一
深き学びの かてなくば
汝し をみなご をとめさびせじ
○
寄進荘園が消滅せずに存続した世界。
季節は九月。荘立悪党女学園は、今まさに入学式を迎えている。
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校長先生はありがたいお話をしてくれているが…
「えー、藤原家、後白河上皇、平家、武士…」
「えー、この国では古来より、荘園を一番集めた者が、天下を取る、世の中はそういう風にできてまして」
「現代では美綴家が、えー」
我々には少し、難しいようだ。
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ざわざわ…。もちろん新入生たちが胸をときめかせているのは、校長のお話ではない。
生徒会長、美綴綾子が、副会長、御子柴夕海と並んで歩く姿。
花が咲き乱れるような恐れ多い美しさに、乙女たちは心を奪われてしまう。
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美綴、綾子様・・・!
ここにも、うっとりと見惚れる一年生がひとり。
彼女の名前は美翔ほたる。
「この学園に来て、よかった…」
生徒会長の美綴綾子推しのごく普通のアイドル研究部員。
○
それからしばらく経ち、金木犀も香ろうかというある日のこと。
「ん?」
小筆でノートを取る各務透を、美翔ほたるは見つけた。
○
「なんで筆?」
「校則で書いてあるだろ、鉛筆は禁止」
「シャーペン使わないの」
各務透は、背中越しに【シャー芯賭博】に興じる連中を指して言った。
「あれと関わりたくない」
○
【シャー芯賭博】とは、シャープペンシルの芯を賭ける賭博行為である。
花札、トランプ、チンチロリンなど種目はいろいろ。なんでもござれ。
○
「ねえねえ千咲ちゃん」
美翔ほたるは、シャー芯賭博胴元の五寸釘千咲を友に持っていた。
「各務透って、千咲ちゃんのところで芯溶かしたの?」
「え?カクム?」
メガネを直す千咲。
「ああ、あいつな。何度か誘ったけどね、一回も来てないよ」
千咲は各務の顔を思い出すと、すぐにシャー芯を数える日課に戻っていった。
「仲いいならさ、今度ほたるからも誘っといてくんない?」
「別に仲よかねえよ」
○
「ふーん」
痛い目にあったわけでもないのに、シャーペンを使わない変なやつ。
各務透が少々気になる美翔ほたるだった。
○
アイドル研究部では、美綴綾子の素晴らしさについて研究発表する美翔ほたる。
「で、あるからして!
国内最大派閥の荘園領主の本家の直径という高貴なお血筋と!
それに引けを取らない美貌と教養が!
美綴綾子様の気品の根源なのです!」
ふざけた部活動と言われようと、自分の情熱を燃やせることにやりがいを感じていた。
○
キーンコーンカーンコーン。
美翔ほたるの担任の先生は少しいい加減だ。
「おーい、来週の稲刈り実習な〜」
「出とけよ〜」
「休んだら退学な〜」
重要なアナウンスはだいたいこんな感じでする。
この世界の荘立女学校というのは、私たちの世界の農学校に少し似ている。
荘園というのは、米作りをするところなので、それに関する科目の単位が重いのだ。
○
稲刈り後の映画上映会のチケットを2枚手に入れた美翔ほたる。
腹を括って、美綴綾子に話しかける!
「美綴先輩!一緒に行きませんか!」
「ごめんね、私は御子柴と行くの」
「そうですよね、失礼しました…」
「あなた、神社の美翔さんでしょ」
「はい」
「いつもお世話になってるわ、お父さんによろしくね」
「はい!」
○
玉砕したのにニヤニヤしている美翔ほたる。
うわわわわぁ、お話してしまった。
お優しい。お美しい。オーラがすごい。
幻じゃなかった。この世界に実在した。
でもこのチケット、どうしよう?
○
そんなタイミングで、今日もひとりで弁当を食べる各務透を見つける美翔ほたる。
「ねえ、映画上映会、一緒に行かない?」
「え、なんで?」
「なんでって?」
「私、あんたと仲良くないが」
そういうなり、各務透は席を立って教室から出ていってしまった。
○
むっすう。
美綴先輩のおかげでせっかく膨らんだいい気分が、各務透のせいで台無し台無しだった。
プンスカな美翔ほたる。
何あいつ。どうせ一人なのに。
声をかけられたなら、ありがたいと思いなさいよ。
「相手を下に見たのが伝わっちゃったね」
「…」
「私は行かないからね、シャー芯賭博全校大会があるから」
「知ってるもん」
「映画の内容教えてな」
「いいよ」
ほたるは千咲ちゃんとお昼を食べることが多かった。
そして千咲ちゃんはいつも大体ほたるより大人だ。
○
クラスメイトの女子たちと談笑中の美翔ほたる。
「美綴先輩誘ったの?」
「うん」
「ウケる〜」
「ほたる、あんたって以外とイケイケだね」
「だって、高校生活って少ししかないんだよ。
やりたいこと我慢してたら勿体無いよ」
「たしかに」
「私もがんばるわ」
千咲ちゃん以外とも仲良くできるのである。
ほたるは思った。私は各務透とは違うぞ、と。
○
稲刈り当日。
なぜか大原女姿の各務透がいた。
大原女の姿がピンとこない時は、茶摘みの服とか田植えの服とかをイメージしてみてくれ。
ともかく、各務の服装に一年生はザワザワしていた。
この女学園の夏の制服は、紺のポロシャツにうす茶色のズボンやスカートである。
つまり各務透はめちゃくちゃ目立っていた。
「鎌は普通なのにね…」
「頭に乗せるのは稲束じゃなくて本当は薪なのにね!
本当にあいつ、教養がないわあ!」
「おい聞こえてるぞ、そこの美翔ほたる」
「ゲゲっ」
「陰口叩く暇あったら、直接言いにこい。こっちこいや」
「何あいつ、偉そうに」
「私が言ってあげようか?ほたる」
「いや、いいよ。私の問題だから」
ビビりながら、ひとり透の方へ歩いていく美翔ほたる。
「ほら、そっち」
各務透は、自分の隣のスペースを指して、隣の稲を刈れと美翔に示してくる。
態度は偉そうだが、各務透は、農作業は手慣れてない。
鎌がおそらく新品だ。今日のために買ったのかもしれない。
ザッザッザッザッザッザッザ。
「お前、うまいな。美翔ほたる」
「馬鹿にしないでよね!40代前からこの荘園で暮らしてんだから。
大宝律令なめんな!」
「なるほど、血か」
「へへん」
「だから胴長短足なのか」
「この鎌が脳天にほしいらしいな」
「神社の子って、農作業しないのかと思った」
「……するよ。しないとごはん食べられないもん。私領持ってるからさ、うち」
「そうなんだ」
ザッザッザッザッザッザッザッザ。
「あのさあ」
「ん?」
「私、陰口言ったんじゃないから」
「ほう?」
「あんたにわざと聞こえるように言ったのよ!」
「あそ。今度から文句は直接顔見て言えよ」
「ん」
「そういうの好かん」
「わかった」
「はい」
「ごめん」
「はい」
ザッザッザッザッザッザ。
「そういえば、あんたなんでその格好なの」
「生徒手帳にこの格好はしてもいいって書いてあった」
「まじか」
「ポロシャツにチノパンで稲刈りとか、やる気出ないじゃん」
「格好から入るタイプか」
「今頃気づいたか」
ザッザッザッザッザッザ。
美翔ほたるは、意を決して息を吸う。
「ねえ、この間はごめん」
「何が?」
「映画上映会ね、友達が用事あって私一人だから」
「友達ってあの、違法賭博の胴元か」
「そう」
「映画ぐらい一人で見れないの?」
「うん」
「連れション文化圏の人なの?」
「それもある。でもね」
「…」
「映画見たら誰かと話したくなるから」
「…」
「透ちゃん変な子だから、話したら面白いかなって」
「そりゃどうも」
○
「ほたるの稲も持ってっていい?」
「え?ありがとう!」
「おおおららああああい」
頭の上に大量の稲束を乗せられてご満悦の各務透。
「やっぱ大原女やるなら、荷物にボリュームがねえとな」
「あ、あとな。
大原女が運んでんのは薪じゃなくて柴だからな」
教養があと一歩の美翔ほたるであった。
○
稲刈り後の田んぼを利用した、野外映画上映会。
饒舌な美翔ほたるとだるそうな各務透が地面に転がっていた。
「あの白い幕ね、家政部が縫ったらしいよ」
この上映会は、大きな白い布を垂らし、そこに映写機で映画を映す昔ながらのスタイルだ。
「考えただけでゾッとする。
あんなにつまらねえものを大勢で寄り合ってチクチクチクチクつっつき合うとか」
「つまらなくないよ!
あの何もない布だから映画が映るんだよ!面白い布だよ」
「はいはい」
「透ちゃんって何部なの?」
「帰宅部」
「ぷぷぷぷ」
「笑うな。ほたるは?」
「アイドル研究部」
「ほたるっぽい」
「可愛いってことか」
「頭空っぽそうってこと」
荘立悪党女学園は、入学試験の成績で学校側が所属する部を割り振る。
自分では選べない。そして部活にはある程度のヒエラルキーが存在する。
生徒会
陸上部
バスケ部
テニス部
剣道部
弓道部
家政部
文学部
アイドル研究部
帰宅部
帰宅部が一番下で、生徒会が一番上だ。
ちなみに千咲ちゃんは文学部だ。
ほたるが、透と手のひらを合わせると、透の手は親みたいに大きい。
「なんでバスケ部じゃないのよ」
「知らんよ」
「えー」
「校長に聞いてこい」
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夜になり、映画が始まる。
各務透は寝転がって、美翔ほたるは体育座りで、映画を見る。
月のない夜。星空と爽やかな風と美しい音楽。
農作業に疲れた乙女たちは、だいたい途中で眠ってしまう。