ミルバニアにて―王子誘拐事件・下の弐―
シドは廊下を一人で歩いていた。
生き残っていたゴブリンはとっくに死んでおり、三番目の部屋からは独りで突入する羽目になったが、少し面倒が増えただけで滞り無く捜索は進んでいる。
「――む」
初めからそうでったかのように何の気負いもなく歩き、次なる扉を開けようと手を伸ばしたシドは取っ手に手をかけた体勢のまま動きを止めた。これまで二に一の割合で部屋の中に兵士が潜んでいたが、どの扉にも鍵はかかっていなかった。これは鍵のかかった初めての扉である。とうとう当たりを引いたか――と思うのは自然な流れだろう。
取っ手の横に拳を突き入れ、塞ぐように置いてあった家具を倒して部屋に入る。
「マスター!」
「――ああっ! 遅いわよあんた!」
中にいたのはドリスとキリイ、そして帰った筈のミラとサラだった。
ひと目でキリイが憔悴しているのがわかったので、シドは挨拶もそこそこに焦げた寝台へ近づき、座って項垂れているキリイを見下ろす。
「なかなか酷い怪我のようだな。何があった?」
「それが聞いてくださいよマスター! キリイを安全に下ろそうと高度を下げたら矢が飛んできて船が落ちてしまったのです! もちろんキリイも真っ逆さまですよ!」
「………」
「………」
ドリスが捲し立てるが姉妹は口を閉じている。当のキリイは口を開くのも億劫そうだった。
「まあ生きているなら問題ないだろう。最悪、眼球と頷く首がきちんと動けばそれでいい」
「マスターならそう云うと思っていました!」
「………」
「………」
シドは痛みに表情を歪めているキリイを覗き込み、怪我の様子を確認する。
「足でなくてよかったではないか。俺は王子を運ばねばならんからな」
「そんなことより王子はまだ見つけてないの!? 早く終わらせて帰りたいんだけど!」
「まだだな。しかしもう残りの部屋数もだいぶ少なくなってきた。そろそろ出会す筈だ。――ところでミラ。キリイの腕は治せないのか?」
キリイの腕はぎざぎざになった脂肪と肉の切り口から骨が覗いている。固く縛り過ぎているせいか鬱血して毒々しい斑模様をしていた。
ミラは同情の篭った目をキリイに向ける。
「私は医者じゃないから……。とりあえず元の形に戻せば魔法で治癒力を高めて治るけど、前と全く同じというわけには……」
「要リハビリということか」
顔はともかく腕は致命的だ。日常生活くらいなら早い段階で出来るようになるだろうが、はっきりいってそんなものはシドの求めるところではない。
切るか――と、シドは思った。キリイはこれまで主に戦闘で貢献してきた。他に取り柄がないからだ。シドの下で組織を束ねるにしても、キリイが二本の足で立っていられたのは力のおかげであり、最低限のそれがなければ誰も云うことなど利かないだろう。ならば日常生活のために今の手を残すよりも、すぐにある程度使えるようになる手のほうがマシだ。
確かに五本の指が器用に動く手は汎用性が高い。しかし一方で、感覚の必要な生身であるという弱点も抱えている。理想は器用に動き、尚且つ強固な手だ。
だがキリイの腕をそうするのは技術的に不可能だった。単純なものにならざるを得ない。器用さは失われてしまうだろう。しかし強固さは得ることが出来る。――用途によって換装することも。
つまりプラスマイナスかでいうと、プラスに少し傾く。
「キリイよ、少し手を見せてみろ」
シドはキリイの腕を静かに掴み、観察するふりをした後、
「……これは早晩腐り落ちるな。だからといって止血帯を解くのもまずい。毒素が一気に回って死の危険がある」
「ぞ、ぞんな……」
治ると思っていたのか、キリイはショックを受けたようだった。
「お前が望むなら今すぐ緊急手術をしてもいいぞ。そう大した時間はかからん」
「じ、じじゅつ? ぞれで、治るのが……?」
「直るとも」
「……なら、だのむ」
「うむ。ではそこに横になるがいい」
キリイが鎧を脱いで寝台で仰向けになると、ドリスがこっそりと耳打ちしてくる。
「マスター。本気で手術するつもりなんですか? マスターは医者じゃないんですよ?」
「心配無用。俺の解剖経験は下手な医者よりも上だぞ」
「縫合とか麻酔とかはどうするんですか? 麻酔なしだとさすがに耐え切れないかと思います」
「ちゃんと考えてある」
シドは懐からヒートナイフを取り出した。それを一旦キリイの傍に置き、身体の上に手を翳す。
そして厳かな口調で告げた。
「それではこれより手術を開始する。まずは麻酔だ」
「――ングゥッ」
シドが軽く殴りつけるとキリイはあっさりと白目を剥き、同時に身体から力が抜ける。
「……麻酔が効いたようだな」
ナイフを手に取り、腹の部分に当てる。
「開腹を始める」
「あんた何考えてんのよ!? そこは関係ないでしょ!」
「もちろん冗談だ」
シドはナイフのスイッチを入れるとキリイの左腕を一振りで切り飛ばした。肘の少し先にある焼けた切り口から血は出ない。
そして部屋備え付けの暖炉から火掻き棒を拾い、何度も折り曲げて先端部分を千切った後、角度を調整してキリイの左腕に添えてロープで縛る。
「――出来たぞ。素晴らしい早さだったとは思わんか?」
「あんたねえ、食材捌いてんじゃないんだから……。それに、いくらなんでもこれはあんまりでしょ。絶対元の腕のがマシだわ」
出来上がった腕を目にしたサラは引いた顔で云う。
「これは戦闘が落ち着いたらもっといい腕に交換するつもりだ。元の腕よりも高い戦闘力を持つ腕にな。キリイも文句は云わないだろう」
「本当にそうかしらね……」
「そうさ。――ふむ、ついでに顔も直しておくか」
「え?」
「今の状態では顔の左側面が極めて脆弱だ。装甲を付与して耐久性を高めておこう」
兜は痛くて着用できないだろう。そこで一計を案じ、顔と装甲を一体化させることにする。
シドはまず部屋に転がっている大柄な男達の死体から一番体格のいいものを選び首を切断した。下顎から後頭部の下辺までを切り取って中身を掻き出し、中の突起部分を丁寧に磨り潰した後それをサラに放り投げる。
「汚い! なんてもの投げるのよ! あんた正気なの!?」
「それを火で炙っておけ。皮と肉が残らないようにな」
「なんでよ!?」
「いいから黙ってやれ」
シドはキリイの元へ戻るとナイフを頭に添えた。陽炎揺らめく刀身に触れるか触れないかの距離で髪の毛を炙っていき、縮れたそれを手で払うと赤くなった頭皮がお目見えする。
あっという間に見事なスキンヘッドが出来上がった。
「キリイは起きたら自殺するんじゃないでしょうか?」
ドリスがそんなことを云うが、シドは馬鹿なと一笑に付した。
「たかが髪の毛で自殺など。毛よりももっといい素材で頭部を保護すればキリイも文句は云わないだろう」
「いやいやいやいや! あんたさっきからそれ繰り返してるけど、片方だけでも普通にトラウマもんだから!」
「黙れ。それより終わったのならそれを寄越すんだ」
シドは床の上で燃え盛る炎に手を突っ込んだ。頭骨を拾い上げると炭化した肉と皮を小削ぎ落とす。
「よく触れるわね……。凄く熱いんじゃないのそれ?」
「鉄は熱いうちに打てというからな」
「マスターまさか……」
恐ろしい予感に打ち震えるドリス。
しかしシドはそれに答えず、顔を上げて感慨深げに呟く。
「……不思議なものだ」
「何がですか?」
「お前も知っての通り俺は神の真似事をやっている。それは便宜上名乗っているだけで特別そうあろうと振舞っている気はないのだが、まるで運命づけられたかのようにかつて神と呼ばれたものの足跡をなぞっているではないか」
「足跡ですか?」
「そうだ。遥かな昔、知的障害者どもが頭の中にしか存在しない誰かに縋っていた頃のな」
シドは神を必要としていないが、存在を否定はしない。神の定義は様々だからだ。しかし許せるのは身近に実在する神までである。それは弱者が強者を崇めるのと変わりないからだ。
一方、架空の存在や過去の人物を神と崇める輩がいる。だが彼等の崇める神は実在せず、現実に影響を振るうことができない。つまり頭の中だけの存在だ。そして妄想に頼らねば精神の均衡を保てないのは知的障害者であるというのがシドの見解だった。
「確か奴等の言葉では、神は自らに似せて人を造ったのだったな。俺がやろうとしていることにぴったりだ。今、世界が俺に神であることを望んでいる」
そう云ったシドは右手で頭骨を持ち、左手でキリイの頭を持ち上げる。
「神は云った。『さあ、人を造ろう。――俺のかたちに。――俺に似るように』」
頭骨をキリイの頭に被せると、ジュッと肉の焼ける音がした。
ぽっかりと空いた眼窩の下、キリイの閉じられた瞳がくわと見開かれる。
痛みと混乱から血走った瞳がシドを射抜き、その後、答えと救いを求めて伸ばされた自らの腕をしっかりと捉えた。
「グ、グオオオオオオオオオオオッ!」
キリイの喉からくぐもった絶叫が響き渡り、その身体がびくびくと痙攣する。
シドはそれをしっかりと押さえつけ、ミラに魔法で活性を高めるよう指示を出す。
頭骨が癒着するのを待って退くと、キリイは初めて立つ赤子のように震えながら寝台から降り立った。被せ物を取ろうとして左手の鈎がかりかりと乾いた音を立てる。
「な、なんだごれ!? どれない! ど、どれないぃぃィイイアアアア!」
被り物を抑えて頭を振り乱すキリイ。無理だと悟るととうとうキレたのか、腕を振り回しながらシドに突撃してきた。
シドは腹部に拳を打ち込んで黙らせる。
「愚か者めが、錯乱しおって。次にやったら右腕も切り落とすぞ」
蹲るキリイを足でひっくり返し、首に足を載せると、
「鎧を身に付けろ、神の子キリイよ。お前にはまだ仕事が残っている」
「グ……アァ……」
キリイは燃えるような瞳でシドを凝めているが、それでも云うことを聞くだろうという確信があった。シドはキリイの一番目には手を出していないからだ。――それ以外のものはたくさん奪ったが。
立ち上がったキリイはふらふらしながらも不格好に鎧を纏う。出来上がったその姿は、出血でだいぶ弱っている筈だがそれを感じさせない威圧感がある。
「だいぶいい顔になったな、キリイ。戦う漢の顔だ。王子に面通しするのが楽しみだぞ」
「………」
キリイはすらりと剣を抜き放った。姉妹とドリスがはっと身構えるが、キリイは襲いかかるような真似はせず、拭った刀身を目の前に掲げて顔を確認し、
「――ア……」
と呻くや身体を硬直させる。
「かかか、格好いいですよキリイ! まさに暗黒騎士といった風情で!」
「そ、そうよ! 誰も近づきたくないから、襲われる危険がなくなったと思うわ!」
「……哀れなキリイ」
「ア……アア……」
キリイの手から剣が零れ落ち、姉妹とドリスは素早く距離をとった。今のキリイには触れば切れる刃のような危うさがある。
「アア……アアアアアア!」
キリイは押さえきれない感情の発露にわなわなと身体を震わせ、覚束ない足取りで後退している。その肉体は傍目にもわかるほど強い負のオーラを纏っていた。まるで変わってしまった外見が、自らに見合う形に内面を染め上げているようだ。
そしてそれが頂点に達した時、
「ウァガアアアアアアアアアアアッ!」
――怒りの産声が部屋に響き渡った。