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65話

 


「あちゃあ、ずいぶんようまかがすすんじゃったねぇ。でも、ほらみて。ちはちゃんとあかいままだ」

「ほぉ、俺様達とは違って、随分と綺麗なもんだな」

「あんま、見たくないんだけど……」



 羅威竿の手によって回収された永新は、事務所に戻って来て早々にやる気満々の様子で「やくそく」と言って催促するルゥの手に捕まり、疲れた体に鞭打つような勢いでルゥに言われるがまま検診を受けさせられるのであった。

 これは最後、永新の血を調べたいから、と言われて採血に及んでいる時に小さな採血管を見させられているところだった。



「一気に血を抜かれたせいで頭がくらくらする……」

「まぁ、あたしはいしゃじゃないからね。たぶん、とりすぎたんだとおもう」

「違ったの!? 信じてたのに……。うぅ、立ち眩みが……」

「だからはい、あたしのひざをかしてあげよう。らいかんはそのあいだにえいしんのちを、うえのかいのかいせききにいれてきて。おわるまでめをはなしちゃだめだからね」

「はぁ? なんで俺様が――」

「きのう、おかしわすれたばつ」

「ぐっ……、わかったよ……」



 ルゥの小さくて細い脚に頭を乗せられた永新は、疲労困憊の中検診に動いた影響と一気に血を抜かれた影響で満足に上体を起こす事も出来ない。故に、皮と骨しかないようなルゥの小さな膝枕でも抗う事すら出来ずに頭を持ち上げられ、ソファの上でぐったりと倒れ込むのであった。

 しかし存外、ルゥの太腿は肉付きが悪い訳では無く、見た目にそぐわずそれなりの肉感を感じるお陰か、永新の強張っていた肉体は次第にゆっくりと脱力していく。


 疲労困憊、と言えども実際には肉体的疲労は大したものでは無く、精神的疲労による困憊が肉体にも影響を及ぼしていたと言える程度で、胸が騒めく感覚は今でも拭い去れないでいた。

 羅威竿が永新から採ったばかりの血液を大事そうに抱えて事務所を出て行った後、ルゥは今回の検診で取れた永新の数値が書き込まれた書類を眺めながら、永新を気に掛ける様子を見せる。



「……ようまかしたのは、はじめて?」

「うん……。目の前が、真っ暗になって……体が熱くなって……全部、燃やさなくちゃ、って、思うようになって……」

「じぶんがじぶんじゃ、なくなるきぶん?」

「うん、そう……。でも、なんでか分からないけど、涙が、止まらなくなって……」



 永新は妖魔化した瞬間をよく覚えている。


 二人の加害者による謝罪を目の当たりにした永新は、自分でも制御しきれないような感情の波が途端に押し寄せてきて、理性の柱が全て押し流されてしまったような感覚。

 そうして曝け出されたのは、永新がこれまでずっと抱えて来た、永新にも分からない感情の数々。それが激情の類であるのは言うまでも無く、感情の制御に必要だった理性が全て押し流された永新の口は思った事を素直に、そっくりそのまま吐き出していってしまったのだ。

 そして、一度流れ出た感情は堰を切って溢れ出し、永新の回り始めた口は自分の思いとは裏腹にそう簡単には止まってくれなかった。


 あの時の事を思い出すと、恐怖が蘇ってくる。

 自分が自分で無くなる感覚とは違う。自分の嫌な部分を映し出した鏡を見せられているようで。

 そして、そんな嫌な部分を心の底から楽しんでいる自分が居る事を思い知らされるかのような、そんな恐怖。

 その時の熱を思い出した永新は堪らず涙が目に浮かんでくるのを脱力した右腕で自分の目元を覆ってひた隠すも「うんうん」と永新の話に耳を傾けてくれるルゥの相槌が心地良く、固まって水に浮いた脂のような感情を吐露していく。



「悲しくもないのに、嬉しくもないのに、涙が、止まらなくて……。誰かを責める理由に、自分がどれだけ可哀そうだったかを使う自分がいるのが、気持ち悪くて……っ!」


「……ようまかしたときのかんじょうのばくはつは、ほんねであるといわれている。そのときにえいしんがとったこうどうが『いかり』であるなら、えいしんはきっと、ずっとおこっているのかもしれないね。けど、それをいままでひたかくしにしてきたのは、えいしんがやさしかったから。やさしさっていうのは、ひとのこころのぎせいのうえになりたつもの。えがおのうらには、かならずそのひとのくろうが、くつうがかくされているもの。そのてん、えいしんはがんばってたえてきた。どんなものにもえいえんがおとずれないように、えいしんのこころも、げんかいをむかえた。こんかいは、それがえいしんのきぼうにそぐわないかたちではっさんされてしまっただけ」


「でも……、俺は……っ」


「わかってる。えいしんはいかりにみをまかせてしまうようなじぶんが、いやなんでしょ? でも、それもまたえいしん。いかりにしょうじきにいきるのもえいしんほんにんといえるし、おこったときになみだがでるやさしいえいしんもまた、ほんにんなの。それに、そうおもえるってことは、えいしんはかわりたい、とおもっているしょうこ。こころがくさらないかぎり、えいしんはなにものにだってなれる。いかりにみをまかさないえいしんにも、なみだをながさないえいしんにも、なんにだって。……でも、そのためには、ただしいいかりのはっさんのしかたをおぼえなくちゃだめ。ためこまないようになくちゃだめ。このままじゃえいしんは、まちがいなくせおったものがえいしんのげんかいをこえていつかつぶれてしまうから」


「心が、腐らない限り……」


「……そのてんはすこし、えいしんとびゃくれいさまはにてるきがする」


白麗(びゃくれい)様――(ハク)と、似てる……? どの辺りが?」



 鼻を啜りながらルゥの言葉に耳を傾けていた永新であったが、その中でも極めて興味が惹かれた(ハク)に関するものに著しい反応を示した。腕をずらして、少しだけ腫れぼったくなった目元を晒してルゥの顔を下から覗き込んでいると、ルゥは書類の束をテーブルに置いた後に子供をあやすような手つきで永新の頭を撫でると「これはあたしのしょかんにすぎないけど」と頭に付けて話し出す。



「びゃくれいさまが、しにたい、とねがうようになったのはふういんからかいほうされてからのこと。ようまのほんのうにしたがってこのせかいをじゅうりんしにやってきたようまのおうさまが、たかだかせんねんちょっとふういんされたくらいでかんがえをかえるとはおもえなかったから、はじめはみんなこんらんしてたし、ひていもしてた。でも、びゃくれいさまはそのかんがえをかえることなく、こんにちにまでいたっている。そのかくごはそうとうなものだよ。だからこそ、そこにいたったびゃくれいさまのかんがえを、りかいしなくちゃいけないんだとあたしはおもったの」


(ハク)の、考え?」


「そう。びゃくれいさまがなにをおもって、なにをかんがえているのか、それをりかいしないといけない、とおもってあたしはにんげんかんさつをまなんだ。ひとのいっきょしゅいっとうそくのすべてにいみがある。そのひとつひとつから、なにをかんがえているかがわかるようになるまで、れんしゅうした。そのけっか、あたしはびゃくれいさまのかんがえていることなら、だいたいわかるようになった。びゃくれいさまだけじゃなくて、えいしんも、らいかんも……せいいちろうのかんがえだってよめるようになった。たとえば、えいしんがかんがえていることをあててあげよう。……はやくこたえがしりたい、ってかおをしているね」


「正解、だけど……」


「それくらいだれにでもできるって? ふふ。そうともいえる。だからこそ、あたしはそのだれにでもできることをつきつめた。じかんはいくらでもあったからね。そしてびゃくれいさまのいっきょしゅいっとうそくからなにをかんがえているのかをみたけっか……、いまのびゃくれいさまは、かぎりなくわずかな『ぜんい』でうごいていることがわかったの」


「善意……?」



 妖魔に善意。

 どこぞの諺のように聞こえるそれは、思い浮かべたものと相違ない意味を持つ。


 何せ、妖魔と言うのは、その行動原理の根幹には必ず、破壊、殺戮、奪取と言った悪意が存在しているから。中級から上級に成るにつれて少しずつ理性を獲得していく事で、悪意はやがて賢しい卑劣さに変わっていき、いかにして痕跡を残さずに悪意を遂行するかと言う思考に変わっていく。


 故に仲間を募るし、自分の利になる行動を率先して取るようになる。

 羅威竿が永新を可愛がるのも、誠一郎が永新を褒め称えるのも、ルゥが永新に優しい言葉を投げかけるのも――、全ては彼らの妖魔としての悪意をひた隠す為の、裏返しであった。

 彼らは自分の悪意を悟られず、気付いた頃には全てを掠め取ってしまえるように自分の利だけで動いており、言ってしまえば永新を気に掛けているのは全てただの「興味本位」。永新にそれを向けるだけの価値が無ければ去っていくだけの存在に過ぎなかった。


 それを思い知らされた永新は思わずルゥの膝から頭を上げようとするが、まだ話は終わっていない、とばかりにルゥの手によって無理矢理引き戻される。



「うっ……」


「しんぱいしなくても、えいしんがしんぱいするようなじたいにはならない。だって、にんげんのしゃかいだってにたようなものだからね。かいしゃやがっこう、さまざまなこみゅにてぃで、にんげんはみんなえがおのかめんをはりつけている。そのうらではたにんをひげしているというのに。こんかんがちがうだけで、ひともようまもおもてむきはおなじ。むしろ、そうやってわりきれるあたしたちのほうがそんなしゃかいとはあいしょうがいいとすらいえるよ」



 ルゥの言う通り、むしろ悪意を実行する為ならばどんな回り道だって出来る妖魔の方が立ち回りが上手く、適していると言えるだろう。それが良い事か悪い事かは置いて措いて、どこか楽しそうなルゥは本来の話から逸れた道を元に戻して話し続ける。



「そんな、ほんらいならありえない、ようまのぜんい。けど、ようまのおうならばそれをかくとくしたとしてもふしぎではない。それがようまのおうだから。それが、びゃくれいさまだからね。とはいえ、ようまのおうともなるとひつぜんてきに、ようまのもつあくいもそうとうなものになる。あたしたちのあくいなんかがかわいくおもえるほどの、ね」


「それが、(ハク)の自殺願望、って事か」


「じさつがんぼう……いいえてみょうだけど、そういうことだね。――ただ、びゃくれいさまのぜんいはもうじきけされる。ようまのほんしつ、あくいによっておしながされるように、おしつぶされるように」


「妖魔の、本質……。悪意……」



 その言葉に、永新はあの時見えた(ハク)の瞳の中に生まれたもう一つの瞳を思い出す。

 何者をも否定するかのような、純然たる暴威。それを体に宿した、中性的な(ハク)を。



「どうして、今……なんだ?」


「いま?」


「善意を消すタイミングなら、いくらでもあったはず。ルゥの言っている様子だと、(ハク)が悪意に飲まれそうになっているのは、つい最近の事。違うか? もしも俺が悪意の本体なら、余計な事を宣う前に、封印が解けてすぐに乗っ取りにかかるはずなのに、どうして今になって……」


「それはきっと、えいしんのそんざいがおおきいだろうね。ようまでは、ようまのおうをころすことはできない。ぎょくざのさんだつはふかのうだからこそ、いままではほうっておいた。いや、ほうっておかれたのかもしれない。きぼうがみえた、そのしゅんかんにぜんいをころすために。かんぷなきまでに、たたきつぶすために」


「そんな、回りくどい事を……!?」


「いったでしょ。ようまのあくいは、せいちょうするにつれてどんどんかしこくなるし、もくてきのためならどんなまわりみちだってする。つまり、びゃくれいさまのあくい――ようまのおうのほんたいは、ぜんいにとってのきぼうがみえた、いまこのたいみんぐでえいしんかぜんいのどちらか、もしくはりょうほうをころすつもりなんだとおもう。きっと、ようまのおうのあくいにとって、それがいちばん、たのしいから。もちろん、きっかけはえいしんじゃなくても、ゆうしゅうなくりからがうまれたときでもかまわなかったはず。ようまのおうは、そのためにじぶんのじんかくをひとつころすことすら、いとわないんだと、おもう」


「妖魔の王の悪意にとって、(ハク)は……、(ハク)の善意は、玩具に過ぎないって事か……?」


「そのにんしきで、あってる。そのうえで、びゃくれいさまはじぶんをぎせいにして、あくいもろともきえさろうってかんがえているのかも。それがせいこうするかどうか、きぼうがどれだけちいさくても、びゃくれいさまはえいしんをしんじているのかもね」


「……っ」



 ルゥから聞かされた話は、永新の耳を疑うような内容ばかり。

 妖魔になっていなかったら、作り話も大概にしろと、決して信じられなかったような内容を前に、永新の体は自然と起き上がっていて。ルゥに背を向けた状態で、腹の奥に力が、熱が籠るのを感じる。


 永新がこれまで接してきた「(ハク)」と言う女性。

 あれこそが妖魔の王の善意、善意を象った影であることを悟った永新は、己の無力さを痛感せざるを得なかった。


 妖魔の悪意。

 それは妖魔にとっての光であり、人間であった永新が持つ倫理観、善意などは妖魔にとっての影でしかない。そしてその悪意は永新に力を与えてもくれるが、永新の脆い心に耐えられないような負荷を与えてきては、永新と言う人間の殻を破壊しようと試みる存在であった。

 蓋をしたはずの心を煽って激情を引きずり出しては、自分の心の醜さを思い知らせるように暴れ狂わせる。体の内側から強制的に狂わせられる悪意の塊に何度も襲われる永新だからこそ、ルゥが言った事も、(ハク)の苦悩も、全てが理解できた。


 たかだか最下級の妖魔一万匹の悪意ですら身を焦がすと言うのに、妖魔の王が抱える悪意に晒される(ハク)の苦痛はどれだけのものか。

 そして、(ハク)が託した希望と言う自分がどれだけちっぽけで頼りないものかを悔やまずにはいられない。何よりも、そんな自分でも(ハク)が「希望」だと信じている事が、それに応えられていないと言う事実が、永新の胸を締め付ける。


 たかだか小さなトラウマに怯えて、怖気づいて前に進む事すら出来ずにいた自分が、情けない。

 情けなくて、穴があったら入りたいくらいであった。


 自分がやるべき事、やらなければならない事を自覚したつもりであった胸を叩いて、再度心に刻み込む。



 ――信じてくれている人の為に、希望にならなきゃいけない。



 変わりたい、じゃない。変わるんだと。

 期待に応えたい、ではなく、期待に応えるのだと。


 その為には、自分に出来る事を全てやらなければならない。

 全てやったとしても、足りないくらいなのだから。


 希望になるべく永新が導き出した答えと言うのが――。




「――ルゥ」


「ん?」




「俺に出来る事を、全部教えて欲しい。ルゥの全てを、俺に叩き込んで欲しい」





 全てを吸収する事。

 文字通り「全部やる」だけであった。


 自分には特筆すべきポイントが何一つない。

 よって、伸ばすべきは「全て」。


 単純明快、簡単明瞭。

 ルゥのみならず、真宵からも、羅威竿からも、誠一郎からも全てを吸収した上で、永新は自分で昇華させる。それこそが、永新が「希望」になる為の道なのであった。


 そんな馬鹿げた答えを繰り出した永新に対して、ルゥはにんまりと笑って答える。



「いいよ。あたしが、えいしんのめになってあげよう」


「ありがと――」



 永新の目に未来が宿ったのを見届けたルゥは、二つ返事で永新の頼みを受諾し、若い蕾をその目で愛でる。その蕾がいつか花開く時を想像して口元を弛めていると、永新の感謝の言葉を遮るようにして事務所の扉が勢いよく開かれる。



「出たぜ!! 結果がよォ――って、なんか大事な話でもしてたのか? ほらよ」


「らいかんはけっかみたの?」


「んにゃ、俺様は結果の見方が分からねぇからよ」



「――羅威竿!! いや……先輩!!! 俺に出来る事を、先輩の全てを、俺に叩き込んで欲しい。お願いしますっ!!」



「お、おぉ……! 何があったかは分からんが、いいぜ。いつになく良い目をしてやがるじゃねぇか、永新。へへっ、そうか、俺様は先輩だもんな。よっしゃ、俺様の速さを伝授してやろう!!」



「お願いします!!」



「いいか、永新。スピードは全てを凌駕する。力も、賢さも、何もかもをだ。最速こそが強さの秘訣。一番速ぇ奴こそが最強なんだ。速さは――」



 スピード狂いの羅威竿が持論を語る傍で、ルゥは羅威竿から受け取った永新の血液を解析した結果に目を通していく。するとそこには驚きの解析結果が記されており、一度見たら忘れる事が無い記憶力には自信のあるルゥにしては珍しくその結果に二度、目を通した。



「これは……」



 そこで、ルゥは羅威竿に続いて意味の分からない標語のような「スピードこそ速さ」などと復唱する永新に声を掛ける。



「らいかんがみとどけたけつえきのかいせきけっかだけど、どうする? えいしんはしりたい? ここには、えいしんのるーつがしるされているけど。おぼろなじじつも、このけっかがさだめることになる。それなりのかくごがひつようだろうけど……どうする?」



 緊張感を張り詰めるような口振りで聞き及んだルゥに対して、永新は僅かな逡巡の後、迷いの無い表情で答えを口にするのだった。



「……今は、その時じゃ無い。そうでしょ? だからきっと、ルゥはそう言ってくれたんだと、思うから。……その結果を俺に伝えるかどうかは、ルゥに決めて欲しい。俺が受け止められると、判断したその時に伝えて欲しい。俺はもう、なりたいものを見つけたから」


「……そう。それなら、えいしんのこころがよわってるときにおしえてあげる」


「ルゥはそんな事、しないでしょ」


「さぁね」



 永新の答えは「いつでもいい」と言うもので、ルゥのタイミングに全てを任せると言ったもの。

 その言葉に、ルゥとしては驚きで目を皿にして妖魔の悪意を匂わせるのだが、返って来たのは予想外にも永新の抱くルゥへの大きな信頼の言葉であり、ルゥは思わず照れ隠しのようにさりげなくそっぽを向くのであった。



「らいかんは、どうする? しりたい?」


「興味無ぇなぁ……。永新は永新だろ、どんなやつだろうと、俺様の後輩だ。立派に扱いてやらぁ」


「ふぅん」



 羅威竿に至っては全く興味を示す事は無く、何故かこの場においてはルゥだけが永新をまるで信頼していないような空気が作り上げられた事に納得のいかない様子で頬を膨らませたルゥは、何の意味も無い標語の復唱を再開し始めた永新に向かってソファの上から圧し掛かる。



「うわっ!?」


「らいかんのおばかくんれんはあとでいい。このまままちにでるよ」


「おいおい、俺様のハートに刻まれた言葉を叩き込んでいる最中でな――っつうか、おバカ訓練っつったか!?」


「あたしのほうがさきだった。だからえいしんはあたしのくんれんをさきにうけるべき。らいかんもついてきたければついてくれば?」


「くっ、順番なら譲らざるを得ねぇか……! いいか、次は俺様だからな!?!」


「つーん」


「なんだその態度……!」



 いつの間にか肩車の態勢に変わったルゥを支えて、ルゥの「ごー」という合図とともに永新は事務所を飛び出していく。

 羅威竿とルゥの口喧嘩を背景に、永新は改めて自分の「なりたいもの」を頭に思い描いた後、真宵との修行と同じ脳に切り替えてやる気を覗かせていくのであった。





ルゥ出現時、恒例のルゥ語翻訳です。

必要無ければ飛ばしてください。


「あちゃあ、随分妖魔化が進んじゃったねぇ。でも、ほら見て。血はちゃんと赤いままだ」


「まぁ、あたしは医者じゃないからね。多分、採り過ぎたんだと思う」


「だからはい、あたしの膝を貸してあげよう。羅威竿はその間に永新の血を、上の階の解析機に入れてきて。終わるまで目を離しちゃ駄目だからね」


「昨日、お菓子忘れた罰」


「……妖魔化したのは、初めて?」


「自分が自分じゃ、無くなる気分?」


「……妖魔化した時の感情の爆発は、本音であると言われている。その時に永新が取った行動が『怒り』であるなら、永新はきっと、ずっと怒っているのかもしれないね。けど、それを今までひた隠しにしてきたのは、永新が優しかったから。優しさって言うのは、人の心の犠牲の上に成り立つもの。笑顔の裏には、必ずその人の苦労が、苦痛が隠されているもの。その点、永新は頑張って耐えてきた。どんなものにも永遠が訪れないように、永新の心も、限界を迎えた。今回は、それが永新の希望にそぐわない形で発散されてしまっただけ」


「分かってる。永新は怒りに身を任せてしまうような自分が、嫌なんでしょ? でも、それもまた永新。怒りに正直に生きるのも永新本人と言えるし、怒った時に涙が出る優しい永新もまた、本人なの。それに、そう思えるって事は、永新は変わりたい、と思っている証拠。心が腐らない限り、永新は何者にだってなれる。怒りに身を任さない永新にも、涙を流さない永新にも、何にだって。……でも、そのためには、正しい怒りの発散の仕方を覚えなくちゃ駄目。溜め込まないようになくちゃ駄目。このままじゃ永新は、間違いなく背負ったものが永新の限界を超えていつか潰れてしまうから」


「……その点は少し、永新と白麗様は似てる気がする」


「白麗様が、死にたい、と願うようになったのは封印から解放されてからのこと。妖魔の本能に従ってこの世界を蹂躙しにやって来た妖魔の王様が、たかだか千年ちょっと封印されたくらいで考えを変えるとは 思えなかったから、始めは皆混乱してたし、否定もしてた。でも、白麗様はその考えを変える事無く、今日にまで至っている。その覚悟は相当なものだよ。だからこそ、そこに至った白麗様の考えを、理解しなくちゃいけないんだとあたしは思ったの」


「そう。白麗様が何を思って、何を考えているのか、それを理解しないといけない、と思ってあたしは人間観察を学んだ。人の一挙手一投足の全てに意味がある。その一つひとつから、何を考えているかが分かるようになるまで、練習した。その結果、あたしは白麗様の考えている事なら、大体わかるようになった。白麗様だけじゃなくて、永新も、羅威竿も……誠一郎の考えだって読めるようになった。例えば、永新が考えている事を当ててあげよう。……早く答えが知りたい、って顔をしているね」


「それくらい誰にでも出来るって? ふふ。そうとも言える。だからこそ、あたしはその誰にでもできる事を突き詰めた。時間は幾らでもあったからね。そして白麗様の一挙手一投足から何を考えているのかを見た結果……、今の白麗様は、限りなく僅かな『善意』で動いていることが分かったの」


「心配しなくても、永新が心配するような事態にはならない。だって、人間の社会だって似たようなものだからね。会社や学校、様々なコミュニティで、人間はみんな笑顔の仮面を張り付けている。その裏では他人を卑下していると言うのに。根幹が違うだけで、人も妖魔も表向きは同じ。むしろ、そうやって割り切れるあたし達の方がそんな社会とは相性がいいとすらいえるよ」


「そんな、本来なら有り得ない、妖魔の善意。けど、妖魔の王ならばそれを獲得したとしても不思議ではない。それが妖魔の王だから。それが、白麗様だからね。とは言え、妖魔の王ともなると必然的に、妖魔の持つ悪意も相当なものになる。あたしたちの悪意なんかが可愛く思える程の、ね」


「自殺願望……言い得て妙だけど、そういうことだね。――ただ、白麗様の善意はもうじき消される。妖魔の本質、悪意によって押し流されるように、押し潰されるように」


「今?」



「それはきっと、永新の存在が大きいだろうね。妖魔では、妖魔の王を殺す事は出来ない。玉座の簒奪は不可能だからこそ、今までは放っておいた。いや、放って措かれたのかもしれない。希望が見えた、その瞬間に善意を殺す為に。完膚なきまでに、叩き潰す為に」


「言ったでしょ。妖魔の悪意は、成長するにつれてどんどん賢くなるし、目的のためならどんな回り道だってする。つまり、白麗様の悪意――妖魔の王の本体は、善意にとっての希望が見えた、今このタイミングで永新か善意のどちらか、もしくは両方を殺すつもりなんだと思う。きっと、妖魔の王の悪意にとって、それが一番、楽しいから。もちろん、きっかけは永新じゃなくても、優秀な倶利伽羅が生まれた時でも構わなかったはず。妖魔の王は、その為に自分の人格を一つ殺す事すら、厭わないんだと、思う」


「その認識で、合ってる。その上で、白麗様は自分を犠牲にして、悪意諸共消え去ろうって考えているのかも。それが成功するかどうか、希望がどれだけ小さくても、白麗様は永新を信じているのかもね」


「ん?」


「いいよ。あたしが、永新の目になってあげよう」


「羅威竿は結果見たの?」


「これは……」



「羅威竿が見届けた血液の解析結果だけど、どうする? 永新は知りたい? ここには、永新のルーツが記されているけど。朧な事実も、この結果が定める事になる。それなりの覚悟が必要だろうけど……どうする?」


「……そう。それなら、永新の心が弱ってるときに教えてあげる」


「さぁね」


「羅威竿は、どうする? 知りたい?」


「ふぅん」


「羅威竿のおバカ訓練は後でいい。このまま街に出るよ」


「あたしの方が先だった。だから永新はあたしの訓練を先に受けるべき。羅威竿もついて来たければついて来れば?」


「つーん」



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