げるように敵の身体へと飛ばす。僅かな間、敵の胴体中心から背後の景色が垣間見えたが、それもまたすぐに埋まってしまった。
「………」
「………」
馬鹿のひとつ覚えのように腕を振り回してくる敵を、おざなりな回避を交えながら、殴り、蹴る。相手の攻撃はシドの皮を焦がし溶かすだけで、シドの攻撃もまた相手の身体を通り抜け散らすだけ。しかし千日手ではない。ターシャの言が事実なら、散った炎は戻らない。千切れた箇所は何かを犠牲に再生しており、その何かは有限である。
「方向性をネゲントロピーとは逆へ向けたのは評価できるが、それだけだ」
役割を考えれば当然のことではあるが、シドはエントロピーの増大則を受け入れている。自身は宇宙という器の中で暴れる一個の分子であり、中身を撹拌していずれ消え去る運命である。この惑星表面の熱量――すなわち活気――もその影響によって高まるのだ。
まったく動じないシドの姿に、本能が囁くのか逡巡する素振りを見せた敵だが、背後に動きが見えたのはその時だった。
「軍を前進させよ」
遠く、視線の先で相対している二人の姿を観察していたジェインは横にいる近衛隊長に冷たい声で云った。声音には隠せぬ失望の色が混じっているが、命を掛けてあれなら叱責はできないといった風である。
「ヴァグナーは?」
「構う必要はない」
ジェインは云わんとする内容を理解して答えた。
「動きを見る限り恐らく勝てまい。だが奴がああやって動いたということはあの敵は命を捨てて倒す価値があると認めたということ。時間を稼いでいるうちに有利なように展開する。全軍を今の形のまま進めるのだ」
「了解しました」
ミロソッサスは近くに待機していた伝令にジャーヘッドの元へ行って伝えるよう指示した。常の組織なら副官の位置にいる者がやるべき仕事は全て近衛が行っているが、異を唱えるものはいない。王が戦場に出るのは珍しいことだし、その身を真に案じねばならないのもそうだからだ。大半の兵にとって比較すべき前例はなかった。
「侯爵にも伝えろ。予定通りこちらが主力を引き受ける。横合いから突っ込んでカドモスを救出するのだ」
ジェインはバードヴィック等とともに戻ってきていたボーダー伯を見て告げた。想定していた形とは多少違ったが悪くはない。突出しているのが敵の首魁と思しき人物なのがそれに拍車をかけている。通常、頭が襲われれば手足はそれを庇うものだ。
「お前達も行け。役に立たなかったお前達が生き残るには王子救出の一助となるしか道はない」
「……は」
バードヴィックとカイマンにそう云うと、二人は元々己が率いていた兵士達の元へと走っていった。――即ち、騎士団とともに出立し、彼等を置いて逃げ帰ってきた補給兵の集まりである。懲罰部隊として最前線へと留め置かれている。
ジェインはあまり細かな部分まで指示は出さなかった。将軍は無能ではないし、現場とここでは情報の鮮度が違う。
自身が出るのは将軍がそう判断した時だ。そう考えている。例え実行しているのが学のない人間であったとしてさえ経験に裏打ちされた現場の判断というものは無視できない。ましてや実力で地位を掴み取った男を信用せずして誰を信用するというのか。
部下を信用できない王が全て愚物であるとはいえないが、そうしない王は偉業を果たせないのも事実だった。
経験上、勝ちは揺るがないという思いがある。だが、何故か漠然とした不安もあるのにジェインは気づいていた。
しかしそれは考えて答えが出るようなものではなく、それを拭い切れないジェインは微かな迷いを抱いたまま慣例通りに戦を進めた。
「――将軍、伝令です」
副官がそう伝えた時、ジャーヘッドは馬上で前方の様子に目を凝らしていた。かろうじて動きが分かる程度に離れた場所で、精霊憑きの近衛と敵の大男が戦っている。魔物の群れに突っ込めば何十という数を道連れにできるのにたった一人に拘泥したことに始め疑問を抱いたが、今では納得している。
驚いたことに素手で殴りあっていて、お互い動きに翳りが見えず、一見このままずっと決着がつかないのでは――と思わせる。しかし冷静になって考えてみればそんなことはありえない。敵の大男はともかく味方のほうは長くは持たないからだ。
王からの命令を伝え聞いたジャーヘッドは納得いったように小さく首を振った。自身と同じ見立てなのだ。
ジャーヘッドは今の地位を実力で勝ち取ったが、王は産まれた時から王族である。周囲とのごたごたで淘汰されない限り王になる運命は決まっており、そういう意味では自分と同じ結論に到れる主を持てた運の良さに安堵を覚える。
合図の鐘が鳴らされると、貴族に監督官、大地主を始め、地域地域で住民をまとめている者達――慣れや心理的抵抗の有無から戦時においても指揮官となっている――が叱咤激励を飛ばして民の尻を叩き、即席の兵士達を前進させる。肉の壁ともいうべき役割を持つ彼等にはもちろん整然とした行進など望めない。一部、貴族の手兵がいい動きを見せるが大抵はただ漫然と武器を構え、ばらばらの歩幅をやりくりしながら歩くだけである。
次いで、元々王都で麾下として持っていた千を前進させた。先手を取らせるという予定は変わったが戦い方まで変えるつもりはない。敵も前進してくるのを見越して距離を詰める。
そして北に目を向ければ、侯爵達の隊がゆるゆると東に進んでいる。人材と良馬と名分を奪われたせいでまともな部隊としての運用ができなくなっている騎兵を護衛とし、自前で揃えていたであろう武具に身を固めた兵士達を、本当にやりたかったこととは違う戦いに費やそうとしている。侯爵の憤りを想像するだけでジャーヘッドの口元に冷笑が張り付く。
気をつけなければいけないのは裏切りだが、侯爵の力なくして勝てない時点で想定を越えており、彼もそこまで愚かではないとジャーヘッドは思っている。数だけ揃えても勝てない事態というのはあり得なくはないが、その場合の要は王だ。侯爵ではない。
戦場は基本足し算引き算で事足りる。もしそれで失敗したのならそれは、敵味方の戦力分析を間違えているからである。例え士気が最高潮に達していようとも部隊に出来ることは限られており、戦闘とは基本、それまでに準備していたものをすり潰すことで行われるからだ。
まずジャーヘッドがやらなければいけないことは、これから行われる戦いが数と質、どちらで決定される類の戦いなのか見極めることであった。
「―――! ―――!」
前方から微かな掛け声と鐘の音が聞こえる。ジャーヘッドの直接管理していない最前線の部隊は各々が得意な獲物を使用する混成軍であり、前もって決められた役割などない。弓が得意な者は誰に許しを得るでもなくそれを使い、距離が詰まれば捨てて別の武器を使う。行軍しながら集まった全ての兵士に統一した武器防具を支給することは不可能で、彼等は家から持ってきた手斧や蹄鉄の形をした刃の片手鎌、牧草を刈り取る大鎌、脱穀用の殻竿を改造したフレイル、枝払いに使われていたビルを武器にしたものなど、扱い慣れた得物を使用していた。
徴集された兵士達にまとまった弓の援護はなかったが、例え用意されていたとしても無駄に終わっただろう。最前線の指揮官達の士気をあげるために、ジャーヘッドの手によって突出している敵の情報が与えられたからである。それに肉迫してしまえば敵のエルフが矢を放つこともなくなる。故に、最も危険だが最も手柄に近い場所でもあると悟った指揮官達はこぞって兵士を突撃させた。
――今、ジャーヘッドが馬上から眺めているのはそんな光景であった。
「死ねぇっ!」
燃え盛る敵の向こうから走ってきた男が、叫びながら右手に持った手斧を投じ、シドがそれを躱すと左手に持ったもう一本で上から斬りかかってきた。
炎と化した男の危険性は理解できるのか器用に迂回しながらやってきたが、シドはその男の手首を掴むと押し付けてやった。
「ぎゃああああ!」
「………」
味方の悲鳴にも怯まずに襲いかかってきた次の兵士も投げてやると、炎の男はそれも抱き締めるようにして燃やした。
その後、炎の男を避けるように大量の兵士が殺到し、当の敵は戸惑ったように動きが鈍くなったがそれも束の間、最も手近にいる味方に襲いかかった。
当然のことだが背中合わせに、とはならない。敵は無謀と勇敢をはき違えた男達を次々に灰にし、シドはそんな敵の位置を常に意識し、兵士達の行動を制限する。
しかし敵の数は多い。足元に灰の山が出来上がっても今だ勢いは衰えなかった。煮え滾る血肉の臭いに吐瀉する者が続出し、それと混じった耐え難いほどの悪臭が周囲を満たしていたが、極度の興奮状態に陥った兵士達はそれをものともしない。シドさえ倒せば嫌なことから逃れられると――戦いは終わりになると、信じているかのようだ。
だが彼等の肉体は脆弱で、敵でも味方でもなくなった男とシドの前では竜巻に吸い寄せられる蝶も同然だった。シドも炎の男も恣意的に彼等を殺すことができる。なので、最終的にぽっかりと円形に空いた空間に両者が取り残されるのは必然といえた。
足を横にずらせば煮崩れた敵の身体に当たり、臭いはもはや物理的な凶悪さでもって兵士達の鼻孔を攻め立てる。
そんな中で、シドは気持ち小さくなったように見える敵と相対し、ふと宙に視線を彷徨わせた。
「――来たか」
背後から、馬さながらに荷馬車を牽引してくる男がいる。云わずと知れたヴェガスだ。
しかしある意味シドよりも目立つ体躯を持つこの男に、敵の兵士達が気づかぬ筈がなく、囲みの一方を解いた敵が水路に流れ込む雨水のように殺到した。
「お、お!? おめぇ等俺様が誰だかわかってやってんのか? ああ?」
もしシドと出会わずに生きていればあのまま王都の夜の一角を占めていた。這いつくばって自分の靴を舐めていてもおかしくない人間達の行動に、ヴェガスの額に青筋が浮かび上がる。
強者に弱く、弱者には滅法強く出るこの男。舐められては終わりだと、肩にかけていた引き綱を放ると拳を握り込み、見かけに似合わぬ軽快さで敵の一撃を躱すと相手の内臓を破裂させた。
「おらおらおら! 猿人ヴェガスここにあり! 死にたい奴からかかってこいや!」
「獣人風情が! 山に帰れ!」
相手よりも素早い動作と大きさを生かしたリーチで得物の差を感じさせないが、多勢に無勢。周囲を囲んだ敵兵によって徐々に傷が増えていく。
「チィッ!」
思わずヴェガスの口から舌打ちが漏れる。
シドはその隙に荷台の武器を回収した。既に一つにまとめられているバックパックと銃身に背中を近づけると磁気共鳴装置によって吸い付くようにフィットする。せり出したアームで固定された後、物理的な接続を確立してレール上を走る二種類の噴射ノズルが動くことを確かめる。
推進方法は比推力の高いプラズマジェット推進と瞬間的な加速度の大きい化学式のハイブリッドで、レーザーによる点火後0,000五秒で十数万倍の体積に膨張した推進剤は自身よりも長い銃身、重いバックパックと一体化したシドの姿を消失したと錯覚させるほどの勢いで空へとあげる。
間近で砲弾が炸裂したかのような衝撃波が発生し周囲の敵やヴェガスが耳を押さえて身悶えするのを尻目に、滞空中に銃身を展開して肩に載せた。
自身の姿勢と加速度はフィードバック制御されるがほぼ意向から遅れることはない。翼を生まれ持った種族のように自由に空を駆けることができる。だがそれはくまで副次的なものであった。
銃によって拡張された照準システムが数百の敵兵の映像にレティクルを溶けこませ、プロセスが完了したことを告げる。その中には燃え盛る男もいた。
可能ならば第一射は王、もしくは侯爵に向けたかったが――という思いを抱きながらも、影武者である可能性と反対側からの射撃ではもろに味方を薙ぎ払ってしまう状況。初撃のインパクトの後のやりやすさを考え目標を決めると、弾種を徹甲弾から荷電粒子砲へ。自由落下で地面に降り立ったシドはスラスター使って衝撃を殺すと同時、前方へ加速。生身の人間には耐えられない加速度で炎の男の眼前に移動する。同時に、イオン源が入射装置を経て積層構造になった渦形高周波加速器へ入り、兼用の偏向電磁石へエネルギーが供給されると微かな低振動が背中から伝わってここが剣と魔法の世界であることを忘れさせた。
制動をかけたシドは瞬間、下半身を前に空中で仰向けの状態になる。遥か先で青かった空に雲がかかり始めているが、サーモデザインでフィルタがかった視界のシドには何らの感慨も浮かばなかった。
今は末端弾道学も腔内弾道学も無視できる。それは殆どが開発者の仕事だからだ。操作の余地が残されているのは腔外弾道学で、身長の高いシドが肩に担いだ形の銃をそのまま撃つと発射体は地面に向かって直進することになり、最後まで威力を発揮できない。
最も推力の高い背後のノズルを使い加速を打ち消したシドは体躯を起こし地面に膝をつく。両腕も土につけ、顔を上げると既に捕捉されているターゲットに向けられている銃口は自動で目標を追尾し、下がった目線とは逆に仰角を上げた。
シドの視界は炎の男の裏側で数キロ先に渡って展開している敵集団をも捉えている。かつて海上で砲撃を主に戦った古い船は高所に測距儀を配し水平線の問題をクリアしようとしたが、この距離なら考慮する必要はなく、また、発振器を使ったレーザーに比して粒子ビームは減衰率が低くそれも問題視する必要がない。
とっくに臨界に達しているエネルギーが銃身の基部で早くここから出せと唸りをあげている。
引き金はシドの意志だ。躊躇う理由もない。
銃身で収束率を低めたビームが銃口付近でさらに撹拌され、大樹の根のようにバラけた。
「………」
物云わぬ、今までこの惑星で出会った中で最も己に近いと評した男が散り散りになるのを眺める。
その後、収束率が高められ一本の線になった光条は真後ろにいた敵兵を数十ばかり消し飛ばして虚空を突き進んだ。
全てはシドが空中に身を躍らせてから五秒とかかっていない間に起きたことだった。敵はまだ何も把握できていない。
そのまま銃口を横に滑らせると射線上の敵の部位全てが莫大な運動エネルギーによって消滅する。本来ならコンマ秒単位で管理されるべき射出頻度だが今回に限っては無視した。
敵兵はその頃になってようやく光条の恐ろしさを認知したがもう遅い。扇状に千を超える敵を薙ぎ払ったシドはバラけ始めた敵に合わせて弾種を変えた。
選んだのは保持弾子によってバックパックに収納された二千五百発の徹甲弾で、それをコンデンサの性能に準拠する二十/secの発射速度で撃つことが可能だ。尾翼のついた滑空弾でないのはコストとスペース、強度の問題で、格納式にすれば強度が、定翼弾にすれば携行弾数が減るからだ。それにリニアガンは、レールガンや化学式の施線銃と違い弾丸を銃身と接触させる必要がなく、摩擦によるエネルギーロスは出ない。弾頭と弾体で構成された強磁性体の弾丸は容易くミニエの原理を施せ、現在のシドが持つ徹甲弾なら一G重力下で射出速度は十五km/secを超える。
噴射ノズル群が訪れるであろうニュートンの第三法則を打ち消さんと盲目的に位置を変えるなか、宙に浮き上がったシドは撃滅の意志を持って敵の見据えた。