ミルバニアにて―王とシド・壱―
最初アキムのほうと同時進行しようと思ってましたが、時間の流れが違うせいでずれてきてしまい、後々にもう片方をまとめてあげるか追記する形にしようと思います
この――全く悪びれずに――膝をついて頭を下げている男をどうしてくれようかと、ジェインは背筋が寒くなるような絶望と胸の内が煮えたぎるような怒りを同時に感じながら心中で毒づいた。
ゴドフリーは長身で、茶色い髪というどこにでもいそうな顔をした男であるが、唯一それを裏切っているのは雰囲気である。彼だけでなく、人の上に立つものは大抵が身に纏っている雰囲気が凡夫のそれとは違う。元々そうであったから上に立つようになったのか、上に立っていたからそうなったのかは意見が別れるところではあるが。
ようやっと戦闘の余韻も消え去り、日常に回帰しようとしていた城塞内郭の中庭で報告をひと通り述べ終えたゴドフリー侯爵は王の様子を見て眉を寄せ、
「正直に申しまして、各領主達からの人や物品の供出を受け、王家の肝煎りで設立された騎士団が手も足も出ない相手に、いくら数と地の利があるとはいえ我々だけでは如何ともし難く」
「そんなことはわかっておる。しかし奇襲を許したのはそなたの落ち度だ。この地はそなたが統括していた」
「それは否定しませんが、全てを予測するなど神ならぬ私には無理というもの。実際陛下とてそうでした。仮に近衛が傍に侍っていても守りきれない敵がいたとわかっていたら、王子を出撃させるような真似はしなかった筈でございましょう」
「それはつまり、私に全ての責があるとそなたは云うわけだな」
「滅相もございません。そのような云い分を通してしまえば上にいる者にあらゆる責任がいって当然となってしまいます。私とて都市や村々を統治する身、そのようなやり方では上に立とうとする者はいなくなってしまうとわかります。末端の兵士の犯罪一つでわざわざ首を差し出していては身体が幾つあっても足りませぬから」
「では守りきれなかった近衛に責任を取らせるか?」
ここにきて近衛と騎士団の生き残りをジェインは吸収していた。彼等は今少し離れたところで俯き、話の推移を見守っている。
しかし、ジェインは口ではそう云ったものの、実際に彼等をどうこうしようとは考えていなかった。命令を無視したとか、命欲しさに逃げ出すなどしていたら話は別だが、死んでいるのだ。命をかけてすら実行不可能な任務は、それを為そうとする者にではなく命じたものに非がある。
つまり焦点は拉致を防ぐことは可能だったのかという点に当てられる。仮にどう行動しても未然に防ぐことが不可能だったのなら責任は王にある。そして唯一歴史のみが王を裁ける。もし責がジェインにあるとなったなら、誰に糾弾されなくとも彼はいずれ罰を受けることになるだろう。
「なあ、侯爵よ。世の中には成功しさえすれば問題視されない物事というものが確かに存在するのだ。成功したという事実そのものが選択を肯定し、誰にも異論を挟ませない。だがもしそこで失敗したならばどうなるであろうか」
ジェインの目は敵を見るかのように冷えきっている。
周囲の兵士達は侯爵に責任を取らせようとする王の意向を肌で感じていた。特に近衛の生き残りは同僚が剣を交えて敗れているので罪悪感が大きく、この妙な流れを喜ぶべきか悲しむべきかわからず、なんともいえない表情だ。
「私は殿下を最も安全だと考えられる場に案内し、最も戦闘力の高い護衛を取り上げたりはせず、城壁には十分な数の見張りを用意しておりました。確かに敵が空から降ってくるのは想定の埒外でありましたが、誰にも予測できなかったのでありますから……。それを云い始めると水掛け論になってしまいます」
「私が指摘しているのはそのことではない。そなたにはもっと以前に、敵に対して打つ手があった。それを手をこまねいて看過していたから今回のような事態を招いたのだ」
「………」
侯爵は黙ってしまった。
ジェインもゴドフリーもお互いにやっていること、考えていることは理解しており、相手の足元に掘った穴と自分の足元に掘られた穴は把握している。
ジェインの連れてきた兵士は多いが、侯爵が集めていた兵士も多い。立場は王が上だが、ここは侯爵の勢力圏で、食糧の備蓄は侯爵が管理を任されている。なにより目と鼻の先をうろついているだろう敵の存在が大胆に踏み込めない状況を作り出していた。そしてその敵に破れ、この地まで連れてきたのはカドモスであった。
共通の敵を目の前にして責任の擦り付けなど学のない農民がやりそうなことだが、わかっていても受け入れ難い事態というのはある。
何もなければ王主導で敵と当たらねばならないが、ジェインはそんなのは御免であった。自身の戦力と評判を維持したまま事態を切り抜けたく、そのためには侯爵を前面に押し出して敵にぶつけたい。
かたやゴドフリーは、王の失策が招いた事態で力を削ぎ落とされるのはまっぴらであると思っていた。
「私は敵の戦力を見誤るという愚を犯し、騎士団の大半を失った。そなたは敵の行動を見誤るという愚を犯し、王子とそれを守る近衛を失った。だが王子と近衛はそなたのものではない。私のものだ。そなたのミスで何故私のものが失われねばならぬ」
「あれを私の失敗と捉えるのですか? あれは誰にもどうにもできぬ類のもので――」
「本当にそうか?」
ジェインはお前にもわかっているだろうというニュアンスを込め、ひょいと片眉をあげて云った。
「家の外に悪漢がいる」
ジェインは唐突にそんなことを口にする。
「その悪漢は家の主の息子を狙っている。主はそれをわかっているので息子を守るために家に閉じこもっている。例え石を投げられても大丈夫だと信じているのだ」
「………」
ゴドフリーにも何が云いたいのか理解できたようであった。そして実際にはそのような理由で引き篭もっていたわけではないが、対外的にはそう主張しているので反論できない。
「家の主はこう考えていた。悪漢は石を投げるだけで侵入してこないとな。いったい何故そう思ったかはわからないが、頑なに外に出ようとはせなんだ。壁が守ってくれると信じている。そうしているうちに、悪漢がいきなり家の中に出現し、喚く主を引き摺り倒してまんまと息子を誘拐した」
「………」
「不思議に思った主は家の中を隈なく調べ、不思議なものを見つけた。――魔法陣だ。昔の戦争で使われたという陣から陣へと跳ぶ魔法だ。そして主はこう云った。『私は悪くない! そんな物が家の中にあるなど誰が考える!?』とな」
「………」
「――さて、ここで質問なのだが、家の主に落ち度はあると思うかね? ああ、理解しづらいなら登場人物を代えてもいい。例えば、攫われた息子を預かっていた上司の息子にしてもいいし、家の主を武器を持った戦士に代えてもいいぞ」
軽そうな口調とは裏腹に、ジェインの眼は全く笑っていなかった。そこにいるのは貴族への対応に頭を悩ます王ではなく息子を失った父親で、それをおおっぴらに嘆くことの出来ない立場に強い苛立ちを抱いている。
鈍く輝く鎧を着たジェインは手負いの獣のように追い詰められた表情をしており、周囲の者は目の前の男がこの場で最も力を――立場的なものではなく――所持しているという事実を改めて胸に刻み込んだ。
ゴドフリーは理解せざるを得ない。秤に載せているものが違うと。今の王に対抗するには自身もそれなりのものを失う覚悟でもって臨まねばならない。
ゴドフリーは頭を切り替えてもう一つ秤を出現させた。そこに載っているのは敵との戦いで出るであろう被害と王に面と向かって反抗した場合の損失だ。重くなるのはいったいどちらであろうか。
「私はそなたにチャンスを与えようと思っている」
ジェインが感情を押し殺しながらそう云った。顔から表情を消し、その上で焦燥感、恐怖、絶望を醸しだすのは簡単だった。妻にカドモスのことを報告する光景を想像するだけでいい。
「生きているなら息子を取り戻すか、既に死んでいるならその無念をはらす機会をな」
これみよがしに剣を見せつける王。
唇を歪めたゴドフリーは曖昧に頷いて先を促すことしかできなかった。
「――ほら。口を大きく開けてくれ」
黒髪の娘がそう口にして、ぶっきらぼうに木のスプーンを唇に近づける。スプーンには苦味のあるどろりとした麦粥が載っていて、その不純物の多さを茶色くなることで主張していた。
この塩だけで味付けされた食事を、カドモスはもちろん断ったりしない。今の彼は、第一の世継ぎとして恵まれた環境で暮らしていただけでは決して抱かなかったであろう敬虔さでもって他者を受け入れ、天候に頭を悩ます農夫のようなひたむきさで生に臨んでいた。
カドモスが口を閉じるとスプーンが引かれ、口の端から汁が一筋垂れた。それに目を止めた少女が手拭いで素早く拭き取る。
「ありがとう」
「……別に礼なんか」
カドモスが礼を云うと少女はなんとも云えない、困った表情を浮かべる。
カドモスはそれに対し、
「俺がこうなったのは別に君のせいじゃない」
と言葉をかけた。残った一つの目を瞑り、もうない筈なのに痛む四肢を意識する。敵を恨まなかったといえば嘘になる。己の運命を呪わなかったといえば嘘になる。だがそれでも死んでしまった者達に比べればマシだ。
自棄にでもならない限り、今のカドモスには死を望む理由がなかった。まだ子を為すことができる。民の声を聞き、その様子に目を向けることができる。そして指示を出すことも。
肉体及び精神に受けたショックで朦朧となっていたカドモスは三日目にして心に整理をつけたのだ。苦境の中から希望を見い出し、それに縋ることで己を保った。そしてやれることが極小に狭まったカドモスは、産まれた余裕でもって観察することから始めた。
今ではもう、指示を出している者達の名前や仕事内容などは覚えてしまっている。
一番甲斐甲斐しく世話をしてくれるのはマリーディアだった。今傍にいる黒髪の娘だ。カドモスより一回りほど若く、口調は乱暴だが教えを受けたと思われる所作までは隠せていない。
次点でレティシア。こちらはエルフだ。表情に影があるが、マリーディアといる時はたまに笑顔を見せている。
この二人が来た時だけカドモスは緊張を解いて時間を過ごすことができた。二人は仕事を与えられてはいるものの集団の中で浮いて見える。馴染んでいないのではない。そういった、居心地悪げなエルフはたまに目にするからだ。二人は馴染んでいないのではなく、馴染みたくないと思っている。カドモスの目にはそう映っていた。
「お兄さんは戻ってきたかい?」
話しかける口調には紛れもない敬愛が込められている。カドモスにとって目の前の少女は母親に次いで敬意を払うべき人物になりつつあった。カドモスの目は節穴ではなく、その目が、少女が嫌々ながら汚物の処理をしているのではないと結論づけたからである。貴族の出自であると思われるのに自らの手を汚すことを全く躊躇わない。もし違った出会い方をしていれば求婚していたっておかしくない。
質問に、マリーディアは首を横に振った。
「そうか。……きっとそのうち戻ってくるよ。聞いた話じゃ、どう間違っても妹である君を置いて死にそうにないから」
戻ってくることは敵が増えることでもある。本音を云えばそれは好ましいことではなかったが、そのようなことはおくびにも出さないカドモス。
マリーディアは何故かまた困った顔をしたが、カドモスはそれを敵である自分に慰められていることに対する罪悪感のせいだろうと思うことにした。
成人した男性に与えるものとは思えない食事を取り終えると、マリーディアが下から覗き込むような視線を送る。
何を求められてるか悟ったカドモスは、
「まだいいよ」
と、やんわりと断りを入れる。排泄のことであった。食ったら出るのは自然の摂理である。
「……じゃあ、またあとで来る」
「あ……」
カドモスは口から漏れそうになった言葉を飲み込んで少女を見送った。話し相手になってくれと頼めば残ってくれたかもしれないが、それが少女の立場を悪くする可能性を孕んでいるというのはさすがにわかった。
シドはカドモスの世話を仕事として割り振るくらいには生存を望んでいるが、それは薄氷の上を歩くが如し。いつ何時踏み抜くかわからない。自分のせいで部下が命令違反したと思われては堪らなかった。
独りになったカドモスは全身から力を抜いて空を見上げ、大きく息を吐く。背中の下に感じる藁と亜麻布のシーツが傷ついた身体を労ってくれているようで、危うくこれをくれたシドに感謝を捧げそうになり慌てて思いとどまる。
そうやってしばらくじっとしていると、靴が砂を噛む音が耳に飛び込んできた。
痛みによる緊張で、少し動かなかったらすぐに安物の肉のように強張って硬くなる身体を罵ったカドモスは、視界に入った少女の顔を見て背筋に冷たいものが奔る。
「探したって無駄よ。あの女ならベリリュースに呼ばれて手伝いにいったわ」
きょろきょろと眼球を動かすカドモスに、荷台で仁王立ちになった少女が云う。藍色の髪を二つに分けている。妹のほうだ。おかっぱ頭の姉は妹の反対側、姉妹でカドモスを挟むように位置した。
カドモスには姉妹の名前もわかるし、ベリリュースという男の名と顔も記憶の中で一致する。三人とも顔を顰めずにはいられない相手だ。
ベリリュースは一見ごくまともな、何故ここにいるのかが不思議に思うほどの凡夫に見えるが、仕事の中身はシドに続いて許されざるものだった。農繁期の村人のように仕事に忙殺されて不幸そうだが、その実あの男が練っているのは民に対する殺害計画と大差ない。効率のために無駄を削ぎ落とすのはいいことだが、実際にはそれで削ぎ落とされるのは村人達の身体だ。見た目通りの性格であるヴェガスや外見に比して中身がまともなキリイより長生きし、その分長く不幸をばら撒くタイプであった。
そして目の前の姉妹はといえば――
「……私達が何故来たか、わかる?」
抑揚の利いた声でミラが云う。カドモスは答えない。
「昨日の話の答えを聞きに来た」
「………」
「――アンタねぇっ!」
なおも答えないでいると、サラの靴底が包帯の巻かれた中身の無い眼窩を踏み躙る。
「お姉ちゃんを無視するんじゃないわよ! クソ食わすわよ!」
「ぐ――」
カドモスはされがままだ。手で払うことも顔を逃がすこともできない。並ぶものなき弱者となったカドモスは最早大抵のことは笑って受け流せると思っていたしそうであるよう自分に云い聞かせていたが、サラの言葉に昨日の光景が頭に浮かび、怒りで顔が赤くなった。
「お、お前た――」
云い終わる前に足先が移動して口の中に突っ込まれる。
「そういえばさっきゴブリン達のうんこ踏んじゃった気がするわ。ちょっと舐めて掃除しなさいよ」
「ぺっ、ふざ――」
「オラ。さっさと舐めろっていってんのよ。この芋虫が」
細められたサラの瞳は人が家畜を見るよりも冷たい。どうやっても振りきれないカドモスは最後には諦め、黙って話が再開されるのを待った。
「……どう? 思い出したかしら?」
「……ひょんなものふぁどふぉにもふぁい」
「サラ。足を」
云われて足が離れるとカドモスを何度か咳き込み、横に唾を吐いた。
「そんなものはどこにもない」
「……嘘。ないわけがない」
ミラが云っているのは王族や歴史ある貴族などの家に代々伝わる魔法とそれに対応した魔法石のことだ。政敵を滅ぼし現在まで生き残っているということは力ある一族だということであり、大抵の場合、元々先祖が伝えていた魔法や滅ぼした政敵から奪って取り入れた魔法など奥の手を持っている。
「もし正直に教えたら、シドに助命を頼んであげてもいい」
「あの男はそんな簡単に意見を変えるタマじゃない」
「そこはちゃんと考えてある。だからあなたも真面目に検討して。生き残れば融通が効くことが色々とある筈」
「………」
確かにその通りだった。この際好き嫌いは問題にならないし、強いか弱いかも問題にならない。今のカドモスに出来ることは口を回すことだけで、父が勝つための手助けはできそうにないが負けた時のための手助けならできそうだった。しかし最大の問題として――
「……本当に約束を守るという保証は?」
「そんなものはない。でも、それで十分。あなたにはそれを求める資格がないし」
「それが取引をしようという相手に対する態度か? 森に引き篭もっているから交渉の仕方もわからないんだ」
「馬鹿なことを云う」
カドモスとミラは互いにわからず屋を見る目で相手を見た。
「シドをこの場に連れてきて身の安全を約束させたとして、それが守られるという保証は? 最終的に決めるのはシドだけど、私達にはそれを直接どうこうする力がない。つまりあなたの望みは私達に出来る領分を超えているの。あなたに求めるのが許されてるのは私達の努力だけで、それに保証なんてあるわけがない。信用できない? じゃあいったい誰なら信用できるの? 最終的には全部シドが決めるのに」
「………」
ミラは説明に疲れたようなため息を吐いて座ると、膝に肘を乗せて頬杖をついた。
「あなたは自分の置かれた立場が最悪だと思っているかもしれないけど、事実はそれよりちょっと上をいってる」
「……どういう意味だ?」
「マリーディア、わかる?」
「ああ。それが?」
「もし彼女の兄が戻ってきたら、あなたはいい顔をされない。たぶん、ではなく確実に。そして仮に戻ってこなかったら、彼女は庇護者を失う。何かあっても誰も庇わない」
「……それが?」
「……別に。それだけ」
ミラは全てわかっているぞ、と達観した瞳で肩を竦める。
「あなたの使える駒は限られている。そしてその中の一つである魔法を最も高く買えるのが私達。キリイやヴェガスなんか見向きもしない。お金には変える必要すらないのだから。つまり、あなたはもうすぐ死ぬかもしれないから打てる手は打っておくべきだし、それを最大限に活かせるのが私達なの。信用も選択の余地もないの」
滑らかに語り終えたミラはカドモスを凝めながら答えを待った。
「……下手をしたら俺は全て失う」
「何云ってんのよあんた」
それまで黙っていたサラが堪えきれないという風にくすくすと笑う。
「あんたはもう全部失ってるじゃない。あんた自身が管理してるのなんて何もないでしょ。排泄すら自由にできない。魔法だってそう。それってまだあんたの父親のものよね? あたしの云ってること理解してる? あんたはねぇ、人の財産を使って取り引きしようとして相手に担保を求めてるの。これって滑稽よね。あんたいったい何様のつもりよ? ――あ、王子様か」
「………」
「だいたいあんたさあ、マリーディアがなんで優しくしてるかわかってないでしょ? 年頃の娘が、しかも貴族出の娘がよ? もちろんあんたが王子だからじゃないわ。ここじゃ身分なんて何の役にも立たない。要るのは力か要領なの。そしてあの娘はそれを持ってたってだけね」
「……どういう意味だ?」
「つまりねぇ、死体を解体したり解体する人数を決める作業よりあんたのクソの始末をしてたほうが気分的に楽だからに決まってるじゃないの」
「な――」
カドモスは怒るよりも愕然とした。シドに捕まってからというもの、驚きの連続であった。地位を歯牙にもかけない男にいたぶられ、王族でありながら享受したことのなかった優しさに触れ、また理由なき悪意を直接ぶつけられる。この集団には王族として敬ってくれる者はおらず、カドモスは自分が丸裸になった気がした。
「……せ、せめてどう説得するか教えてくれ。それで判断する。理にかなってなければ残念だが――」
「……馬鹿にしてるの? そんなこと教えたらあなたが自分で云えばよくなる」
「情報もなしに判断しろと云うのか? それはもう取り引きじゃない。賭けだ」
「好きなように呼ぶといい。それにこっちだって賭けと云えなくもない。まだシドが勝つって決まってるわけじゃないし、あなたの父親はあなたに黙って財宝の隠し場所を変えてるかもしれないのだから」
「そんなことはない! 俺は第一王子だぞ! 万が一の時に備えて指示は受けている!」
「――ほう。それはいいことを聞いた」
突然割り込んだ低い声に、カドモスだけではなく姉妹までもが身体を硬くした。
「まったく俺は運がいい。――いや、運というよりも行いかな。お前に良い知らせを持っていこうと足を運んだら、当の本人から知らせを云うより先に礼をしてもらえるとは」
云わずと知れたシドである。
今や周囲の光景に溶け込んだ服装をしているシドの肩には懐いた小鳥のようにドリスが腰をおろしていて、横にはターシャが立っていた。
それに向かってミラがさりげなく視線を送り、荷台から飛ぶようにして降りる。
「……どうしてここに?」
「なに、云った通りだ。そこの男に吉報を持ってきた」
シドは信じてもらおうという気が全くなさそうな声音でそう云うと、荷馬車の上に横たわるカドモスを見下ろせる位置まで行き、気安そうに肩を小突く。
「父親と会えるぞ、王子よ。二、三日のうちにな」
シドが告げると、ドリスがにたりと笑う。情報の出所と信憑性について、カドモス以外疑うものはいない。
「会える? どうせ死体にしてからだと云うんだろ」
「せっかく生きているのにわざわざ殺したりはせん。自棄を起こして暴れたりしなければ生きて顔を見れるさ」
「……俺のことを生死はどうでもいいと云っていた男が今さら何を」
「だからこそだよ。望みはするが執着はしないのが俺の主義でな。そのほうが選択肢が多く、相手よりも精神的に優位に立てる」
――といっても全くないわけではない。シドにも捨てられないものはある。だがその生き方は人でいうなら食事や睡眠を取るようなものだ。何故食事を取るのか。何故眠たくなるのか。その結果である死が何故嫌なのか、と問われてもどうしようもないのと同じである。
よく兵器は使われないほうがいいと云う者もいるが、それは使う側の意見であって使われる側の意見ではない。ミサイルや魚雷は目標に命中することを嫌がったりはしないものだ。
「ところでお前達はここで何をしている。王子の尻を拭いてやっているようには見えないが」
「あああ、あたし達はあれよ、あれ! その……なんだっけお姉ちゃん」
「私達は王子から秘密の魔法について聞こうとしてた」
「――そう! それよ! あたしが云いたかったのもそれ!」
「それを聞いてどうするつもりかね」
その問いにサラが不安そうに姉に目をやると、ミラはない胸を張って、
「秘密――ではもちろんない。きちんと理由がある。私達が強くなるのは皆にとってもいいことだから」
「こっそり強くなる必要があるのかしら?」
ミラは硬い表情をしたターシャに、少なからぬショックを受けたという顔を向け、
「それは勘違い。確実性がないのだから、聞き出せたら報告するつもりだった」
「――そう! それよ! あたしがやりたかったのもそれ!」
唾を飛ばすサラを眺めながら、それで――と、シドは訊ねる。
「秘密の魔法とやらはあったのか?」
「いえ、まだ……」
「ならば俺が聞いておこう。他に訊くこともできたのでな」
「でも――」
「それともなにか、自身で聞かねばいけないような理由があるのか? もしあるなら云ってみろ。納得できれば任せてやる」
なにもかもをも己の物とし、他者に命令を下すシドは一見権力欲や独占欲が強そうに見えるが、実はそうではない。シドはただ分かち合う必要性を感じていないだけなのだ。それが必要だと判断すれば、いつだってパイを切り分けてやる。
「さて、話も決まったところで――」
ミラが黙ったので、シドは両手を叩き合わせて云う。
「ターシャ、岩塩を持ってこい」
「……わかりました」
疑問に思っただろうに、一つ頷くだけでターシャは場を後にした。
シドは続いて姉妹にも去るよう勧めたが、二人は頷かない。なんと面倒な、とシドは独り言ちた。
王家が持っている魔法が強ければ強いほど、王族には死んでもらう必要性が出てくる。一子相伝染みた魔法などシドは求めていないのだ。王家の血とともに地上から消え去ってもらうのが一番である。
だがここでそんなものはいらぬと突っぱねれば、姉妹が後で聞き出すかもしれず、それは避けたい。
弾やエネルギーには限りがあるし、いずれここの世界産の火器で戦うことになるだろうが、すぐにではない。敵が容赦なく魔法を使用してくるのに対し弓や刀剣の類のみで立ち向かうのは愚かな行為である。シドの予定としては、前装砲や前装小火器の量産とともに戦闘教義を一新し、後装砲や後装連発銃の量産とともに魔法の排斥を開始する。金属薬莢や無煙発射薬が必要な後者と違い、前者は都市を支配できれば製造に入れるだろう。錬鉄や青銅といった脆い素材による砲身の設計はわかるし、薬品は錬金術士から、蒸気で加圧するプレス機や金型はシドが用意するのだ。目処としては、百五十年で粒子加速器による反物質生成まで持って行きたい。
つまり当分は魔法使いが必要であり、存在を許すからには管理しておきたかった。
もし姉妹が長命でなかったのなら気にもすまいが、生憎エルフである。そのうちひょっこりと魔法を覚えるかもしれない。それでは裏切られた時に支障が出てしまう。
シドは命令違反は許さないというスタンスだが、それで上手く回るには間違いは許されない。しかし戦場が複雑になっていくと全ての情報を集めることは不可能に近い。シドの視点ではミスとならなくても、戦場全体で見ればミスとなる場面が必ず出てくるだろう。そういう時に戦場を支えるのは命令違反をする指揮官だ。
いい指揮官とは、いつ命令を無視するか判断ができる指揮官である、という考え方がある。上から云われたことをただやるだけなら兵隊で十分だからだ。
つまりシドは、当然ながら命令違反を許さず、行ったものには罰を与えるというスタンスでありながらも、場面によっては命令違反を必要とするという冗談のような組織を造らねばならない。
だがこれは不可能ではないと歴史が証明している。
シドは命令に違反するなと声高に叫ぶ。――裏切り者には死を、と。指揮官達はこれに頭を下げるが、情報不足によって生じた危機的状況においてはそれを打開するために命令外のことをやり、危機を回避せねばならない。その後にシドから罰を受けるのだ。そしてこれが成せるのは栄光を求める将である。
将には二種類いて、一つが栄達を求める将。もう一つが栄光を求める将だ。歴史にいい意味で名を残すのはもっぱら後者で、シドが欲するのもそうだ。
だが実際にはシドの下には前者しか集まっていないようであった。目下のところシドの悩みだが、これはシド自身のではなく組織としての力をつければ解決するだろうと考えている。現時点ではベリリュースが最も見所があるが、仲間になった経緯を考えれば自らの命を捨てて組織に尽くすかは微妙なところだ。
この原因もシドにはわかっている。自身のやり方が原住民には馴染まないせいだった。ここの世界の住人にとって、シドは血も涙もない冷血漢に見えているだろう。だがそれは種として未熟だからに他ならないとシドは考える。宇宙に上がれば情に流されることの愚を悟る筈である。そうでなければ生き残れない。
宇宙を支配するのは方程式だ。一旦跳べば全てが管理下に置かれるそこでは情けや同情はそれ以上の意味を持たない。管理外の生物が存在する余地などなく、子供の悪戯が容易に破滅を招く世界なのだ。
その冷たい方程式に従うのが当然となっているシドにとって、我侭を云って泣き叫ぶ子供は処刑対象であるし、ヒスを起こして突っかかってくる女も処刑対象だ。もちろん吸うなと云われているのに呼吸をする男もそうである。
だがこれはシドの優しさなのだ。この世界の住人はいずれ宇宙に出た時に気づくだろう。管理された閉鎖空間において何のストレスもなく過ごせることに。
「そのような目で見るものではない」
とりあえず試してから判断しようと決めたシドは、自分を不安そうに見上げる男にそう云った。
「万が一の際の措置など考える頭を持っていれば誰でも思いつく。血統による支配の特性として、起こるとまずい事態は絞られるからな。王が死んだ場合に頼るべき相手や、王都を失った際に拠るべき場所、戦況を覆すための隠し金、ここら辺りはすぐに考えつくが、そのどれもが今わかったからといって手が打てるという類のものでもないし、余裕ができた時にはわざわざ教えてもらうまでもなくなっているだろう」
「魔法は知っておいたほうがいいじゃない! 出会った瞬間殺されるかも!」
「吐いた言葉が真実であるとどうやって判断するつもりだ。こいつにとって俺達は憎むべき敵でしかない」
シドは口を挟んできたサラに答えてやる。結果的に、先走った感はあるものの姉妹の行動は間違ってはいない。だがあのまま任せていても失敗する。相手の精神の動きを把握しなければ成功するものもしないのだ。
カドモスはシドの言葉によって生に執着しているが、その本質は王家の利益に根ざしている。王である父親を殺すために協力しろと云っても頷かないのは考えずともわかる。
「父に直接的な影響が及ぶ情報は教えないぞ」
カドモスは先んじて宣言した。
情報を引き出すことは不可能であろうとはシドも予想している。利益や弱みを利用できず、嘘も見抜けないからだ。実のところマリーディアを利用できるかもと考えていたが、強引なシドでも時間が足りないのを認めないわけにはいかない。
そうなると残る目的は――
「持ってきました」
ターシャが云われた通り岩塩を持ってきた。
シドはいい具合に血の滲んだ顔の包帯を剥がすよう命じる。
――正確性の高い証言を得るのが無理ならば、後はもう魔法を諦めさせるためのデモンストレーションとしての意味合いしか残っていない。
「今さら拷問する気か? 俺にはもう失うものなどないと、そこのエルフにすら――」
カドモスは思い止まらせようと喚くが、シドは耳を貸さなかった。
説得力を持たせるためにそれなりの時間苦しんでもらわなければならないし、それをすればカドモスは情報を渡すまいとますます意固地になるだろう。
全くもって運のない男だ。シドはそう思いながら空いた眼窩に塩をぶち込んだ。