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モノクロバッカラ

作者: ELECTMU

 朝起きて鏡を見ると、頬の一部分に灰色の痣ができていた。

「うおっ」と一声上げ、その部分を触ってみる。特にこれといった痛みは無い。

 それにしてもこんなものいつできたのだろう。昨晩は特に何も無かったはずだ。もしかして、寝ているときにできたものなのか。何かを拍子にぶつけたとか。

 いや有り得ない。もしそうだとしても、ここまでの痣ができるはず無い。余程の衝撃でなければ。

 不気味な痣をじっと鏡越しで見つめる。

 しかしいつまでもそんな事をしている場合ではない。早く家を出る準備をしないと、電車に乗り遅れる。会社に遅刻してしまう。

 私は頬の痣を気にしつつも、朝の仕度を始めた。とりあえず痣の部分は、妻の使っていたコンシーラーで誤魔化す事にした。

 一通りの支度を終え、紺色のスーツのジャケットを手に取った。羽織ろうとしたとき、その異変に気づいた。

 手に持っていた部分が黒、いや黒に近い灰色に変色していたのだ。まさか手が汚れていて、その汚れがスーツに付着してしまったのか。と思い手の平を見たが、いつも見ている馴染み深い肌色のままだった。

 ならどうして触った部分だけ変色していたのだろう。クリーニングに出したばかりのこのスーツが、汚れているはずなど有り得ないのに。

 私は、ジャケットに他にも同じような汚れが無いか調べ始めた。不思議な事に、一箇所しか目立っていなかった汚れが、いつの間にかいたるところに出現していた。

 しかし奇妙だ。ジャケットの三分の二ほどの範囲が濃灰色に染まっている。このスーツは紺色のはずだ。まさか今の数秒の出来事で、色落ちしたわけではないだろう。結構気に入ってたスーツなんだが。

 考えても埒があかなそうだったため、仕方なくその場に投げ捨ててあった黒のジャケットを着て、家を出た。いつも上下同じ色のスーツを着ている私にとって、黒のジャケットと紺色のスラックスには大分違和感を感じた。


 会社に着き、いつも通り仕事をはじめた。途中自販機で買った赤色の缶コーヒーを手に持った。するとあっという間に色が変わり、モノクロな配色になってしまった。

 驚いた拍子で思わず中身が零れ、太もも辺りを黒く滲ませた。今朝黒く汚れた紺色のジャケットのように、同じ紺色のスラックスの一部がコーヒーの滲みとして黒に侵食される。

「あちちっ」といいながら濡れた部分を黄緑色のハンカチで摩ると、何故かハンカチが薄灰色に変色した。

 私は拭くのを止め、自分の手の平を凝視した。

 今朝からおかしいことが続いてる。この手に触れたものの色が変色するのだ。しかも赤が緑に変わるとか、紫が橙に変わるのではなく、白と黒のみで染まる。「モノクロになる」といえば分かりやすいだろう。

 この現象……、というよりは能力というべきか。この能力がいつ頃身についたのか、というのを考えるとやはり今朝のはずだ。だがこの能力が身についた理由は全く分からない。物事には何事も根拠や理由というものが付き物だ、と考えている私にとって、この「触れたものがモノクロになる能力」も何かしら理由があるはずだろうと思った。

 しかしこんな能力が一体何のために役に立つというのか。気に入っていたスーツは台無しになるわ、顔の一部が痣の様になるわ、今まで最悪な結果しか残っていないじゃないか。

「おいおい、仕事中に自分の手相見てそんなに楽しいのか?」

 隣で仕事をしていた同僚の杉野が、私を見て皮肉るように言った。言われ慣れている私は適当に答えをあしらい、何事も無かったように仕事を再開した。心なしか、杉野に睨まれた気もしなくはないが、気にしないことにした。

 私は杉野という男に嫌われている。理由は簡単だ。

 数年前、私達と同じ時期に入社してきた女性がいた。その女性は綺麗で美人で、瞬く間に社内の注目を浴びた。当然私は彼女に恋心を抱き、また杉野も同じように彼女に気持ちを寄せていた。私と彼女は次第に仲の良い関係になり、二人で会う機会も増え、そして昨年、晴れて籍を入れ夫婦となった。

 その事で私を妬んだ杉野は、私と彼女が結婚して彼女が会社を辞めた途端、私に対して嫌がらせをするようになったのだ。嫌味もその一部だろう。気にする事ではない。今はこの謎の能力の意味を解き明かさなくてはならない。


 時間は過ぎ、日が暮れ始めた。

 結局能力の意味が分からないまま、会社を後にした。

 そのまま家には帰らず、駅の近くの花屋に寄り、薄黄色のバラの花束を購入した。バスターミナルでタクシーを拾う。

 後部座席に座り、「旧都東病院までお願いします」と運転手に伝えた。車が動き出す。

 手で持っていると能力の影響を受けるだろうと思い、花束を隣の座席に置いた。

「お見舞いに行かれるんですか」運転手がルームミラー越しに訊ねてきた。

「ええ、まぁ……」

「……その花束」運転手の言葉で、私は隣に置いた花束を見た。「ああ、薄黄色のバラですよ。妻が好きなんです、バラ」

「そうなんですか。……綺麗な花束ですね」その言葉を最後に、沈黙が訪れた。

 話すことも無く、私は窓からぼんやりと景色を見続けていた。同じような雑居ビルばかりが並ぶ道。きっと全てモノクロにしたら、どれも見分けがつかなくなってしまいそうだ。

 十数分ほどの道のりを経て、漸く妻の入院している病院に着いた。支払いを終え、ドアに手を掛ける。

「薄れゆく愛、嫉妬」

「え?」手を止め、運転手の方を見る。

「黄色いバラの花言葉ですよ」

「あ……、そんな意味があるんですね。知らなかった」しまったなあと思ったが、それ以上にこんな中年の男性が花言葉を知っている事に驚いた。

 私は運転手の言葉を気にしつつも、タクシーから降り、そのまま病院内に入った。自動ドアを潜り抜けた途端、病院の独特なにおいが鼻を突く。

 ふと花束を見てみると、包装紙の淡い桃色が、いつの間にか真っ白に変色していた。今朝は触れた部分のみが変色していたが、徐々に侵食範囲を拡大していっているようだ。

 バラの茎部分を覗くと、黄緑色の瑞々しさが無くなり、薄灰色に変化していた。そしてじわじわとその域を広げている。

 早く渡さなくては色が「消えてしまう」。そう思い、駆け足になる。


「あら、来てくれたの」

 病室に入ると、妻は窓際のベッドで横になっていた。私の顔を見て嬉しそうに微笑む姿に、思わず安堵の溜息を吐いてしまう。

「今日は残業も無かったし、お前の顔が見たくなったんだ」そういって花束を差し出す。「はい、これ」

 彼女は花束を受け取ると、嬉しそうに眺めていた。「綺麗だわ。ありがとう」やつれた顔で微笑む。

 しかし突然、不思議そうに花束の中を覗きこんだ。

「不思議なバラ……。茎が灰色になってる」バラを一輪抜き取ると、私にそれを見せてきた。よく見てみると、花弁の裏まで能力に影響されているようだ。薄黄色だった部分が、真っ白く変色している。

「ほら」彼女はそのバラを私に差し出した。

 受け取ろうと手を出したら、彼女の手と私の手がぶつかり、その拍子でバラが床に落ちた。

「あ、ごめん。拾ってくれる?」

「あぁ」

 そういって落ちたバラを拾い、彼女に差し出す。私はすぐに自分の能力の性質を思い出し、自分の愚かさに顔を歪ませた。

 彼女の目の前で、薄黄色が見る見るうちに白へと変わっていく。

「何……。今の」

「…………」私は彼女の目を見る。「俺がこの手でものに触れると、そのものの色が白黒になるんだ。このバラみたいに」

 彼女は何も言わずに私を見た。目の前で能力を見たのだから信じざるおえないだろう。だからこそ私も、能力について説明したのだ。

 だが信じたとしても、気味悪がったり距離を置いたりするのが普通だろう。そんなもの表情を見れば分かる事だ。それなのに彼女は気味悪がりもせず、私をただ見つめるだけだった。

 そして持っていた花束を、私に向かって差し出してきた。「持ってみて」その言葉に引きつられ、花束をそっと両手で握る。

 当然、花弁は能力によって色を失い、真っ白になってしまった。

 意図がわからず困惑する私に、彼女は優しく微笑む。

「真っ白なバラも綺麗ね」彼女は私の両手を包み込むように、自分の両手を重ねた。「貴方のその能力のおかげ」

「……そ、そう。喜んでくれたのなら良かったよ」

 私は何と言えばいいのかわからず、しかし仄かな胸の熱さを感じた。


 日を重ねるにつれ、能力の影響がより強く増してきた。

 いつの間にか家の中は、すべて白と黒に染まっていた。

 例えばスーパーで食材を買う。それでハンバーグを作ろうとしても、出来上がるのは真っ黒な物体で、焦げているのかも分からない。分かるのは食べた後だ。

 特に一番困るものは、雑誌のカラーページ。カラーであれば問題ないであろう配色。今持っている雑誌で言うと、この見出しの文字が赤色で文字の枠が緑色の文。単一色化すると、赤も緑も両方とも同じ色になってしまうのだ。厳密には若干の違いがあるものの、普通に見ただけでは同じ色なので、結果的に文字が潰れてしまい何と書いてあるのか分からなくなってしまう。

 まあいい。私は読んでいた雑誌を雑誌棚に戻した。

 ただいくつか能力について分かった事がある。一つ目は自由に操る事が出来る、という事。今までは勝手に能力が発動してしまい、自分では止める事が出来なかった。しかし何度か試していくうちに、自分で制御できるようになったのだ。

 もう一つは、能力の効果は一時的なものだということ。数日前頬にできた痣がいつの間にかなくなっていた。

 そして最後は副作用だ。能力を使うたびに、一定時間自分の目の色彩感覚が失われ、全てモノクロになる。勿論他人には自分がモノクロにしたもの以外、モノクロには見えない。そして副作用中は、モノクロにしたものがカラーになる。ややこしい話だが、つまり能力を使うと、能力の影響を受けたもの以外がモノクロになるように私の目では見えている、という事だ。

 実際、部屋全体が白黒なのも副作用のせいだ。何に能力を使ったのかというと……。

 私はテレビを点けた。何の番組なのか定かではないが、画面には色鮮やかな木々が写った。

 そう、テレビの画面をモノクロにしたのだ。このような液晶でも能力の効果はあるのかと思い、丁度試したところだった。といっても見る必要は無いのでテレビを消し、家を出た。


 今日はいい天気だ。真っ青な空は雲ひとつ無い。まさに休日日和。

 私は行き付けの花屋で白いバラの花束を購入し、病院へと向かった。

「今日は白なのね」

「ああ。綺麗だろう」彼女に手渡す。しかし返事は無い。心なしか苦しそうな表情を我慢している様に見える。

「どうした。具合でも悪いのか」妻の肩を抱き、顔を覗き込もうと屈む。「無理するな。看護師を呼ぼう」

「……ええ」苦しそうに咳き込む。

 しかしただの咳ではなかった。真っ赤なそれが真っ白なバラを染める。

「あ……。ああ、そんな!血が!」すぐにナースコールを押す。

 看護師が来るまで若干の間がある。私は少しでも彼女を楽にさせてやりたいと思い、ベッドに寝かせた。自分自身入院した事など小学生で骨折したとき以来無かったので、対応の仕方が分からなかった。

 妻は苦しそうな笑顔を私に向けた。今出来る精一杯の笑顔なのだろう。額には薄っすらと汗を掻いている。

「……一つだけお願いしていい?」とても弱弱しい声だった。

 彼女が不安にならないよう、私は落ち着いた口調で「じっとしてろ。すぐに看護師が来るから」といった。しかし彼女は困ったような視線を私に向ける。

「お願い。一つだけ……一つだけだから」

 私は何も言えず黙っていた。すると妻は花束を私に差し出し、こういった。

「これを、モノクロにして」

「えっ」困惑する私をよそに、彼女は続ける。「赤は嫌いなの」

 私は彼女の真剣な眼差しに気圧され、仕方なく花束を受け取った。

 能力によって花束がモノクロになった。濃紺の包装紙と、血で真っ赤に染まった白バラが黒く染まる。と言っても、私の目では花束以外がモノクロになっているのだが。

 彼女は黒く染まった花束を見て、満足そうに微笑んだ。

「ほら。こっちの方が綺麗」そういってゆっくりと目を瞑った。


 私はタクシーに乗り込むと、暫く呆然としていた。

「お客さん、お客さんっ」

 運転手の声で我に返り、慌てて目的地を伝える。

「あれお客さん」運転手は思い出したようにこちらを見た。「ああ、やっぱり。お見舞いの帰りですか」

「ええ、まあ」

 その運転手は数日前、私にバラの花言葉を教えてくれた男性だった。まさかこんな時に遇うとは。

 二回目だからか、やたらと私に話しかけてくる。ふと、私が持っている花束に気づいたのか、こう訊ねてきた。

「あれ。その花束」

「ええ。……これはもう、必要なくなってしまったので」真っ赤なバラを見つめる。

 事情を察したのか、運転手はそれ以上喋らなかった。私は同じようなビルをぼんやりと眺めながら、深い溜息をついた。

「そういえば、花言葉知ってるんでしたよね」私は景色を眺めたまま運転手に尋ねた。

「はい。まぁ、知りたくて知ってるわけじゃないですよ。私の娘がそういうのに詳しくて」そういって照れくさそうに笑った。

 娘か……。子供も出来ないまま病気を身篭った妻の顔が浮かぶ。人生なかなか上手くいかないものだ。今までの人生を振り返り、悔しさが滲む。

「それで、それがどうかしたんですか」

 運転手の言葉で現実に引き戻される。私は花束を握り締めた。

「赤、……いや、黒いバラの花言葉って知ってます?」

「黒いバラ……。ブラックバッカラのことですか?実際黒って言うよりは黒に近い濃赤色ですけど。……ブラックバッカラの花言葉は、貴方は私のもの、束縛」

「いい意味は無いんですか」

 運転手は小さく唸り、「あんまりいい意味は聞いたこと無いんですが、……あっ、永遠の愛。そんな意味もありましたよ」と明るい口調で言い放った。

 永遠の愛、か。

 私は持っていた赤いバラを抱きかかえ、暗い車内から見える灰色の空を仰いだ。

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