ミルバニアにて―王とシド・参―
この会戦
五万字は――いくっ!
かもしれない
王と侯爵、そしてシドが率いる軍勢のただ中、矢の届かない距離において両陣営から八人ずつ、計十六名が出席することになった。八という数は相手の出席数であり、シドは特にこだわる要素がないためそれを飲んだ形だ。
相手方は――当然のことではあるが――王や侯爵はこない。魔法が存在するため武器の持ち込みを制限する決まりなどなく、護衛は完全武装を許されるという話だ。
最初、敵がそうしたようにシドもまたヴェガスを代理として出そうとした。双子姉妹と護衛としてオークを五体だ。
方針としては王子の身柄はくれてやってもよく、後はそれでどれだけ相手から望みのものを引き出せるかなのだが、あまりにも譲歩が過ぎると逆に罠だと勘繰られてしまう。だがヴェガスや姉妹はあまり腹芸が得意ではなさそうに見えた。そこでシドは相手に合わせるのを止め、自身が行くことにした。別に全ての物事を自分で決めなければならないと思っているわけではないが、目の前で行われる、自分が最も成果の出せる話し合いに参加しないのは怠慢というものだろう。
「それでは私が補佐に」
「あたしは絶対行かないわよ!」
「俺はもちろん行くぜ!」
シドが行くと決めたらすぐにターシャが出席を表明する。そしてサラが最前の言葉を翻して辞退するが、ヴェガスは行くつもりのようだ。それ以外に名乗りをあげた者はいなかった。
「オーガを連れて行くか。護衛として見映えがするしな」
オーガはまだ残っている。十を切っているが、その戦果は消耗と引き換えにしても目を見張るものがあった。知能にはあまり期待できないが、それを補って余りあるパワーだ。しかしいくら強いといっても僅かな数で戦局を変えるほどではない。今となっては使いどころを考えねばならない存在となっていた。
「まさか私を置いていくとは云わないでしょうね、マスター」
降った声にシドは空を見上げた。
「武器を持って隠れておけよ」
「お任せください!」
亜麻布の貫頭衣を被ったドリスが隠れ場所を探して彷徨う。ドリスの武器は特注のショートサクスだ。頭の回りそうな奴がいたら暗殺しておこうとシドは思う。会談が終わった後にドリスをこっそり放って離れたところで始末する。誰が指示を出したかは考えれば分かることだが証拠はない。
「相手には何と名乗るのでしょうか?」
髪を梳き、肩や脚を払い埃を落としているターシャが訊いてくる。
「これまで通り神を名乗るつもりだ」
何故そんなことを、とシドは訊き返す。
「いえ、向こうは伯爵や子爵とその護衛ですから、こちらも役職を整えておいたほうが話が円滑に進むのではないかと思いまして」
「それは構わんが、今は実が伴わない。名ばかりの役職になるぞ」
「そうでしょうか。今の時点でもきちんと仕事を割り振ることのできる役職はあるかと思います。どちらにせよ相手方から失笑を貰わぬよう体裁は繕っておくに越したことはありません」
「……好きにするといい。お前達が権威が必要というのなら」
確かに元の世界ではシドも軍の権威を背負っていた。そしてここではそれを担保するのはシドの役目だし、下がそれを利用しようとするのを禁止するつもりはない。
「ありがとうございます。では私は神官長か第一神官兼秘書長か第一秘書でお願いします」
ターシャが頭を下げながら云った。それは今後シドがどのような組織を作るにしても影響力を保持しうる立場だった。シドは神を名乗ると明言しているので神官職はあってもおかしくなく、またその仕事も秘書のものと同じく雑務であり、なくなるということはない。兵員の消滅とともに消え去ったキリイの肩書をターシャは覚えていた。それにわざわざ番号を打っているのも今後必ずこの職を要求する第二第三の人物のことを考えてのことだ。物事が順調に進めばその仕事量はいずれターシャ一人の手に負えるものではなくなる。そうなった時は人員の増加をのまざるを得ず、その時のための布石であった。
「あ、もう一つありました。神衛隊の長も兼任でお願いします」
「………」
これは不思議ではなかった。神衛隊はエルフであるから、その一番上もまたエルフのほうが部隊に対する帰属意識が高まるというものだ。そのうえ単一種族で構成されているというのは他の組織を粛清する時に後腐れなく実行できる。つまりエルフのみで構成された部隊であれば、どのような命令であろうとも――それがこの世界の人間に対するものである限り――心理的抵抗は少ないであろうと予測されるし、それと同じ理由で、エルフや獣人を処分するのは人間のみで構成された部隊が望ましい。
シドの考えとしては、直下の支配体制は複数の、単一種族で構成された組織による相互監視によって維持するつもりだ。なのでこのターシャの要望は全て受け入れることは不可能である。シドのスケジュールを管理したり、報告、命令の伝達をするものと最も近しい暴力装置は分けて考えるべきだった。
「二つは欲張り過ぎだ。お前は戦う力がないわけではないので神衛隊長官とする」
「え……な、ならそちらじゃなくて神官長か秘書の方で――」
「その席には戦闘のできない思考力に優れたものを当てるつもりだ」
「マ、マリーディアですか?」
「いや、今のところ候補は特にいない」
「そうですか……」
ターシャは何か云いたそうにしたがぐっとそれを飲み込み、
「わかりました。では今からは私が正式に神衛隊として所属しているエルフ達の指揮官という認識でよろしいでしょうか?」
「やるべきことをやっている間は、な。――必要なのは、俺の意向が全ての生物、全ての土地、全ての制度に対しスムーズに浸透するよう動くこと。またその妨げとなりそうなものに対し果断な対応でもって当たることだ。そしてその際は中身がどのような命令であっても一切躊躇してはならん。俺が街を焼けと云ったら、お前達はそこに親が住んでいても当然のように火をつける。その代わり俺はお前達種族の長きに渡る存続、多種族よりも優遇された生活を約束しよう」
「私個人も?」
「役に立った分だけな。俺に忠誠を誓い、忠実に命令を遂行するものは好きに伴侶を選ぶことができるし、子供を自分で育てることもできる。良い土地に大きな家を建て、仕立ての良い衣類を着用し、栄養価に優れた食物を常用することができる」
自信満々に云われたこの台詞を聞いたターシャは目をぱちくりとさせた。
「……それだけですか?」
「それだけで十分だとも。この俺に恭順しなかった愚か者どもの末路に比べれば」
遥かな昔、ある将が云った。戦争は管理だと。故にシドも管理する。全てをだ。断種によって数を管理し、教育と暴力によって思想を管理する。忠誠を誓う者達から子供を取り上げないのは、褒美も兼ねる他、わざわざそうしなくとも忠実な民に仕上がるからである。
「ちょっと待って。なら私達も役職が欲しい」
シドとターシャの会話を耳に挟んだミラが割り込んできた。
「あなた達は来ることを拒否したじゃありませんか。とりあえずは必要ないでしょう?」
シドが口を開く前にターシャがそう撥ねつける。
「じゃああたし達もやっぱ行くわ! それならいいでしょ!」
「よくありませんね。護衛はあなた達二人よりオーガの方が優れています」
「それは聞き捨てならない。正面から戦っても私達が勝つ。例え一人ずつだったとしても」
サラとミラは食い下がったが、ターシャは平然とした態度を崩さず、シドに向かって確認を取る。
「今回の会談では武力行使に出る予定がありますか?」
「今のところはない。もしどうしてもやらねばならない相手がいる時はドリスにやらせ、確証を与えないつもりだ」
最悪はシド自身が動くだろうが、なるべくならそれは避けたい。話の通じぬ卑怯者と判断されては城塞に篭った敵が死兵となる可能性があり、そうなれば街中を虱潰しにするか焼き払うしかなくなる。いつまでも流離っていては埒が明かないので、いい加減生産能力のある拠点が欲しかった。
「ということはつまり、連れて行くのは戦闘ではなく交渉を有利に運ぶ要素があったほうが良いということになります」
ターシャは我が意を得たり、と続ける。
「ミラやサラのようなちんちくりんを連れて行くよりオーガを連れて行ったほうがより相手を威圧できるでしょう」
「なんでよ!? あたし達が行ったほうが間違いなく相手の心証は良いでしょっ!」
「心証? 色仕掛けでもするつもりですか? その身体で?」
ターシャは最高の冗談だと嘲笑ったあとに、芝居がかった様子で、
「ですがそれも相手の趣味嗜好次第では需要があるかもしれませんね。――神よ、聞きましたか? この二人は身体を使って相手を懐柔するそうです。私は賛成しますわ」
「誰もそんな事云ってない! 勝手に話を作るんじゃないわよ!」
「………」
ターシャとサラが云い合っていると、それを尻目にミラがシドに忍び寄った。
「私達の能力と、サラの頭を考慮に入れた上で役職を決めて欲しい」
「頭だと?」
シドはうーむと腕を組む。少し考えればサラのような輩は話し合いに向いていないというのはわかる。云わなくてもいいことを云ってしまうからだ。
「……お前達にぴったりの役職を思いついたぞ」
しばらくしてシドは指を鳴らしてそう答えた。
「お前達には特殊戦部隊を率いてもらおう」
「特殊戦?」
「そうだ。俺が決めたことを現場で実行するだけの仕事だ。お前達の特性にも合っている。ルオスでの焼却でそれは証明された。しかし今は兵員の補充は無理だ。城塞を落としたら正式に発足させる」
「人員は?」
「種族はエルフで固めてやろう」
「でもそれだとターシャの部隊と――」
「エルフの全体数を増やす。繁殖か狩りでな。どちらにしろそれを今決めてもどうにもならん。今度の戦いでお前達が死ぬかもしれない可能性だってあるのだから」
「………」
「お前等もういいだろ。来ない奴は後回しに決まってる。まずは俺だってぇの」
間を読んだヴェガスがミラが口を閉じたのを見計らって割り込んでくる。
「シド! 俺の役職も決めてくれ! 格好良くて権力があるやつを頼むぜ!」
「格好良くて権力のある役職か」
「ああ! 将軍とかにしてくれ!」
「いいだろう。――たしかお前は王都では暴れん坊ヴェガスと呼ばれていたのだったな。ならば役職は暴れん坊将軍で決まりだ」
いかにも強そうな名前だ。だが残念ながらヴェガスはそうは思わなかったようである。
「そ、そんな……」
誰かが堪え切れずに吹き出し、ヴェガスは脱糞しろと云われた時と同じでまたもや絶句した。
「――冗談だ。実を云うとお前が就くべき役職は既に決定している」
シドが手を振ってそう云ってやるとヴェガスはほっと息を吐く。
「なんでえ。人が悪いぜ、シド。それで俺の肩書はどんなんだ?」
「お前には――正確にはお前とアキムのどちらかには――国家保安局の長官を務めて貰おうと考えている」
「国家保安局? なんだそりゃ?」
「読んで字の如く、国家を安寧に保つことが任務となる。端的に説明すると治安維持のための仕事で、敵味方問わず体制を破壊しようと目論む全ての生物を始末する。犯罪ではなく思想を取り締まるのだ」
「戦場に出なくていいのか?」
「今はともかく、将来的にはお前は戦場で役に立たん」
意外そうな顔をしたヴェガスにシドは云う。武器の発達した戦場で役に立つのは運用システムだ。個人の武力ではない。それに残忍な指揮官はどさくさ紛れに下から殺されるのが落ちである。現状シドがそれでやっていけているのは相手に諦めさせるだけのものを見せているからで、恐怖や絶望で他者を縛るものは絶対に弱みを見せてはいけないのだ。そしてシドが考える弱みとは、生物としての本能に根ざした行為――つまり睡眠、食事、排泄、生殖等――となる。生物は生きることに対し貪欲だが、皮肉なことにそのために必至な行為の最中こそ最も無防備な姿を晒け出すのだ。
「戦場では自分を殺そうとする相手には事欠かない。歯を剥き出しにして襲いかかってくる奴しかいないと考えていい。つまり感情的で粗野な暴力は内側に対してこそ最も効果を発揮する。お前をこの職に推すのは、お前が俺に最も高い忠誠心を持つ者の一人であると考えているからだ。神衛隊が俺の個人的な護衛とするなら、国家保安局は俺が作る体制の護衛といってもいい」
「そ、そいつはどのくらい上の階級なんだ? 俺に命令できるやつは――」
「特命で一時的に変化することはあるかもしれんが、基本的には俺だけだ。仕事内容は後々に人員を増やした時に詳しく説明する。とりあえず今は俺に逆らう奴を炙り出すことだけを考えておけ」
正確には、ターシャが云ったところの神官長という名の地位に法皇ないしは法王という役職が来て、対外的にはその下に位置することになるだろう。しかし実質は――軍隊を基本とするので組織は縦割り型ではなく網型となり――法皇であろうとも思想の監視を受けることになる。ナンバー二が複数存在する形だ。
「しかしよぉシド。ほんとに訊かれたらそれ名乗っていいのか? 国なんかねえのに国家保安局とか口にしたら笑われちまうかも」
「つまらんことを心配するな。例えどのような荒唐無稽な名乗りだろうと、奴等が俺達を笑うことなど出来よう筈があるまい。こちらには人質がいるのだからな」
シド、ターシャ、ヴェガス、オーガ達で人選が確定し、肩書きも決め終えたところで次は方針である。
「とりあえず何を云われても笑って許してやれ。どうせこの後すぐに殺す」
「了解だ。で、受け答えは誰がやる? 一番てっぺんが直々にやるのも変だからな。俺かターシャの奴がいいんじゃないか?」
「うむ……最初はそれでやってみるか。無理そうなら俺が話す。相手は王子の身柄を求めてくるだろうから、それと引き換えにする形で王か侯爵を引っ張り出すよう動くんだ」
先の理由からおおっぴらに騙し討ちをするつもりはないので、兎にも角にも重要なのは王を補足することとその直後に真っ当な方法で戦端を開くことである。
「じゃあ相手の出す条件はなんでも飲んでいいってことか?」
「基本はな。だがやり過ぎると余計な警戒を招くことも頭に入れておけ」
「わかったよ」
シドとヴェガスの話が終わると、今度はターシャが近づいてきて云った。
「人員と方針が決まったところで、次は敵に侮られない服装を選びましょう」
「服装だと?」
シドは己の格好を見下ろした。
「そうです。神を名乗っているのに蛮族みたいな格好では、土着の宗教にかぶれた変人としか見られません。相手は貴族なのですからここは洗練された文化人の雰囲気を出すべきです」
「文化人とな?」
「はい。優雅な立ち居振る舞い、垢抜けた身格好、知性を感じさせる台詞。この中で貴方に足りないのは一つだけです」
「なるほど」
シドは頷いた。ターシャのいうことも分からないではない。だが一方で視野をもっと広く持つべきでもあった。行くのはシドだけではないのだ。背後に並ぶのが誰かということも考慮に入れるべきである。
「しかし例え俺がどのように文化的な服装をし、理知的な言葉を発したとしても護衛として連れているオーガやヴェガスの存在がなくなるわけではないぞ。それだと浮いてしまわないか」
「それは……確かにそうでした」
「……ふむ。ここは寧ろ逆を目指すべきと思うのだが」
「逆ですか?」
「そうだ。奴等は言葉ではどう云おうが内心では俺を神と信じたりはしない。どうせ荒唐無稽と思われるのならそれを逆手に取る。神秘性を匂わせるのだ」
「それで話し合いになるでしょうか……?」
「そこは匙加減というやつだな。俺の仕事だ」
シドはキリイに、鎖と革のベルト、鋲、毛皮を持ってくるよう云った。
「まずは服を作るところから始めるとしよう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! もう向こうは揃ってるんだぞ! 今からそんなことしてたら間に合わない!」
キリイの焦ったような声に視線を移すと、両陣営の中間に胡床が置かれているのがわかる。二名は座っており、護衛だろうか他は立っている。準備万端のようだ。
「間に合わないだと?」
シドはターシャに眼を向けた。
「ターシャよ。俺は誰かと会合の約束を?」
「――はい? ……ええ、そうです。約束してました」
ターシャは目を剥いたが、律儀に答えた。
「そうか。お前がそう云うのならそうなのだろう。それで、その会合はいつからだったかね」
「………」
ターシャははて、と小首を傾げる。云われてみれば特に指定はなかった。状況が状況だし、相手の準備など丸分かりなので別段不思議にも思わなかったが――
「そうですね。確か準備が整い次第とか云っていたような気もしますが……」
「つまりそれはいつだ?」
「……こちらの準備が整い次第ということですから、別に明日でもいいんじゃないでしょうか」
「そんな馬鹿な!」
まるで理屈っぽい男には打算的な女が似合うとでもいうように――言葉を失ったキリイに、ターシャは笑みを浮かべながら肩を竦めた。