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34話

 




『――お前は、要らない子だ』



 指を差されて、否定される。



『――落ちこぼれが、学園に来るなよ』



 背中を蹴られて、嘲笑される。



 永新の人生を表現するとしたら、その二つで事足りる。

 努力を重ねても成果は実らず、どれだけ頑張ったとしても誰も認めてくれない。

 信じた人達からも裏切られ、見限られ、愛してほしかった人からは殴打を受ける始末。



「夢、か」



 永新にとって忌々しい記憶達が、まるで紙芝居をめくるように目の前で切り替わっていく光景を前に、永新は独り言ちる。

 夢を夢だと認識できる明晰夢の中に降り立った永新は、気持ちが沈むと分かっていながらもその紙芝居から目を離すことが出来ない。まるで誰かに頭を抑えつけられ、強制されているかのように。


 それが夢なのか、むしろこれまでが夢だったのか、永新には分からない。



「……こんな夢を見るって事は、俺はまだ、変われてないのだろうか」



 夢の中にいる間、永新はふと考える。

 自分では強くなれたと思ったけれども、本当は何も変わっていないのかもしれない、と。


 相変わらず真宵には一切手が届かず、霊力を引き出す事には苦戦を強いられる。何せ、感覚で言えば、喉に手を突っ込んで胃袋を引きずり出すような感覚なのだ。初めから人間の体の構造をしていない妖魔だからこそできる手段であって、初めから人間であった永新には苦痛しか覚えられない。

 その上、真宵は日を追うごとに修行の激しさは増すばかりで、追い付くのがやっとである。最早意識を保っていられる時間よりも、記憶を飛ばして食らい付いている時間の方が長くなりつつあるものの、次の日になればキチンと体は覚えているのだから大したものである。


 そんな苦痛が続く日々の中でも、夢すら見る余裕のない日々は永新にとって非常に気が楽なものであった。


 永新の半生を言い表すに等しい苦痛の日々。それらが続く日々の中でまともに深い眠りを遂げられたのは滅多に無い。一か月に一度あれば良い方で、積み重なっていく心労によって記憶に残らない悪夢に魘され、二時間と眠り続る事すら困難な時期もあった。

 学園での苦痛に耐える中でしっかりと眠りにつくことが出来たのは、皮肉にも母親が死んだあの日の夜のみ。永新にとって全てが終わり、全てが始まった日でもあった。



「母さん……」



 記憶に残る母親は、いつしか笑顔を見せてくれなくなった。

 日に日に無理を重ねて窶れていく永新を心配してか、永新の記憶に残る母親の表情はどれも心配に滲んでいた。



 ――今のお前を見て、母さんはなんて言うかな。



「ッ!!」



 記憶の紙芝居が、母親で埋め尽くされる中、頭上から降り注いだ声に永新は頭を上げる。聞き間違いでなければその声は紛れもなく自分の声で、頭を上げた先で待っていたのは、自分の顔。

 夢の中の永新は、瞼と瞳孔を限界まで開き切っており、血走った眼は永新を捉えて離さない。永新の頭が固定されていたのは比喩でもなんでもなく、夢の中の自分に両側から頭を鷲掴みにされていたからなのであった。



 ――お前が笑う事は、僕が許さない。



「……あぁ、そうか」



 そう言って非難の声を向けてくる夢の中の自分を見て、永新はずっと喉の奥に引っ掛かっていた何かがストンと胸に落ちたようで、一人納得の声を上げる。



 ――母さんの期待を裏切る事は、僕が許さない。



 永新が「変わる」と決めてからと言うもの、あと一歩だけが足りない状況で足踏みを繰り返していた要因がはっきりと分かったからだ。

 踏み出す為に必要な最後の一歩。それは、過去の自分を認めてあげなければならないと言うもの。


 自覚してしまえば納得するのに時間は必要なく、そうだったね、と受け入れてしまえる。



「……お前()は、無駄な努力を積み重ねてきた」



 ――母さんが、信じてくれたから。



お前()は、苦痛に耐え続けた」



 ――母さんが、応援してくれたから。



「もっと早く、気付いていれば、壊れなかったかもしれない。もっと早く、誰かに助けを求めていたら、こうはならなかったのかもしれない」



 ――母さんに、心配はかけられない。



「そうだな。お前()は死に物狂いで無駄な努力を重ねて、耐える必要の無い苦痛に耐え続けてきた。それも全部、母さんの為だったな」



 ――期待に、信頼に、応えなければならない。



「……だが、その母さんは、死んだ」



 ――僕が、殺した。見殺しに、した。



 ポタ、ポタ、と額に落ちてくる涙は、あの頃から飲み込み続けてきた、大粒の涙。

 いつの間にか、記憶の紙芝居は、母親である燼月新夏(わかな)が永新に向けた、愛している事がひしひしと伝わってくるような慈愛に満ちた微笑みで止まっていて、永新の胸にチクリと刺す痛みが走った。



「……俺は、もう母さんが信じてくれたような人間には、なれない」



 ――ならなければならない。



「俺はもう、倶利伽羅じゃないから。既に期待を裏切った、後だから」



 諦念が混じる永新の声に、記憶の中の自分、幼い永新は馬鹿の一つ覚えのように「やらなければならない」と期待を押し付けてこようとする。


 それだけが、永新の人生の指針だったから。

 父親の顔色伺うのも、学園での虐めに耐え続けたのも、全ては永新にとってたった一人の理解者であった新夏の期待に応える為。それだけが、永新にとっての生きる理由。新夏と永新の愛が生み出した、永新だけを縛る呪いと言う名の鎖であった。


 それを忘れて「変わるんだ」と宣う今の永新の姿は、過去の自分からすれば言語道断。

 絡みついた鎖を脱ぎ捨てて、一人だけ解放されるなど、他の誰が認めても他の誰でもない自分自身が絶対に認めない。

 そんな事になるのであれば、これまでの自分の苦しみは何の為に在ったのか、絶望は何の為に味わったのか。これまでの全てを否定する未来など、自分自身が許さない。




『――そんな事、絶対に認めない。絶対に許さない。僕は、鎖だ。お前()を縛る、記憶の鎖。……お前()にまで捨てられたのなら、お前()の人生はどうなる!? 他の誰でもない、お前()までもが、僕の人生を否定するのか!?』




 その旨を吐いた叫びは、紛れもない自分の本心。

 自分自身が口にしているのだから、その悲痛な叫びは永新自身の言葉で間違い無い。


 だからこそ、永新は自分自身が何を求めているのかも理解していて――否、此処に来たことで自覚することが出来て。

 永新は記憶の中の幼い姿を象った自分に向き直り、言葉を選んで口にする。自分自身が、欲する言葉を。




「……俺は、母さんが期待してくれた、大勢の人の命を救う倶利伽羅には、もうなれない。こんな体だからな」


『駄目だ!! それでも、ならなくちゃ――』


「最後まで話を聞いてくれ。お前()がそうまでして言うって事は、俺もそう思っているのだろうが、俺はこの体になった事を、後悔していない。この体になって分かった事は、たくさんある。力が強ければいいってもんじゃないって事、力の使い方も一から学ばなくちゃいけない事。それらは、正直言うと、しんどいよ。真宵先生の修行は狂ってるから。……それでも、俺は、倶利伽羅であろうと自分を殺し続けて生きて来たあの日々と比べても、今の方が、ずっと楽しいんだ」


『楽、しい……?』


「あぁ、楽しいよ。……正直、これから何が待ってるかとかは、良く分かっていない。この体になった俺は、きっとろくな死に方はしないだろうって事くらいしか、分かってないさ。でも、それでも、この体に生まれ変わる為にお前()が諦めなかったからこそ、その先に楽しい未来が待っているんだ。お前()が踏ん張って耐えてくれたから、俺はこうして前を向けた。変わりたい、って思えるようになった。それだけでも、お前()の努力は報われたと思っても良い」


『……』


「それに、だ。母さんが期待していた俺とは少し違うだろうけど、俺には、どうしても力になりたい人が出来たんだ」


『……母さんの仇、でしょ』


「あぁ。……当然、アイツに対して憎しみはあるし、怒りもある。でもそれ以上に、俺はアイツを理解したいと考えているんだ。変だと思うだろ? なんてったって、母さんが信じてくれた俺を裏切る訳だからな、俺もそう思うよ。……でもな、その為に俺は今よりもずっと強くならなくちゃいけない。その為に、変わらなくちゃいけないんだ。さっきも言った通り、その先には過酷な未来が待っているだろうけど、そんなの関係ない。俺は皆との未来が見てみたいんだ。今度は、絶対に失ったりしない、大切な俺の居場所。そこに並び立てるように」


『……僕も、一緒に行ける?』



「置いてったりしないさ。お前は俺で、俺はお前だからな。お前が居るから、俺が居る。もう誰にも、俺を否定させない。――俺達を否定するやつを、否定してやるんだ」



『……うん。一緒に、行こう――』




 いつの間にか、記憶の中の自分は表情に笑顔を浮かべていて。

 いつの間にか、記憶の紙芝居の中の母親は記憶以上の笑顔を浮かべていて。


 差し出された手を掴んだ永新は、幼い自分の姿を引き連れて、夢の終わり――光が差す方へと共に歩いて行くのであった。
















「――ん、ぅ……」

「お、起きたか」


 意識が夢の中より浮上し、瞼が開くと同時に差し込む強い光に呻き声を上げると、それに反応した真宵の声が鼓膜を震わせる。


 虹彩が取り込む光量を調整し視界を慣らしていくのを待つ間、永新は自分が眠っていた事を思い出す。

 気を失う前は確か、と記憶を巡らせ、いつもの如く真宵に意識を刈り取られた事を思い出しては苦い表情を見せる永新の顔を覗き込んだ真宵がふっ、と笑う。



「良い夢でも見たのか?」

「夢……? そう言えば、誰かと話していたような……。アレは、誰だったか……」



 問い掛けられた永新はぼんやりとした頭で記憶を浚ってみるが、断片的な記憶だけが蘇る。

 誰かと話していた事だけは覚えているのだが、誰と話していたのかは思い出せない。

 そんな曖昧な答えを受けても、真宵はニンマリと笑う口を戻そうとしない。



「……何、ですか? 何かついてます?」

「いんや? 顔つきが変わった、と思ってな。今なら良い試合が出来そうだ」



 鏡も無い青空の下では真宵の言っている事を確認する術など無いのだが、永新はその手に感じた手応えでもって認識を改め、硬く拳を握り締める。



「やります?」

「さっさと準備しろ――と言いたいところだが、話は別だ」

「……風邪でも引きましたか?」

「それはどういう意味だ? おい、燼月? ……まぁいい、そのやる気はこれから解消してもらうからな。お前が気絶する直前、お前はオレを追い詰めた。その際に、オレがちょっとばかし霊力を解放したお陰でな、今こっちに倶利伽羅が向かってきている」


「はぁ、そうですか。…………って、えぇ!? た、大変じゃないですか!!?」


「オレとしては問題無いんだが、凍吉のやつが行くって言って聞かなくてな。そっちは凍吉に任せてあるから問題無い」

「そっちは……?」

「あぁ。ここの隣の山にはな、異界の穴を封じた楔が打ち込まれてあるんだ。だがそれがどこぞの馬鹿が悪戯したお陰で封印が解けかけてんだ。って訳で、オレとお前は今からそっちに移動して楔に再封印を掛けるって訳だ」

「異界の穴……? 楔……? じょ、冗談ですよね? それってつまり、倶利伽羅が大勢いる所に突っ込むって事ですか!?」



 真宵は何げなく言って見せるが、その実、妖魔にとっては自殺行為と言っても過言ではなく、実戦経験の乏しい永新にとっても同じ事であった。



「無理じゃねぇっての。実践における経験は、修行の何十倍もの成果が伴うってもんだ。そもそも、お前が戦う相手は倶利伽羅じゃないしな」

「俱利伽羅じゃ、ない?」

「あぁ。お前には、異界の穴から飛び出てくる妖魔共を片っ端から駆除してもらう。その間に、楔を再度封印するための祝詞を組んでもらうだけだ」


「……いや、無理ですって!?」


「無理じゃない。やるんだよ。オレも倶利伽羅に片足突っ込んではいるが、治癒術専門だ。そこで、妖魔でもあり倶利伽羅でもあるお前が飛び出てくる妖魔共を喰らいながら穴を塞げ。祝詞は向こうに着いてから教える」

「行き当たりばったり過ぎる!! そんな事――」



 再び「無理だ」と口にしようとした永新に、真宵は先んじて言葉を打つ。

 いつになく、真剣な眼差しで。



「――オレは、お前になら出来ると思ったから提案している。それでもまだ、出来ないと叫ぶか?」

「っ!」



 真宵の眼は、期待を乗せた本気の眼差しで、記憶に残る母親と同じ目をしていた。

 真宵の声に合わせて、頭の中で背中を押す声が聞こえてくる。



 ――変わるんでしょ。



 その声に、永新は反射的に答えてしまう。




「――出来る」




 と。

 確信は無い。根拠も無い。

 それでも、真宵の期待に、自分の願いに応えるべく、前に進むことを迷いなく決めた。

 そうする事が一番だと、心が動いたから。


 永新のその答えに、真宵は嬉しそうにはにかんで乱暴な手付きで永新の頭を撫で回した後に、尻尾の陽炎を開く。



「そうと決まれば、さっさと行ってさっさと終わらせようぜ。オレとしては霊力の補給がメインだと考えているし、もし万が一封印出来なかったとしてもそれはそれだ。なぁに、心配しなくても、ばくっと喰って、どかん、と決めればすぐに終わるっての」


「が、がんばります……?」


「オレも手伝うから安心して肩の力は抜いて行け? ……あぁ、そうだ。一つ、言い忘れていたが――」



 永新が尻尾の陽炎に体半分を突っ込むと同時に、真宵は忠告を付け足す。

 既に後戻りが出来ないところまで踏み込んだところで付け足すあたり、真宵は分かっていながら黙っていたのだと永新には簡単に思い当たるのだが、背中に掛けられた真宵の足裏が永新を振り返らせるのを妨げる。



「――時間経過次第で上級妖魔がゴロゴロやって来るだろうから、急げよ?」


「い、急げって、なにを、どうしろと!?」


「そりゃあもちろん。オレ達は妖魔だぜ? やる事は一つだろうよ」



 決死の抵抗も止むなく、身体が次第に押し出されていく中、永新は首だけを振り返らせて真宵の言葉に耳を傾ける。そんな永新を見て、ではなく、これから起こる修羅場を期待しての好戦的な笑みを浮かべた真宵は、己が血を燃やすかの如く熱い息を吐く。






「妖魔を、喰って喰って喰いまくるんだよ――」






 次の瞬間、永新の視界は暗転し、熱風と共に妖魔と倶利伽羅が入り乱れる山頂へと放り出されるのであった。







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