重い過去と新たな可能性
「それじゃあ今日は、昨日も言った通り競泳の試験のための訓練をしてもらいま〜す。
川の流れは全然速くないから、溺れないようにしっかり泳いでね〜」
そう言って水着で出席をとっているうちの担任を、アベルを筆頭に鼻を伸ばした男子達が嬉しそうに眺めている。
「やれやれ…困ったものだね。」
その茶髪の男…マルトールが俺の横にきて苦笑する。
「お前は興味ないのか?」と問いかけると、
「あはは。
確かに先生は可愛さと綺麗さを両方持っていると言って過言じゃないけど、僕は年上にはそこまで関心がなくてね。
同級生か年下がいいかな。」なんていう冷静な答えが返ってくる。
「顔もよくて優しいし、その上人柄もいいときてるんだ。
相当モテるんじゃないか?」
「そんなことないよ。
でもなんだろう…
異性に興味を持つことはあっても、モテたいと思ったことはないんだよね。」
自分でも理解できていないように彼は言い切る。
俺の場合はアストリナ以外の女に好意を持つことはないと思っているだけだからそれとは少し違うのだろうか。
そもそも、彼女を超えるくらい好きになるようなやつは存在すらしないのだろう。
そんなことを思っていると、出席をとり終わった担任が近づいてきて
「出席をとってる時のお喋りはダメよ〜」と優しく言う。
「ごめんなさい。」
2人同時に謝り、自分の水着姿をまじまじと見つめていた男子達はいいのかよ…と心の中で思う。
まぁこの人のことだ。
そんなことになんの興味もないのだろう。
いや、気づいていないという可能性の方が高そうだな。
そして、
「はい、それじゃあ順番に並んでね〜」という合図と共に、俺たちは泳ぐ位置につき、最初の5人がスタートを切る。
この世界というか、転生してきた奴らの泳ぎを見ても、俺の世界にあった泳ぎ方と同じようなものばかりだ。
やはり人間の体の作り的に効率よく体を動かすためのものは同じなのか、なんて思っていると俺の番が回ってくる。
「よ〜いドン!」の掛け声で俺は水の中に入って泳ぎ始める。
まず第一に思ったのは━━━
水深浅すぎだろ!
クロールをしようとすると、手を回しすぎて川底に手がぶつかってしまう。
こんなん溺れる方が無理あるレベルだ。
これで競泳の試験とかできるわけねーだろ…
そんなことを思いながらもなんとか50メートルを泳ぎ切り、その後に続いてきたカルリアが溺れかけているのを見て、なんでこれで溺れるんだよ!と心の中で呆れながら、彼女の名を呼んで川に飛び込んで助けに向かうのだった。
「目が覚めたか?」
俺は医務室のベッドに横たわる彼女の顔を覗いて言う。
「えぇっと…ここは…?」
「覚えてないのか。
お前は競泳の試験の練習中に川の中で溺れかけて、それを俺が助けたんだ。」
と伝えると
「そういえば…気絶しそうになった時、能力が暴走しないように必死にこらえていたような気が━━━」
そこまで言って、何かを思い出したかのように彼女は声をあげる。
「あ、あの!
その場に白い髪の男の子はいませんでしたか!?」
急に起き上がって顔を近づけてくる。
「い、いや。
いなかったと思うが…?」
「そうですか…」
あまりの勢いについ押されてしまったが、まぁ大丈夫だろう。
「その白い髪の男がどうかしたのか?」
俺が聞くと、少し顔を赤らめ、
「いえ…シロくんが私の名前を呼んだような気がしたので…」と答える。
「シロっていうのはお前達にとって本当に大切なやつなんだな。」
「私は、シロくんがいなかったらもう生きていなかったかもしれません。
少なくとも、今まで私が置かれていた境遇に立ち向かおうとすることはありませんでした。
アベルくんとリョウくんも彼に負けじと頑張っているんです。
いつかまた、シロくんが帰って来た時に━━━」
柔らかな微笑みと共に、彼女は再び眠りにつく。
その顔を見て、
「いい顔になったな…」と思わず言葉が漏れる。
おそらく、今回溺れた理由は能力の使いすぎによる体への疲労だろう。
昨日の山登りの時も長時間能力を使っていたはずだ。
ただ、それは後々対応していけばいい。
まず大切なのは能力のオンオフを完全に切り替えることができるようになることだ。
数ヶ月間でこれだけの成長をしたのだ。
能力の制御を可能にするのも、そこまで時間がかからないかもしれない。
俺は立ち上がって歩き出す。
━━━━━それでも、過去と闘うのは決して簡単ではない。
真っ暗な自分と、あるいは誰かと闘ってその過去を肯定できるようにならなければならない。
俺は過去を肯定することができなかった。
もういない人間の影をいつまでも追い続け、常に心のどこかに彼女の姿をもう一度見たいという感覚がある。
過去に囚われている人間にできることは、過去に囚われない可能性を持つ者を自分と同じ場所に連れ込まないことくらいしかない。
もちろん、これは俺の自己満で終わる可能性もある。
それでも…シロだった頃の俺に見せていた彼女の笑顔。
あのアストリナに似た笑顔を守ってやりたいという思いがあった。
本当のカルリアがどんな人間なのかはわからない。
アストリナに依存している俺は本当の俺でないのかもしれないし、アストリナの影響を受けた今の俺が本当の俺なのかもしれないように、過去に縛られている彼女が本当の彼女なのか、過去を克服した後に現れる彼女が本物の彼女なのかというのは今の俺にはわからない。
そもそもの話として、彼女が過去を克服するのがいいのかどうかという問題もある。
しかし、それでも俺は、今苦しんでいる彼女を救ってやりたいと思う。
「救済ではないかもしれない救済をもたらすために、できる限りのことをしよう………」
誰にいうわけでもなく呟き、俺は医務室を出ていくのであった。
「2日目もお疲れ様。
テストまではもう少しあるけど、お互いにできないところを教えあいながらいい点数を取れるようにしよう!」
昨日と同じようにマルトールが最初の音頭を終え、各自で食事を始める。
「なぁマルトール。」
食事が始まって10数分、席を立った彼に人から見られない場所で俺は声をかける。
「どうしたんだい?」
「アベルたちのことで少し話があるんだ。」
その言葉を聞くと、彼は笑顔を浮かべて
「そこまで繋がりがあるわけじゃないけど…わかる限りなら答えるよ。」と返してくる。
こいつが今のポジションに立っているのはこういうところが大きいのだろう、と勝手に思いながら、俺は話を続ける。
「ぶっちゃけ、あいつらのことをよく思っていない奴らもこのクラスにいるんじゃないか?」
俺にそう言われ、彼は少し顔を顰める。
「正直言って、そういう時があるのは確かだと思う。
僕はテスト前からCクラスで、だから元々同じクラスの人も多い。
でも彼らはDクラスから上がってきた組だ。
確かに、クラス移動は一年で何度も起こるみたいだし、君のように新たに転生してきてこの学校にくる人もいる。
自分がいる環境が大きく変わることがは珍しくないけど、やっぱり最初にできた身内がいいっていう人も一定数いるんじゃないかな。
もちろん、これはアベルくんたちに限った話ではないけどね。」
ごくごく当たり前のことのように彼は答える。
「いや、聞き方が悪かったな。
俺が言いたいのは、このクラスの中に、あいつらを叩き落とそうとしているやつがいるんじゃないかってことだ。」
俺の問いに、彼は驚きの表情を見せる。
「どうしてそんなことを考えたんだい?」
「それを伝えることはできないな。
まぁ大雑把に言うなら、とある奴に教えられたからだ。」
「そうか…
この学校は自分以外を蹴落とすことで自分のランクを上げるということもできなくはない。
ライバルと言える人がいなくなれば、自分の成績順位は上がるんだからね。
試験毎にクラスアップできる人数に制限がある限り、どんなことをしてでもクラスを上げようとする人がいてもなんら不思議じゃない。
でも、僕はそんなやり方をしようとは思わないし、そのやり方で人が落ちていくのを見たいとも思わない。
だから僕も彼らに協力するよ。
なんの証拠もなくは無理だけど、もし何か証拠が出てきたら教えて欲しい。」
真剣な表情でそう答えた彼を見て、小さな笑みを浮かべる。
「あぁ、その時は頼む。
信頼してるよ、クラス長。」
そう言って俺は後ろを向き、食事の席には戻らずに部屋へと歩いていく。
今俺がしていた話は全て作られた嘘だ。
誰かから聞いたなんて事実は存在しないし、このクラスにアベルたちを蹴落とそうとする奴がいるのかなんてのもわからない。
それでも唐突にあんなことを聞いたのには理由がある。
もしもアベルたちが誰かと争うことになった時に俺がこの学校にいる保証も確証もないからだ。
俺がこの学校にいない時、彼ならあいつらを助けれる可能性がある。
もちろん、マルトールがそんなことをしてくれるかも確実ではない。
ただ、たった数週間しかなかった期間の中で、彼は信用できると直感的に感じ取った。
マルトールが蹴落とそうとしている側だったとしても、俺に直接言われたことで警戒するはずだ。
そうなると向こうも安易な行動はできない。
ノーリスクハイリターンといったところだろう。
シロという1人の人間のためにあれだけの努力を積み重ねてきたやつらを見殺しにはしない。
そう意思を固め、俺は部屋の扉を開ける。
まだ誰も帰ってきてないか…
この合宿中、部屋は6人の共同利用なのだ。
先に風呂に入るか…
そう思って靴箱に靴をしまおうとした時、その上に置かれていた二つ折りになっている白い紙を見つける。
それを手に取って中を見る。
内容を見て、俺は再び靴を取り出し、それを履き直して部屋を出ていくのであった。




