彼女の愛は百円のマグカップに表れている?
「・・・ここに、二人で住むの?」
恋人である高木 千鶴が不満そうな表情を見せた。俺が暮らしているマンションは、いわゆる【1DK】。四畳半の部屋、七畳ほどのダイニングキッチン、洗面所、浴室、トイレなどがある。そのダイニングキッチンにて、小さめのテーブルを挟んで床に腰を下ろし、寄せ鍋を突いている俺と千鶴。その最中に同棲の提案をした訳だが、彼女の反応は悪い。
「流石に狭くない?」
千鶴は眉間に深い皺を集めている。相当に不快なようだ。
「そうか? でも広いトコ借りたら金が掛かるし。それに狭いなら、その分くっついていられるだろ?」
「・・・バカ」
頬を赤らめて唇を尖らせた千鶴。どうやら機嫌は直ったらしい。という感じで、俺たちは同棲をすることになった。
次の休日、千鶴が俺のマンションに引っ越してきた。とはいえ、彼女の住んでいたマンションはそのままだ。契約を打ち切ることはなく、荷物を運び出すことも殆どなかった。この家での二人暮らしに懸念が残っている千鶴は様子見をしてみることにしたのだ。彼女が自分のマンションから持ってきたのは、いくつかの洋服や下着などなど。それらを大きな鞄二つに詰め込み、俺と二人でなんとも手軽な引っ越し作業。
「荷物、これだけで良かったのか? 小物とかアクセサリーとか色々あるんじゃないの?」
「そういうのは仕事帰りに寄って、ちょこちょこ持ってくるから」
千鶴のマンションは、彼女が勤めている会社と俺のマンションのあいだにある。だから地下鉄を途中下車して、小忠実に運ぶ算段らしい。
「この棚、使ってイイんだよね?」
千鶴が指差したのは、胸の高さほどのキャビネット。そこには昨日まで俺の服などが入っていたが、彼女のために空にしておいた。結果、備え付けのクローゼットの中は現在グチャグチャである。早めに片付けないといけない。そんな惨状を千鶴に見られたら、呆れられてしまうだろう。
「あぁ。手伝おうか?」
「やめてよ。下着だってあるんだから」
「いまさら別にいいだろ? それとも、新しいのでも買ってきたのか? セクシーなヤツとか」
「そんなの買わないわよ。バカじゃないの」
冷たい視線を向けてきた千鶴は程なくして、せっせと荷物を移し始めた。
手短に引っ越し作業を終えた千鶴に連れられて、俺は近くにある百円均一の店へと来ていた。
「これ、買わない?」
千鶴の左右の手には、それぞれマグカップ。その二つは同じ柄だが、色は違う。緑とピンクだ。
「コップならあるけど?」
「そういうことじゃなくて。同棲の記念に、ね?」
食卓を彩る新たなアイテムを欲した千鶴。そのお願いを聞き入れ、お揃いのマグカップを購入。ただしピンクのマグカップは黄色のマグカップに変更となった。てっきりピンクは千鶴が使うと思っていたのだが、彼女は緑を使うらしく、黄色に選手交代となった訳だ。
お揃いのマグカップを購入してから、二ヶ月が過ぎた。緑のマグカップは今や洗面台に置かれている。うがい用のコップに成り下がってしまったのだ。その一方、黄色のマグカップはダイニングキッチンにある。千鶴と違い、俺は律儀に使い続けている。彼女はというと、つい二週間ほど前に洒落たカップを買ってきて、今はそれを使っている。最早、お揃いである意味などない。それらが再会する機会は、ほぼ永遠にないといえるだろうから。
そんなある日のこと、俺は仕事帰りに千鶴のマンションへと向かっていた。彼女は今朝、仕事帰りに自宅の片付けをすると言っていた。着なくなった服などを処分するらしい。時間が掛かりそうなので、今日は俺のマンションには戻れそうにないとのことだった。だから、その手伝いをしようかと俺は思い立った訳だ。別段、連絡はしてないが、特に問題はないだろう。サプライズとしてケーキでも買っていこうか。
そうして街中を歩いていると、体よくケーキ屋を発見。その店に向かいつつ、何気なく視線を泳がせる。すると、道路の向かい側にあるカフェに目が留まった。なんということもないカフェなのだが、目に留まった。店内に千鶴がいたからだ。
部屋の片付けの途中で休憩でもしているのだろうか。だったらケーキは必要ないかもしれない。そんなことを考えながら千鶴に注視すると、あることに気付いた。彼女は一人ではなかったのだ。
千鶴は道路側に顔を向け、席に着いている。その顔はなんとも楽しそう。そんな彼女の手前には、中々に大きな背中がある。スーツ姿のその背中はどう見ても男性だ。つまり今、千鶴は男と二人きりでカフェにいるのだ。
とはいえ、それくらいのことは可笑しくなどない。仕事終わりに同僚といるのかもしれないからだ。しかし千鶴は、今日は自宅の片付けに時間が掛かるだろうから戻れそうにないと言っていた。それなのに、いま彼女はどこぞの男と二人きりでカフェにいる。なんとも呑気に時間を潰している。なんとも楽しそうな表情を浮かべながら。それらの事柄が絡み合い、俺の心は激しく掻き乱された。よって、千鶴の浮気を疑った。
ケーキの購入は見送り、道路の向かい側へと移動。千鶴がいるカフェへと近づき、入り口付近で身を潜める。そうして小一時間が過ぎた頃、漸く千鶴が出てきた。言わずもがな、あの男も一緒に。それどころか二人は腕を組んでいる、なんとも仲良さそうに。しかしながら男の方は、やや引き気味だ。つまり、千鶴の方から腕を組んでいるのだ。
「おい。なにしてんだよ?」
背中を見せて立ち去る千鶴へと駆け寄り、声を掛けた。それは彼女に対してか、はたまた男に対してか、よく分からなかった。ともかく、千鶴は振り向いた。
「えっ!? な、なんで!? ・・・なんで、ここに・・・、い、いるの・・・?」
千鶴は驚くと同時に、男に絡めていた腕を解いた。男の方はというと、俺と千鶴の顔を交互に見て、戸惑い気味だ。
「オマエの方こそ、なんでこんなトコにいるんだよ? 家の片付けをしてるんじゃなかったのか?」
「えと・・・、それは・・・」
千鶴の動揺は凄まじく、慌てふためくばかりで言葉を上手く紡げない。その様子を見るに、浮気をしていたのは間違いないだろう。
食卓で使うカップを、俺とお揃いのマグカップから洒落たモノに取り換えたように、交際相手も取り換えたようだ。離れ離れになってしまったお揃いのマグカップのように、千鶴の心はもう俺から離れてしまったのだろう。彼女は着なくなった服を処分するのではなく、俺を処分しようとしているのだろう。
千鶴は変わらず慌てふためいていて、俺はそんな彼女の顔を強く睨んでいる。すると、千鶴の浮気相手が口を開く。
「なぁ姉貴。この人、誰?」
「・・・へ?」
なんとも間の抜けた声が出た。いや、漏れてしまった。そのついでという訳ではないが、引き続き俺は声を漏らす。
「あ、姉貴・・・?」
「はい。そうですけど・・・? ───あっ! もしかして、姉貴の彼氏さんですか!?」
「えと・・・、はい・・・」
そこからは互いにペコペコと頭を下げ合い、自己紹介の応酬となった。
三人で千鶴のマンションへと向かう道中、俺は愚痴を溢す。
「だったら早く言えよな。なんでテンパってんだよ」
「だって・・・」
未だに口籠る千鶴。すると弟さんが答えを用意してくれる。
「姉貴の部屋、超汚いんで」
「コラッ! 余計なこと言うな!」
怒鳴る千鶴の横顔を眺めつつ、俺は思う。彼女の家には殆ど入ったことがない。なんやかんやと、いつも理由をつけては入れてくれないのだ。そんなことだから、二年半の交際期間のうち、たった三回しか入ったことがない。それも、数日前からの事前予約があってのことだった。しかも宿泊は禁止。そういえば千鶴が俺のマンションへと引っ越してきた日も、俺は彼女のマンションの前で待たされていた。部屋の前ではなく、マンションの前でだ。そうして大きな鞄二つを抱えた千鶴が現れるのを待っていた。
「それで今日、掃除の助っ人を頼まれたんです」
千鶴にポカポカと叩かれながら、再び説明をしてくれた弟さん。やがて千鶴のマンションの前に到着すると、彼女は引きつった笑顔を見せる。
「じゃ、じゃあ、ここで・・・。明日は、帰るから」
「え? 俺も手伝う───」
「いい、いい! 弟がいるから! 大丈夫だから!」
必死に抵抗する千鶴。しかしながら、その抵抗をすんなりと受け入れる訳にはいかない。なぜなら千鶴の弟さんが本当に弟なのか、まだ分からないからだ。もしかすると、やはり彼は浮気相手で、このあと二人で良からぬことをするかもしれないからだ。
「三人で片付けた方が早く終わるだろ?」
「で、でもでも・・・、ウチ、狭いし・・・」
たしかにそうだ。千鶴の家は六畳ほどのワンルームである。そんなところで大人三人が片付けをするとなると、互いが邪魔になるかもしれない。
「あ、じゃあ。俺、帰りますね」
そう言い残して、弟さんは走り去っていった。
「ウソぉっ!? ちょっ、待てよぉっ!!」
夜の街に千鶴の声が木霊した。その後、観念した彼女は俺を家の中へと入れてくれた。「五分───。いえ、十分、待っててくれる?」という言葉の二十分後に。
そうして入った千鶴の家の中は、かなり汚かった。一応は片付けを済ませたらしいが、とんでもない惨状だった。あの男性は、やはり弟さんなのだろう。俺は安心しつつ、千鶴の家の中を片付けていた。