prologue
夕暮れの蝉時雨。
初めて一人で外に出た不安の代償と8月も半ばにさしかかった猛暑にやられ、神社の長い階段を三分の二ほど登った所で私は足を止めていた。
冷たい石段の感触を感じながら私はその場に腰を落とし、抱えた膝に湯立った頭を預けて目を閉じる。
瞼の裏に連なる暗闇とは別に、頬を優しくなでるそよぎ風、耳をつく蝉の声、草と木の青々とした匂い。
………………キュー
「……?」
意識を揺らがせていた私の耳に何処からか消え入りそうな泣き音が届く。風と蝉の声に紛れてしまいそうな静かな音。
……………キゥー、キュー
でも、気のせいじゃない。
私は立ち上がってその声の元を探そうと辺りを見回した。
耳をひそめると石段からはぐれた森の木陰。その奥から消え入りそうな声が私に届いた。
私は石段から外れ足を踏み出す。
聞こえてくる鳴き声はその吸い込まれそうな木々のざわめきに混じって段々と大きくなってくる。
そして、私は茂みを越えた先で声の主を見つけた。
そこには猫とリスを足したような見知らぬ生き物が白い糸のような物に絡めとられて必死に逃れようとする姿があった。
私が来たことに気づいてその子は鳴くのを止めて、ジッとこちらを凝視する。
私はゆっくりとその子に近付いて見つめ返した。
「……………………」
「……………………」
互いに相手の瞳の色を観察することに時間をかける。
私は人間以外の動物をテレビや絵本という作り物ではない物から見たのは初めてだったし、その子は罠らしき物にはまった自分へ急に近づいてきた者に少し警戒しているようだった。
それでも私に敵意がないのを感じとったのか小さく
キュー
と、鳴いた。
助けを求めるような声。それは私に不思議な気持ちを芽生えさせるものだった。
求めに応えるようにそっと手を伸ばす。
ただそれは別にその子を助けようと思ったわけじゃない。
単純に興味があった。ただそれだけ。
たった独りでこんな暗い森にいなければいけなくて、それを助けてくれるかもしれない者が現れて救いの手を差し伸べる。
いったいどんな気持ちで私の手が自分に届くのを待っているのだろう。この子にはどんな風に私の姿が映っているのだろう。
その身に救いと思っていたものが届いた時どんな顔をするのだろう。
…………とても、興味が湧いた。
「何だ、お前?」
「っ!!」
何の気配もなく、背を跨ぐようにして耳に届いた声に私は驚いて振り返る。
「……………………」
驚きに息すらも止まる。
視線の先にあったのは白い袴を着た狐面の大人の姿だった。
お面に開いた二つの穴から見える眼差しは氷のように冷たくて、私は恐怖でその場にすくんでしまう。
まるで人を品定めするかのような今まで味わったことのない視線。それでも、目を逸らすことができなかったのはその人の瞳がこの世の物とは思えないほど綺麗だったからだろう。
私は一瞬にして自分が今しようとしていたことなど忘れてしまった。
そんな些細なことを気にする余力などなくしてしまう痺れるようなざわめきを体に残し、私は呆然と彼を見つめる。
ささやかな転機。
世間知らずで馬鹿な子供だった私と
怖くて、冷たくて、とても綺麗な瞳を持った狐面の神様との
小さくて、
幸福で、
忘れることなんてできそうにない、
何処にでもある出逢いだった。
暫く書いてなかったのでリハビリ的な作品です。
更新スピード遅いのでそこら辺はご了承を。
感想とかあればどんどん言ってやってください。