三
キーンコーンカーンコーン。
美翔ほたるの担任の先生は、少しいい加減だ。
「来週の田植え実習な〜」
「絶対出ろよ〜」
「サボったら退学な〜」
たまに、重要なイベントの案内を忘れたりする。
○
昼の賭場が荒れて奇声が飛び交う教室の、蚊帳の外にいるほたると透。
「透ちゃん、帰宅部って、龍勢作ってるの?」
「リュウセイ?」
「竹竿で作るロケットみたいなやつだよ」
「知らない。
そもそも今までで一度も集まったことねーぞ、帰宅部とか」
「やっぱないんだ。
あのね、田植えの前にね、部活対抗で龍勢飛ばす大会があるから見に来てね。
アイ研、すごくかわいいの作ってるから」
○
残念なことに、その年の龍勢大会は中止になってしまった。
大会の前日に赤い月が出たからだ。
生徒会副会長の御子柴夕美は舌打ちをした。
「ちっ。
誰か、グリードの目撃報告をしていなかったな」
「普通は、こうなる前に対策ができるのですけどね」
額を抑えるのは生徒会書記の敷波品子。
「もしあの校門前でわらわら踊ってるやつらのことをグリードというなら」
生徒会役員たちの近くにたまたまいた各務透は言葉を続けた。
「報告してなかったのは、私です」
「え?」
「物をあげると反応が面白いから、最近毎日あげてました」
「お前!」
「なんということを…」
「事情はわかりました。
あなたの処分は後で言い渡します」
生徒会長、美綴綾子は、少し踏み出して言った。
「グリードが物を持ち去った時、どちら方面へ走り去りましたか?
彼らがやってくる方角、ポータルの位置を大体知りたいです」
○
教室に戻ってきた各務透と美翔ほたる。
「と、いうことがあったんだが、そんなやばいの?」
「下手すると今日死人出るから」
「まじ?」
「透ちゃんが感じた通り、グリードだけならね、大したことないんだ。
でも早く、グリードがやってくる門を閉じないと、今日みたいになる。
空を飛ぶやつとか大きいやつとか出てくる。
空を飛ぶひらひらのやつに包まれると、人間が消滅しちゃうし、大きいやつは建物とか壊すから」
「ひえ…」
「生徒手帳に書いてなかったの?これ」
傍らで聞いていた五寸釘千咲が口を挟んだ。
「書いてあったけど、あれとグリードが結びつかなくてさ」
「あまり言いふらすなよ、各務。
みんながみんな、ほたるみたいにお人好しじゃねーんだからな」
○
ピンポンパンポーン。
校内放送。
「本日の女学園防衛戦の総指揮を務めます美綴綾子です。
各部部長は至急、生徒会本部テントへお集まりください。」
「本日の襲撃者は"赤い月"です。
正門方向より、グリード数百体。仮面グリード数百体。フローター四体。ブリーダー三体の襲撃が予想されています」
「全校生徒へ申し渡します」
「弓道部は弓と矢を持って正門前にお集まりください」
「剣道部は装備を携えて生徒会本部前へお集まりください」
「陸上部は関係各所への伝令をお願いしますので生徒会本部へ一度集合してください」
「バスケ部はカタパルトを正門前に組み立ててください」
「テニス部はバリスタの櫓への設置をお願いします」
「家政部は炊き出し準備を直ちに開始してください」
「文学部は、赤い月用の防衛のしおり配布をお願いします」
「アイドル研究部は保健室に衛生本部を設立してください」
「帰宅部は撤退戦の立案会議のため一度職員室にお集まりください」
「職員は引き続き、外部への連絡と交渉をお願いします」
「繰り返します…」
○
職員室。
和紙に筆で環状に全校生徒の名前を書き連ねていく各務透。
「なんでこんな時に全校生徒の名前を」
「氏神様の術に使うんだ」
「ほたるが書かなくていいの?」
「うん。
字が汚いって神様に怒られるから」
「田植え終わったら練習しろよ」
書き上がった各務透。
「できたぞ、おら!
これどうするんだ」
「燃やす」
「きれいに書けたのに」
「燃やした灰をこの神水に溶かす」
「?」
「そして、飲む!」
ほたるは盃に注いだ一味神水をぐっとあおった。
透も真似て口をつける。
「これ飲むとどうなんの」
「名前書かれた人の中でこの水飲んだ人は心をひとつに結束する」
「それだけ?」
「うん」
「意外と地味だな」
「あと氏神様に戦いを見ててもらえる。
あと戦いから逃げたら死ぬ」
「それは呪いなのでは」
「みんなに飲ませに行こう」
「やめた方が、良いのでは…?」
透とほたるがいる職員室では、先ほどから、生徒をどのルートで逃そうかという議論をたくさんしていた。
○
生徒会本部テント内。美綴綾子は各部の情報を整理し、指示を出している。
「テニス部より伝令!バリスタが老朽化しています。専用の鉄矢のストックも三本しかありません」
「バリスタはフローターのみに使用可とします。各部の龍勢を徴収して、フローター対策に用いましょう。龍勢の徴収と使用はテニス部に任せます。テニス部へ伝えてください」
「フローター殲滅後、ブリーダーからの撤退戦を行います。帰宅部へ立案をまとめるよう伝令をお願いします」
○
生徒会副会長、御子柴夕美は、正門横の櫓に登り、バリスタの横で前線を見渡していた。
○
「撃て!」
テニス部部長の衣笠麗華の号令。
バリスタが発射される瞬間、太い弦がグギッと音を立てて伸び、巨大な鉄矢がザスッと空気を切り裂く音が響き渡る。櫓が大きく揺れ、校舎の窓が震える。
鉄矢は、篝火の光を反射して、一瞬、光り輝き、空を飛ぶフローターに向かって一直線に飛んでいった。
鉄矢がフローターを貫通すると、フローターは音もなく丸まり、そのまま燃えかすのように黒く変色してバラバラと地上に降り注ぐ。遠くの森の梢に鉄矢が落ちた音が聞こえた。
「やっと一体か」
麗華の声には苦々しさが滲む。
○
「かまえ…」
弓道部員たちは、引き絞った弓を斜め上に向けた。
「はじめ…」
弓道部部長の木蓮珠寿の号令は静かだった。しかし誰一人聞き漏らすことなく、一斉に弓は引かれ、無数の矢が、夜空に向かって放たれた。矢は、山なりに空気を切り裂きながら、ほぼ垂直にグリードの群れに突き刺さった。グリードの悲鳴が、戦場の空気を満たした。
○
「放てぇ!」
バスケ部部長、北条あけびは雄々しく吠えながら腕を振り下ろした。
カタパルトが大きく揺れ、巨大な石がブゥンッ!と音を立てて空中に放り投げられた。石は、正門の向こうへ向かって一直線に飛んでいき、今しがた弓道部が一斉掃射をしたあたりの、グリードの群れに命中した。大きな着弾音が響き渡り、グリードの体は粉々に砕け散り闇夜に舞った。
○
正門横の櫓の中。
生徒会副会長、御子柴夕美と、テニス部部長の衣笠麗華の会話。
「やはり龍勢の軌道ではフローターを捉えられなかったな」
「一本だけ命中しましたが」
「軸がぶれすぎて、調整がほぼ利かない。
遅くて避けられる。
一本貫通したのは運がよかった」
「あの細工のおかげだと思います。
発射五秒で、周囲にハートの団扇と花火を撒き散らすという謎の」
「たしかにあれを避けようとして他のに刺さっていたな。
本部に報告しておく」
「フローターのうち、二体しか落とせなかった……。
つまり今日四人死にます」
衣笠麗華は瞼を閉じ、まつ毛を震わせた。
「申し訳ありません、御子柴先輩。
三本の鉄矢で三体。
龍勢十本で最後の一体と思っていたのですが」
「そんなうまくいくまいよ。
それについては生徒会の落ち度だ。
テニス部はよくやってくれた」
○
櫓の上に向かって一人の教員が呼びかけた。
「おーい、いつまで乳繰り合ってんだ」
「副会長は本部に連絡〜」
「テニス部は撤退戦に加われ〜」
「遅れたら全員死ぬぞ〜」
○
轟轟轟轟轟!
地面を揺るがすような重低音が響き渡る。
木々を薙ぎ倒して現れた、正門前にそびえ立つ、体高5メートルはあろうかという巨大グリードーーーーブリーダー。
その巨体は、まるで鉄の塊のごとく、無数の弓矢をものともせず受け止める。
「お願いします…」
木蓮珠寿の号令と共に、弓道部員たちの放った矢がブリーダーの巨体に降り注ぐ。
しかし、その矢は硬い皮膚に弾き返されるか、あるいは深々と突き刺さっても、巨体全体を揺るがすほどのダメージを与えるには至らなかった。
「弓道部、撤退します…」
「どけどけどけえ!邪魔だ邪魔だあ!」
陸上部部長、中鉢みさきは、弓道部員たちに向かって賑やかに声を張り上げる。
「投げ槍五連! 狙いは左足!下腿三頭筋!」
助走をつけていた陸上部員たちは、ブリーダーの左足を狙い、鍛え抜かれた筋肉と息の合った連携で、投げ槍を次々と放つ。
投げ槍はブリーダーの左足を次々と貫き、恐ろしい咆哮が響き渡る。
しかし、ブリーダーはさらに怒り、生徒たちに向かってゆっくりと歩みを進める。
「うわあ!次! とりあえず当てよう!」
中鉢みさきの焦燥感が周りにも伝わってゆく。
「円盤投げ五連!」
続く陸上部員はブリーダーの腹部に向けて、火薬玉を詰めた円盤を次々と投げつける。
二枚は空中で接触して爆発、三枚はブリーダーに命中し、爆発音が轟く。
しかし、巨大グリードは、その攻撃にも耐え、ついに正門を踏み潰す。
「これで終わりだ!」
北条あけびは、カタパルトに向けて叫ぶ。
「放てえええ!」
巨大な石が、カタパルトから放たれ、巨大な頭部に向けて一直線に飛んでいく。
一投目は巨大グリードの頭部左上に命中し、二投目で頭部右中央、ブリーダーは大きくよろめく。
そして三投目で再び頭部左上に命中、その巨体は、轟然と音を立てて崩れ落ちた。
地響きと地鳴り、静寂、そして湧き上がるように勝鬨を上げる生徒たち。
しかし次の瞬間。
轟轟轟轟轟轟轟轟轟轟!
新たに木々を薙ぎ倒し、新手の二体のブリーダー。
「フローターだ!逃げろ」
「フローター二体だ!撤退!撤退!総員撤退せよ!」
空からは、フローター二体のおまけ付き。
矢は尽き、槍は折れ、火薬と石は使い切った。さて、どうなる?
○
時を遡ること少し前。一体目のブリーダーがまだ現れていなかった頃。
正門横の櫓の上に一人の教員、一筋の煙。そこへ登ってくる各務透。
「あ、担任」
「ここは喫煙所だ。
ガキはさよなら」
「じゃあ一本もらいます」
「…ほらよ」
煙草と火をもらう各務透。
「くっそまずい」
「吸い方手慣れてんのに、初心者なんかよ」
「いやいや…。
祖母が葉巻屋の娘なんで、肺が肥えてるだけです」
「クソ生意気なガキだ。
肺ガンで死ね」
「こんなんよく呑めますね。
肺が腐りそう」
「それ飽きたら行けよ〜」
「いや、残ります」
「サボりは許さん〜
いけ〜」
「実は、今日のこれ私のせいで。
グリード知らなくて、餌付けしちゃいまして」
「ああ、そういうことか。
じゃあ、いていいぞ」
「故郷は?」
「長崎です」
「そんな都会なら、グリードなんていないな」
「下にいるあれ、お前の女か?」
「まあそんなとこ」
「なら梯子外しとけ。
ああいうタイプは土壇場で登ってくるぞ」
○
「今なら行けそうだよ、千咲ちゃん」
櫓の足元、正門の前で戦いの様子を伺っているのは、美翔ほたると五寸釘千咲。
ほたるは両手で支えたお盆の上に、一味神水を入れた小さい紙コップを並べている。
左腕には紙コップを入れた紙袋とゴミ袋。右腕には一味神水を入れた大きなアルミのやかん(金色)を下げている。
「私がやられたら、骨は五丈原に撒いてよね…」
どんよりとした千咲は両手に麻紐で縛った本を下げている。
これを正門の両脇にある篝火に焚べるのが、千咲のミッションなのだ。
「本当に本燃やしちゃっていいの?」
「また買えるものしか燃やしてないよ。
もう手に入らない本はむしろ避難させてる」
千咲は肩をいからせ、両手をグッと握り込んだ。
「じゃあ、行ってくるね」
○
カタ…カタカタ…カタ…カタ…ドタン…。
正門や外壁は今も数体の小型グリードの体当たりが続いていて不気味にガタガタ動いている。
意を決して小走りで正門に接近したはいいものの、篝火の籠に本が届かない小柄な五寸釘千咲。
それを助ける誰かの手。
「わあ、結構重いな」
千咲が、え?という顔で振り向くと、ん?という顔の美翔ほたる。
見ると櫓の足元に、ほたるの一味神水セットがまとめて置いてある。
「あ、ありがとう…」
「いいってことよ」
ほたるは嬉しそうに、本を篝火に焚べた。
あ…。
千咲はその時、櫓の上に遠くを見つめる各務透を見た。
○
「来た。二体だ」
「老眼にはまだ見えないな〜」
まるで、ぼろぼろのシーツが春風に運ばれてきたように。
ふらり、ふらりと、人を食べる怪物はやってきた。
「二体なら、これで全部だな」
「先生って演技できますか?」
「ん?」
○
右腕にやかん、左腕に紙袋とゴミ袋をひっかけて、よいしょとお盆を持った美翔ほたる。
その時、櫓の上から、ほたるは声をかけられた。
「おーい、美翔〜
それ酒か〜?」
「……」
五寸釘千咲は眼鏡を伏せて、ほたるのスカートの裾を掴む。
「違いまーす。
氏神様のご加護のお水ですよー」
「一味神水か〜
おしゃれなもん持ってるじゃねえか〜」
「先生もいるー?」
「ひとつ下に置いといてくれや〜
あとで飲むわ〜」
「はいー」
「ここは危ないから、もう行け〜」
千咲は、ほたるの薄茶色のスカートを2回ひっぱった。
「ほたる、もう行こ」
「うん。ちょっと待ってね」
「透ちゃんは、もう一杯いる?」
○
(バレてんじゃねえかよ…)
(なんとか誤魔化してくださいよ…)
「五寸釘〜
家政部で酒、もらってきてくれるか〜
ちょっと冷えてきたわ〜」
「はーい」
千咲は、ほたるのスカートを3回ひっぱった。
その時、バリバリバリ!という木の倒れる音が響き渡り、正門に一体目のブリーダーが現れた。
「ほらほたる!行くよ!」
美翔ほたるは、水を置き、あれ?という顔をしながら千咲に引っ張られていった。
弓道部の一斉掃射の音を聞きながら、ほたるは、ん?と首を傾げた。
○
再び櫓の上。篝火の炎がゆらゆらと櫓の天井を照らす。
各務透は、持ってきた布包みを出して広げる。
そこには家庭科室の包丁や美術室の彫刻刀、技術室の工具がずらり。
「さて。先生もどうぞ。
今夜はバリスタ打ち放題です」
○
「家政部こっちだよ?」
家政部と違う方へ行こうとする五寸釘千咲に美翔ほたるは呼びかける。
振り向いた千咲は。
あれ…
千咲ちゃん…
なんで泣いてるの?
○
走る美翔ほたる。
透ちゃん、ごめん。
私は馬鹿だ。
みんな知ってたんだ。
透ちゃんが何をしようとしてるか。
私だけが知らなかったんだ。
透ちゃんは絶対に謝らない。
それは悪いと思うことは絶対にしないからだ。
もし知らなくて悪いことをしたら。
透ちゃんは、行動で責任取るんだ。
透ちゃんはいつもそうなんだ。
でもずるいよ。
そんな責任の取り方ってないよ。
だってみんな知らないじゃないか。
透ちゃんは、私が化け物でも遊んでくれるんだ。
私は胴長短足だし、チケットもらったら小躍りしちゃうし。
そんな友達がいたら、グリードを怖がれるわけないよ。
透ちゃんが悪いんじゃないよ。
私が悪いんだ。
ああ、氏神さま。
もし願いを聞いて頂けるならば。
私を荒御魂に戻してください。
透ちゃんはいい子です。
私を化け物にして、みんなを守らせてください。
透ちゃんが消えるくらいなら、私が消えたいです。
○
正門前の櫓。
先ほどまでたっぷりとあったバリスタの矢もどきは、綺麗さっぱり無くなっていた。
「なかなか当たんねえな〜」
「円筒状の先の尖ったもんじゃないと飛ばないですね。
彫刻刀がいちばん惜しかった」
ついにフローターは目前に迫っている。
手のひらよりも大きく見えていた。
はあ、とあぐらをかいた時、各務透はそれを思い出した。
なるほどな。物語はよくできてやがる。
「頼むぜ、相棒。
阿波の名工の筆」
バリスタが放った竹ペンは音もなく夜空を滑り、淀みなくフローターを切り裂いた。
フローターはくるくると体を丸めると、黒く硬化し、そしてボロボロ、ボソボソ、サラサラと地上に降っていった。
しかしまだ一体が残っている。
「ありがとな」
「上出来だろ〜」
最後のフローターが体を大きく広げ、櫓ごと二人を一口に飲み込みそうになった、その時。
○
「だめ!」
美翔ほたるは正門前に到着した。
そんなのはダメだ。
私が許さない。
私の氏子に、手を出すな。
それは私のだ。
「許さない!」
ほたるが右腕をぶん回すと放り投げられたアルミのやかんが回転しながら放物線を描き、その頂点に達した時、篝火の明かりにきらりと輝いた、その刹那、ふたが、スコーン!と弾け飛んだ。
シューっという音と共に、あたりに眩い光が放たれる。
その光は、まるで太陽の光のように白く、黄色く、フローターと二体のブリーダーを堰き止め、押し返し、包み込み、消し去った。
放心状態でペタンと座る美翔ほたるに、五寸釘千咲が話しかける。
「あんた何したの?」
「え?」
かたわらに落ちていた空っぽのやかんは、蒸気を上げながらぐにゃぐにゃに曲がっていた。