道中にて―交渉―
四千字超えると早いのですが、書き始めのあの先の見えない感じは辛いものがありますね・・・
「……水を寄越せば命は助けてやる」
シドはもう一度繰り返した。
若い方の男が警戒感に満ちた顔でシドを見た。後ろに回り込もうとするオーガに鋭い視線を送り込む。
二人はシドの要求を黙殺した。
くすんだ金髪の男が馬を寄せてきて、若い男に一言二言話す。
声が小さくエルフ達は聞き取れなかったが、シドには聞き取れた。
仮面の下の目を細めて二人を見る。
――いきなり、
「――ハァッ!」
二人の男は馬に命令すると目の前のシドに向かって突撃してきた。
戦場に於いて、武装した軍馬による突撃は人を紙のように薙ぎ倒す。ターシャ以外のエルフは、骨が砕け地面に叩きつけられるシドの姿を予想した。
シドは無言で両手を前に突き出す。
馬の巨体が迫り、シドの手が馬鎧の胸甲にぶち当たった。硬い音がして馬がつんのめったように停止する。足が地面に線を引いた。
二人の男は急激に減速したショックで鞍から投げ出され、馬の首に必死にしがみついた。
若い方の男が、馬を止めたシドと視線が合うと慌てて武器を構え、
「くそっ! なんてオーガ日和だ、今日は!」
そう叫んだ。
意味がわからないシドは首を傾げる。
「おいおいマズイぞ」
もう一人が、背後に回ったオーガに気づいてそう漏らした。
二人は背中合わせに剣を構え、馬に飛び乗る機会を窺っている。
「無駄なことはやめておけ」
「無駄かどうかはやってみないとわからない――ぜっ!」
忠告に若い男がそう返し、シドに斬りかかる。示し合わせたかのようにもう一人もシドに狙いを絞った。
タイミングを合わせ襲いかかる二人。
「――っ!!」
エルフの誰かが息を飲んだ。
シドは右手の射撃槍とスウェーで二人の剣技に応対した。穂先と柄で捌き、無理なら回避する。一歩も下がらずに二合、三合と打ち合った。
「――くっ。 テメェこのっ!! ――いい加減死にやがれ!!」
悪態も剣同様受け流す。
十合、二十合と打ち合う内に男達の動きが鈍り始める。
「――そら」
軽く槍を突き出す。動作に対して重すぎる一撃に受けようとした若い男の手から剣が弾かれた。
「――アキムッ!」
もう一人が慌てて援護に入るがこちらも――
「――よっと」
槍を巻き込んで剣を絡め取る。
武器を失った二人の顔色が蒼白になる。シドはその喉元に槍を突きつけた。
「水だ」
二人はコクコクと頷いた。
「初めから大人しく出しておけばいいものを」
馬に吊った革袋と腰に下げた水筒を取り出そうとしている二人にオーガが近づく。
二人の顔が悲壮な決意に染まった。
「殺すのは待て」
シドが云うと、戦斧を持ったオーガが不思議そうな顔で見る。
「――殺すな」
重ねて云う。オーガが大きく頷いた。
それを驚いた顔でみる二人の男。若い方が意を決して、
「――あ、アンタ、が、オーガを雇っているのか?」
そう、訊いた。
「いや、雇っているわけではない。何故だか懐かれてしまってな。エルフの面倒を見るのに人手がいることもあって連れているだけだ」
「――は?」
ポカンとする若い男。もう一人が、
「懐かれるだって? 犬じゃないんだぞ。そんなことあるわけが――」
「待て、キリイ。――ちょっと耳貸せ」
「……なんだよ」
ボソボソと話し合う。目の前で密談する二人をシドは面白そうに眺めた。そして馬に視線を移す。
馬は激しく鼻で息をしながらシドを不思議そうに見ている。
馬を止めた時、傷つけないよう衝撃を逃がしたのは深い考えがあってのことではないが、この時頭に閃くものがあった。
「(馬も奪うか)」
『ですね。速度が上がれば早く街に行けますし、必要とする水の量も減るでしょう』
勿論シドが乗るわけではない。操り方云々以前に、物理的に無理だからだ。馬にはエルフを乗せることになるだろう。
『レントゥスとかいう男エルフは歩かせましょう』
というドリスの言葉に苦笑する。余程お気に召さないようだ。
シドが脳内でそんな会話をしているとは露知らず、二人の男は内緒話を終えると改めてシドに向き合った。
若い方が口を開く。
「――水はある。あるが、アンタ達は数が多い。それに馬には大量の水が必要だ。全員分はとてもじゃないがない。だからといって助かる為に水を差し出し、そのせいで死んでしまっては元も子もない。――そうだろ?」
理解できる。シドは頷いた。そして――
「そうか。――では今死ね」
そういって槍を構える。若い男は慌てて、
「待て! そう焦るな!! 話はまだ続きがあるんだよ!!」
そう云って唇を舐めた。その目には抜け目なさそうな光がある。
「――そこでだ、……取引がしたい」
「取引だと?」
「そうだ。アンタ達が水を手に入れ、俺達も殺されず、かつ水が手元に残る。そんな手が一つだけあるんだ」
「……話してみろ」
「おお、聞いてくれるか! ――だがその前に、自己紹介といこうじゃないか。これから協力するかもしれない仲なんだからな」
「好きにしろ」
「ありがたい。――こっちにいるのがキリイ。キリイ=カルトニア。んでもって俺がアキム。アキム=トーリアだ」
「……シドだ」
シド……シド、ね。名を口の中で転がすアキム。
「……あっちのエルフ達は?」
キリイが訊いてきた。
「あいつらは捕虜だ」
「捕虜? 奴隷じゃないのか?」
「違うな、捕虜だ」
「……そうか」
よくわからん、といった顔のキリイ。
そんなことはどうでもいいシドは先を続けるよう催促する。
「それで、続きは?」
「――あ、ああ。実はな、ここから少し行った所に分かれ道がある。その先に――」
アキムの話を聞こうと身を近づけるエルフ達。
シドと一緒に話を聞く内に、ミラの顔がどんどん険しくなっていった。
「……無謀だわ」
いきなり会話に入ってきたミラ。アキムがそれに、
「今、俺はシドと話してるんだぜ、エルフの嬢ちゃんよ。関係のない奴は黙って――」
「――貴方達、ミルバニアの騎士ね」
アキムとキリイの表情が固まった。慌てて鎧の紋章を隠そうとするが遅い。
「……この二人は何か隠してる。おそらく、彼の指す集団はミルバニアと敵対してる人間。この二人はシド――あなたを利用しようとしてる」
シドは、ミラの指摘に何も云えずにいる二人を見た。そして――
「――それで? アキムとキリイ、お前達に他に差し出せるものは?」
「へ?」
「水以外に差し出せるものだ。それ次第では思惑に乗ってやってもいいぞ」
ミラ、アキム、キリイがきょとんとした顔をする。初めに復活したのはアキムだった。
「い、いや、俺達は他にやれるものなんて――、いやいや、ちょっと待ってくれ」
アキムは必死に頭を巡らせる。
ミラは割って入ろうとして思いとどまった。――自分達の立場を思い出して。何も知らずに騙されているならともかく、わかっていてやるのならミラに云うべきことはない。
「――シド、アンタの目的地は?」
「とりあえず人間の都市だな。情報が多く集まる所ならどこでもいい」
「……なら、役に立てるかもしれん。俺の実家が王都にある。こう見えても俺達は貴族だ。便宜を図ってやれることもあると思う。それに――」
アキムは云いにくそうに続ける。
「――それに、今から行く場所には伯爵がいる。もし助けることが出来れば伯爵領には間違いなく入れるだろう」
「入れる?」
アキムはチラリとオーガを見る。
「ああ。確かにミルバニアは亜人の権利を認めているが、オーガは魔物扱いだ。さすがに入るときに揉める筈だ。その点伯爵を助けることができれば、彼女――伯爵は女性なんだが――が許可を出しさえすれば伯爵領で文句をいう奴なんていないだろうよ。……陰口は叩かれると思うが」
「……ふむ」
シドはオーガを見た。今となっては彼等はシドの兵士だ。そして、かつて上官共に悪態をついていた自分を思い出す。
「――いいだろう。契約成立だ」
「おっしゃ! じゃ俺達は隠れているから――」
「何を云っている。お前等も来るんだ」
「え?」
「当たり前だろう。俺が戦っている最中にエルフ達が逃げ出したらどう責任を取るんだ?」
そう云って槍でコツコツとアキムの鎧を小突く。
「ま、待ってくれ。そいつはまずい」
「何がだ?」
「何がってそりゃ――。そ、その……相手の数がだな……」
もにょもにょと言葉を濁すアキム。キリイが「この馬鹿」と顔を覆った。
「なるほど。お前達はそんな場所に俺を行かせようとしていたわけだ。ん?」
シドは面前で槍をチラつかせた。
「い、いや、決してそんなつもりではなく……。なにしろ俺達も焦っていたことだし……そんなに数はいなかったと思うな、うん。よく思い出してみれば……」
「ならば問題はないな。お前は俺と一緒に来い。そもそも俺だけだとお前の味方が襲ってくるかもしれんだろう」
「え? ――お、俺だけ?」
「キリイという奴は俺が戦っている間エルフの監視だ。もしエルフ共々逃げ出したら――」
キリイを見ながら槍でアキムを指し示す。
「――こいつからお前の友人家族の居場所を聞き出して皆殺しにする」
キリイは渋々ながら了承した。堪らないのはアキムだ。一人だけ貧乏クジを引かされることになってしまい泣きそうな顔になる。
その肩にポンと手を置くキリイ。
「ま、頑張ることだ。(お前が提案したことだしな)」
「(ふざけんなキリイ。お前だって賛同したろっ!) ――な、なあ。エルフ達は戦わせないのか? 弓や魔法で援護させればかなり楽になると思うんだ、が……」
「駄目だな。捕虜に武器を与えるまでの事態ではない」
「――嘘だろ? こっちは俺とアンタ、オーガが三体で合計五人。相手はその十倍はいるんだぞ?」
「一人頭十人だな」
平然と頷くシド。
「――ま、魔法士だ! 相手には魔法士がいる! そいつはどうするんだよ!? ――それともアンタ、魔法も使えるのか?」
「いや、残念ながら魔法は使えない」
「じゃ、じゃあエルフ達も戦わせないと。エルフ種は魔法に秀でているし……」
「駄目だ。俺と、お前と、オーガ達でやるんだ」
噛んで含めるように云い聞かせる。
アキムはがっくりと肩を落とした。
「――では、まずエルフ達に水を与えろ。その後出発だ」
「……残念だったわね。思惑が外れて」
差し出された水を受け取りながら、ミラはアキムと名乗った男にそう声を掛けた。
アキムは苦々しげに、
「ふん。お前達にとっては降って湧いた幸運だろうよ。なんせ、あのシドって男が死ねば自由の身になれるんだからな」
「……そううまくいくといいけど」
「どういう意味だ?」
「……私達は最初六人班だった」
「……残りは?」
「……死んだわ」
ミラは微かに口を歪めた。
「あの男にやられたのか?」
「ええ。……私達のリーダーは齢三百を越す戦士だった」
「――なんだと!?」
驚愕するアキム。戦いを生業とする者の年齢はそれだけで強さの基準となる。戦場では弱者は長生きできない。運が良ければ助かることもあるが、運というものはそれに頼り始めたら逃げていくものである。
数百年を戦い抜くという事がどういう事なのか、人間であるアキムには実感できない。だが、世間一般でいう達人や熟練、といった言葉ではとうてい評しきれないというのはわかる。そしてそういった戦士は引き際を見誤らないものだ。にも関わらず殺されてしまったというのは――
「……私は後ろにいたし、オーガが相手だったから詳しくはわからなかったけど、リーダーは私の知るどんなエルフや人間より剣技に卓越していた。あなたは実際に剣を交えてみてどうだった?」
「どうっていわれてもな――」
「傍から見ている分には、あなた達はまるで子猫がジャレついているみたいだった」
アキムは先程の戦いとも呼べないようなものを思い出す。悔しいがミラというエルフの云う通りだ。キリイと二人で打ちかかったにも関わらず、まるで相手にならなかった。槍捌きに優れているというのとは微妙に違う。シドは訓練された兵士なら誰でも使えるような槍の使い方をしていたからだ。それでも一撃も与えることができなかった。隙がなかったわけではない。実際はその逆で隙だらけ、どこへ打ち込んでも倒せそうだった。しかし、そこへ打ち込んでも不思議と受け止められるのだ。
「――待てよ。そもそもあいつは人間なのか? アホみたいに大きいし、武装した軍馬を素手で受け止めるなんて普通はできないぞ?」
「……そう。結局そこが問題」
「仮面の下を見たことは?」
「……ない」
「案外、見ればわかるかもな。隠すからには理由があるんだし。それとなく訊いてみるか……」
「……もしかすると不死者かも」
「ゾっとするようなことを云うなよ……」
いずれにせよ、これからわかる――そうミラは思う。この二人の提案は渡りに船だった。シドがどんな存在かを見極めることができれば、これから先のミラとサラの運命もわかる。逃げ出すことが可能な相手なのか、それとも――
「お姉ちゃ~ん。私にも水~」
「……はい」
考えを中断し、妹に水を渡すミラ。サラは受け取った水をがぶ飲みした。
「――プハァ。生き返る~」
「おいおい。まだ奴等から水が手に入ったわけでもないのに……。遠慮ってもんを知らないのか、お前は」
「うるさいわね。シドが何も云わないんだから問題ないわよ。それにこの水はもうアンタ達の物じゃないの」
「このアマ……」
アキムの顔がヒクついた。
「止せ、アキム。――ほら、俺のも飲みな」
キリイも水を差し出す。ターシャが礼を云ってそれを受け取った。
「……ところで、そいつはなんで俺達を睨んでるんだ?」
アキムがレントゥスを見てミラに訊ねる。
「……殺された班のリーダーは彼の師だったの」
「はん。なるほどねぇ。つーか、それで俺達を睨むこたぁないだろうに。殺ったのはシドなんだろ? 本人に復讐すればいいじゃないか」
「……それが出来るなら苦労しない」
「だよなぁ。あいつ怒るとおっかなそうだし」
アキムはシドの人間離れした巨躯を思い浮かべて身震いした。
「ともかく、そいつはシドとエルフの問題だ。俺達を巻き込むなよ」
そう云い放ち、アキムはウズベキにも水を飲ませると、颯爽と鞍に跨る。そしてシドに向かって、
「終わったぜ! いつでも出発できる!!」
半ば自棄になって叫んだ。
「では案内しろ」
シドは念の為オーガを前へ配置してアキムとキリイの逃亡を防ぐ。その後ろを馬に乗った二人が進み、エルフ達、シドと続く。
『なんかすごく大所帯になってきましたね……』
しみじみと云うドリス。シドが改めて人数を数えてみると、シド自身を含めて十名となっていた。
その中で一番協力的なのが魔物であるオーガとは泣けてくるものがある。
「(とりあえずはその伯爵とかいう奴を確保だな。うまくいけば生活基盤が手に入る。後のことはそれから考えればよかろう)」
星図が未知のものであったことを踏まえて云う。それにドリスが、
『まさか本当にこの星で生活していくことになるなんて……』
寂しそうに呟いた。