67話
ちょっと長めです。
コンコン。
扉を叩く音に反応して中からくぐもった女性の声が聞こえてくる。
場所は、総合病院。
甘奈に誘われた晴也、七星の二人を合わせた合計三人が、首から来院許可証をぶら下げ、花束に加えて果実の盛り合わせと言うお見舞いの定番セットを手に足を運んだのは、入り口に「皇龍火」と言う名札が貼られた病室の一画。
怒涛の勢いで流れていく倶利伽羅の日々に目を回しながら倶利伽羅として生きている晴也と七星が、火加々美甘奈と顔を合わせるのは全てが始まったあの日以来の事で、奇しくも、目の前の病室の主である皇龍火と同じだけの時間が空いての再会であった。
本来なら、この場には同じ屋根の下で競い合い、共に成長していった四家のメンバーである獅子王と、持ち前の才能だけで四家に匹敵する成績を収めた永恋も誘ったのだが、二人にはすげなく断られた。
再会の折に際して最も喜んでいたのは御厨七星であり、久方ぶりに会った甘奈を前に、普段のクールな印象を抱かせる猫のように吊り上がった眦がすっかり下がって、お互いに手を握り合って再会を喜び合っていた。
断られた両名とこの期間で面識のあった晴也と七星から二人の様子を聞かされ、一件以来変わり果ててしまった旨を聞いた甘奈は「ままならないですね」と悲し気に目を伏せるのだった。
そんな冒頭を経て、三人は皇龍火の病室の前にまでやって来ていた。
女性の声に遅れて、ゆっくりと開いていく病室の扉。しかし、その扉が開くと同時に漏れてくるのは、空調の熱とは異なる明らかな熱。
伝わってくる熱は決して熱い訳でも無いのに三人の額に汗が浮かぶのは、迫り来るプレッシャーを前にしたからか、呆然と立ちすくんでいると、扉を開いた女性に声を掛けられる。
「お待たせしました。皇さん、朝の瞑想中なんです。一応声はかけておいたので大丈夫だと思いますが……。入らないんですか?」
「――っ、すみません、無事だったと聞いて急いで駆け付けたもので……」
「そうなんですね。貴方達は、皇さんの教え子さん達? 皇さんも、きっと喜んでくれますから、ゆっくりしていって下さいね」
顔を出したのは、この病院のナース服を身に纏う女性で、にこやかに接してくる様子に呆然としていた甘奈は取り繕う。
彼女は何の気も無しに会話を続けるのだが、病室の中から漂ってくる常軌を逸した熱に、三人は会話どころでは無かった。
病室に入ってすぐ、その熱の正体がベッドの上で瞑想する老人から放たれているのが判明すると、三人は改めて固唾を飲むのであった。
「……っ」
「マジか……」
「信じられないわね……」
現役を退き、後進育成に携わるようになった上で、意識を失う程の大怪我。それを経ても尚、黄金世代と呼ばれる程に優れた若い芽達にプレッシャーを与える霊力は、「最強の倶利伽羅」の名は知り像いても尚、伊達では無いと言う事かと思い知らされる。
これを前にして通常通りに振舞えるのだとしたら、それこそ黄金世代を押さえて同年代最強と謳われる炎導ササラかそれ以上の先達くらいのものしか考えられず、先の看護師はそれには当てはまらないように思える。それはつまり、先の看護師は只人で、莫大な霊力が満ちるこの空間で何も知らぬまま皇龍火の世話をしていたと言う事になる。知らぬが仏とは言うが、これがもし霊力に触れたばかりの只人であれば卒倒し、力不足の倶利伽羅であれば身動きの一つも取れなくなっていた事だろう。
「……只人、ね」
「七星、その目は止めろって言っただろ。倶利伽羅は只人を守る為にあるんだ。根底を間違えるな。考えを改められなくとも、それを表に出すのは止めるべきだ」
「分かってるけど……。でも、あたしは倶利伽羅と只人のどちらかしか救えないって言うなら、迷う暇なく仲間を救うわ。こればっかりは、譲れないもの」
「晴也さん、思想の強制は出来ませんよ。七星さんがそう考えている事は決して間違いではありませんし、正解でも無いのですから。お父様も、どうにか説いて回っているようですが、こればかりは根の深い問題と言えるでしょうね」
七星が去っていく看護師を睨み付けるように見送ったのを見て、晴也が七星の態度を改めるよう声を掛けるのだが、七星は頑なな意思を持ってその声を遠ざける。
――倶利伽羅は優れている。
――只人とは異なる優性種である。
――故に、何を以てしても倶利伽羅は優先される。
倶利伽羅の中に、そんな思想を抱く家が出始めてのは近代になってからの事。
七星の家である「御厨家」もまた、近代に目覚め、目まぐるしい成長と功績によって四家に昇り詰めた新興家系であり、その思想を抱く家であった。若くして四家に選ばれた御厨家にとってみれば、何かと侮られがちな家に一目置かせるための思想や理念の確立だったのだろうが、誰もが御厨家を四家と認めるようになった今においてもその思想は強く受け継がれているのだった。
当然。その家に生まれ育った七星は、他家三家への小さくないコンプレックスと「倶利伽羅優性思想」にどっぷりと浸かっているが為に、自分より下の者である只人を大きく見下す事が多々あった。それに加えて、四家へのコンプレックスも拗らせているお陰で、一時期は非常に危うい立場にいたものの、とある一件で自身を取り戻してからは四家の幼馴染らを良き友、良き好敵手としてお互いに認め合っていた。
しかし、この「倶利伽羅優性思想」と言うのは御厨家以外にも広く根を張っているお陰で、盟主である火加々美十蔵は頭を悩ませていた。
確かに、倶利伽羅の活動上、只人を救う為に多くの倶利伽羅が犠牲になる事が多い。その上、仮に助け出したとしてもパニックや理解の追いつかない只人の中には倶利伽羅に対して罵倒をぶつけてくる者も出てくる始末。だが、倶利伽羅も優れているとは言え、人である。人である以上、心がある。それ故に、中にはそのような経験をしたお陰で只人の一切を見捨てるようになった倶利伽羅も数少なくなかった。
それを「間違っているから」の一言で抑圧し、矯正させる事で倶利伽羅と倶利伽羅の間に亀裂が入る事を憂いた四家は、その思想を認める訳でも無ければ否定する訳でも無い、思想の自由を尊重する形で落ち着いているのが現状なのであった。
「……花、取り替えて来るわ」
しかし、その思想が決して良いものでは無いと頭では理解している七星はその場の空気に居た堪れなくなって二人に背を向ける。
それを見た甘奈と晴也はお互いに目を見合わせ、病室のベッドの上で管に繋がれた体を起こして目を瞑ったままの老人へと歩みを寄せていく。
「先生、お久しぶりです」
「……息災か」
代表して甘奈が顎を引きながら挨拶を口にすると、張り詰めていた空気が和らぎ、老人の纏う雰囲気が一瞬にして柔らかなものに変わる。
吸って、吐いて。一呼吸を挟んだ後、薄らと開かれた目が甘奈と晴也の二人の姿を捉えると、しわがれた声が紡がれ、厳格な様子漂う懐かしの老教師の姿を見せるのだった。
「先生こそ、ご無事で何よりです。あの時、甘奈しか……。俺は、動けませんでした。本当に、ごめんなさい……!!」
「気にするな……と言うには簡単だが、お前にとっては難しいだろうな、天炎」
ベッドの上で胡坐をかく老教師は管に繋がれていて、病室には一定の間隔で電子音が鳴る。
それが何を意味するかはこの場にいる少年少女らには分からずとも、それが目の前の恩師、皇龍火の生きている証拠なのだと思うと、言葉を選ばずにはいられない。
あの日、燼月永新からの反撃を喰らった皇は、生死の境を彷徨った。
しかし、火加々美甘奈やその他救援に駆け付けた倶利伽羅の手による十全な応急処置によって一命を取り留めた結果、病衣から覗く老教師の体には、いつか見た火傷の痕よりも深刻な、黒い炎によって刻まれた痛々しい火傷痕が残っており、その傷は彼の首を通って頬にかけてまで、破壊されたと言う表現が正しいような痕として残されていた。
「……先生、ご無沙汰してます」
「御厨か。どれ、お前達。少しは強くなったか?」
中身を入れ替えた花瓶を手に遅れて姿を現した七星にも老教師は反応し、ニヒルな笑みを湛えて見舞いの歓迎を果たす。
しかし、三人はただ老教師の無事を確かめに来たのではなく、全く別の本題を抱えてこの場にやって来た。それは、恩師である皇龍火が、妖魔と繋がっている裏切り者かどうか確かめる為であり、甘奈は既にその旨を二人に打ち明けていた。
始めは困惑していた二人も、あの時から既に疑問視をしていたらしく、すんなりとその内容を受け入れ今に至っている。その為、土産を手渡した後に、二人の視線が甘奈に集約すると同時に、甘奈は一切の変化球を含まないストレート一本勝負かの如く真っ直ぐに正面切って尋ねるのであった。
「……先生、単刀直入に聞きます。先生は、妖魔と繋がっておられますね」
「……あぁ、そうだ――と言ったらどうする」
「ッ!! 先生、ふざけないで下さい……! 俺は、先生を信じたくてここに来たんです……! 違うなら違うと、そう言って下さい……!!」
「天炎よ。お前はもっと人を疑うべきだ。教師だから、友人だから、同じ四家だから――そう言って信じた結果、裏切られれば痛い目を見るのはお前だけでは無いのだからな。……だが、そうやって愚直なところは、お前の良い所でもある。……いかんな、説教臭くなってしまうか」
「正直に、答えて下さい、先生。甘奈も、晴也も、最悪を想定してここに足を運んでいます。覚悟なんて、もうとっくに出来ているんです。もし、もしも先生が裏切っているのなら、あたし達は今ココで先生を――!!」
「殺す、か? フッ、面白い。わざわざ目を覚ましたばかりの、手持ち無沙汰の状態を狙ってやって来るとは考えたものだ。……だが、教え子相手に武器を取る必要があると言うのは、些か想像力の欠如と言わざるを得んな、御厨。常に周到に、憂き目を一つずつ削り、完璧に至らねば、本当の意味で覚悟とは言えぬ。自信はあるに越したことはないが、相手を侮る事は話が異なる。完璧でない限り、いつか足元を掬われると知れ」
「先生はお変わりありませんね。……ですが、これ以上の問答は必要ありません。私達にはこの後の仕事もありますので。先にも述べた通り、先生には嫌疑がかけられています。こうして問い詰めているのにも拘らず先生を拘束していない時点でお分かりかと思いますが、全ては容疑の段階……。故に、拘束も何もしていないのです。……私達には、分からないのです。何故、『最強』とまで謳われた先生が妖魔と繋がっていたのか。その動機が」
「……動機、か」
甘奈の言葉に、皇は伸ばしていた背筋を少し曲げ、体から力を抜くような素振りを見せる。
すると、たちまちそこに現れたのは一人の老人で、たった一つの所作だけで老け込んだ老教師を目の当たりにして三人は思わず息を飲む。
しかし、それは老教師の、皇の「疲れた」と漏れ出るように聞こえた言葉に意味を持たせるかのように見え、彼がこれまで常に肩肘張って生きて来たのだと理解せざるを得ない。
「……初めは、ただの偶然。ただの気まぐれだった」
「「「……!」」」
「出現する妖魔の格が、中級妖魔が精々と言った状況になった倶利伽羅にとっての安泰の時。それは、私にとっては甚く退屈な時間でしか無かった。盛隆の時を刻む時代に、並び立つ相手が居ないのだ。それがどれだけ絶望出来るか、お前達には分からんだろうな。いいや、あんな惨めな思いなど、分からない方が良い。……そんな時に、初めて出会ったのが、あの医務官。宿無真宵と言う妖魔だった」
「真宵、先生……」
「奴の力は、強大だった。上級妖魔に成りたてだとは思えない程に力の使い方を熟知していて、奴と切り結んでいた時間は、何よりも……楽しかった。治癒の術にも精通する奴は決して死なず、そして最強と言う名に自負していた私もまた、死ななかった。永遠に戦い続けられると思えるような時間は、私にとって最高の時間、最高の思い出だった。……だが、私が奴と出会うには、些か遅すぎた。……私はいつしか年老い、ピークを過ぎた肉体はやがて、際限なく強くなっていくやつに追い付けなくなっていったのだ。そうして私は、奴との決着を付ける前に、現役を退いた。奴の前から逃げるようにしてな」
過去に礼賛を馳せるようにして、過去を眺めるように遠い目をした皇が語る内容は、最強と呼ばれた男の弱い部分をありありと見せつけられているようで、何も知らなかった三人にとっては衝撃の事実であった。
「……現役を退いた私は、後進の育成に取り掛かった。若い芽達が立ち塞がる壁を越え、成長していく様は、過去の栄光に縋って老いぼれていくだけだった私に、生き甲斐をくれた。こんな私でも、先生と呼んで慕ってくれる子供に、私は活力を貰っていたのだ」
「先生……」
「倶利伽羅として、第二の人生を踏み出した、そんな折だった。奴と、再び邂逅したのは。再び相まみえた奴は、さ
コンコン。
扉を叩く音に反応して中からくぐもった女性の声が聞こえてくる。
場所は、総合病院。
甘奈に誘われた晴也、七星の二人を合わせた合計三人が、首から来院許可証をぶら下げ、花束に加えて果実の盛り合わせと言うお見舞いの定番セットを手に足を運んだのは、入り口に「皇龍火」と言う名札が貼られた病室の一画。
怒涛の勢いで流れていく倶利伽羅の日々に目を回しながら倶利伽羅として生きている晴也と七星が、火加々美甘奈と顔を合わせるのは全てが始まったあの日以来の事で、奇しくも、目の前の病室の主である皇龍火と同じだけの時間が空いての再会であった。
本来なら、この場には同じ屋根の下で競い合い、共に成長していった四家のメンバーである獅子王と、持ち前の才能だけで四家に匹敵する成績を収めた永恋も誘ったのだが、二人にはすげなく断られた。
再会の折に際して最も喜んでいたのは御厨七星であり、久方ぶりに会った甘奈を前に、普段のクールな印象を抱かせる猫のように吊り上がった眦がすっかり下がって、お互いに手を握り合って再会を喜び合っていた。
断られた両名とこの期間で面識のあった晴也と七星から二人の様子を聞かされ、一件以来変わり果ててしまった旨を聞いた甘奈は「ままならないですね」と悲し気に目を伏せるのだった。
そんな冒頭を経て、三人は皇龍火の病室の前にまでやって来ていた。
女性の声に遅れて、ゆっくりと開いていく病室の扉。しかし、その扉が開くと同時に漏れてくるのは、空調の熱とは異なる明らかな熱。
伝わってくる熱は決して熱い訳でも無いのに三人の額に汗が浮かぶのは、迫り来るプレッシャーを前にしたからか、呆然と立ちすくんでいると、扉を開いた女性に声を掛けられる。
「お待たせしました。皇さん、朝の瞑想中なんです。一応声はかけておいたので大丈夫だと思いますが……。入らないんですか?」
「――っ、すみません、無事だったと聞いて急いで駆け付けたもので……」
「そうなんですね。貴方達は、皇さんの教え子さん達? 皇さんも、きっと喜んでくれますから、ゆっくりしていって下さいね」
顔を出したのは、この病院のナース服を身に纏う女性で、にこやかに接してくる様子に呆然としていた甘奈は取り繕う。
彼女は何の気も無しに会話を続けるのだが、病室の中から漂ってくる常軌を逸した熱に、三人は会話どころでは無かった。
病室に入ってすぐ、その熱の正体がベッドの上で瞑想する老人から放たれているのが判明すると、三人は改めて固唾を飲むのであった。
「……っ」
「マジか……」
「信じられないわね……」
現役を退き、後進育成に携わるようになった上で、意識を失う程の大怪我。それを経ても尚、黄金世代と呼ばれる程に優れた若い芽達にプレッシャーを与える霊力は、「最強の倶利伽羅」の名は知り像いても尚、伊達では無いと言う事かと思い知らされる。
これを前にして通常通りに振舞えるのだとしたら、それこそ黄金世代を押さえて同年代最強と謳われる炎導ササラかそれ以上の先達くらいのものしか考えられず、先の看護師はそれには当てはまらないように思える。それはつまり、先の看護師は只人で、莫大な霊力が満ちるこの空間で何も知らぬまま皇龍火の世話をしていたと言う事になる。知らぬが仏とは言うが、これがもし霊力に触れたばかりの只人であれば卒倒し、力不足の倶利伽羅であれば身動きの一つも取れなくなっていた事だろう。
「……只人、ね」
「七星、その目は止めろって言っただろ。倶利伽羅は只人を守る為にあるんだ。根底を間違えるな。考えを改められなくとも、それを表に出すのは止めるべきだ」
「分かってるけど……。でも、あたしは倶利伽羅と只人のどちらかしか救えないって言うなら、迷う暇なく仲間を救うわ。こればっかりは、譲れないもの」
「晴也さん、思想の強制は出来ませんよ。七星さんがそう考えている事は決して間違いではありませんし、正解でも無いのですから。お父様も、どうにか説いて回っているようですが、こればかりは根の深い問題と言えるでしょうね」
七星が去っていく看護師を睨み付けるように見送ったのを見て、晴也が七星の態度を改めるよう声を掛けるのだが、七星は頑なな意思を持ってその声を遠ざける。
――倶利伽羅は優れている。
――只人とは異なる優性種である。
――故に、何を以てしても倶利伽羅は優先される。
倶利伽羅の中に、そんな思想を抱く家が出始めてのは近代になってからの事。
七星の家である「御厨家」もまた、近代に目覚め、目まぐるしい成長と功績によって四家に昇り詰めた新興家系であり、その思想を抱く家であった。若くして四家に選ばれた御厨家にとってみれば、何かと侮られがちな家に一目置かせるための思想や理念の確立だったのだろうが、誰もが御厨家を四家と認めるようになった今においてもその思想は強く受け継がれているのだった。
当然。その家に生まれ育った七星は、他家三家への小さくないコンプレックスと「倶利伽羅優性思想」にどっぷりと浸かっているが為に、自分より下の者である只人を大きく見下す事が多々あった。それに加えて、四家へのコンプレックスも拗らせているお陰で、一時期は非常に危うい立場にいたものの、とある一件で自身を取り戻してからは四家の幼馴染らを良き友、良き好敵手としてお互いに認め合っていた。
しかし、この「倶利伽羅優性思想」と言うのは御厨家以外にも広く根を張っているお陰で、盟主である火加々美十蔵は頭を悩ませていた。
確かに、倶利伽羅の活動上、只人を救う為に多くの倶利伽羅が犠牲になる事が多い。その上、仮に助け出したとしてもパニックや理解の追いつかない只人の中には倶利伽羅に対して罵倒をぶつけてくる者も出てくる始末。だが、倶利伽羅も優れているとは言え、人である。人である以上、心がある。それ故に、中にはそのような経験をしたお陰で只人の一切を見捨てるようになった倶利伽羅も数少なくなかった。
それを「間違っているから」の一言で抑圧し、矯正させる事で倶利伽羅と倶利伽羅の間に亀裂が入る事を憂いた四家は、その思想を認める訳でも無ければ否定する訳でも無い、思想の自由を尊重する形で落ち着いているのが現状なのであった。
「……花、取り替えて来るわ」
しかし、その思想が決して良いものでは無いと頭では理解している七星はその場の空気に居た堪れなくなって二人に背を向ける。
それを見た甘奈と晴也はお互いに目を見合わせ、病室のベッドの上で管に繋がれた体を起こして目を瞑ったままの老人へと歩みを寄せていく。
「先生、お久しぶりです」
「……息災か」
代表して甘奈が顎を引きながら挨拶を口にすると、張り詰めていた空気が和らぎ、老人の纏う雰囲気が一瞬にして柔らかなものに変わる。
吸って、吐いて。一呼吸を挟んだ後、薄らと開かれた目が甘奈と晴也の二人の姿を捉えると、しわがれた声が紡がれ、厳格な様子漂う懐かしの老教師の姿を見せるのだった。
「先生こそ、ご無事で何よりです。あの時、甘奈しか……。俺は、動けませんでした。本当に、ごめんなさい……!!」
「気にするな……と言うには簡単だが、お前にとっては難しいだろうな、天炎」
ベッドの上で胡坐をかく老教師は管に繋がれていて、病室には一定の間隔で電子音が鳴る。
それが何を意味するかはこの場にいる少年少女らには分からずとも、それが目の前の恩師、皇龍火の生きている証拠なのだと思うと、言葉を選ばずにはいられない。
あの日、燼月永新からの反撃を喰らった皇は、生死の境を彷徨った。
しかし、火加々美甘奈やその他救援に駆け付けた倶利伽羅の手による十全な応急処置によって一命を取り留めた結果、病衣から覗く老教師の体には、いつか見た火傷の痕よりも深刻な、黒い炎によって刻まれた痛々しい火傷痕が残っており、その傷は彼の首を通って頬にかけてまで、破壊されたと言う表現が正しいような痕として残されていた。
「……先生、ご無沙汰してます」
「御厨か。どれ、お前達。少しは強くなったか?」
中身を入れ替えた花瓶を手に遅れて姿を現した七星にも老教師は反応し、ニヒルな笑みを湛えて見舞いの歓迎を果たす。
しかし、三人はただ老教師の無事を確かめに来たのではなく、全く別の本題を抱えてこの場にやって来た。それは、恩師である皇龍火が、妖魔と繋がっている裏切り者かどうか確かめる為であり、甘奈は既にその旨を二人に打ち明けていた。
始めは困惑していた二人も、あの時から既に疑問視をしていたらしく、すんなりとその内容を受け入れ今に至っている。その為、土産を手渡した後に、二人の視線が甘奈に集約すると同時に、甘奈は一切の変化球を含まないストレート一本勝負かの如く真っ直ぐに正面切って尋ねるのであった。
「……先生、単刀直入に聞きます。先生は、妖魔と繋がっておられますね」
「……あぁ、そうだ――と言ったらどうする」
「ッ!! 先生、ふざけないで下さい……! 俺は、先生を信じたくてここに来たんです……! 違うなら違うと、そう言って下さい……!!」
「天炎よ。お前はもっと人を疑うべきだ。教師だから、友人だから、同じ四家だから――そう言って信じた結果、裏切られれば痛い目を見るのはお前だけでは無いのだからな。……だが、そうやって愚直なところは、お前の良い所でもある。……いかんな、説教臭くなってしまうか」
「正直に、答えて下さい、先生。甘奈も、晴也も、最悪を想定してここに足を運んでいます。覚悟なんて、もうとっくに出来ているんです。もし、もしも先生が裏切っているのなら、あたし達は今ココで先生を――!!」
「殺す、か? フッ、面白い。わざわざ目を覚ましたばかりの、手持ち無沙汰の状態を狙ってやって来るとは考えたものだ。……だが、教え子相手に武器を取る必要があると言うのは、些か想像力の欠如と言わざるを得んな、御厨。常に周到に、憂き目を一つずつ削り、完璧に至らねば、本当の意味で覚悟とは言えぬ。自信はあるに越したことはないが、相手を侮る事は話が異なる。完璧でない限り、いつか足元を掬われると知れ」
「先生はお変わりありませんね。……ですが、これ以上の問答は必要ありません。私達にはこの後の仕事もありますので。先にも述べた通り、先生には嫌疑がかけられています。こうして問い詰めているのにも拘らず先生を拘束していない時点でお分かりかと思いますが、全ては容疑の段階……。故に、拘束も何もしていないのです。……私達には、分からないのです。何故、『最強』とまで謳われた先生が妖魔と繋がっていたのか。その動機が」
「……動機、か」
甘奈の言葉に、皇は伸ばしていた背筋を少し曲げ、体から力を抜くような素振りを見せる。
すると、たちまちそこに現れたのは一人の老人で、たった一つの所作だけで老け込んだ老教師を目の当たりにして三人は思わず息を飲む。
しかし、それは老教師の、皇の「疲れた」と漏れ出るように聞こえた言葉に意味を持たせるかのように見え、彼がこれまで常に肩肘張って生きて来たのだと理解せざるを得ない。
「……初めは、ただの偶然。ただの気まぐれだった」
「「「……!」」」
「出現する妖魔の格が、中級妖魔が精々と言った状況になった倶利伽羅にとっての安泰の時。それは、私にとっては甚く退屈な時間でしか無かった。盛隆の時を刻む時代に、並び立つ相手が居ないのだ。それがどれだけ絶望出来るか、お前達には分からんだろうな。いいや、あんな惨めな思いなど、分からない方が良い。……そんな時に、初めて出会ったのが、あの医務官。宿無真宵と言う妖魔だった」
「真宵、先生……」
「奴の力は、強大だった。上級妖魔に成りたてだとは思えない程に力の使い方を熟知していて、奴と切り結んでいた時間は、何よりも……楽しかった。治癒の術にも精通する奴は決して死なず、そして最強と言う名に自負していた私もまた、死ななかった。永遠に戦い続けられると思えるような時間は、私にとって最高の時間、最高の思い出だった。……だが、私が奴と出会うには、些か遅すぎた。……私はいつしか年老い、ピークを過ぎた肉体はやがて、際限なく強くなっていくやつに追い付けなくなっていったのだ。そうして私は、奴との決着を付ける前に、現役を退いた。奴の前から逃げるようにしてな」
過去に礼賛を馳せるようにして、過去を眺めるように遠い目をした皇が語る内容は、最強と呼ばれた男の弱い部分をありありと見せつけられているようで、何も知らなかった三人にとっては衝撃の事実であった。
「……現役を退いた私は、後進の育成に取り掛かった。若い芽達が立ち塞がる壁を越え、成長していく様は、過去の栄光に縋って老いぼれていくだけだった私に、生き甲斐をくれた。こんな私でも、先生と呼んで慕ってくれる子供に、私は活力を貰っていたのだ」
「先生……」
「倶利伽羅として、第二の人生を踏み出した、そんな折だった。奴と、再び邂逅したのは。再び相まみえた奴は、以前よりもずっと強くなっていた。最強、と言うに相応しいだけの力を、手にしていたのだ。だが、奴は私と同じ、同じ境遇に立つ相手が居ない事に、悲観し切っていた。故に、私は知らぬ間に、奴を自分と同じ境遇に引き込んだ。……それがただの気まぐれか、同情かは、私にもわからない。戦闘を通じて分かり合った者同士、私にはもう、奴が妖魔だとは、思えなかったのかもしれない。私と同じ経験を経て、同じ思いを抱ければそれでいいと、本気で思っていたのかもしれない」
「それはつまり、妖魔と繋がっていた事を、認めるんですね?」
「……そうだな。私は間違いなく、意図をもって奴を倶利伽羅の内部に引き入れた。それは認めよう。だが……、だからこそ――」
「せ、先生ッ!??」
話を進めていく内に、皇の目に光が宿っていく一部始終を目の当たりにした三人であったが、続いて皇が取った行動に三人は更に目を瞠る。
皇は、前線退いて数十年と言う月日が経っているにもかかわらず、一日足りとて欠かされなかった鍛錬の結晶である逞しい老体から生えた管に手をかけ、それを乱暴に抜き放つ。
「――だからこそ、私は私の人生にけじめを付けよう。全ての責任を取り、この手で奴を……妖魔を葬るのだ」
「体調は万全じゃないはずです……! 無理は――」
「無理かどうかは私が決める。それに、だ……。私の意識が戻った直後、医者に通達が行った僅かな時間で、奴は私の前に姿を現した」
「っ、上級、妖魔がここに……!?」
「……奴は言った。倶利伽羅に巣食う悪はすぐ傍に居る、とな。その為に、奴は必ず姿を現すと。……故に、私は行かねばならない。奴との決着を、私の人生に、決着を付ける為にな……!!」
計器が異常を知らせるアラームをけたたましく鳴り響かせる中、自らの足で立った皇は、病衣を脱ぎ捨て、まるで初めからこうするつもりだったかのように置かれた霊具に身を包む。
「……邪魔はしてくれるなよ。この件に関して私は、道を阻む者は誰であろうと蹴散らすつもりだ。……容疑の件は、私の行動でもって証明してみせる。これが、私の覚悟だ――」
「先生……」
「そんな、死にに行くみたいな……」
その目には一切の曇りなど無く、正真正銘、覚悟を決めた一人の男の顔を前に三人は老教師を引き留める事など出来なかった。
その代わりに――。
「……先生。私達も、同行します。先生の、貴方の最期の教え子として、貴方の背中を見て、学ばせては下さいませんか?」
「っ、俺も、行かせてください」
「あたしも……っ!」
「…………好きにすればいい」
教師としては止めるべきなのだが、四家と言う類稀なる子供達を止めるには皇龍火と言えども老いた体ではそれなりの無茶がかかる。因縁の奴との邂逅を前にそれを避けるべく、皇は黙って着いて来ることを許容する。
そうして皇の後に続いて、甘奈、晴也、七星が病室を外に出てしばらくした後、けたたましい警報音に駆け付けた医者や看護師たちは、そこでもぬけの殻となった病室を目の当たりにするのであった。
生けられたばかりの花束、手の付けられていない果物の盛り合わせに、乱暴に千切られた点滴の管と、それから脱ぎ散らかされた病衣だけが、死臭を纏って病室を彩るのだが、そこには既に人の影など欠片も残されていないのであった。




