ミルバニアにて―王子誘拐事件・下の参―
「『氷の杭』!」
鋭い切っ先を持つ、氷で出来た何百という筒が暴風のように押し寄せシドの体躯を撃つ。外れた筒は軽い音を立てて壁に突き立ち、開いた戸口から中を窺っていた姉妹が慌てて顔を引っ込めた。
仲間の攻撃に一旦は距離をとっていた左右の敵が、魔法が止むや再びシドに斬りかかる。
右の敵には右手の剣で強く敵の武器を打ち払い、左の敵には足で対応したシドは、腕の力だけで正面で魔法を使った相手にメイスを投げつけた。
まるで小石でも投げるように投じられた金属の塊は室内を切り裂くように突き進んだが、シドの腕が振られる前に動き始めていたもう一人の敵が盾を持って割り込む。
メイスは盾を貫通した。補強で打ち込まれていた鋲が弾け飛び、硬木が木っ端と砕ける。メイスを胸に受けた敵は背後の一人を巻き込み吹き飛んだ。
シドは右を向く。向いて左の敵に背を見せた。真正面からまともに見下された敵はうっとたじろぎ、無視された形になった背後の敵は顔を真っ赤にしてここぞとばかりに仕掛ける。
正面となった敵の攻撃を受け止めると同時、後ろの敵の剣が背中に当たるが、シドの足が馬のように跳ね上がって背後の敵の股を潰した。
「――グ!? オ、オ……ォ……」
「貴様ぁっ!」
正面で相手をしながら一歩さがって悶絶する敵の頭を踏み潰す。それが終わると足元で既に事切れていた敵――扉を開けた直後の、最初の接触で死んでいた敵の死体――を、立ち上がったばかりの奥の敵に向けて蹴った。
左手で懐からナイフを取り出すと、正面の敵の一撃は剣で弾き、続く一撃は無視して口の中に突き入れる。
キリイが機を逃さず部屋に侵入した。奥に向かうと再度倒れていた敵は焦って中腰で武器を振る。
キリイはそれを左手の鈎で受け止め、滑るように近づくと剣で突いた。敵が左手をぶつけて受け流そうとするが逸らし損ねて肩に刺さる。間髪入れずにドリスが視界を塞ぎ、遅れて入ってきたミラとサラが鎧の隙間に短剣を突き立てる。敵が死んだのを確認するとメイスで吹き飛んだ敵にも同じようにした。
――その頃にはもう、シドは続く部屋に足を踏み入れている。
「これで合計八か。とうとう当たりを引いたようだな」
入ってすぐ五人。次に三人。しかもまだ奥があるのでそれ以上になると思われる。
「ハーヴァー! モーリス!」
名前が呼ばれ、二人がシドの前に立ちはだかった。
シドのナイフが一閃し、振り下ろされた敵の剣を半ばで断ち切る。ついでに振り下ろした自分の剣も折れた。敵が盾で逸らそうとしたが強引に軌道を維持したせいだ。
シドはナイフで敵の首を狙いつつ、同時に録音した音声を再生する。
『ハーヴァー! モーリス!』
「――え?」
シドの動きに備え、注視していた筈の敵が一瞬硬直する。
それだけで十分だった。敵が首から血を吹き出しながら倒れる。
「うおおおおおおっ!」
もう一人の、盾を前面に突進してくる敵に蹴りを入れると足が盾を貫通した。裏に敵の姿はない。身を低くしてシドに飛びかかる。
「今だぁっ! やれぇっ!」
敵がしっかりとシドの腰に腕を回し、そう叫ぶ。
シドはその男の側頭部にナイフの刃を埋めた。
「『堅牢なりし水牢!』」
奥にいた二人のうち一人が魔法を使うと、轟っとシドの周囲に水が発生し渦を巻く。まるで水で出来た竜巻のようだったが、圧力は上にではなく下にかかっている。
シドにしがみついたまま死んでいる敵の身体が離れ、周りをぐるぐると回りながら床に落ちるとその場で風車のように回り始めた。シドはしっかりと腰を落として踏ん張ったが、ともすれば安定を失いそうになるのを感じる。
腕を使うべきどうか思案していると、歪んだ視界にもう一人の敵が手を輝かせているのが映った。
――いや、輝いているのは手ではない。敵が握り締めている拳のなかにそれはある。
「全員伏せろぉっ!」
敵が大声でそう命じながら手を突き出す。
「――やばっ!」
前の部屋の時と同じに戦況を窺っていたミラとサラが慌てて壁に隠れ、それを見たキリイとドリスも真似をする。
白くぎらぎらとした光を放つ玉が飛んできて空気と一緒にどぷんと水の中に沈んだ。見れば敵二人も奥の部屋に向かって身を投じている。
瞬く間に、部屋にいるのはシドだけになってしまった。
そしてそれを待っていたかのようにシドのすぐ傍で漂っている白い玉が弾ける。
視界が一瞬で真っ白になり――
次の瞬間、凄まじい爆発に建物が震えた。
「――ぐ、っうぅ……」
キンキンする耳を押さえながら、うっすらと埃を被ったグンナムが起き上がる。唾を吐き、爆発の起こった部屋の方へ顔を向けるが何も見えない。わかるのは、宙を舞っているであろう、口の中に侵入してくる砂埃と砕けた石の匂い、そしてここよりは明るい鎧戸の吹き飛んだ窓だけだ。
「で、殿下、ご無事ですか?」
全ての灯りが消えた部屋でそう声をかけると、咳き込むような返事があがって、砂粒を振るい落とすためか身体を払う音が聞こえた。
「ゴホッ、お、俺は無事だ……。いったい何が起こった」
「魔法を使いました。私とラドグリフで――」
グンナムは手探りで武器を確認しながら云う。魔法には単体で使用した時と全く別の結果をもたらす組み合わせが存在していて、今のもその一つだ。魔力によって固定化されている領域に圧縮した炎を投じ、タイミングをずらして解き放つことで生じる。もしかしたらあのまま水の中で窒息させることが出来たかもしれないが、我慢比べになって魔力切れになっては元も子もない。出来る内に最大の威力を持つ攻撃を行ったのだった。
「思いの外、敵が手強く」
「……やれたのか?」
「至近でまともに爆風を受けた筈。無事ではいられますまい。後は残った鼠を数匹始末するだけです」
「――隊長」
カドモスと話すグンナムに生き残った近衛が声をかける。
「フィッジオか。ノイマンは……」
「ここにいます」
闇のなかから返事があった。
「ラドグリフは……いるな」
部下を確認したグンナムは唇を噛んだ。十人の部下で生き残ったのはたった三人だ。あの敵が相手なら五人では心許なかったろう。どのような経路でこの部屋に来たかはわからないが、出会っていたら配置した部下達の生存は絶望的だ。
「まずは灯りを。殿下はお下がりください」
「私が」
ノイマンが請け合い、グンナムは彼がいるであろう声の方に顔を向ける。
――その瞳が、あるものを捉えた。
ノイマンがいると思しき場所の上に、赤い光が二つ浮いているのだ。烟る視界に歪んで見えるそれは、まるで双子星のように連なって動いているように見える。
「『光あれ』」
ノイマンが小さく唱えた。彼の掌の上に黄色く光る玉が出現し、周囲を柔らかく照らしだす。
まずグンナムの目に入ったのは全身に白く埃を被ったノイマンの姿だった。そして次にその背後、影になっている位置にいるなにか――
ノイマンは気づかない。綺麗に切り揃えられた髭まで真っ白だが、ノイマンの目に映るグンナムも同じなのか、彼は笑いながら、
「隊長、眉毛まで真っ白ですよ。いつの間に年を食ったぁっ――がっはッ、ああアアアッ!?」
「ノイマン!?」
いきなりノイマンの腹から腕が生えた。口から滝のように血を流しながらその身体が宙に浮いていく。
「――う、あぁ……」
まるで杭打たれた聖者のように、ノイマンは胸を突き出したような格好で大きく腕を広げている。
「ノイマンっ! ――くそっ!」
ノイマンの作り出した光が徐々に消えていこうとするなか、グンナムは刺突を繰り出す。彼の背後にいる影に向かって――
しかし敵がノイマンの身体を放り投げ、グンナムは仕方なくそれを受け止めた。
「つまらん小細工を弄しおって、蛮族どもめ」
頭上から声が降ってくる。
敵は、悠久の時を経た大樹のように揺るがなかった。嵐に耐えるように爆発に耐え、相変わらずグンナム達にその枝を伸ばそうとしている。
「さあ、続きといこうか。結果はわかっているがな――」
赤い光が瞬き、ノイマンの呼吸が止まった。
そして世界が再び闇に閉ざされる。
「二人とも殿下を逃がせ!」
グンナムの反応は早い。そう叫ぶやフィッジオとラドグリフの動きを確かめもせず敵に向かっていく。身体の位置はよくわからない。狙うのは唯一わかる眼だ。
左手で短剣を投げ、目の動きに注視する。
赤い光が微かにチラついて短剣が弾かれた。そしてこちらへ近づいてくる。
「ここは通さんぞ!」
技巧も何もない大振りの一撃を赤い光に向かって繰り出す。同時に左手で魔法を使う。
「『塒巻きし炎』!」
グンナムの肩から手首にかけて、炎の体を持つ蛇が出現した。それを左腕に巻きつかせたまま拳を握り込む。
右手の剣が何かに当って止まったが、これは予想出来たことだ。グンナムは子供の喧嘩のように左手で殴りかかった。
まるで城壁でも殴ったような衝撃が返って拳の骨が折れるが、グンナムは凄絶な笑みを浮かべた。
「行けいっ!」
声を合図に炎の蛇が腕から敵へと奔る。蛇は長さを増しながら、敵の手足の先から頭まで隈なく巻き付き服の中や口中に潜り込もうとする。敵は松明と化して部屋を明るく照らし出した。
「――お前は」
闇の中浮き彫りになった敵と間近で睨み合ったグンナムは目を見開く。これまでずっと人か、もしくは人に類似した魔物を相手にしていると思っていた。だが違っていた。
グンナムにはその不自然さがひと目で分かった。自分を見下ろす眼球が動いていないのだ。どんな生物も右を見ようとしたら右に、空を見上げれば上に、顔とともに眼球も動く。今のような状況なら尚更である。それが全く動いていない。代わりに奇妙な音が聞こえ赤光が拡がった。
「――ウッ、ガはあっ」
動いたと思った敵の右手が、次の瞬間にはグンナムの腹部に深々とめり込んでいる。
腹を襲う圧倒的な熱さと、足元から忍び寄る寒さ。腹の中で何かが蠢く感触がするが、抜けゆく力を振り絞り相手の腕に剣を振り下ろす。
「やらせはせん! やらせはせんぞぉっ!」
獲物に打ち込まれた牙のようにますます腕が深く食い込み、グンナムは暴れる草食獣さながらに不格好な一撃を何度も繰り返した。
敵の腕が腹中を這い上がり、肺が押し潰されて出た最後の呼気が血とともに口から漏れて言葉が出せなくなる。剣がすっぽ抜けどこかに飛んでいく。
それでもグンナムは諦めなかった。今度は右手を伸ばし敵の首を掴もうとする。だがその動きにかつての力強さはない。逆に掴み返され、手の骨が砕けた。
視界が膜がかったように霞み始め、グンナムは死が忍び寄るのを感じた。自分達は訓練を受けていない一般人を赤子のように扱えるが、この敵は自分達を赤子のように扱えるのだ。
だがそれでも負けたと決まったわけではない。近衛の職務上、カドモスを守りきれば勝ちである。そしてそれは同時にカドモスを狙ってきた敵の負けでもあった。
主の死期を間近に迎えてか、魔法で出した蛇が萎んでいき、敵の姿が再び闇に溶け込もうとする。
折れた両手を使い、逃すまいと敵の腕を抱え込んだ。
『――殿下。殿下』
突如として耳朶を打ったその声に、閉じかけた瞳が痙攣する。
バカな――とグンナムは呟いた。唇が微かに動くが、音は出ない。首だけで後ろを振り向いたその顔には、恐れと懇願の色がある。
「……グンナム?」
グンナムの希望を打ち砕く返事が聞こえた。
『殿下。魔法を使いました』
死を待つばかりのグンナムの頭越しに、敵は会話を始めた。それもあろうことかグンナム自身の声でだ。
血の気を失った白い顔が憤怒に歪むが、グンナムには手も足も、声も出ない。ただ見ていることしか出来なかった。
「や、やったのか……?」
『フィッジオ。ラドグリフ。まずは残った鼠を始末する』
「さすが隊長!」
「俺達は信じていましたよ!」
敵に勝利したと信じたのか、傍目にも声が明るいのがわかる。
カドモスと部下二人の安堵の声を絶望とともに耳にしたグンナムに、敵が顔を近づけ――
『まずは残った鼠を始末する。殿下は無事ではいられまい』
静かに、囁いた。