張り付いた過去と曲げられる未来
その男は語り始める。
「俺の世界は毎日が戦争だった。
生まれ落ちた時から、いや、その遥か前からだな。
俺が6歳になる頃、我が家は敵軍の攻撃を受けた。
戦争には一切関わっちゃいない。
それでも敵の国の人間というだけで家は燃やされた。
両親は剣で胸を刺され死んだ。
俺を逃すために、人間を殴ったこともない、優しく、穏やかな父が声を張り上、剣を取り戦った。
母に連れられ、俺は山の中を走り続けた。
家の裏口から逃げる時に、中から聞こえてきた父の叫び声は、その間も耳の中にこびりついていたままだった。
しかし、所詮は1人の女と1人の子供だ。
どう頑張っても能力を行使する奴らから逃げることなんてできなかった。
両親ともども、能力を持っていなかった。
そもそも、能力を持っているのは一部の限られた人間だけだ。
能力を持たぬものが一度戦いに巻き込まれれば、淘汰され、滅びゆくのみ。
空から落ちてきたその軍人によって母は斬られた。
熱く赤いものが俺の顔にかかり、母は倒れた。
俺は動くことすらできなかった。
ただ、目の前の絶望から目を背けようと必死になっていた。
そんな俺に構うこともなく、前に立った男はその剣を振り下ろしてくる。
死んだ。
そう思った直後、母が俺を押し、俺はそのまま崖から落ちた。
最後に見えたのは、微かな笑みを浮かべた母の顔と、俺に向けて振り下ろされたはずだった剣を受け母の背中から飛び散る血飛沫だけだった。
それからどれだけの時が経っただろうな。
俺が目を開けたところは山の中ではなかった。
背中に走る激痛に耐えながら体を起こし、周りを見た。
そこで俺は自分がいる場所が家の中だということを理解した。
ただ、自分の家ではない。
木組でできたボロい家だ。
俺は声を出そうとしたが、その声の代わりに咳が出た。
それを聞きつけて扉の向こうから1人の少女が入ってきた。
俺の顔を見て、
「おじいちゃん!この人起きたよ!」
と元気な声を張り上げた。
その声を聞いた老人が姿を現す。
「よかった。
死ぬことはなさそうだな。」
俺の体を見て目を細めてその人は言った。
「ここはどこですか…?」
俺はその老人に尋ねた。
「ここは山の奥にある家じゃ。
わしが野菜を採って帰る途中、崖の下で倒れていた君を見つけて運んできたのだよ。」
優しい口調で老人は答えた。
「わしからもひとついいかね?
お前さんはなんであんなところで倒れておったんじゃ?」
俺は何が起きたのかその一部始終を話した。
不思議と涙が出ることはなかった。
父の死も、母の死も、どちらも俺の心には残っちゃいなかった。
過ぎ去ったもの…
いや、あの時の光景を思い出したくなくて、無理やり心の奥底に押し込んでいるだけだろう。
話を聞き終わり、
「そうか…大変だったろう。
お前さんの両親はあの世で見守ってくれるじゃろう。
親への感謝を忘れてはならんぞ?」
遠い目をしながらその老人は言った。
「とにかく…助けてもらってありがとうございます。」
「ほっほほ。こんなボロ屋ですまんのぉ。
わしもこんな歳になってまって…この子にも迷惑をかけっぱなしなんじゃ。」
そう言って少女の頭を撫でる。
どう言えばわからず戸惑っていると、
「もしお前さんがいいなら、うちの子にならないかい?
わし1人で死ぬならなんでもいいんだが、勝手な話、このアリッシャを1人にしていきたくないんじゃ…」
と老人は言った。
どうせこのまま過ごしていても行き場もないし、この2人には命を救ってもらった恩がある。
「わかりました。
よろしくお願いします。」
と俺は答えた。
「ありがたい!
贅沢な暮らしはできないかも知れぬがこちらこそよろしく頼む。」
そうしてアリッシャとその老人、ミルネスの3人で平和に暮らし始めた。
それからもう11年も経とうと言う頃、戦争はヒートアップした。
ミルネスはすでに亡くなっていた。
俺とアリッシャは遺言の通り、2人で仲良く生活をしていた。
俺は17、アリッシャは16になっていた。
この国の法律では、互いが17歳になれば結婚することができた。
10年以上共に過ごして、俺はアリッシャのことが好きになっていた。
だから、彼女が17になる日になったら、俺の気持ちを伝えようと思っていた。
その時は長いように思えて、意外にもすぐに訪れた。
明日にはアリッシャは17になる。
そう考えるとワクワクが止まらなかった。
しかし、それと同時に緊張と不安もあった。
「どうしたのそんな顔して。
何か悩み事?」
相変わらず、人の心に敏感なやつだ。
大した悩みではなくても、親身になって話を聞いてくれる。
そんな平和な日常は、“それ“によって再び奪われた。
山奥のぽっつりとした家の一軒にまで攻撃の手は及ぶようになった。
木を切りに行った帰り、数人の兵士がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
すぐに家に戻り、俺はアリッシャと共に逃げ出した。
山の中での自給自足の生活。
わざわざ鍛えなくても、俺の体は強くなっていた。
しかし、能力を持たない俺がどれだけ足掻いても、能力を持つ奴が何人も来ては勝ち目がないのだ。
薄暗い洞窟に隠れ、息を潜めたが、敵兵に見つかって抵抗虚しく連行された。
それから、数年間強制労働をさせられ、しばらくして事件が起きた。
捕虜を数万人、処刑するということになったのだ。
俺はその対象に入らなかったがアリッシャは違った。
見せしめとして数百人の人間は俺たち他の捕虜の前で火炙りにされた。
俺の目の前でアリッシャは火の中に身を投げ込まれた。
俺は叫んでいた。
何度も彼女の名を呼んだ。
最期の刻、彼女は俺の顔を見て微笑んだ。
そして、微かに彼女の口が動いた。
俺の目からは涙が流れた。
本来なら、その言葉を言うのは俺だったはずだ。
あの日、もう1日、もう一時でも早く俺がその言葉を言っていれば━━━。
こんな絶望の中で彼女がその言葉を言う必要なんてなかったのだ。
そして、俺の叫びを受け止めるかのように、優しく、いかにも彼女らしく炎の中に飛び込んだ。
俺はその時に決めた。
俺から大切なものを二度も奪った奴らを皆殺しにすることを━━━━
開けた小高い丘まで歩き、その男は俺の方を振り返って言う。
「長くなったが、これが俺の野望だ。
それはまだ叶っちゃいない。
俺はあいつの仇を取れてない。
だから俺は元の世界に帰る必要があんだよ。」
言い切って、グレイは空を見上げる。
そこには満天の星空が広がっている。
「なかなか…壮絶な人生だったんですね。」
「それはお前も同じなのだろう?
良くここまでの力を手に入れたものだ。
これだけ強ければ、幹部やそのレベルならすぐに辿り着けるだろう。」
「争いの日々の中で過ごしてきましたから…
この力も少しは役立つと思いますよ。」
「そうか…楽しみにしている。」
そう言って、彼の体は風のように消えていった。
グレイがいなくなった後、俺は1人で空を眺めていた。
二度と戻ることはない日常…
戻らない命…
俺はそれを知っていた。
大切なものを奪った奴らを皆殺しにしたい…
確かに間違ってはいるだろうが、それを否定する権利は俺にはない。
この話を聞いた今、あいつの野望に同感すらしてしまう。
俺だって元の世界に戻らなきゃならない。
あいつの未練を果たすため、世界を平和にするために。
目を瞑り、その力を外へと放出する。
体の周りをゆっくりと渦を巻くように白い魔力が現れる。
そろそろ遊んでばっかりもいられないな…
魔力の大きさ的にやはり後5年ほどが限界だろう。
強引に上級魔法を使おうとするならば、そのタイムリミットは確実に短くなる。
それを考えた上で、制限時間内に元の世界に戻らなければならない。
ただ、1つ決めていることがある。
この世界に来たのだから恩返しくらいはしないとな。
そんなことを考えながら俺は魔力を戻し、宿に向かって歩き始めた。




