第二部 命を燃やせ
八章 ジラフ氏への謝罪
キッドは家の引き出しから黒いスーツを取り出すと、それを着込んだ。
外は今日も雨だった。
ジラフ氏の邸宅にはその日は人の気配がなかった。ウルフキッドがドアのベルを押すとジラフ夫人が応対に出た。このことは前もって伝えてあったが、夫人はどうやらキッドのことが誰だか思い出せないでいるらしい。前回パーティーに出席したのはウルフレディーであって、キッドではない。そもそも彼はこういう場所にお呼ばれするような狼ではない。
ああ、あなたは。キッドさんですね。
ジラフ夫人はようやく思い出したように重たい口を開いた。それから中に入るように勧められ、キッドは玄関口で足裏を拭いた。室内に上がると、やはり静かだ。外から聴こえる雨の音しかしない。
応接間に通されると、そこの机を向かい合って二匹は座った。まずジラフ夫人が口を開いた。
夫は具合が思わしくないんです。
キッドはジラフ夫人の顔をそっと盗み見た。頬に殴られた跡がある。
精神を病んでいるとか?
そうです……少し、様子がおかしくて……。
なんとかして施設に入れることを夫人は考えているという。しかし資産は今も夫の名義で、それを簒奪するような形で、ジラフ氏を施設に入れてしまうことにはやはり気が引けるのだと。
あの……前回、お会いした女性の狼の方は。
彼女は亡くなりました。
えっ……!
足のケガとひどく雨に打たれたのが悪かったみたいです。……俺は、雨は嫌いです。物は腐るし、気は滅入る、それに病気が蔓延るから……。
そうだったの……じつは。
ジラフ氏もこの頃、病気にかかっているという。精神の、ではない、かなり重篤な症状だ。お酒を飲むからだと、ジラフ夫人は言ったが、夫はそれに返事をするどころか乱暴に度数の強い酒の瓶を開けて、一気に呷ったという。
それでわたし、あの人はおかしくなったと決めこみましたの。
(そんなことか。)
キッドは呆れを通り越して、言葉も出なかった。ジラフ氏の元へ案内してもらい、氏のいる部屋の扉を開けると、濁った気の気配がした。入るなり、キッドの喉からこほっと咳が出た。二回だ。何かあるとキッドは思った。
ジラフ氏は確かに具合が思わしくなさそうだった。キッドはウルフレディーが収蔵室に勝手に侵入して、中をめちゃくちゃにしてしまったことをまず詫びた。骨董物のオープンカーを谷底に突き落としてしまったことも詫びた。だがジラフ氏は一向に気にしていないようだった。口の端からもれるのは、玉はどこにある? 見つけてくれ。あの黒い玉を!
黒い玉――キッドは最近見た二つの黒い玉を思い出した。一つ目は、あのネズミがエンジェルから奪って行った落し物の黒玉、そしてもう一つは、ウルフレディーが亡くなる直前身に着けていて、いつの間にか黒く変色していたルビーの首飾りだ。
☆
あなたからは不吉な感じがするわ。退出する際、ジラフ夫人はキッドにそう言って、彼を送り出した。キッドはそれからぼんやりと雨に濡れながら、街を歩いた。ジラフ氏の邸宅はドッグタウンの外れの高台にあったから、坂を下ると、すぐ町の中央通りに出る。雨の日でも店は開いていて、キッドはそのうちの一軒に入り、浴びるほど酒を飲んだ。苦しかった。出ていけと思った。
九章 最悪のデート
ざああー。
雨が降る。声にすると間抜けな擬音だ。だが体からは確実に熱が奪われていく。スーツは水でぐしょぐしょになっていたし、体を震わせる体力も酔いのため湧かなかった。
死のうかな。キッドは思った。なんだかんだ言って、みんな死ぬんだ――ケガで、病気で、殺されて。そこに俺一匹が加わったって、何の問題がある?
ふと空を見あげると、空が青く晴れ、雨がやんでいた。いや、違う。誰かが青い傘をさしているんだ。キッドは不思議な顔をして佇むどうぶつを見た。エンジェルだった。
なんで泣いてるの? エンジェルが言った。濡れちゃうよ、風邪、ひいちゃう。
ああ……ああ、なんでもないんだ。ちょっと悪いものに当たっただけさ。キッドは立ち上がろうとしたが、ひどくふらついた。エンジェルが大丈夫?と言って、キッドの肩を持った。だいじょうぶ。慣れてるんだ、こういうの。と、キッド。
ねえ、お腹減ってない?
☆
エンジェルが選んだ店は大衆的な洋食屋だった。何を頼めばいいか迷っていると、選んだ鞄からハンカチを取り出して、彼に差しだした。ハンカチで拭くには濡れすぎていることはキッドにもわかっていた。でも彼はありがたかった。心だけは温かくなった。それから二匹してドッグ・スパゲティを頼んだ。店自慢のメニューだという。
昔のことを思い出す。キッドは野犬だった。昔、小さいころ、同じように雨に打たれて泣いていたことがあった――あの時の人間が差し出してくれたのが。
こんなうまいもの食ったことがない。エンジェルに彼は言った。キッドは半分だけ嘘をついたのだ。
よかった!
また、会えるかな。
雨が続くよー。
いや! あしたは! あしたは曇りなんじゃないかな!
エンジェルはスマホを取り出して(持ってたのだ)画面をいじると、ほんとだね! と言って笑った。じゃあ明日。でも、それ、はやく食べちゃいなよ! 外では雨が激しく降っていたが、店の中はどうぶつたちの熱気と人間の人いきれで、とても――とても――暖かかった。まるで宇宙船みたいだね! エンジェルは言った。
☆
翌日キッドがかなりおしゃれをしてエンジェルと待ち合わせたのはドッグタウンの中央広場だった。彼女は川沿いの桜が見たいと言い出した。この雨で、もう見れなくなるかもしれないから。曇りのきょうがチャンスなの。
よし来た。行こうぜ。
それから、川沿いの桜並木に移動すると八分咲きに咲き誇る桜の並木が二匹の目を奪った。そこに行くまでの道中もどうぶつや人でごった返していて、辺りはすっかり祝祭日の様相だった。
エンジェルは感激して、ちょっとぼんやりしていた。具合を聞くと、まるであの世みたいだったから、という。
あの世、ね。
この桜並木、冥界に続いてるみたい。そんな感じがする。気を抜くと落っこちそう。
大丈夫だよ。キッドは言おうとして、そのセリフはちょっと臭いかなと思い、それを飲み込んだ。
二匹はしばらく川沿いの桜並木を鑑賞しながら歩いた。どうぶつと人とで、周囲は賑やかだった。キッドも酔うような気分を覚えた。アルコールとは違った酩酊の仕方だ。
桜ってえらいよな。桜だけじゃなくって木は全部。雨の日も風の日も台風の日だってそこに立っていて、季節が来ると花や実を生らして、通行人を喜ばせてさ……そういうのが仕事をするってことなんだろうな。
でも役所がここの桜を半分にしちゃうみたいなの。
おいおいおい、マジ? 俺の見立てじゃ、ここの桜は並のどうぶつの数千倍は働いてるぜ。いや、もっと上等などうぶつだって、ここの桜よりかは働けないんじゃねえかな?
うん……。エンジェルの目が曇った。
また、例の困った持病かい?
じつは……。
さっきから桜の枝を折ってしまいたい衝動に駆られているという。キッドはそんなことかと思った。代わりに一枝折ってやろうかと思ったが、そんなことをして嫌われるのも嫌だし、最近は花屋でも桜の枝が売ってるから、帰りに買ってあげるよ、と言った。
ありがとう……。
ファサっと音がして、エンジェルのスカートの後ろ部分が左右に広がった。
スカートの後ろ部分を誰かに切られた。キッドは急いで羽織っていたロングコートをエンジェルにかけると、足早に逃げていく猿を追った。
猿はどうぶつ達の列をすり抜け、裏路地に入って行った。飲み屋のわきにある。昭和の香りが漂う看板がいくつも飾られている通りで入っているのはスナックが数件。ごみ箱がぽつんと置いてあるきり。
キッドは猿を取り押さえると、一発平手を食わらせた。と言っても肉球だからほぼグーだ。そこへエンジェルが駆け付けてきた。暴力は……やめてあげて。キッド……。
ごめん。キッドは猿の襟元から手を離した。それから警察を呼び、どうしてこんなことをしたのか猿に訳を聞いた。猿は疲労して平手の跡がある顔をあげ、エンジェルにまず謝罪する。エンジェルはそこでこの猿のことを思い出した。あの玉を拾ってくれたお猿さんだ!
へへ……あの時は。
猿は疲れていたのだと話した。仕事が非常に忙しくなり、死ぬほどだった。だからストレス解消にエンジェルのスカートを鋏で切った。
(もっとましな解消法はないのかよ)
あまりの低劣さにキッドは舌打ちしそうになったが、アルコールでごまかしごまかしやっている自分もこの猿と大して変わりがないことに気づいた。そう思うと気が滅入り、暗くなった。世の中はこんな奴ばかりが増殖している。なあ、キッドは言った。どうしても、エンジェルのスカートを切らなくちゃいけなかったのか?
猿は黙った。
いいところで、その考えとあんたは折り合いを付けるべきだったんだ。でも――もう遅いな。ところで、なんで、エンジェルを狙った? 俺はそれが知りたい。
彼女が、悩みなんかなくて、いつも幸せそうに見えたから……。
ぶっ殺してやる! キッドは叫んだ。
十章 観測所
やめて……。エンジェルが泣きそうな声でキッドに呼び掛けた。手を挙げるのも声を張り上げるのも、お願いだから……。その声はか細く、震えていた。キッドを恐れているのだ。
キッドは、やっぱこうなるのか、と思って前足の力が抜けるのを感じた。俺みたいなやつに幸せなんてめぐってくるはずがなかったんだ。そのとき、猿が怯えた声を出し、キッドは猿の視線の先に目をやった。そこにいたのはウルフマンだった。
ウルフマン、ちょうどよかった。今……。そこまで言って、キッドはウルフマンの発する禍々しいオーラに気づいた。首からは黒い玉を下げており、その玉がその邪気の源のようだった。あんた一体……。その声にこたえるように、ウルフマンは〝吠え〟、〝牙〟の構えを取った。
あぶないっ!
キッドは抱え込むようにエンジェルを抱いてウルフマンの〝牙〟を躱した。この牙は違う――言霊に邪念がこもっている。誰かを害しようという強い念だ。
あんた……あんたはこんなことする奴じゃなかったはずだろ! しかしウルフマンは返事をしない。そうかい、あんたがまともな言葉もつかえなくなったなら、ぶん殴って教えてやる!
キッドは〝吠え〟た。ウルフキッドの茶色いコスチュームが素早くキッドの身にまとわりつく。そして空中でマントを翻しながら、いきなり必殺の〝牙〟を放った。――が、ウルフマンはそれも躱し、エンジェルをかかえてビルの隙間を越え、逃げていく。
エンジェルが狙いかよ! もう許さねえ!
キッドも後を追うようにビルの隙間を舞うように追った。若いキッドの方がいくらかスピードは上だ。すぐに別のビルの上でウルフマンに彼は追いついた。
ぜってえ許さねえ!
キッドがウルフマンに迫ろうとすると、キッド危ない! エンジェルが叫んだ。
なに? 背中を鎌のような武器で切られたのは一瞬だった。敵は二匹いたのだ。キッドはその場に倒れる。ウルフマンともう一人のぼろ切れをまとった敵はエンジェルをかかえ行こうとした。キッド! エンジェルがふたたび叫んだ。
――?
キッド!
ウルフマンはまだやるのかとばかりにキッドを見下ろした、キッドが立ち上がろうとしていたからだ。血まみれで、満身創痍、胸からは血が流れている。
泥――汗――そして血か――こりゃあ死ぬのも近いな。キッドはうっすらとそんなことを考えた。〝牙“の構え。放つ。だがキッドの傷つき力のない言霊は、ウルフマンの足元に落ちてしまう。だめだ……目が回ってきた。まてよ……。エンジェル……。
キッドは倒れ、ウルフマンはエンジェルをつれてどこかへ行ってしまった。
最悪だ。キッドは思った。最悪だ。
しと、しと、と雨が降り出してきた。優しく降りだしたそれは、すぐに勢いを増す。
これだから雨は嫌いなんだ……。
☆
おい、おいおいおいおいおーい! 起きろ馬鹿者!
キッドは胸の上で悪魔が跳ねて踊る夢を見て、はっと目を覚ました。意外にもそこはベッドの上で、彼は清潔な(とは言い難い)白いシーツをかぶっていた。ベッドの傍の床から声がする。
あっ! 思わず声が漏れた。あの日見たネズミだったからだ。
ネズミの名はラッド教授。皆さんはご存じ。キッドも自分の名前を名乗ったが、それについてはラッドは「調査積みだ」といった。
なあラッドさん、あんた、ウルフマンがおかしくなっちまった訳を知らないかい? あいつは俺の上司で、あんなふうに言霊を人にぶつける奴じゃなかったんだ。それも邪悪な言葉だよ。ウルフマンのあの〝牙“は……、どうぶつを害してやろうという意思に満ちていた。俺はそれを感じた……。やつはまともじゃなかった。
そういう願望があったのかもしれんぞ?
馬鹿を言うなよ、じいさん!
おほん。と咳払いしてラッドは続けた。冗談冗談。そのウルフマンは体のどこかに黒い石を身に着けていなかったか?
ああ、首に黒い玉を――黒い玉?
説明の代わりにラッドは誰かを呼んだ。現れたのはホワイト・タイガーだった。あれを持ってきてくれ。とラッドがホワイト・タイガ―に命ずると、白虎はふたたび部屋から出ていった。
どこかで――見覚えのある顔だな。
あの時レインコートと帽子をかぶっていたからな。お主に〝牙〟を食らわせたどうぶつじゃよ。
待てよじいさん、俺はあの時、たしかにそれを躱した――。
どうでもいいとばかりにラッドが手を振って話を制した。そこへホワイト・タイガーが箱をもって入室してきた。それから教授がホワイト・タイガーの腕に飛び乗り、箱のふたを開ける。そこにあったのは二つの黒玉だった。これがストーンだ。ラッドが説明した。別名ジャークストーン。人とどうぶつに邪心を抱かせる石じゃ。それが首から下がっていたということは、誰かにそれを付けられたか。
操られているか。キッドが引き取った。事実だとしたら許せない。キッドは思った。人やどうぶつの心を操作して、自分の利益のために利用する。そいつは上からの高みで、自分の手を汚さず、保身のためにウルフマンを利用したのだろう。その手の輩がキッドは一番頭にくる。
ウルフマンが次、どこに現れるかラッドさん、分かるか。そいつが分かれば、奴の洗脳を解いて、黒幕をぶちのめしてやれる。エンジェルもそこに必ずいるはずだ。
エンジェル?
大事な――子だよ。
そうか。ラッドはそれ以上追求はしなかった。どうぶつ・恐竜国立博物館を知っておるか。わしはそこの館長なんだが、先日、中世期の地層から採掘された琥珀が、黒く変色しだしたという情報が入った。一応わしはそれを観に行くつもりでいる。琥珀がジャークストーンに変化した可能性があるからな。ウルフマンがストーンを首から下げていたということは次に狙うのは、このストーンかもしれん。ひょっとしたら――。
ひょっとしなくてもだ! エンジェルはストーンを持っていたんだ! 奴が来るのはそこだ! ありがとうじいさん、俺は行くぜ!
まて――一緒にホワイト・タイガーを……。
悪いけどそれはできねえ。あんたらはウルフレディーが死んだ原因を作った。だから俺はあんたらとは一緒にはいかない。俺は、俺のやり方で奴を捉える。あばよ!
キッドはケガの痛みを顔に出さず、ベッドから飛び跳ねると、部屋から飛び出して行った。バタンと乱暴にドアを閉めると、ラッドは、大した若もんじゃわい! と、どこか苦々さを感じさせる表情だった。
十一章 ホワイト・タイガーの死
どうぶつ・恐竜国立博物館へキッドはその日のうちに足を運んだ。大きな建造物で、建物の正面には巨大なシロナガスクジラの模型が置かれていた。
……うわぉ……鯨なんて見るの初めてだし、お目にかかれると思ってなかったけど、いざ見てみるとやっぱりでかいな。
入り口で入場料を支払い、館内に入ると、そこには地球六十五億年の歴史がとことん詰まっていた。
めぼしいものは何でもあった。キッドは化石を見、近代の科学遺産のレプリカを目にし、最後に恐竜の化石を見た。
ふと、キッドはエンジェルの家にあった本を思い出した。人間の名前なんてほとんど数年もすればすぐに廃れちまう。本に書かれてあるような人間の名前だって、せいぜい百から二百年が限度だ。どうぶつの名前の寿命なんてもっと短いだろう。その点、恐竜はすげえ。こいつらの名前はただその時代生きてたってだけで、一億五千万年先の現在まで残ってんだからな。もっともこいつらがここに書いてあるような名前を名乗ってたとは思わねえけど。
地球館へやって来た。
大きなモニターには地球の歴史が映し出され、移動しながらそれを見る趣向らしい。このフロアのどこかに例の琥珀がある。ウルフマンはそれを奪いに来るはずだ。
そのときこそ、奴を正気に返す――。
人と動物の波をかき分けた先に琥珀の展示はあった。大勢のギャラリーがそれを眺めてすぐに通り去っていく。駄目ですよ、線の中に入っちゃ!
係員の声だ。キッドも気づいた。ウルフマンが超えてはいけないのラインを越えて、中に入ろうとしているのだ。そして係員を力づくで振り切るとガラスケースに前足を突っ込み、指が血まみれになるのもいとわず、中から琥珀を取り出した。
ウルフマン! キッドが呼び掛けた。どうやら仲間はいないらしい。チャンスだ。キッドは〝吠え〟た。おなじみのコスチュームに変身し、先手を打ち、ウルフマンにケリをくらわす。みぞおちに深く彼の後ろ足がめり込む感触がしたが、ウルフマンは動ぜずキッドの足を取り、ひらりと後ろに投げ飛ばす。
キッドは空中で受け身を取るように地面に着地した。ギャラリーが集まる。その時。
逃げろ! キッドは叫んだ。そして〝牙〟が防げないことが分かると、観衆を〝牙“の波動から守ろうと、ウルフマンに向かって突進した。
なんて奴だ。大勢死者が出ることを屁とも思ってないみたいだ。
ことばは人を傷つけることもあるんだ。ウルフマンはかつて自分に言った。
あんたに……あんたには殺しはさせない!
何かが崩れる音がした。ウルフマンの放った〝牙“めがけて、ナウマンゾウの骨格標本が倒れ込んできたのだ。そして今、倒れたナウマンゾウに足を乗せて、ウルフマンを見下ろしているのは、ホワイト・タイガーとラッド教授だった。
☆
わーっわーっわーっ! ラッド教授はしかし慌てている。この、この……大馬鹿者どもめが! 大事な……大事なナウマンゾウの骨格標本が! なんてことをしてくれる! 文化財の破壊だぞ! 貴様らあぁ!
しかしマスター、こうしなければ大勢が死んで……。
そうカリカリすんなよ。じいさん。キッドは気休めに言った。これからもっともっと被害がでるんだからな。
なんじゃと⁈
地球六十五億年の歴史だろうがなんだろうが、エンジェルが帰ってこなかったら、俺にとっちゃ意味はねえってことだよ! キッドはそう言い、どうぶつ達が避難したことを見計らって、〝牙“の構えを見せた。放つ気だ。が、ホワイト・タイガーがそれを制する。
私が相手をする。ホワイト・タイガーは以前までとは違う〝牙〟の構えを取った。ウルフマンも同時に迎撃の準備をする。そして互いに言霊が咆哮しぶつかりあった――〝ホワイト・ファング“! 〝牙〟!
キッドは言霊が戦い合わされる瞬間を始めてみた。互いが互いを食い殺し合う壮絶な戦いだったが、邪気を含んでいるウルフマンの〝牙“の方がほんの少し分が悪いように見えた。しかし、ホワイト・タイガーには疲弊の色が見えた。言霊を全力で吐き出し続けて、エネルギーを相当消耗しているようなのだ。
もういい休め! あとは俺が――。
止めるな! ホワイト・タイガーが大喝して、キッドを制した。――真っ白に砕けるなら、それも本望だ! それが〝吠え“だ! おまえもわかってるだろう!
――〝吠え〟に命を賭ける必要なんてあるのかい? キッドの口からその言葉がでかかった。しかし目の前で命を燃やし尽くそうとしているホワイト・タイガーにそんな言葉はかけられない。代わりに。
出し切れ。と、願う。おわりまで。ホワイト・タイガーがキッドを振り向き、にっと笑うのが分かった。彼の体は白い炎に包まれ、まばゆい光があたりを襲った。そして後には真っ白な灰だけが残った。
まさか、死んだのか。キッドにはにわかに信じられなかった。〝吠え〟で死んじまったのか? おいおいおい嘘だろ? だが嘘ではなかった。圧倒的に現実だった。ホワイト・タイガーは〝吠え〟で死んだのだ。死んだ? うそだろう……?