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手紙の届く街 短編版

作者: Veritas
掲載日:2026/08/04

 この街では、手紙が必ず届く。


 それが誰のものであっても、

 どれほど些細なものであっても、

 どれほど届いてほしくないものであっても、


 ――例外はない。


 拒むことも、

 隠すことも、

 

 ――できない。


 私は、ただ運ぶ。


 差し出されたものを、

 書かれたままに、あるべき場所へ。


 それだけが、

 先代さんから預かった鞄と、引き継いだ私のお仕事。


 ◇


 朝の空気は、まだ冷えていた。

 鞄の中に手を入れる。

 指先に、紙の感触が触れた。

 さっきまでは、なかったはずの重みだ。

 封筒には、誰かの筆跡で、配達先が書かれている。


「……今日は普通かな」

 

 石畳に靴音が小さく響く。

 パン屋の煙突からは、薄く煙が上がり始めている。

 鼻腔をくすぐる美味しそうな匂い。


「……お腹すいたなあ。帰りにクロワッサンでも買って行こうかな」

 

 どこにでもある、変わらない朝だった。

 

 配達先は、路地裏の小さな家。

 古い扉を二度叩く。

 

「おはようございまーす」


 少し遅れて、中から足音が近づいてきた。


「……はい」


 扉の隙間から、若い女が顔を出す。

 寝起きなのか、髪は乱れていて、目元もまだ重そうだった。


「手紙です。ご確認をお願いします」


 それだけを告げて、背負った鞄から封筒を差し出す。

 女は一瞬、怪訝そうな顔をしたあと、

 差出人の名前を見て、わずかに目を見開いた。


「これ——」


 言葉が途中で止まる。

 指先が、封の上でわずかに震えていた。


 私は何も言わない。

 言う必要がない。


 彼女は、ゆっくりと封を切った。

 中の紙を開き、視線を落とす。

 

 しばらくして、息を吐く音がした。


「……そうだったのね」

 

 それだけだった。


 泣くわけでも、笑うわけでもなく、

 ただ、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。


「……ありがとう」


 その言葉が、誰に向けられたものなのかは分からない。


「ねえ。あなたに手紙を渡せば、相手に届くのかしら?」


 縋るような瞳に、私は黙って首を振る。


「……そう、残念ね」

 

 私は軽く会釈をして、その場を離れる。

 

 ——パキッと何かがはぜる音がした。


 私は振り返らない。

 振り返っては行けない。

 手紙を届けると、必ず聞こえる音だから。

 

 石畳に靴音を響かせ、私は歩く。


「……なんて書いてあったんだろう」


 考えたところで意味はない。でも——。


「お返事、書きたかったのかな……」


 たぶん、あの人にまた会うことはない。

 それどころか、あのお家へはもういけない。


 それがこの街。

 

「……急げば、まだ焼きたて残ってるかな」


 少し考えてから、私は鞄を背負い直して走り出す。


「今日は、チョコクロワッサンにしようっと」


 ◇

 

 この街では、手紙は届く。届いてしまう。

 

 ——たとえ、宛名がなくても。

 ——たとえ、幾億もの時が過ぎ去っていても。

一通目、普通の手紙です。

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