第一章 生きるのに大切なこと 3話
「……………何だ。
君もその話か」
目を輝かせていたシズナリの表情はあからさまな落胆の色に変わり、客の前だというのに部屋の奥の上座に座る体をめんどくさそうに横たえた。
そばにおいてあった時代劇によく殿様が使ういかにも高そうな肘掛けを枕にして、胡乱な目で私を見る。
やる気をなくしたその様は人間同士なら完全に失礼になる類のものだけど、私がシズナリを咎める訳もない。
それどころか私にとって彼の行動は幸運な事を意味している。
シズナリは私"も"と言った。
それはつまり私以外に同じ事を聞きに来た者がいるということで、少なからず気分を害している彼が私を消そうとしないのは同じ質問を先にした誰かのおかげだろう。
良い流れだ。
シズナリは私から興味をなくし、天井にある染みでも数えているのか仰向けに寝転がって私に問いかける。
「で?」
「はい。今回の犯人の詳しい情報を出来る限り頂きたく。
なるべく新しい物が良いのですが」
「…………役所の奴らに聞けばいいだろうに。
僕が知っていることは大体彼らに伝えてあるよ。古いのから新しいのまで全部。
彼も暇だったんだろうね。
何せ話を聞くだけで働いていることになる仕事だ。しょっちゅう話を聞きにくるから話題がなくなってしまって僕も困ってたんだよ」
「……………………」
ナルホドと思った。
どうやらシズナリに消された可哀想な先客は役所の人間みたいだ。
シズナリの話は確かに的を得ている話。
私もその言い分には賛成で給金と労働力の差に比するぐらいには面白くおもっていない。神憑きである私と普通の人間である役所の連絡員とでは一桁近く入る額が違うのだ。まあ、実際問題そこまでしないとなり手がいないというのが現状なのだ。慢性的な人員不足。
だけど、一人の人間としてシズナリの言い分に後もう一つ付け足す余地がある。
命懸け、
という大事な大事な大前提。
私達には他人の気紛れで命を落とすような場所で働くには相応の覚悟が必要になる。
恐らくここにきた先客の人は、
長い付き合いだから、
気の知れた仲だから、
きっとそんな理由でウッカリ忘れていたのだろう。
自分が人間で、シズナリが神だということを。
あぁ、なんてお間抜けさん。
私は私の前に来た誰かにそっと感謝して話を続けることにした。
「仰る通りですが、
役所の人達にも建て前という物がありますので。
小金狙いの部外者である私に全てを話してくれるわけではありません」
「はぁ、まったく人間は難儀だね。すぐに死んでしまうのにそんな些細な物にばかり目をやって、少しも楽しそうじゃない。
もっと、生きているという幸福を噛みしめるべきじゃないかな。もったいないと思うよ?」
「…………返す言葉も御座いません」
嘘だ。
勿論言いたいことなど山ほどにあった。
まず上からの見下した物言いが気に食わない。
見下し、蔑み、馬鹿にした物言い。
そんな発言は、まず私達と同じ位置に立って、汗を流し、日々の糧を体だけで稼いでから言え。知識だけで現実を語ろうとするな。力を持て余しているお前達のような奴らに知った風な事を言われるのは癇に障るんだ。
生きている幸福?
はっ、そんなもの犬に食わせとけばいい。幸福論でお腹は膨れない。噛みしめるなら食べ物が良いに決まっているじゃない。
と、
あえて、声には出さないでお腹の底で毒づく。
表面上はシズナリの言葉に同意するフリをして"昔から懲りることなく人間は愚かですから"と言っておく。
「そうだね、君達はずっとそうだ。今更だ」
心の底でつらつらと毒づき続けている私をよそにシズナリは本当にどうでもよさそうに言って、"それで"と続ける。
「話を戻すけど、クシロが欲しいのは情報という話だったね」
「はい」
「見返りは何かあるかい?」
「…………申し訳ありません。私には御領地の懸念を払うことしか」
「ふーん。まあ、そうだろうね。
じゃなきゃわざわざこんな仕事を受けたりしないだろうし。
なら、わかってるとは思うけど望むままに物事は教えない」
「承知しております。ですが、叶うならば此度の犯人の情報に重きをおいて頂きたく存じます」
「心配しなくても明後日の方向の情報を与えるほど意地悪じゃないし、暇じゃないよ。
前に住んでいた所の土地神はそんなヤツだったのかい?」
「いえ、そのような事は…………」
「隠す必要はないよ。私達に仲間意識はないんだからさ。こっそり告げ口もしない」
「………………」
「それとも何かな」
シズナリは体をゆっくり起こしてゾッとするほどの艶やかな笑みを浮かべる。
「私がその程度の矮小な存在だとでも?」
「ッ…………」
マズいと思った時には既に遅かった。
息苦しくなるような重圧が場をひしめきたて、清浄だった空気が清浄過ぎる重みを持って体にのしかかる。体は金縛りにあったように動かなくなり、顔を上げることすらも難しくなる。
それでも、思考はすべからく冷静であろうとしている。
この程度は彼らにとって戯れ以上の意味を持たないのは経験から知っていた。
「…………………」
「どうなんだいクシロ。私はそれ程小さな物かな?」
それでも、私にとっては命をかけなければならない質疑だ。
どれだけ空気が重く、息をすることすら苦しくとも声を出して答えられなければ確実に命はない。
私は脳から脊髄を通る電気信号を一つ一つ確認するようにゆっくりと口を開いた。
「……………決してその様、な……………」
額を伝う冷たい汗を感じながら、続けた後の言葉は霞のように立ち消えてしまう。
それでも私は否という意志を伝えることには成功した。
後はシズナリの気分によらしむ部分に頼むしかない。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
重い沈黙が続く。
時の経過を肌でヒシヒシと痛感しながら、頭は垂れたままなのでシズナリの顔を伺いみる事は出来ない。
状況は五分と五分。
私は完全に落ち着きだした頭でそう判断する。
五分を越えることはない神との駆け引きとしては最善の状態。だが、その最善が容易くひっくり返すのもまた神だ。
「……………や」
「シズナリ様、お茶をお持ちしました」
瞬間、重い空気が霧散する。
口を開こうとしたシズナリの言葉を遮って右隣の襖から若い女の声がかけられた。
襖が開く。
「あ……………」
入ってきた女の姿を見て無様にもそんな声を上げてしまう。
「………いいタイミングだね、マイ。話が詰まって、丁度喉が渇いていたところだ」
「はい、そう思いお持ちしました」
私の前でシズナリと息のあった話をする女をまじまじと見る。
同じ制服に肩まで伸びた髪を持つ見覚えのある整った顔立ち。
(確か……………………同じクラスの登野城 舞)
私が失礼なぐらい顔を凝視していると彼女の目もこちらに向いた。
同性の私ですらドキリ、と胸が高鳴る笑みで軽く会釈をされる。
「こんにちは、九城さん。奇遇ですね」
それが、この後短くないつきあいになる舞と私の出会いだ。
ついでに言えば神憑きと忌み嫌われていた人間にとって初めての友人が出来た記念日でもあった。