手紙の届く街 短編版
この街では、手紙が必ず届く。
それが誰のものであっても、
どれほど些細なものであっても、
どれほど届いてほしくないものであっても、
――例外はない。
拒むことも、
隠すことも、
――できない。
私は、ただ運ぶ。
差し出されたものを、
書かれたままに、あるべき場所へ。
それだけが、
先代さんから預かった鞄と、引き継いだ私のお仕事。
◇
朝の空気は、まだ冷えていた。
鞄の中に手を入れる。
指先に、紙の感触が触れた。
さっきまでは、なかったはずの重みだ。
封筒には、誰かの筆跡で、配達先が書かれている。
「……今日は普通かな」
石畳に靴音が小さく響く。
パン屋の煙突からは、薄く煙が上がり始めている。
鼻腔をくすぐる美味しそうな匂い。
「……お腹すいたなあ。帰りにクロワッサンでも買って行こうかな」
どこにでもある、変わらない朝だった。
配達先は、路地裏の小さな家。
古い扉を二度叩く。
「おはようございまーす」
少し遅れて、中から足音が近づいてきた。
「……はい」
扉の隙間から、若い女が顔を出す。
寝起きなのか、髪は乱れていて、目元もまだ重そうだった。
「手紙です。ご確認をお願いします」
それだけを告げて、背負った鞄から封筒を差し出す。
女は一瞬、怪訝そうな顔をしたあと、
差出人の名前を見て、わずかに目を見開いた。
「これ——」
言葉が途中で止まる。
指先が、封の上でわずかに震えていた。
私は何も言わない。
言う必要がない。
彼女は、ゆっくりと封を切った。
中の紙を開き、視線を落とす。
しばらくして、息を吐く音がした。
「……そうだったのね」
それだけだった。
泣くわけでも、笑うわけでもなく、
ただ、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
「……ありがとう」
その言葉が、誰に向けられたものなのかは分からない。
「ねえ。あなたに手紙を渡せば、相手に届くのかしら?」
縋るような瞳に、私は黙って首を振る。
「……そう、残念ね」
私は軽く会釈をして、その場を離れる。
——パキッと何かがはぜる音がした。
私は振り返らない。
振り返っては行けない。
手紙を届けると、必ず聞こえる音だから。
石畳に靴音を響かせ、私は歩く。
「……なんて書いてあったんだろう」
考えたところで意味はない。でも——。
「お返事、書きたかったのかな……」
たぶん、あの人にまた会うことはない。
それどころか、あのお家へはもういけない。
それがこの街。
「……急げば、まだ焼きたて残ってるかな」
少し考えてから、私は鞄を背負い直して走り出す。
「今日は、チョコクロワッサンにしようっと」
◇
この街では、手紙は届く。届いてしまう。
——たとえ、宛名がなくても。
——たとえ、幾億もの時が過ぎ去っていても。
一通目、普通の手紙です。




