ミルバニアにて―前哨戦―
冷たい風が吹きすさぶ中、王都周辺の都市や町、村々から集められた兵士達が、ある者は自前の、またある者は支給された、キルト地のダブレット、皮鎧に身を包んで寒そうに歩いている。街道を占拠するその列は長く、ジェインが知る限りでは王都を発つ時点で三千、そしてそれは今もまだ増え続けている筈であった。徴集した民による軍兵は最終的には五千には達するだろうという見込みだが、どう見ても組織的な行動は取れそうにない。
彼等は直轄領の都市や村から徴集した兵士達で、その上に王都の守備隊から引き抜いて構成されている将軍直卒の千がいる。それに加えて領地を持たない貴族達が手柄欲しさに参加しており、その従者に傭兵、近衛まで含めると最終的には八千近い数になるだろう。
行軍速度は徒歩に合わせたものであり、ジェインは遅々として進まない行程にともすれば刺々しくなる気分を押さえつけながら馬に乗っている。周囲は騎乗した五十の近衛が固めていて、先行している傭兵達はずっと前を行っていた。傭兵の数だけが唯一の慰めだ。傭兵達は大抵大きな都市にいて、その都市の領主や勝ち目がありそうな側につくわけであるが、傭兵達が集まったということは、少なくとも一方的に負ける展開にはならないだろうと彼等が考えていることを意味している。
傭兵達の耳は速い。情報を重視するものは騎士団の末路について予測できているだろう。民から集めた兵士達も噂くらいなら耳にしているかもしれない。なにしろ移動中、立ち寄った町や村からも兵を集めているのだ。ガードル城に近くなればなるほど噂は真実味を帯びていく。
しかし実のところ、王であるジェインすら噂程度の事実しか認識できていなかった。
わかっているのは敵は魔物だけではなく人間とエルフが混じっているということと、まともなぶつかり合いではなく、策によって敗れたということである。個々の強さに関しては、単独で騎士達を蹴散らした敵もいるようだが、敵にオーガがいることはわかっているのでそれは予測できることだった。オーガより弱いものがオーガを連れ回すことはない。
そしてまたもう一つ予測できることがある。それは、賊の首領が人間とはかけ離れた倫理観で動いているということである。
世の中には、知能の低い魔物を使役する者がいないわけではない。だが例え人型であっても彼等は獣同然だ。多少の傷でもへこたれない生命力とタフさ、相手が誰であっても情けをかけない冷酷さ、そして人間を餌の一つと認識を持っている。なので、それが仮に知能が高く我慢を知る魔物であったとしても集落に入るのは至難の業だ。一体誰が好き好んで自分達を食べるかもしれない兵士を招き入れるだろうか。
故に魔物を使役する者は獣の如き生活を送るか、逃げ出さないよう圧倒的な力で捻じ伏せた上で別行動を取るが、そのどちらにも共通するのは勝ち続けねばならないということである。
人間社会に紛れ込めるほどの力や知能のない魔物を使う場合は特にそうだ。例外は勿論あるが、基本、魔物には金が意味をなさない。宝石ならば集める酔狂な輩もいるかもしれないが、絶対ではなく、彼等に必要なのは生である。
生きること。それが全てに優先する。そして重要なのは、彼等はそれに戦いが付随することに何の疑問も抱かないということであった。人間のように他者を傷つけることを恐れ、そのせいで自らの命を危険に晒すような真似はしない。つまり魔物を使役するものは戦いに身を投じねばならず、その上で彼等に勝利の美酒を振る舞わねばならないのだ。
しかし勝利と生存が直結している魔物を扱う場合のメリットというのも存在していた。皮肉なことにそれは負け戦の時だ。知能の低い魔物は局地的な戦闘に勝利していれば全体的に数が減っていっても問題視しない。戦闘に勝利しているのに追い込まれる――それが何故か理解できないのだ。つまり全体的な勝敗では負けが確定している状況であっても、使い方次第で士気が旺盛なまま最後の最後まで抗戦できる。その場その場の小さな勝利のみを信じ、死の瞬間まで負けるとは思わないで戦い続けたその結果は今の世界の勢力図が如実に顕していた。
知能の低い魔物を使役するこの二つのやり方の行き着くところは破滅であり、問題なのはそのどちらにせよ周りを巻き込んでそこに向かっていくということである。
何故、よりにもよってこの国で――と思う。隣国でやってくれれば良かったのに、と。
「カドモスを手元に戻しておきたいが……」
ジェインは遠くを見ながらポツリと呟く。それを耳にした近衛隊長ミロソッサスは、並走させていた馬を気持ち寄せ、
「何人か走らせますか? 王子の元には部下がおります。数は多くありませんが、必ずや生きたままお連れできるでしょう」
数が多くない? 無事に連れてくる? 一体誰を相手にか――
ジェインは口元に笑みを含ませてミロソッサスを見やった。
「それには及ばん。今のは親としての言葉だ。王としてはむしろカドモスを残しておかねばならないと考えている」
ゴドフリー侯爵は味方であるが、未来によっては敵に回る可能性はある。侯爵はジェインが手勢のみで戦いを挑み、戦力をすり減らすことを望んでいるだろう。運悪く討ち死にすれば祝杯をあげるだろうことは想像に難くない。そうなった時長男であるカドモスが侯爵の手の内にあるのは勿論よくないことである。しかし敗れた際のことを考えればジェインとカドモスが同じ場所にいるのは望ましくないことだし、なにより侯爵が押さえつけることのできない集団が向こうにあるというのは大いなる利益となる。
ジェインの描く理想の筋書きは、己が主導権を握りつつ侯爵の手勢を敵にぶつけ、弱ったところを仕留めるというものである。民の手前なにもしないという訳にはいかないし、騎士団は潰えたものの、今だ確固たる戦力を残していると内外に知らしめつつ被害を最低限に押さえねばならない。
そこでカドモスが役に立つ。数こそ少ないものの近衛は優秀な戦力であり、王子としての立場もある。侯爵は無視できないだろう。それを利用して戦闘に巻き込むのだ。
そのために必要なのは連絡を取ることである。
「ミロソッサス」
「――は」
「侯爵にばれぬよう城塞に潜入してカドモスと接触できるか?」
「勿論でございます」
「では人選は任せる。侯爵の尻を叩くよういうのだ。確実にこちらの援護をさせろ」
「は」
黒くこんもりとした鎧姿のミロソッサスが馬の向きを変える。
それを見送ったジェインは寒さに身を震わせ、身体を包むマントを掻き抱いた。冬に戦場に出向かわなければならない運命を呪ったが、すぐに夏よりはマシだと思い直す。
ジェインの着る白銀色の甲冑は殆ど隙間がない。戦闘中は魔法で換気をするが、行軍中はさすがに勿体ないので素のままだ。馬車に載せて運んでもよかったが、王を一目見ようと集まってくる民の心証や敵の狡猾さを考えて着用したまま移動している。気密性が高いジェインでも寒いのだから一般の兵士達は如何程か。吐く息は白く、足の爪先が痛いくらいだった。
しかし疲れはそれほどではない。甲冑は重いが、重量を身体全体で支えるので同じ重さの背負い袋などよりは体感的には軽いのだ。
甲冑で問題になるのは動いた時である。重さが分散しているせいで一歩一歩脚に錘をぶら下げて歩いているようなものなのだ。そのせいで瞬く間に疲弊する。そのことと甲冑の特性が合わさって戦場では命を落とすこともある。
甲冑姿は傍目には動きにくそうに見えるだろう。金属の板を貼り合わせたように見えるからそれも当然だ。しかし甲冑師も、甲冑を着用する兵士も馬鹿ではない。命をかける防具にそんなものを使用するわけがないのだ。事実、腕の良い職人が作った甲冑の関節部はその殆どの部位において人のそれと同じかそれ以上の可動域を持っている。甲冑を着たまま宙返りができるほどである。
疲弊しやすく動きやすい。そして気密性が高く、それを使用する戦場では疲れたからといって休めない。かつて、これらが原因となって真冬の雪原で兵がバタバタと死んだ事例があった。雪嵐のただ中で白兵戦を行っていた彼等の死因は脱水や熱中症だ。そしてその原因の最たるものは兜である。鎧は熱が篭りやすいが、普通は頭部が放熱塔の役割をする。しかし防護性を高めれば高めるほど効率は落ち、呼吸も阻害されてしまう。だが敵と斬り結んでいる時は苦しいからといって休めない。その結果限界を越えてしまうのである。
しかし暑いからといって兜を脱ぐのも考えものだ。実際にそれをやった挙句、頭部を滅多打ちにされて死んだ例は多い。そうやって死んだ者の身体は頭以外に全く傷がついておらず、死体を見ればすぐにわかった。
ジェインの鎧はそれらを解決している。軽くするために金属を薄くし、それでいて強度を出すため細かな模様を刻んだフリューテッドアーマーで、胸甲に一つ、兜の額部分に一つ、大剣の柄頭に一つ、大きな魔法石が埋め込まれている。これらは王族の直系に代々伝わる物で、攻防と機動に関する魔法に対応しており、長く戦闘を続けられるようになっているのだ。
また、ジェインが鎧を着ているのは予測のつかない流れ矢などから身を守る目的もある。彼はどちらかというと魔法士ではなく戦士よりであり、最低限ともいえる魔法は修めているものの、戦場で常時防御魔法を展開しておく魔力はない。それに重い鎧を着用するデメリットが減らせるのなら着ないわけがなかった。
城塞まで残す所二日という場所まで来た時、ジェインは全軍を停止させた。敵は魔物だ。その足は馬よりは遅いがこちらの歩兵よりは速い。この位置なら敵を捕捉してさえいれば十分に迎撃の準備を整えることができる。
ジェインは出しておいた偵察が戻ったのを聞いて軍議を招集した。
風が、まるで遠くから駆けてくる敵の威勢を示すかのように前方から吹きつけ、黄色い色をした下草が恐れをなしたように頭を垂れていく。
巻き上げられた細かな砂が飛ばされてきて、人もエルフも、ゴブリンもオークも、手をかざして目を庇い、忌々しそうに前方を睨めつけた。
三つの集団に分かれた傭兵と思しき敵は風に背を押され、地を蹴って向かってくる。数と方向がどのような数形であろうとも、敵の狙いを予測するのは難しくない。
総数はこちらとほぼ同数。そして狙いの一つはいうまでもなく投石器であろう。指揮官を潰せるならばなおよしと考えているかもしれない。正面から一つ。少し横にずれた位置を一つ。そして後方に一つ。その位置関係を維持したままこちらに駆けてくる。大小の纏まりは幾つか見られるものの、優れた指揮官に練度の高い兵士を組み合わせた時によく云われる、一匹の巨大な蛇のように――とはお世辞にも云い難い。せいぜいが河を遡上する魚の群れである。
初撃はマリーディアだった。
背後で響いた木が軋む音に、地上にいる誰もが空を見上げ、当たればただでは済まない石弾の行く末を見守る。
空中でバラけた石弾は放物線を描いて地を穿ったが、それは敵の背後だ。味方から落胆の息がこぼれた。
――次で最後だろう。味方集団の先頭に、特に弓が得意なエルフのみを連れて立っているシドはそう思う。射程はこの世界の兵器にしては長いとはいえ、所詮は原始的な作用反作用の兵器だ。エネルギーの交換率が低く、近づく前に殲滅するなどという期待は望めない。
「合図をしたら射て」
短く、傍にいるエルフに告げる。
エルフは何に、とは訊き返さなかった。左手に持った弓を構え、矢をつがえると一気に引き絞る。捩った縄のような筋肉が腕に浮かび上がるが、実際に込められた力はそれ以上だ。
エルフ達が扱っている弓は弓全体がカーブしているタイプで、中央が硬く両端がしなやかに造られているタイプに比べ、扱いにくい反面より深く引くことができる。その、大の男でも引くのに苦労する弓を扱えるのは魔法のおかげである。
しかし、今現在エルフ達が使用している魔法が武器そのものに関係しているものではないことはわかっていた。森でエルフを解体した時に、弓を扱うものの身体が特異な変化をきたしていることがわかったからだ。利き腕は肋鎖靭帯が、もう一方はそれ以外の腱が発達し、肩峰は肩甲骨と融合していない。外見には出てこないこの変化はエルフが弓を引く時に使用する魔法が弓や矢ではなく肉体に依存していることを示している。
もし肉体にかけた魔法で射ているなら鍛えるべきは魔法であって肉体ではない。成長の仕方に影響が出ているということは肉体を鍛えているということであり、矢は肉体にかけた魔法で射ているのではなく、魔法のかかった肉体で射ているのだ。鍛えていない肉体に魔法をかけるより、鍛えた肉体に魔法をかけたほうがより大きな力を引き出せるということである。
勿論これが全てではないとは思っていた。エルフ達が使用している身体強化魔法はいわば内側に作用している魔法だ。これとは違い外側から作用する魔法もあるだろう。例えば騎士団長が使用していた魔法のように、身体の外で働くなら肉体を鍛えていない者でも大きな力を出せる。彼はシドの攻撃を減速させていたが、それができるなら加速もできると考えるのが筋である。また、命中時に受ける衝撃は、内から作用する魔法なら骨格や健を補強し、外から作用する魔法なら命中の瞬間肉体を固定してしまえば解決できる。云うなれば後者が肉体にかけた魔法で攻撃する方法で、どちらかといえば恐ろしいのはこちらだ。なにしろ魔力の量によっては限界が見えない。
後衛に投石器と護衛。中衛にターシャ含む弓兵となる大部分のエルフ達。前衛に歩兵としてゴブリンやオーク、オーガ達。シドと一部のエルフは突出し、キリイ達は歩兵に混じっている。それが敵を待ち受けるシド達の布陣だった。
マリーディアの指示による修正後、第二弾が放たれた。上空を横切る石弾を見上げ、軌道を予測したシドは口元を歪める。当たることがわかったのだ。少なくとも、敵が何もしなければ――
放たれた石が敵の真上の空中で止まった。重力に逆らう不自然な止まり方だ。同時に敵の先頭集団に現れた変化をシドは見逃さなかった。
「――射て」
タイミングを図って合図を出すと、次々に弦が鳴り響く。
大気を切り裂いて突き進む矢は放物線を描きながら殺到する敵集団に飛来する。さして狙いをつける必要もなく、敵の数と相まって命中は必至と思われた。
――しかしこれも同じだ。今だ空中に留まり続ける石弾の真似をするように停止するか、別の場所ではあらぬ方向へ進路を変えて虚しく大地に突き刺さる。
シドの口が弧を描いた。
味方が通過するまで石弾を止め置いている者達、矢を防ぐために走る以外の動作を取った者達。敵よりも頭一つ分どころか、二つ分も三つ分も高い目線を持つシドの視界に、それらの姿が浮き彫りになったのだ。
全体像でなくても十分だ。疑わしきは殺せの理念でマーカーをつけ、視界から得られた地形情報を元に作られた俯瞰図に表示、それを常態化させて隅に配置する。
やがて全ての石弾と矢が地に落ち、敵の魔法士が再び集団に埋没したがそれは前と同じではない。通常の視界と俯瞰図の両方に表示されたマーカーは位置を変えながら表示され続けていた。イメージ補完能力を持った戦術コンピュータはシドがアクティブ化していない機能までをも駆使し、時間にして一瞬であろうとも、例え肉体の一部であろうとも、視界内に存在するのなら獲物を逃すことはない。
「後ろに戻れ。正面は任せ、お前達エルフは敵の左翼だけを狙え」
「はい」
ゆっくりと前に歩き出す。
それに合わせて背後の味方も足を踏み出し、始め規則正しく鳴り響いた進軍の音は、やがて怒涛の勢いとなって地に木霊した。
相手の顔が判別できる距離になっても誰も足を止めようとしない。障害は打ち砕けばいいと、己が肉体と纏う鎧を信じ、揺れない瞳は殺意に染まる。
独り前を駆けるシドの正面に、全身を鎧った背も横幅も一際大きな男がいる。左手に持った身体の殆どをカバーできる長方形の盾を斜めに構え、シドだけをしっかりと睨みつけ、足を動かしている。
どうやら避ける気はないようである。
衝突の直前、シドは左肩を前に出し、相手は右手に持ったメイスを引っ込めると盾を立てて身体に引き寄せた。このような状況で武器を振るうのは褒められたことではない。バランスが崩れるし、勢いもなくなる。相手が少し速度を変えただけで有効打は与えられなくなり、突いても逸らされれば死を待つだけになる。
盾を角代わりに、雄牛のように突進する敵とシドがぶつかった。
「――ぐ!?」
木板が割れ、砕けた破片が舞う。補強として入れられた鉄枠は折れ曲がり、打ち付けられていた鋲が弾け飛ぶ。男はひしゃげた鎧とともに宙を飛んだ。
まさか後ろに飛んでくるとは思っていなかった背後の面々は驚きに目を見開くことしか出来ない。走っていた彼等にまともにぶつかった男の身体は木の葉のように回転しながら人の波に飲まれた。
敵味方の境目では遅れてぶつかった両陣営の兵士が衝突し、弾き飛ばされ体勢を崩すものがそこかしこに見られるが、どちらにも追撃をかける暇さえ与えられない。足を緩めない後続を避けるか、または武器を突き出す。
大地を侵蝕する染みのような軍勢に、己を奮い立たせる雄叫びと金属が激しくぶつかり合う音、痛みに呻く声がさざ波のように伝播していった。
最初の突撃で敵集団の中央辺りまでも食い込んだシドの後方では空いた間隙から味方が入り込もうとし、それを塞ごうとする相手と足を止めての打ち合いが始まっている。
そしてシドの周りは敵だらけだ。
「どりゃあああっ!」
雄叫びの声をあげて剣を腰だめに突きかかってくる男の目に指を突き入れる。
「せぇぇぇぇいっ!」
メイスを大上段から振り下ろす男の喉を蹴り潰す。
腕を振れば敵に当たり、脚を伸ばせば敵に届いた。全方位から向かってくる敵の武器もシドに当たっているが、勿論それがシドに影響を与えることはない。
「どけどけどけぇいっ!」
その様子を見て、大きな男が叫ぶ。右手に鋭い穂先を持った槍を持ち、上半身は右肩が剥き出しになっている。槍は男の背丈と同じ長さで、木ではなく金属の光沢を放つ柄の先端には羽根がついていた。
男はずずいと前に出ると槍を振りかぶり、射線上にいた兵士達がわっと道を開ける。
「俺に任せろ!」
そう云うや男の持つ槍が蒼白い光を纏った。
シドは軌道修正が不可能だと思われる投擲の直前、身を横にずらそうと足に力を込める。
「今だぁっ!」
槍を保持したまま、男が吠えた。
「『超振地!』」
「――む!?」
横手から声が上がり、踏み込んだ足が大地に沈み込む。シドはバランスを崩しながらも声の方へ顔を向けた。そして視線の先にいる金髪の男に、ピッとマーカーをつける。
「『巨大なる一矢!』」
次の瞬間、男の投げた槍が輝く尾を引いて流星のようにシドの胴体にぶち当たり、周囲の者達は思わず耳を塞いだ。
シドは聞く者の肌を粟立たせる衝突音を残し、槍と一緒に砲弾のように吹っ飛ぶ。この場で行われているやり取りに全く気づかない離れたところにいる敵を弾き飛ばし、ごろごろと地面を転がってやっと止まった。
「……や、やったか?」
「………」
「………」
シドと戦っていた傭兵達は顔を見合わせる。やたら頑丈な敵だったが、あの一撃を喰らって無傷な筈はない――と思いたい。
辺りに静寂が立ち籠め、付近一帯では敵も味方も戦いの手を休めて地面に寝転がった男を注視する。
そんな中――
「………」
むくり――と、シドは無言で起き上がった。命中の衝撃で飴細工のように曲がった槍を一瞥し、それとは逆に何ら変わりなき己が武器を確認するとゆっくりとした動作で元いた場所に向かって歩く。槍を投げた男は正面にいて、視界を遮る者はいなかった。誰も間に立ちはだかろうとはしないし、横や後ろから襲いかかることもない。
邪魔されずに元の位置に復帰したシドは、ぽん、ぽん――と、コートについた埃を払い、口を開く。
「――今、何かしたかね?」
「………」
「………」
応えはなかった。
否、一人だけ――いた。その男はシドの近くに立っており、じろじろと様子を観察して、
「服に穴が空いてるじゃ――」
「ぬぅん!」
「――ながっ!?」
男は最後まで云うことができなかった。一歩で距離を詰めたシドが左手の五指を胸に突き立てたのだ。
五本の指は鎧を穿って根本まで胸に埋まっており、男は呆然とそれを見下ろす。
「どうやら何もわかっていないようだな」
シドがゆっくりと指を引き抜くと、赤いものが滴った。
「穴の空いた服装が最新の流行なのだよ。お前にも空けておいてやった」
男はがっくりと膝をつき、うつ伏せに倒れ伏す。
シドは周囲を囲む敵を睥睨した。
誰もが距離を取り、シドが一歩足を踏み出すとそれに合わせて敵は一歩後退する。そしてそこへ、やっと追いついた味方が襲いかかった。
「ブラァァァッ!」
「うおおおおっ!?」
シドにかまけて不意を突かれた敵は一気に押し込まれる。
ゴブリンもオークも、人が通常戦う風体ではなかった。その身はちぐはぐではあるがしっかりと防具に保護され、扱う武器も鋭く尖っている。ただ闇雲に武器を振り回してもそれで死ぬものはいない。それでも、ゆっくりとだが確実に敵も味方も数が減っていった。
戦場にぽっかりと空いた空白に雪崩れ込んだ人と魔物の混成軍はその場を中心にして戦線を押し上げ、敵の先頭集団はいくつもの小集団に分断される。横に陣取っていた敵はシド達を迂回して後方を狙い、後方にいた集団は前方の戦況を観察してそのまま突っ込んできた。
敵左翼はエルフの集団を横目にさらに後方の投石器に向かっている。これは正面後方の動きに呼応したものだろう。シドは、降りかかる矢を魔法で防ぎながらひたすら投石器を目指す敵集団をつまらなそうに眺めながらそう思った。敵の配置的に正面が問題なければ左翼はエルフ達を狙い、後方は右翼と成って投石器に向かえるが、実際には敵は後衛を正面に対する援護として使用することを選んだので、投石器を破壊するには左翼を使うしかない。
しかしこれはまだ敵の予測の範囲内だろう。敵の布陣はこちらと同じで単純なものであり、後衛は戦況次第でいかようにも使えるよう配置してあった筈である。
シドが見ている間にも、猛進する敵左翼からはポツポツと脱落者が出始めた。彼等は絶え間なく降り注ぐ矢を防いでいる魔法士だ。エルフ達は隊列を組んでタイミングをずらして射ることによって射撃の空白を失くしている。
戦端を開いて幾ばくもないが、シドの目には敵はもう死に体に見えた。
「そろそろ魔法使い共を始末しておくとするか」
まずは先程の男からだ。槍を投げた男はメインの武器を手放しているので後回しにする。
シドはいきなり走り出す。体躯に当たる剣先や槍、メイスなどを無視してゴブリンに剣を突き立てている男に駆け寄った。
男は側にきたシドに反射的に剣を繰り出すが、それを腕で受け止める。
「――ってめぇ……」
金髪の男はぎりっと歯を鳴らした。
「俺は受けた施しは気にも留めないが、受けた仕打ちは忘れない男なのだよ」
離れようとする男に手を伸ばす。子供から玩具を取り上げる大人のように剣をもぎ取り、うつ伏せに押さえこんで背中に足を載せる。
「お前の尻の穴をシェイクしてやる。バイ返しだ」
尻から頭に向かって剣を突き刺すと男は絶叫した。抉りながら柄まで埋める。
「目には目を。歯には歯を。そして魔法には――魔法を」
「どこが魔法だこらぁ!」
別の敵が叫びとともに振り下ろした剣を腕ごと横に弾く。
「俺の一挙一投足はお前達にとっての魔法だ」
蹴り飛ばすと口から何か噴出させながら飛んでいった。
「死ねぇっ!」
「おらぁっ!」
そして複数人同時に襲いかかってきた敵の中から一人を選び、他を完全に無視して兜ごと頭をもぎ取り、次の相手に手を付ける。
「ひっ!? お、おい! 誰か助けろ!」
捕まった相手は顔を右に左に向けてそう叫ぶ。シドはその顔を真後ろに向けてやった。
殺しても殺しても新手が湧いてくる。
「まったく邪魔な奴等だ」
シドは槍を寝かせる。両手で持って腰を落とし、地を蹴った。
行く手に立ち塞がる敵が三、四人ばかり引っかかるがそのまま押して突き進んだ。途中何人か脱落するがすぐに代わりで埋まる。
「――見える……見えるぞ。道が見える」
やってくるシドを見て背中を見せる敵がいた。身軽そうな格好でひょろりとしていて、しっかりとマーカーが付いている。
シドは轢き殺した。
縦横無尽に駆け回った後、援護に駆けつけている敵の後衛へと目的地を設定する。その頃にはもう、槍にしがみついている男達の顔ぶれはすっかり様変わりしていた。
「止まれ! 止まるんだ!」
腕だけでしがみついている男の一人が怒鳴る。
シドはちらりとその男に目をやり、
「手を離したらどうだね?」
と云った。
男ははっとなったが、少し考えた後シドを蹴り始めた。馬のような速度で、しかも鎧を着用しているのだ。落ち方によっては骨の一、二本折れても不思議ではない。
そしてそれを見て他の者も真似をし始めた。なかには落とさなかった武器で殴りかかる者まで出る。
「おらおらおらおら!」
「いい加減死にやがれ!」
男達は抵抗がないのをいいことにやりたい放題だ。太鼓でも叩くように殴りつけられ、シドの顔はあっという間に血の出ない傷だらけになってしまう。
「………」
口を真一文字に引き結んだシドは急停止する。そうして、やっと自分の足で立った男達に諭すように云った。
「……わかっているだろうな」
「………」
「………」
男達は顔を見合わせるだけで返事をしなかった。気まずい沈黙が垂れ込める。
「今のは少しやり過ぎだな」
「――す、すまねえ。許してくれ……。悪気はなかったんだ」
男の一人が素直に謝った。これまでの経緯から、シドには逆立ちしても勝てないと理解したのだ。
「……まあいいだろう。俺はこれでも優しさライセンスを持つ男だ」
「ほ、ほんとか!?」
「だが条件がある」
シドは目の前の敵を指さした。
「あそこにいる奴等を殺すのだ。そしたら許してやる」
「………」
「どうした。早く行け」
「し、しかし――」
「ほう。ならば俺の怒りを買ったままでもいいと云うのだな。これは安く見られたものだ」
「わかった! やる! やるよ!」
男は一緒に捕まってしまった味方と頷き合い、そう答えた。そして、
「うおおおお!」
と、やる気のない声を上げて走り、友軍の近くまで行くと速度を落とし、
「へっ。ここまで来たら――」
云いながら笑顔で後ろを振り向く。
「げえっ!?」
男が目を剥いた。シドは男のすぐ後ろを走っていたのだ。
「余所見をするな。敵はもう目の前だぞ」
「なんで俺の方に!」
「お前は運がいい。俺の援護を受けられるのだからな」
「ちくしょう!」
運の悪い男は助けを求めながら味方の中へと駆け込んだ。手ぶらであり、見事なまでに敵であるシドに背中を見せている。
シドが右手の槍を投げつけると男はあっけなく転んだ。重みで身体を痛めたらしく、這うようにしながら、
「たた、助けてくれ! 殺される!」
シドが走りつつ容赦なく蹴ると人々の頭上を鞠のように飛んでいって見えなくなった。
「ぶっ殺せ!」
「うおおおおっ!」
疲労していない新手の敵がわっと襲いかかってくる。それは荒波のようにシドを飲み込まんと、引いては寄せ、また弾けては寄せた。
だがシドは不動だった。決して怯まないその存在は、味方にとっては嵐の中の灯台のようであり、敵にとっては悪夢の中の墓標のようであった。
その生命の灯火を消さんとする敵の狙いは吐息で岩を穿たんとするも同然であり、それが無駄なことだと、シドには構わずもたらされる犠牲に目を瞑って作戦を遂行すべきだったと気づいた時には、敵は既に組織的な運用が不可能なまでに戦場で散逸してしまっていた。