83話
「さっさと立て、永新!! そんなんじゃ、いつまで経っても完成しねぇぞ!!」
「うぅ……、はい……っ!!」
事務所の屋上、眼下に繁華街が見えるその場所で、永新は特訓の為に羅威竿と対峙していた。
求むるは真宵の瞬間移動にも匹敵する反応速度。
目指すは妖魔化した羅威竿が見せた、光の早さにも到達し得る最高速。
しかし、人形使いとの対峙から数日が経った今でも、目指すべき速さには到達していなかった。
それでも、永新は決して諦める事無く、何度も何度も何度も立ち上がっては、羅威竿の指導を受けるのであった。
「――ハァッ!!!」
「そら、次は右行くぞ、右ィっ!!!」
だが、永新の半妖半人の肉体では、速さに対する限界と言うものが当たり前のように存在している。
例えば、如何に反応速度が速くなったところで、永新が人であった頃の限界を大きく上回る事は出来ない。精々が、プロアスリートと同等の、150ミリ秒まで縮めるのが限界、と言った所。永新よりも優れた倶利伽羅である、永恋や四家を含む黄金世代の中には100ミリ秒を叩き出す者すら居る事を比べてみれば、永新の反応速度を限界まで引き出したとしても、永新の定めた目標には遠く及ばない。
妖魔や倶利伽羅との戦闘を経て、それだけの反応速度では付いて行くのが精一杯である事を知った永新は、道を阻む壁である、人としての限界を超える方法を編み出した。
それこそが、「我流・千変万火」。
それは倶利伽羅の歴史における霊力の技術革新とも言うべき霊技、「纏炎」をただ発動させて逃げ回るのではなく、あらゆる環境に適応するために肉体を弄る、と言う、永新の肉体に物理的変化をもたらすあまりにも無謀で、自分の体を顧みない霊技であった。
千変万火によって永新が己の肉体を作り替える部位は、脳と筋肉。
まず、脳を思考回路が焼ける程に回転させ、あらゆる情報の処理能力を加速させる。その際、永新が見る世界は限りなくスローの世界であり、取得する情報の選別すらされずにありとあらゆる情報が頭に流れ込んでくるのだが、纏炎による身体機能向上の効果を全て脳に回す事によって、無限に続く情報の波に脳が破壊される事無く、妖魔化による再生能力によって活動を促進させる事に成功する。
加えて、入手した情報から導き出されたあらゆる最善手に対応できるよう、永新は筋肉を霊力で強化する。体を重くさせずに、筋肉量を増やす為に用いるのは、妖魔化による影響で手に入れた霊力の貯蔵庫から引き出した一万匹分の霊力。妖魔を狩って手に入れた霊力も含めれば、今では倍以上に増えた貯蔵庫の霊力を使う事で、脳から発信される電気信号が放たれると同時に手足が動くようになるし、過度な加速や無理な動きにも対応できるようになる。
永新が考えたあらゆる環境への適応法と言うのは、常に先手を取り続ける、と言う策。
後手に回る事が無く立ち回り続ければ永新には死角が無くなる。故に、常に優勢で居られると言う考えの下、実践できるだけの練度を追及していた。
しかし――。
「ぐぶ――っ!」
「右だ、っつったろうが!! フェイントに騙されんな!! 情報に頼り過ぎて後手に回ってどうすんだ!!」
羅威竿の速さに付いて行くので精一杯な永新は、織り交ぜられるフェイントに何度も騙され、フェイントを凌ごうとすれば押し切られる、と言う事態に陥っていた。
手に入れた情報の精査によって永新の脳が最善手を導き出すのだが、それを実行に移すか否かは結局永新自身の問題。永新の強化されたスピードに余裕で並んで上回ってくる羅威竿は巧みなフェイントを仕掛けてきて、永新の判断が鈍ったところで宣言通りに右の拳で撃ち抜かれる。
そんな事が繰り返された結果、傷だらけの永新と傷一つない羅威竿と言う、一目で分かるような結果が永新の目には映し出されるのであった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
「ちょっくら休憩にするか」
この結果の通り、永新の我流「千変万火」はまだまだ完成には程遠い。
先手を取る為の技で、永新は様子見を図って押し切れないし、情報の精査が甘い。それに加えて、羅威竿のようにスピードで上回られる相手には結局後手に回る他無い上に、優れた反応速度も生かし切れていない。今の永新の状態は、言わばスーパーカーにペーパードライバーが乗っている状態。辛うじて動かす事が出来ているだけで、性能を満足に発揮できていない。
永新がその力を満足に振るう為には、優柔不断な性格を直して判断力を高める事と基礎能力の向上を図らねばならないのだが、その両方はどちらも一朝一夕で見に付くようなものではなかった。
「……そもそも、その力は永新の体に負荷が掛かり過ぎだ。他の力を使う、ってのは考えてねぇのか?」
羅威竿は下の自販機から買って来た水を永新に手渡すと、どっかりと永新の隣に座り込んでそう言った。
彼の言う通り、永新の「千変万火」は強力無比ではあるものの、デメリットが大きすぎると言うのも課題の一つだった。
そのデメリットの内、羅威竿が見過ごせないものは、主に三つ。
永新の発動する纏炎による身体機能向上は、妖魔化による再生能力も向上させる。だが、纏炎による身体機能向上のリソースは全て思考加速に用いては常に焼き切れる脳を再生させるのに用いており、千変万火の最中に永新の体が傷を受ければ、その傷は永新の力では決して元には戻らない。つまり、羅威竿や真宵クラスの相手からもしも致命傷を受けてしまったとなれば、永新は助からない。命綱の無い状態で戦闘に挑まなければならないのが、一つ。
そして、そんな無茶な運用方法をしていれば、永新の脳に回復不能な後遺症が残っても不思議ではない事が二つ。今はただ奇跡的に上手くいっているから良いものの、何かあってからでは遅いのだ。かわいい後輩が今後一生ベッドの上で過ごしていく事に繋がるのを見過ごしている今の状況は羅威竿にとって不服なものであった。
最後に、千変万火による脳の働きを加速させる事も、運動神経を直接刺激して反応速度を上げるような真似も、永新の霊力の制御が全てであると言う点。妖魔は機械ではない以上、必ず失敗だって起こる。もしもそれが千変万火の最中に起こってしまえば、永新の脳は破裂し、肉体は修復不可能なまでに断裂してもおかしくは無いのだ。
そんな危険性を孕んでいる状態で安全性を無視したような能力を行使する事自体、羅威竿は前向きでは無いからこそ他の道を進めるのだが、羅威竿の心配する声に対する永新の答えはいつも決まっている。
「……ごめん。俺は、これが最善手だと思ってるから。もしも他の手があったとしても、千変万火は必ず使えるようになっておきたいんだ。千変万火には、戦況をひっくり返すだけの力があるから。その為にも、少しでも使い慣れておかなくちゃいけないでしょ?」
「…………………………それも、そうかもな」
複雑な思いを飲み込んだように羅威竿は同意の言葉を吐いて、ガックリと項垂れる。
永新は羅威竿が本当に心から心配してくれているのを知っているからこそ、「心配しないで」と口にはせずに、千変万火を完全な形で習得して安心させようと慮るのだが、実際は永新が思うよりも遥かに羅威竿は永新の事を気に入っているし、欠けさせてはならないと思っている。
可愛い後輩に頼られるのは悪くないとは思いながらも、永新が自分の事をまるで他人事のように顧みないのが心配で心配で、堪らないのであった。
だからこそ、羅威竿は真宵のように限界ギリギリの無茶はさせずに、主に口頭でのアドバイスを中心に永新に指導をする。
「分かった――。んなら、もう少し安全マージンを取って戦えるよう、色々と工夫してみるってのはどうだ? せめて、発動中の怪我、命のやり取りに直接関わってくる傷を無視するってのは、危険が過ぎるだろ?」
「それが出来れば……ね。そもそも、脳の損傷を回復し続けるって言うだけでも脳機能の半分は使ってるんだ。その上で情報処理に思考の加速まで図るとなると、纏炎のリソースを全部割かないと回らないんだ。その上で、感覚で運動神経と筋肉を直結させて電気信号を一万分の一秒以下と言うロスの無い範囲で伝達させ、体の活動を促すので精一杯。防御に関しては全て避けるしか無いって言うのが本音だね。だから、一瞬も気を抜けない」
「だからってなぁ……。そんなんじゃ、活動時間も限られるだろうが」
「そう、だね……限界は十分ってところかな。それ以上は、人間である事を辞めるしか無いけど……それは最終手段として取っておきたい」
「……ンなもん、最終手段になんてすんじゃねぇ。全部が終われば、お前は幸せになるんだ。自分が消える結末なんざ、考えるんじゃねぇ。そうじゃねぇと、不公平だろ?」
「…………俺は今、羅威竿がいて、真宵先生がいて、ルゥがいて、誠一郎さんがいて……白がいるこの場所に居られて、凄く幸せだよ」
「こっ恥ずかしい事簡単に言うんじゃねぇ、っての。……だがな、俺様の言う幸せってのはそう言う事じゃねぇ。お前には、幸せになる権利ってのが十分ある。それを行使しろって話だ」
「羅威竿の言ってる事は、分かんないよ」
「気が向いたらでいい、少し考えてみろ。俺様は幾らでも相談に乗っからよ」
羅威竿は妖魔で、人間ではない。
だと言うのに、彼の言葉に生命としての強さを感じるのはどうしてか。
彼の言葉を胸に、心に叩き付けられるたびに、もしも自分に「兄」が居たなら、と言う夢想を抱かせるのはどうしてか。
永新が堂々たる「カリスマ兄貴オーラ」を放つ神々羅威竿と言う男に惹かれる中、羅威竿はそう言えば、と思い出したかのように言葉を走らせる。
「そう言や電気信号、っつったよな? それ、俺様の雷を永新に渡したら、どうなるんだ? 俺様の霊力で生み出してっから、永新も霊力の操作を掴めば簡単に操れると思うんだが」
「いや、それは無理――じゃ、ないかも……? 確か、外部から電気信号を与えて筋肉を動かす事は可能だから……」
「そうか、なら早速――」
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばッッッッッ!!!!?!?!?!?!?!」
「わ、悪ぃ……ぷっ」
羅威竿が何の気も無い様子で雷を永新に撃ち込んだ直後、先程までの感動諸共消し飛ばすかのように永新は体を跳ねさせて感電する。
一命は取り留めたものの、黒焦げになった永新は隣で肩を揺らして笑いを堪える羅威竿を、舌の根も乾かぬうちに前言を撤回するかのように睨み付けるも、冗談だ、と笑う羅威竿に軽くあしらわれる。
「ほら、やり直しだ。これくらいなら感電もしないだろうよ」
「妖魔じゃなかったら普通に死んでる電圧だったけど……?」
「もう一発行っとくか?」
「次やったら羅威竿の事嫌いになるから」
「……冗談だ」
そう言って永新に雷を譲渡する羅威竿は、改めて永新の霊力制御に長けた様子を目の当たりにする。
そもそも、永新が実行に移す千変万火は、倶利伽羅で言えば机上の空論と鼻で笑われる代物。それを、妖魔にある霊力の貯蔵庫を生かして実行に移し、不完全な形とは言え実際に発動させている事自体、奇跡に近い代物であった。
倶利伽羅見習いの時代、少ない霊力で如何にして最下級妖魔を多く狩れるかを工夫し、たった三発だけ放つ事が出来る破魔弓術初級で試行錯誤して妖魔一万匹を狩った経験によって育てられた、霊力勘とも言うべき才能は紛れも無く永新の努力の賜物と言える。
それを霊力を得た今、いかんなく発揮できる環境において永新は蕾にまで成長させた才能を開花させたのであった。
羅威竿の雷撃を手にして始めは体が痺れたりしていたものが、三十分と経たずに永新は霊力の操作で手指を動かせるようになり、一時間が経過した頃には、霊力の操作だけで体を動かす事に成功し、実戦訓練にまで発展して見せる。
「信じらんねぇな……」
「あはは、見てよ羅威竿! 切っ掛けさえあれば、霊力の増幅でこんな事も出来るようになったよ!!」
それは、電圧による筋肉の異常収縮によって実現される、超加速。
正しく、羅威竿が超スピードを求める時に使う霊力の行使と同じ領域に永新は完全に我流とも言える方法で到達して見せ、羅威竿は歓喜に打ち震える。
「そのままだ、永新! そのまま……来いッッ!!!!」
永新はどこまでいくのか。どこまで強くなるのか。
妖魔としての興奮が抑えきれない羅威竿は、笑みを湛えた様子で再びの試合を誘い、永新もそれに応える。
そうして繰り広げられるのは、速度が総じて増した永新と羅威竿の組手。
先程のように羅威竿が宣言するまでも無く永新は対応し切って、反撃の予兆すら見せるのだが、攻め切れない永新は次第に羅威竿に押されていき、遂には永新は再びの敗北を喫するのであった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
「いい感じだ、永新。今のを忘れないうちに、もう一本――」
「――永新、お前に指名が入ったぞ」
「ぅおわっ!?」
「ま、真宵先生……? 指名……?」
敗北とは言え、その形は決して最悪ではなく、むしろ先程よりも遥かに動きが良くなった事に対して感慨深さすら感じられる中、興が乗った羅威竿がもう一戦、と手を差し伸べた直後、屋上に熱風が吹いたかと思うと、部屋着と言う名のほとんどが下着姿の真宵が現れては、意味不明な言葉を口にする。
「随分派手にやってたみたいだな。それで、感触はどうだ?」
「可能性しか感じねぇよ」
「そうか、それは楽しみだな。だが、訓練はここまでだ。永新に指名が入ったからな」
「さっきから言ってる、指名って……何ですか?」
「指名は指名だ。下で、白麗様がお待ちだ。先にシャワーを浴びて、着替えてから来い」
真宵の口にした人物に、永新はそれまで疲弊していた顔をすぐに晴れやかなものに変えるも、恐る恐ると言った様子で羅威竿に視線を向けると、羅威竿は困ったように眉を寄せた後「お前になら、任せられる」と言って永新の背中を叩いた。
羅威竿からの檄を受けて立ち上がった永新は、笑みを浮かべて浮足立った様子で屋上から去っていく。その際、体に残った電気がドアノブに触れると同時に解放されてバツン、と大きな音を立てて指先に刺激が走って派手に転がるのだが、すぐに立ち上がってシャワーへと駆け込んでいくのであった。
「……坊ちゃんは行かねぇのか?」
「俺様は坊ちゃんじゃねぇっての。……俺様はやるべきことが出来ただけだ。それより、ルゥのやつは何処に居る?」
「ルゥは三階で解析中だ。あの一件で、少し気になる事が見つかってな」
「……そうか。俺様はそっち方面は詳しくねぇから任せっきりになるが、永新の事は俺様に任せとけ」
「オレは白麗様と永新のスニーキングで忙しいからな。お前はお前のやるべき事をやれ」
「……真面目に言う事がそれかよ」
相変わらず不気味な真宵にドン引きな羅威竿は、そう言って去っていく真宵に溜め息を吐くのだった。
屋上でそんな事が繰り広げられているなど考えもしていない永新は、着替えもそこそこに白が待つ下の階へと飛び込んでいくと、久しぶりの再会に笑みを零して白に駆け寄っていく。
「白!」
「お久し振りですね、永新」
「今日は、どうしたんだ?」
「今日は、永新と交わした約束を果たそうかと思いまして」
「約束……?」
「忘れてしまったのですか? ふふっ、では永新。私と、デートをしましょう」
「で、デート――ッ!?」
突如として現れた白の口にした、想像だにしていなかった言葉に永新は目を丸くして我が耳を疑うのであった。




