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3話

 



「……ただいま」


 永新にとって、今の自分は永恋の期待に応える為に生きているようなものだった。

 例え彼女が助けてくれなくとも、永恋に縋らなければ生きていけない理由が、永新には存在していた。




 永恋との出会いは、三歳になったばかりの頃。

 倶利伽羅にはその年で三つを数えるようになった子供は「お披露目会」と言う会場で顔合わせを行う。

 それは、将来倶利伽羅として手を取り合って命を繋ぐ仲間同士を繋ぎ合わせる為だなんだと言われている。そしてその年は四家の子供が勢揃いすると言う事で注目度も高いお披露目会だった。

 当然、燼月と言う最下級のような家柄にとってみれば天上の存在と顔を合わせる機会で、父親が甚く緊張しているのを永新は覚えている。お披露目会の最中、父親から教わったばかりの礼儀作法に疲れた永新は一人、壁の一部となって退屈そうにしていた。永恋と出会ったのは、そんな時だった。


『あなた、おなまえは!?』


 キラキラと輝く瞳は、同い年とは思えない程の熱を湛えており、船を漕ぎそうになっていた永新は一瞬で頭が冴えるような思いだった。世界が色付いたような――と言う表現が正しく当て嵌まるのは事実で、()()()()()()一目惚れをしたと彼女自身言い触らしているのだが、実際は違う。永新は彼女に捕らえらえたその瞬間、既に永恋に一目惚れをしていたのであった。

 永恋が恋に落ちたと言っているのは、その後。


 ――永新と永恋。


 習ったとは言え、見様見真似で書いた名前に運命を感じたのか『おなじかんじをつかうのね! これはうんめいっていうの!!』と言って一頻り高揚した後、お披露目会の最中、永恋は永新の傍から離れようとしなかった。


 後になって、永恋が小暮日家の息女である事を知った父親が目玉をひっくり返していたものの、それから永恋の意思が加わったとは言えとんとん拍子に事が運び、永新が永恋の婚約者になったのは学園入学の一年前。


 けれども、永恋の恋心とは裏腹に、永新の心は穏やかでは無かった。

 入学の一年前から行われた小暮日家主導の生活矯正、学習指導。たった一年であったけれども、永新にとってみれば地獄の日々で、それを乗り越えた先が学園での針の筵の生活。


 それでも、永恋に相応しい人になるために、と必死で頑張る一方で、心の奥には「もういいんじゃないか」と永新の歩みを止めるもう一人の自分が存在していて。だけど、今ここで膝を折ってしまえば、もう二度と立ち上がれない、唯一期待してくれている永恋を裏切りたくないと思う一心で、永新はこの三か月戦い続けてきた。


 そうして永新が戦い続けられるのも、永恋が居なければならない状況が全てであるから。



「――おかえり、永新」



 それこそが、泣いたお陰か目元を腫れぼったくして帰宅した永新を迎え入れるベッドの上の母親の姿。

 永新は永恋の期待に応える以上に最たる理由として、病に伏せる母親の存在があった。


 永新と同じ藤色の髪に、茜色の瞳。

 彼女の名は、燼月(じんげつ)新夏(わかな)


 病によって日がな一日寝たきりを強いられたお陰で痩せ細った体とは対照的に今も尚力強いその瞳は、寝室に繋がる扉を弱々しく開いた愛する息子に向けられ僅かに伏せられたものの、すぐさま慈しみが込められて優しく細められ、愛する息子を迎え入れる為に両腕を大きく広げて見せる。

 すると、それを前にした永新はたちまち荷物をかなぐり捨てて、吸い込まれるかのように母親の腕の中に飛び込んで行った。


「母様……っ」

「今日も、頑張ったね永新。うんうん、偉い偉い! よく頑張ったよ。永新は、母さんの誇りだよ」


 ぎゅうっ、と痩せ細った腕とは思えない力で抱き締められる永新は、不思議と苦しさよりも心が落ち着くような感覚に陥り、母親の胸に涙を零していく。


 命のやり取りを繰り返す倶利伽羅の世界では僅か六歳にして大人である事を強いられるのだが、常人の世間一般から見れば六歳などまだまだ子供の盛りの時期。永新のみならず、あの学園に通う多くの子供達は他者の目が届かない限られた空間においては同じように最も身近な存在に甘えている事だろう。それこそ、永新に悪意を向ける名家の子供達でさえも、似たようなもの。そう言った点では、まだまだ大人になり切れていない証拠とも言えるのだが、一歩外に出ればすぐさま大人である事を求められるのであった。


 そんな息苦しい世界、とりわけ永新にとって苦痛を強いられる世界に息子を送り出さねばならない状況に新夏は心を痛めておりながらも、家の力も無ければ倶利伽羅としての実績も無い彼女では一方的に持ち掛けられた小暮日家に逆らう事など出来るはずも無かった。

 ましてや、小暮日家からの支援を受けなければならないのは自分が理由であるが故に、愛する我が子の枷になっているという現実に胸を痛めていた。


 母親の病。

 それこそが永新が立派な倶利伽羅を目指さざるを得ない理由であり、永新が折れる事を認めない原因でもあった。


 新夏は、永新が物心つく前から、ベッドの上での生活を余儀なくされていた。

 元より体が弱かった訳ではなく、むしろ倶利伽羅の一人として前線を張れる程の実力の持ち主であった。お互いに命を懸け合う妖魔との戦場では普段よりもずっとあらゆる情が芽生えやすく、永新の両親は視線を潜り抜けた先で、愛を誓い合った。

 その果てに生まれたのが永新なのだが、新夏は産後の肥立ちが悪く酷い衰弱に見舞われてしまう。一時は命の危険があるところまで追い詰められたのだが、無事に一命を取り留める事に成功。けれども、その際に新夏はその血に宿っていた霊力を大量に喪失していることが判明してしまう。


 倶利伽羅にとって霊力は血、血は霊力とも呼ばれるくらい大切なもので、失えば命の危険があるのだが、霊力は自然治癒で回復する――はずだった。


 本来ならば微量ながらも回復していく霊力のはずが、新夏はいつになっても回復の兆しが見えない。

 それどころか、残された僅かな霊力も日々減少している事が判明。このままでは現状復帰は疎か五年と持たない、と医者に告げられた事で、新夏は入院生活を余儀なくされてしまっていた。


 倶利伽羅が国からの支援を受けているとは言え、それでも限界はある。

 名家のような実力者はともかく、燼月のような名声も何も無い家の面倒をゼロから百まで見ていられる程財源に富んでいる訳でも無い以上、新夏の延命治療費は燼月家にとって重荷となりかけていたそんな時、永新は永恋に出会った。


 結果、親同士で婚約の協議が行われ、小暮日家程の名家の力でもって紹介された名医と資金の援助によって新夏は在宅医療を受ける事で永新の傍に居る事が叶うのであった。

 それが却って息子の枷になっていると痛感せざるを得ない現実を前に、新夏は歯痒い思いをせざるを得ない。

 そして、新夏は小暮日家からの支援を受けて尚も霊力の減少を遅らせる事しか出来ない現状に誰よりも憂う他無く、そんな新夏に出来るのは目一杯愛する息子を認めて、褒めて、甘えさせてやるくらいしか無いのだった。


「永新が頑張ってる事、母さんはちゃあんと知ってる。他の子よりも頭が良い分、色々と考えちまうんだろうけど、それは永新が優しい証拠さ。そんな優しくて強い永新の事を見ていてくれる人は、必ず現れる。認めてくれる人は、必ず現れるもんさ。……それに、永新はなんてったってこのあたしの息子なんだ。将来は誰よりも強い倶利伽羅になれる! 間違いない! 母さんは、いつだって永新の味方で、いつだって永新の事を信じてるからね」

「はい、母様……!」


 新夏の声に顔を上げた永新は、鼻先が触れ合う程の距離でお互いに目を見合わせると、母親からの愛を注がれるかのように額をすりすりと擦り付けられては、学園では見せた事のない満面の笑みを浮かべる。


 元気よく返事を決めた永新は、フンス、とやる気に満ちた様子でベッドから立ち上がり、夕飯の支度へと移っていく。


 最下級の倶利伽羅と言えども本来ならば家事は全て家政婦を雇って済ませるものなのだが、燼月家は小暮日家からの支援を受けているとは言え、その支援額は燼月家の収入では足りない分の治療費のみ。

 新夏の治療費で圧迫する家計では、雇えたところで精々が新夏だけが残される昼の数時間のみであった。故に、朝夕の食事の用意であったり、その他諸々の家事を永新は一手に担わなければならないでいた。そこに加わる学園の課題に追われた結果、永新は自分の睡眠時間を削る他無く、学園でふとした瞬間に気絶するように眠りに落ちてしまっていた。

 残された父親が代わりにやればいい、と誰もが考えるため理解が得られないものの、永新の父親、即ち燼月家の当主とも言うべき存在は、永新が登園するよりも早くに家を出て、永新が寝静まった頃に帰ってくると言うフルタイム労働を鼻で笑い飛ばすかのような過酷な勤務形態をしており、一日かけて妖魔の討伐に出払うのがほとんどである為、必然的に家の用事は全て永新がやらなければならない。

 この現状を改善するためには、永新が小暮日家からの評価を再認識する程の好成績を収め、支援金を増額してもらう事で負担を減らしてもらう他無いのだが、永新は睡眠時間を削っているせいで学園での評価は下がる一方と言う、負の循環に陥ってしまっているのだが、父親を含め周りの誰もが「お前(永新)の頑張りが足りない」のだと言う。


「……今日も、食べてくれないんだろうな」


 家政婦から教えられた料理の基礎も、振舞う相手が居なければ何の真価も発揮しない。

 母親には栄養管理された食事のみが与えられているため、永新の料理が提供する事は決して叶わない。

 父親の分まで用意して眠りについても、翌朝目にするのは手付かずの状態で放置された永新の料理。


 そんな事を考えながら、広いリビングで一人食事を口に運んでいると、不意に鍵が開く音が聞こえ、永新は無意識にも背筋をピンと伸ばしてしまう。


「――まだ起きていたのか」


 永新の顔を見るや否や、溜め息と共にそんな言葉を吐かれ、永新は「おかえりなさい」の言葉も詰まってただ俯く事しか出来なかった。


「食事は要らない、と言っているだろう」


 テーブルに並べられた自分の分の皿を眺めた後「早く寝るように」とだけ忠告した父親は、薬の影響で眠りに落ちた母の寝室へと入っていく。



「……おや、すみなさい……っ」



 父親の名は、燼月(じんげつ)永政(ながまさ)


 永政は、新夏と比べても霊力が弱いのだが、霊力を操ることに長けており、その腕を買われて新夏とチームを組んだ。その結果、愛の結晶と言う形で永新が生まれたのだが、生まれ落ちた我が子を見て永政は「自分は父親には向いていない」と早々に悟った。

 何せ、永政は誰よりも新夏の事を愛していたから。自分にだけ向いていた新夏の愛が生まれたばかりに皺くちゃの猿のような物体に注がれている事に対し、あろうことか彼は()()()()()()()()のだ。

 妻を愛すぎるが故に、我が子を愛せなくなってしまった悲しき存在はその事実を胸の内に留めていようと心に誓ったものの、その思惑は即座に破綻する。何故ならば、永新を生んだ直後から新夏の命が細くなっていくのだから。


 瞬間、永政は理解した。

 永新が、新夏の命を、霊力を奪ったのだ、と。


 けれども、新夏は永新を愛している。彼女は弱っていく自分を悟りながらも、永政に向けて「永新を頼むわ」と言って、一時は死を覚悟していた。そんな事させてたまるか、奪わせはしない、と見当違いにも程があるような思考で医者と共に必死になって妻の命を繋ぎ留めた。

 それからと言うもの、永新が大きくなるにつれて「俱利伽羅としての心構え」と称して人一倍厳しく指導した。当然、新夏の前ではにこやかに振る舞って。


 その結果、どうした事か、まさかまさかの小暮日家との良縁が転がり込んでくるでは無いか。

 それ以降、永政は永新の事を「新夏を助ける為の道具」としてしか認識できなくなり、より一層指導に熱が入る。その姿は傍から見れば教育熱心にも映るのだが、胸の内は子供を利用する愚かな親でしかなかった。永政もその事実には気付いていながらも、新夏を助けることが出来るのならそれでもいい、とさえ考えていた。その為ならば、息子を売る事すら容易く、小暮日家との婚約取り決めの本当の内容は新夏には伝えていなかった。


 援助を出し渋る小暮日家から援助を引き出せたものの、結果として早朝から深夜にかけて延々と妖魔と戯れ続ける日々になった事は罰でも下ったのかと思えるが、永政にとっては新夏が生きる可能性があるのならどんな苦痛もへっちゃらであった。その結果永新が傷付こうとも、永政には関係のない話。



「……新夏。早く元気になって、また一緒に、妖魔を狩り尽くそう」



 こうして早く仕事を終えることが出来た今夜も、永政はただ黙って深い眠りに落ちる新夏の傍に居続け、夜を超すのであった。







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[良い点] まじで死ねよこいつら
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