第二話 女子高生と危険な雨
【前回のあらすじ】
自分が取り逃がしたU型怪魔(通称ユカイ魔)を捜索する任務に就いた若き怪討人・早見定。
僅かでも手がかりを求めて、己の占い能力を発動させるが、導き出された結果はラッキースポット……!?
奥寺なごみは幸せな少女である。
大まかに言えば、普通の女子高生だ。特別に頭が良いわけでも、部活動のエースでもない。
だが大きな悩みもなく、多くの友達に慕われ、ただただ楽しい毎日を過ごす、クラスに一人はいるそんな少女。
彼女は、親に頼まれた買い物の品が入ったエコバックを片手に夕暮れの駅前通りを歩いていた。肩甲骨辺りまで伸びた赤茶色の髪が歩くたびにばたばたと揺れる。
大きな都市ではないものの駅方面は施設が充実しており、ついさっき買い物をしたスーパー以外にも大型電気店屋や、カラオケとゲーセンの入ったアミューズメントパーク、線路を跨いだ先には大きな総合病院もあった。
街はもうじき来るゴールデンウィークに浮かれているようだった。そんな光景を眺めながらなんとなくこっちも嬉しい気分になってくる。
まあ、なごみ自身も、ゴールデンウィークに中学時代の仲間と集まって遊ぶ予定があるのでしっかり浮かれていたが。
◆
路地を二本入るとすっかり人通りのない静かな住宅街の景色になる。なごみの家もその中にあった。
「え?」
家まであと少しというところで、なごみの背後からゴスンと何か重たい物がぶつかったような音が聞こえ、思わず振り返る。
「ええ!?」
背後の道路を見ると、レンガが砕けた状態で落ちていた。さっきまでこんなものは無かったはずだ。
おそらく今の音の正体はこれのような気がする。だがそうなるとこのレンガを道路に投げ落としたという話になる。
なごみは慌てて周囲を見回した。道路に面した住宅の窓は閉め切っており、誰かがレンガを投げ入れたという様子は無い。
だったらどこから? と思っていたらなごみのすぐ目の前で四角い物体が降ってきた。
反射的に避けると、それは地面とぶつかってガコン、ゴンと鈍い音を立てながら数回バウンドして動きを止めた。よく見ると灯油ストーブなどで使われる一斗缶だった。
なんでこんな物が? 当然のような疑問が浮かぶ。
この一斗缶は確かに真上から降ってきた。だが、真上を見てもそこにあるのは夕方の空である。
常識的に考えてこんな物が降ってくるはずがない。なごみが恐る恐る一斗缶に近づこうとすると、またも空から何かが降ってきた。
今度は傘の骨だった。次いで大きなヤカン、庭石、空き缶と大小関係なく様々なものが降ってくる。ありえない。ありえなさすぎる。
なごみは顔を引きつらせながらその場を逃げた。落下音は背後でまだ続いているが、確認している場合ではない。重たい落下物に激突したら怪我どころではない。
家に帰る道を勢いで通りすぎ、それでもなごみは走る。もはやどこに逃げていいのやら状態であった。
走りながら大声で助けを呼ぶかと考えたが、それがどう解決策に繋がるのか分からなかったので躊躇した。というか何が最適な行動なのか、自分でも分からない。
数百メートルほど走った先で、こちら側に向かって歩いてくる人影が見えた。フードをかぶっているのか、顔はよく見えない。
「そっちに行くと危ないですよ! 戻ってください!」
なごみは精神の限界に耐えながら叫ぶように人影に警告した。空から落下物が降ってくる現象など言っても誰も信じないだろうが、そう言うしかなかった。
それでも相手は歩みを止めることなくなごみの来た方向へ進もうとするので、なごみは慌てて相手の腕をつかんだ。
「あっちは駄目なんです! 逃げてください」
「逃げて、とは?」
フードの人物がなごみの方を見て足を止めた。ちらりと顔が少し見えたが、なごみと同世代くらいの少年のようだった。
「信じられないかもしれないけど、空からいろいろ降ってくるんです! 何言ってるんだって思うんだけど、とにかくあっちは危ないんです!」
「空?」
少年は真上の空を見た。それから進行方向の空へと視線をスライドさせる。
それから「ああ」と、謎に納得したような相槌を打つと自分の腕をつかんでいるなごみの手をそっと外した。
「協力、感謝する」
それだけ言うと、少年はあの怪奇現象の起きた場所に向かって走り出した。
「えっ? あっ、だからそっちは駄目なんだって!」
なごみは一瞬躊躇するも、この見知らぬ少年の身を案じて後を追いかけた。
少年の足は速い。なごみ自身足の速さには自信があったが、ギリギリついていくのがやっとであった。完全に追いつけないのは単純に男女の肉体差の問題であろう。
ほどなくしてレンガやら一斗缶が転がっている道路が見えてきて、少年は足を止め、空を見上げる。
「待って! そこは危ないから! ……わっ!?」
なごみの側に、自宅のテレビ画面ほどの大きさの看板が降ってきた。「不燃物ごみ置き場」と書かれてある。
さすがにこちらの身が危ない。なごみは少年を止めるのを一旦諦めて、すぐそばの脇道へ一時避難する事にした。そっと顔を出して少年の様子をうかがう。
少年はなごみの方には全く目もくれない様子で、どこからか黒い札を取り出すとそれを右手の指に挟んだ。視線はずっと空の方を向いている。
「……はぁ!!」
数秒の溜めがあったのち、少年はその札を勢いよく空へ向かって投げた。ペラペラの紙のはずが、それは矢のようにまっすぐ飛んでいく。
何あれ? と思う間もなく、何もないはずの空中に火花のような光が現れたとほぼ同時に辺りにパァァァンと爆竹がはぜるような音がした。
もう何が何だか訳が分からない。なごみは少年の方を見る。
少年は、何事も無かったかのようにそのままポケットからスマホを取り出すと、通話を始めていた。
「こちら早見。M型怪魔の捕捉及び討伐完了……はい、だけど例のユカイ魔との関連性は無さそうです。え? ガッカリしたって? ……いやそんな事は考えてません! とにかく倒しました!」
落ち着いた口調は最初だけで、途中からそれが崩れ出す。
「ではこれから戻ります……コンビニ? 確か近くにあったと思いますが……え? はあ……分かりました。分かりましたよ」
少々苛立った様子で少年は通話を切る。それからなごみが脇道に避難しているのを見つけて、ゆっくりと近寄った。
「もうここは大丈夫だ。安心して帰っていい」
無表情でぶっきらぼうな口調でそれだけ言うと、少年はそのまま去って行った。
本当に何だったのか。怪奇現象と言ってしまえばそれまでだが、なんで何もないところから物が降ってきて、なんで謎の少年が何かしらをしたことによって解決になったのか。
「……で、このゴミはどうすんのよ……」
道路は、悲惨な事になっていた。
◆
レジ袋に惣菜弁当を詰め、新しい拠点に戻った早見定は不機嫌な顔で上司二人にそれを渡す。
「おーご苦労、サダ。しかし研修帰りに怪魔の討伐になるとはなー」
「まあ、拾って飲み込んだ物を空から降らすだけのM(MISCHIEF)型怪魔でしたけど。何だったんですか、あれ」
「そりゃあ怪魔に言ってほしいくらいだよ。まさかユカイ魔追ってる最中に全っ然関係無い怪魔が出てくるなんてねえ、やっぱサダは持ってるわ」
先輩の水無口憶人がニコニコと笑う。相変わらず派手なスーツ姿で、雰囲気が胡散臭い。
「それでサダ、研修はどうだったかね?」
口髭がトレードマークの支部長・碓氷広夢が弁当の蓋を開けながら言った。
「一応、専用の札を使った回復術はコーチの人に合格もらいました」
サダは自分のパスケースの中からカードを取り出した。
それは怪討人としての身分証で、裏の特記欄の項目に初級回復術という真新しい印字がされていた。
「サダがこの支部に来てからずっと仕事漬けで研修を受けさせる暇がなかったからねえ。人命救助と応急処置は出来た方がいいと思うんだよ。あれは専用の札さえあれば半日で覚えられる術だし」
「どっちかというと回復の札の使い方を覚えてきたって感じでしたが」
サダは身分証の特記欄を見つめる。
ここに記されるのは、怪討人としての個人が所有するスキルである。
サダのスキルは元々持っていた占いの異能力と、この仕事に就いて真っ先に覚えた怪異退治用の札での戦闘術、そして今日習得した初級回復術である。
「それにしても、まさかこの街の総合病院と怪討局が提携しているとは思いませんでした」
「あの病院は国のものだからな。公にはなっていないだけで怪異の被害に遭った人間の治療も請け負っている」
余談だが、怪異による被害でも各種保険も適用される。
「ところでサダ、手配した制服が届いたから後でサイズ確認しておきたまえよ」
「制服?」
碓氷の言葉に怪討人に、制服なんてあったか? と首をかしげるサダに、水無口が横からぺしっとチョップをかました。
「おいおいサダ、忘れちゃったかー? 自分で雪殿高校へ行けって言ってたんだぞ?」
「ああ、そっちの制服か……」
明日からサダは雪殿高校へ通う転入生の身分になる。
占術で出た「ラッキースポット」と言うだけで、ユカイ魔に繋がる手がかりは今のところゼロ。自分で占い結果を出しておいてなんだが、不安しかなかった。
「ま、学校に行くのはお前一人だが、何かあった時は憶人の方に連絡したまえ。物資や人員がほしい場合は私にだ」
「ちなみに編入手続きは終わっているから、学校へ行ったらまず校長室な。怪討局と繋がりがある公立の学校だったから話が早くて助かったー。あ、でも一般教員や生徒はそのこと知らないから注意しろよ? 普通の人間は怪討局はおろか怪異の存在も認識してないからな」
「分かってます。登校後に校長室ですね」
「それから学校で使う偽名も用意しておいたから、明日校長室で確認しておけよ?」
「偽名……!」
何だかスパイっぽい響きに食いつく辺り彼も年相応である。が、すぐに冷静を取り戻し、
「了解しました。それらしく振る舞います」
真面目に返答するサダだったが、この時水無口の顔が何か企んでいるような悪戯めいた表情になっている事には気付いていなかった。